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第一章『生き方』

 ――誇りとか、驕りとか。生きていくのに、どうしても重たいね。


  *  *  *  *


 初日の波乱を除けば、学生生活は至って普通だった。

 ただ、中学校までの義務教育と比べれば、それは全く異なるものではあったのだけど。それは魔法という異端な力を、日常と受け入れるかどうかという問題もあった。

「……とまあ、こんな感じで、魔法というものを知るには、自分の契約した守護者がどういうものかを知ることと同意義となってくる。とりわけ、このクラスは、本に左右されない性質の守護者を持つものばかりを集めているので、そのことはすでに理解できていると思う」

 大城先生は黒板にチョークを滑らかに走らせていた。私は教壇に立つ大城先生が魔法を扱っているところを見たことがない。しかし、それは「能ある鷹は爪を隠す」ということかもしれないし、あるいは、「無駄なところで魔法を使うな」という、無言の教示かもしれなかった。

 魔法を使えない人々は、魔法人を良く思っていないことも多い。時に、妬み。時に、恐れ。様々なマイナスイメージでもって、差別する。そんな人は多くはいないが、それでもやはり、魔法によって優劣の差が生じるのであれば、そこに差異が生まれても仕方が無いことだった。

 それは逆も然りである。

「昨日さー。テレビ見てたら、マジシャンのニュースやっててさ、見た?」

 授業中にひそひそ話している、前の席の田中さんと佐藤くん。

「知ってる知ってる! あれでしょー。魔法使う人に対する妬みだよね! 私らのほうが優れてるのにさー」

 田中さんは、得意気に鼻を鳴らした。

 私も、女子寮の談話室に置いてある新聞の一面で見たが、妬みだとは思わなかった。


『マジシャンのポギー四郎が手品と称して、魔法を利用したマジックを披露し、観客から不正に観覧料を徴収していたことが判明した。調べに対してポギー四郎氏は、魔法も英語だとマジックだから良いと思った。今は反省している等と発言しており、警察ではポギー四郎氏の弟子も同様の関与がなされているのではないかとみて、余罪を調査する方針である。』


 そんな感じの文面だったかな、と記憶を辿る。細部で微妙に間違っているかもしれないが、おおむねそんな感じだった。

 これはどう考えても、ポギー四郎が悪い。何せ、人を騙しているのだから。どう考えても、魔法の能力の有無に対する妬みは介入する余地はないように思えた。

 と、まあ、そんなことを席が後ろの槍真に小声で言ってみた。

「え、まあ、そうだよね」

 槍真は半分寝ていたのか、気の無い返事をしてくる。

 入学初日で入院した槍真は、五月になってようやく復帰してきた。勉強は遅れていたが、病院で特別に宿題という形である程度の教育はなされたため、これが出席日数に響くわけではないだろう。

「槍真も思うよね。魔法じゃないものを、魔法って言い張って使ってたら、それは詐欺になるし、どっちもどっちなんだよ。きっと」

 言った瞬間、少し槍真が気まずそうな顔をする。

「そ、そうだよな」

「こら、そこ!」

 大城先生が気づき、声をあげる。

 前の席の田中さんと佐藤くんは瞬時に黙り込み、私と槍真だけが目についてしまう。

「授業中の私語はダメだろう。服部君は特に遅れているんだから自覚を持たないと。君はまだ実技もあまりできないのだから」

 槍真は黙り込む。私は彼がすごい魔法の使い手であると知っていたから、先生に抗議しようとしたが、槍真が止めたので、何も言わないでおこうと思った。

 そして、このことはうやむやになったまま、チャイムが鳴り、授業は終りとなった。


 休み時間、麗奈が私たちの席のところへやって来る。

「服部君。魔法のこと、先生に自信持っておっしゃったらよろしいのに」

「い、いや……」

「そうよ。槍真、あの不良と互角にやりあってたじゃない。最初の骨折がなかったら勝てたくらいでしょう」

 麗奈と私は口々に、槍真の功労を褒めたが、槍真は気の無い返事をするばかりだった。

 まあ確かにその通りだろう。何せ、骨折の理由が理由である。

 サラ院長先生は言っていた。

「骨折の原因は高所から飛び降りたことによる衝撃でしょう。喧嘩が原因ではないと思います」

 つまり、あの里見という不良のせいではないのだ。そのこともあり、このことは暴力事件としては届けないことにした。大城先生はそれでも一応は、と食い下がったが、槍真の「問題を起こして、父親に迷惑をかけたくない」の一言で、その場は収まった。

 要するに、槍真はかっこつけて高所から飛び降りたせいで入院することになったのだった。

「入院したきっかけはださかったけど、槍真はすごいと思うよ」

 と、私は感謝の気持ちも織り交ぜ、褒めたのに、やはり槍真は少し複雑そうな表情を見せていた。

「あれは、魔法の力だけじゃないんだよ……」

 意を決したように、槍真は顔をあげた。

「それじゃ、あれは忍法か何かだって言うのかしら?」

 槍真の魔法は、巻物を用いたもので、そこに宿る守護者も忍者のような格好をしていた。麗奈がそう思うのも無理はなかった。けれど、槍真にとっては心外であったらしく、ひどく狼狽し、派手な音を立てて椅子をこかした。

「ば、ばばばばかだな! この科学か魔法の世かっていう平成の時代に、にににに忍法なんてあるわけないじゃん! ほ、ほんとどうかしているでござるよ! あ、拙者、今日は外来診察があるので放課後は暇じゃないのでこれにて失敬!」

 どろんでござる、と言い残し、煙とともに消えた。

 周囲のクラスメイトの視線が、やたらと痛い。私にはもう、どこからどう見ても忍者にしか見えなかった。


  *  *  *  *


 今日は、麗奈と放課後、喫茶店『night a star』でおしゃべりを楽しんでいた。

 初日以来、久々の利用だった。今日はあえて、姉さまの話は出さないように心がけた。また泣き出してしまったら、きっと麗奈にもマスターの内藤さんにも迷惑がかかる。

 内藤さんも気遣ってか、もともとの性格か一言も話さず、静かにグラスを磨いていた。

 この店は、夜はバーにもなるのだという。その準備かもしれなかった。しかし、喫茶店とバーの両方の心得があるとは、内藤さんも器用な人だと思う。

「ところで良恵さん。知っていらして? 最近の校内の噂」

 噂って何だろう。

 噂ならいくつも耳に挟んだので、どのことを言っているのかわからなかった。記憶に新しいのでは、この学校の生徒会長がグラウンドで魔法の制御に失敗したとか、そういうレベルのものだったが――

「鬼、が出るそうですよ」

「お、鬼!?」

 あまりに唐突な単語に、私は飲んでいたオレンジジュースを吹き出した。

「おや、良恵ちゃん。知らなかったのか。蓮華島は、そういう怪奇の類の噂は多いんだよ」

 内藤さんがグラスから視線をあげ、ニヒルな笑みを浮かべる。

 私は正直言って、この手の話題は苦手なのだ。この島に来る時に、船から、島に墓場が並んでいる風景を見たときはちょっと不気味で、この先やっていけるのかと心配になった。

 けどまあ、あれは、角度からそう見えただけで、実際のところ町とは離れていた。この島が新規開拓されて埋立地が追加されるより以前の、島本来の住人の先祖代々の墓場であるらしいが、近寄りたくないので誰にも詳しくは聞いていない。遠目に古ぼけた寺院も見えたが、荒れ果てた様子から人が住んでいるとは思えなかった。

「それに、この蓮華島は墓場島とも呼ばれていますものね」

 麗奈もその話題に乗る。

「まあ、船の進行方向が悪いよな。港があの方角にあったら、そりゃあ墓場が真先に目につくだろう。墓場を見晴らしよい丘に立てること自体は何も変じゃない」

 そういえば、と内藤さんは話題を変えた。なんとか、オカルトな話題から反れそうで、助かった。今夜寝れなくなって、隣の部屋の仁美のところにお泊りしないといけなくなるところだった……。

「そういえば、あの墓守、じゃなかった。神社のところの里見守。あいつ、魔物退治だなんだって、この前、木刀振り回して山ん中に入っていったけど、あいつがそんなこと言うくらいだから、今回の噂は相当目撃者が多いようだな」

 里見さとみ まもる。あのホストっぽい格好をした、不良だ。

「ああ、あの人ですか……彼が興味持つってことは、よっぽどだったんでしょうね」

「まあ、里見はおおかた暇つぶしだろう。この科学と魔法の発達した現代で、鬼なんかいるはずはないさ。里見もそれをわかっているから、びびっている子分連中に態度で示そうってわけだろう」

 もう、里見の話も、鬼の話も聞きたくなかった。

 私のそんな様子を察してか、二人は話題を変えてくれた。この島の周囲でとれる海の幸とか、麗奈が小さかった頃はこの島がどんな様子だったかとか。どれも楽しい話題だったけど、私はどうしても、鬼の噂が頭の隅から離れないで上の空で話を聞いていた。

 そして、かなり話しこんで、私は門限の近くを思い出し、ついでに内藤さんは夜のバーの準備があるからということで帰ることにした。

「ここって、どうやったらバーになるんですか?」

 私はずっと疑問に思っていたことをたずねる。

「ああ、気になるか。扉の外から見てな」

 そう言うと、内藤さんは私たちを店の外に出した。

 しばらくの後、建物が軋むような音がして、一分ほどで止んだ。

「入ってみな」

 内藤さんに案内されて、室内へ入ると、さっきのアンティーク調のカフェとは違って、シックな感じのバーへと様変わりしていた。

「科学の力ってやつだな。まあ、建築技術のほうがこの場合は気合入ってるけどな」

 喫茶店『night a star』は半円形の構造をしている。建物の中が半分で区切られていて、スイッチを押すと半回転し、裏側のバーが表に出てくるという仕組みであるらしかった。

「俺は魔法が使えないけど、こうやって工夫こらして何とかやってるんだ」

 と、彼は微笑んだ。

 魔法を扱える人。扱えない人。そこには、そんな大きな差はないのかもしれない。

 私と麗奈は喫茶店を後にし、それから分かれた。私は蓮魔の寮へと急ぐ。暗くなっている。まだ門限には間に合うけれど、鬼の話が怖かった。

 大通りを抜けて、学校内に入り、薄暗い学内を通って、最奥の女子寮を目指し、急ぎ足で歩く。女子寮の建物が見えてきたと思ったその瞬間だった。


 目前に空から黒い影が降ってきた。どしゃり、と砂を踏む音が、夜の空気を割く。

 月明かりに照らされた“それ”は、私の方を見て不気味な笑顔を浮かべた。それは、まぎれもなく、“鬼”であった。鬼は瞬時に地を蹴り、人にあるまじき跳躍を見せ、視界から消えた。私は恐怖のあまり声すら出なかった。鬼がどこに行ったかなんて、どうでもよかった。

 慌てて女子寮に帰り、仁美の部屋をノックし、部屋に転がり込む。

 その晩は半ベソかいて、仁美のお布団で一緒に眠りについた。後でずっと仁美にからかわれることになるのだけど、それすらどうでもいいほど、あの時は怖かったのだ。


 *


 翌朝、授業の始まる前に、麗奈にその話をしてみた。案の定、笑っていた。


「……そもそも、みんなの持っている本に宿っている存在が魔法の源と言われているが、なぜかわかるか?」

 大城先生が教卓から問いかけるが誰も答えない。

 大城先生も回答を期待していたわけではないようで、気にした様子もなく続けた。

「本に宿っている存在を、我々は“守護者”と呼んでいる。その名の通り、本の持ち主を守る存在だ。何から守るか? 未熟な君たちが魔法の力に浸食されてその生命を落さないように守ってくれているんだよ」

 大城先生は微笑む。

「みんなの守護者を、出してごらん。このクラスにいる人は、社会生活に魔法を役立てる、日常と魔法の同和を目指しているから、守護者を出す程度わけないはずだ」

 各々、自分のお気に入りの本に宿した守護者に呼びかけ、机の上に召喚する。

 私も医薬品集の中に宿るメディに呼びかけ、出て来てもらう。メディは少し眠そうな顔をしていたが、その透き通るような肌を外気に触れさせ、寒そうに少し身震いさせ、目を開いた。

 メディ――姉さまの守護者でもあった。それが、次の宿主に私を選んだのはどういう意図だったのだろう。教卓に立つ大城先生が私たちに授業で問いかけても誰も答えないのとは違って、問えば、答えてくれるのかもしれなかった。けれど、それをすると、何かが壊れてしまいそうな気がして、姉さまの死んだ意味が実は本当に些細な、嘔気を催すようなしょうもない理由だったりしたら、そんな胃液を撒き散らしたくなるような気持ち悪い理由で姉さまが死んだりしないといけないのだったら、私はあるいは立ち直れないかもしれない。

「色んな姿をしていて、いつ見ても楽しいな。先生の守護者のことも思い出すなあ」

 大城先生は感慨深そうに言う。

 守護者とは、私たち「本」との“契約者”を魔法という強大すぎる力から守るもの。私たちが魔法をひれ伏せ、自身のものとして取り込んでしまえばその役目を終える。ちょっと違うか。守護者に認められることで、守護者はその最後の一滴まですべての能力を、契約者に受け渡す。そうして、役目は終ったと言わんばかりに消えてしまうのだ。

「先生の守護者はどんなのだったのですか?」

 最前列に座っていた、委員長の斉藤さんが手を上げた。

 大城先生はちょっと遠い目をして、微笑んだ。

「外人さん、かな。名前はイヴっていってね……すごくきれいな人魚だった」

「はいはいはい! それは先生とどういう関係だった人ですか!」

 すかさず、調子乗りなクラスメイトのひとりが茶化す。

 そうなのだ。守護者は、かつての日本では「守護霊」と呼ばれていたという説がある。実際、魔法における「守護者」も、契約者と所縁のある存在であることが多い。その人のご先祖様だったとか、近いところでいえば、家族だったりとか友達だったりとか。生前とは姿は変わってしまうこともあったりするけれど、何かしら必ずどこかで関係あるものが守護者となるのが常だった。

 そうでなくても、それは深く所縁を辿れないだけで、必ず契約者とどこかで繋がるといわれている。私にとってのメディも、私とどういう関係があるのかはわからなかったが、以前、姉さまは「遠いご先祖」と言っていたから、私にとっても「ご先祖様」なのだろうと思う。

「どんな関係だっていいじゃないか。もう、イヴはいないのだから」

 少し寂しそうに大城先生は目を伏せた。大城先生は、イヴという守護者から魔法の能力すべてを受け継ぎ、今ここで教鞭を振るっている。この目で見たことはないけれど、大城先生は本を利用せずに魔法を扱える「継承者」のはずだ。

「でもね」

 と大城先生は力強く言う。

「契約者と守護者はいつか別れる運命かもしれない。でもね。それは、親から子にその血筋が引き継がれていくのと同じことで、魔法という宝物を、次の代へと繋いでいく尊いことなんだよ。だから、その日が来るのを悲しんだりして、前に進まないんじゃなくて、君たちが一人前になることで、守護者をはやくあるべき世界へ還してあげないといけない。そうやって、世界は回っていく」

 ちょっと抽象的な言葉だった。

 契約者と守護者。私とメディ。いつかは必ず、別れる運命にある。そのことを思うと、少し切なくなった。

 守護者から契約者に受け継がれていく「魔法」。それはあるいは、ばば抜きにおけるジョーカーの渡し合いなのかもしれない。誰かが常にその力を持っていなければならない。

 もし、私が死した後は、私が誰か所縁ある者の守護者となる日が来る。それは一種の呪いだという人もいるが、私にはそれは、大城先生の言うとおり、とても尊いことのように思えた。


 みんな熱心に耳を傾けている中、私は、前の席の槍真が守護者を出していないことに気づいた。

「ちょっと、槍真」

 小声で呼びかける。

「な、なんだよ」

「あなたの守護者も出しなさいよ」

「え、守護者なんて持ってないよ」

「うそ。私、見たことあるもん」

「ねえよ」

「ある!」

「あるある、あ、アルミ缶の上にあるミカン!」

 意味のわからない、しかも若干使いどころの間違っている上につまらない親父ギャグをかまして、槍真はなぜか得意気な顔をしていた。俗に言う、どや顔というやつである。

「こら、そこの二人。何をこそこそしゃべっているんだ! ……あれ、服部君?」

 大城先生は、そこで槍真が守護者を出していないことに気づいたのだろう。

「え、い、いや、あの、別に守護者がいないわけじゃないんです! ないんですけど、その、人に見せたくないっていうか、えっと、そういうあれでござる……」

 槍真は必死に何か弁解していた。私は何となくどうせまた忍者絡みだなー、と思っていたが、これで事情を読み取れる人間は少ないだろう。

 しかし、先生は厳しい表情を崩し、メガネの奥にふっと優しい色を見せた。

「わかるよ。守護者を人に見せたくない気持ち。僕もそんなときがあったなあ。わかった。この場では出さなくていいよ」

 槍真は安堵のため息を漏らすが、大城先生は続ける。

「ただし、放課後は居残りだ。先生とマンツーマンで守護者について語ろう」

「い、居残り!?」

「当たり前だろう。みんなはちゃんとやっているんだから。みんなの前でできなくても、さすがにここは学校なんだから、先生にはちゃんと見せてもらうぞ」

「そ、そんなあ……」

 槍真が大袈裟に机に突っ伏すと、クラス中がどっと笑いで溢れた。

 このパターンはもう、私たち二組ではお決まりだった。


 こうして、亜熱帯の蓮華島の五月も流れていく。

 あいかわらず、鬼の噂は絶えなかった。


  *  *  *  *


 蓮魔での一日のカリキュラムは、クラスや学年によって異なる。

 しかし、一時間後と授業のコマ割りは概ね一般の高校と変わらない。ただ、その授業内容だけが著しく異なるのである。

 特に際立って珍しいのが、魔法の実技。水をコップに貯めてその質量を増やしたり、酸素の入っていないビンの中でマッチに着火させたり、今は基礎なので細々したことをやっていく。もちろん、クラスの中にはそのくらい簡単に行なえる者もいる。私もそうだ。けれども、この授業は「できるかできないか」をみるのではなく、魔法の行使者の素質を計っているのだという。

 その他にも、ちょっと物を浮かせたり、変則的に動かしたり、簡単なことから授業は入っていく。これは「守護者から力を上手く借りる為の練習」と大城先生は、わかりやすく噛み砕いて説明してくれた。

 魔法と言うと、本来、「何でもできる」と思われがちだけど、実際はそうではないと言う。この現代社会において、一つの技術として認められている以上、それは超能力やオカルトの類であってはいけないというのだが、私にはちょっと意味がわからない。ただ、理解できたのは、魔法にも一定の法則があって、その範囲内の事象しか引き起こせないのだということ。また、使い手の素養や質と、宿る守護者との相性によって、その幅は大きくぶれる。大城先生はそれを、「マジカル=リスク」と教えてくれたけど、聞きなれない単語のため今ひとつ耳に馴染まなかった。

 実技は楽しいけれど、それ以外の座学に関してはみんな眠いようで、前の席の田中さんなんかは熟睡していた。


 そんな田中さんの頭を学級目簿ではたいて、大城先生は説明を続ける。

「魔法による犯罪、というのは刑法上でも非常に重く罰せられる。先日の新聞で、マジシャンのポギー四郎氏が逮捕されたな? あれが一般人ならば、詐欺罪が適用される。刑法二百四十六条だな。手品を見せるといって、手品じゃないものを見せたのだから、しかも故意にだ。不法領得の意思をもって他人の占有する財物を取得するというんだが――」

 大城先生の説明を聞いて、ポギー四郎のニュースを思い出す。

 懲役三十年と、出ていた。おおよそ、種類によって分かれるらしいのだけど、魔法を用いた犯罪は、懲役三十年か無期懲役となるそうだった。

「通常の詐欺罪が十年以下のところ、魔法を用いたポギー氏の場合は三十年と判決が出た。このように、通常の人よりも遥かに重く見られる。魔法を用いた犯罪は、他に採用例が少ない死刑さえ容易く適用されると聞く。なぜ、こんな違いが出るかわかるか。山田?」

「えぇー、それってぇ差別でしょ? うちらに嫉妬してんのよ」

 田中さんは今時のギャルっぽく、語尾を延ばしながら言った。

「違う。魔法というのは、不可能を可能にすら変えてしまうからだよ。戦後、高度経済を迎えた日本では他国からの技術を発展させて、様々な機械を作ってきた。今となっては、先進国だ。その日本の技術の粋を駆使しても、優れた魔法には百パーセント対応することはできない。だからこそ、魔法を扱う者は道徳心を大事にしなきゃいけないんだよ」

 さもなければ、我々は迫害されるだろうと大城先生は、一冊の本を取り出した。魔女狩り、とタイトルには冠してあった。

「これは時代も違うし、そもそも我々のような魔法とは違うが……過去の歴史だ。魔女と認定されたものは、その力を恐れられ、命を奪われた。危険の排除だ。この歴史は、政治犯を裁く為だったなど諸説はあるが、我々にも同じことは起きないとは言えない」

 そこからも長く説明してくれていたが、要約すると、「悪いことはしてはいけない」ということだった。

 魔法を用いたストーカー犯罪なども後を絶たない。とりわけ、魔法は性犯罪によく使われる。か弱い女性を相手に行なわれる暴行。ただでさえ、女性が男性に腕力で対抗できないというのに、魔法を用いられたらもうどうしようもない。それら性犯罪だけではない。様々な犯罪から治安を守るため、今ようやく国内で魔法を用いた警備隊の設置も進められていると聞く。

「……そういうわけで、罪を犯せば、それが自分へ返ってくるんだ。犯罪は、決して起こしてはならない」

 月並な言葉であったが、先生が用意した魔女狩りの本や、その他の様々な書籍は、みんなの心に何かしら訴えかけることに成功したようで、みんなは真剣に耳を傾けていた。あのちゃらけた田中さんまでも。

 これが、魔法技術専門学校の重要な教育のひとつである。魔法を扱う者は、清らかな心を持たなければならないのだ。


 授業が終った後、私と麗奈は槍真の外来通院に付き合った。

「ねえ、槍真君。今日で一応、レン先生のスパルタ式の治療最後なんでしょう?」

 スパルタ式、という表現は非常によくわからないけれども、主治医のレン先生というのもどういう漢字を当てるのかわからなかった。どういう人なのだろう。サラ先生も元々は外国籍だったというから、案外、日本人でもないのかもしれない。あまり、深くは考えないことにした。

「ふふ、もっと厳しく痛めつけられたら良いですのに。残念ですわね」

「うん……」

「なに。この前まで、レン先生と顔合わせるのが嫌で、ようやく解放されるって喜んでいらしたでしょう。急に寂しくでもなったのかしら?」

「いや、それは嬉しいんだけど……」

 私は事情がちょっとわかったような気がして、麗奈の脇を軽く肘でこづいた。

 麗奈も鈍い子ではない。私の合図に気づき、それ以上、会話を続けるのは止めた。

 しばらく無言で歩き続け、蓮華総合病院に槍真は入っていった。私たちはいつものようにそこまで見届けると、『night a star』に向かおうとして――ふと、気がついた。

「あれ……」

 それは、繁華街から反れた一本の路地の先に居た。

「良恵さん、どうしたの――」

 そこで麗奈も口をつぐんだ。

 私は目が飛びぬけて良い方ではないのでわからないが、それは妙な外見をしていた。全身が見えているわけではない。電信柱から、顔だけをこちらに見せて、じっと見つめ続けているのだ。私たちと目が合い、「それ」は慌てて顔を引っ込めた。

「麗奈、今のは」

「……鬼ね」

 麗奈は短く言い切り、決意を秘めた目で私を見つめた。

「良恵さんは、いつものカフェで待っていてくださいませ」

「え、麗奈は……」

「野暮用が済みましたら、貴方の元へ向かいますわ」

 言うや、麗奈は駆け出した。

 私は慌ててその背中を追いかけて走り出すが、これっぽっちも追いつけない。二人の距離はどんどん広がるばかりだ。

 麗奈は身長が高く、足もすらりと長い。細く引き締まった身体をしており、体育の授業でも常に良い成績を出している。対して、私はチビでどん臭く、どんどん置いていかれる。

「麗奈、麗奈……!」

 荒い呼吸に親友の名を織り交ぜるが、その声はむなしく虚空へと消えた。

 それはまるで、幼い頃に、姉さまと二人で遊びに行ったときに、私だけ置いてけぼりを食ったときに似ていた。姉さまは気づかなかったと、後で謝ってくれて、それは仕方が無いことだと私も納得はしたのだけど。

 あの孤独だけは、いつまでも胸に焼きつく。

 私は麗奈の消えた先を見つめ、誰も居ない路地裏でひとり座り込んでしまった。


  *  *  *  *


「おいコラ邪魔だ」

 そんな私に声をかけたのは、あの不良だった。

 顔をあげると、険悪な目つきで私を睨んでいる。しかし、何を思ったのか少し視線を逸らし、

「何してンだ?」

 腰をかがめて、地面についた私の右手を引っ張る。手首を掴まれる形になって、少し痛かったが、私を立たせると里見は手を離した。

「いや、あの……」

 嘆息し、里見は呆れたような視線を投げつける。

「いや、あの、じゃあわかんねェって前も言っただろ。吉田の悪いとこだぜ。だがまあ、ひとりで居るところを見ると、おおかた想像はつく。神宮寺麗奈だろ?」

 どうしてそれを、と聞くまでもなく里見は続けた。

「お前ら入学以来コンビみたいになってっからな。神宮寺がお前を置いて行ったとなると……俺の狙ってるエモノと一緒かもしれねぇな」

 里見は、路地の先を睨み、「墓地のほうに行きやがったか。たく、不法侵入もたいがいにしろよな」とぶつぶつと呟いた。

「とにかく、お前はもう寮へ帰れ。明日には片がつく」

「ま、まってください。私も一緒に……」

「来るなっつってんのがわかんねえの? お前がいると邪魔なの」

 もうその場を去ろうとする里見の脚に縋りつき、それ以上、歩を進めないようにと必死に頼み込む。

「おねがい、お願いします!」

 麗奈が墓地の方へ向かったのだとしても、その先、土地勘のない私にはどこを探せば良いのか見当もつかない。麗奈は島の人間だ。そして、この男も同じく。

「もう、もう置いていかれたくないんです! 姉さまみたいに、居なくなってほしくないんです! 姉さまは私を置いて、何気ないそぶりで出かけてしまった。私もまた会えると信じて疑わなかった。何もない、いつもの別れこそ、二度と会えない別れに繋がっちゃう。だから、ここで離れたら、私と麗奈は……!」

 支離滅裂だった。だけど、私は必死に訴え続けた。途中から何が何かわからなくなって。どう言えばいいかわからなくなって。

「わーった。わーったよ! 時間の無駄だから、勝手に後ろついて来い。ただし、遅れたら置いていく。それでいいか?」

 里見の表情を盗み見る。

 怒っているようにも見えるが、そこには何か別の感情が隠れているような気がした。しかし、私と目が合うと、里見は視線を逸らし、背中を向けた。

「行くぞ」

 私は、しっかりした声音で応じる。

 そして、その大きな背中を追いかける。もう二度と、置いていかれるものか。そう強く念じる。

 しかし、男の足と女の足はぜんぜん違う。年齢差も考慮したら、二人の距離は広がるばかりだった。それでも私は走った。必死に、足を進めた。自然と、息が荒くなる。里見の背中が小さくなり、また追いつき。そればかりを繰り返し、里見の背中が小さくなる度、私は泣きそうになった。けれども、泣くものか。泣いている暇があったら、今は走らなければ。

 里見の背中から、時折り視線をはずし、周囲を流れる景色に目をやる。

 商店街を抜けた路地の先、舗装されていない道に出ると、道の両脇には民家が立ち並んでいる。どれもそんなに新しくはない。この島に来て、初めて目にする景色だった。ここは蓮華島が再開発される前の、元々の島民の生活圏なのだろう。私たちのような“新参者”が、易々と入るにはためらわれる世界。

「おい」

「え」

「え、じゃねえよ。ぼけっと景色見ながら走る暇あったら、置いていくぞ」

「ご、ごめんなさい!」

 言いかけて、気づいた。ここが終着点らしいと。

 土煉瓦で作られた古い住居群を抜けた私たちの視界には、不気味な墓地が飛び込んでくる。その脇に、お寺らしき建物もあるが、相当古いようでその概観から廃棄されたものだと判断できた。

「へえ、おもしれェ。勝手にあがり込んでやがる」

 里見は寺の門構えを見て、口角をあげた。そして、そのまま足を進める。寺の敷地内と思われる一画に踏み込んだばかりか、さらに奥の間まで土足で上がりこんでいく。いくら廃寺とは言え、不法侵入だ。

「ちょ、ちょっと!」

「かまわねぇんだよ。オレの家の土地なの。ここはもう、ほとんど親族の誰も使ってないからこんなんだけどな、別の場所に新築移転した寺と墓地がある」

「え、あなたの家? だって、ここお寺でしょう?」

「お寺が家だったら悪いかよコラ」

 短く舌打ちすると、今はもう使われていないという寺の中を里見は見渡した。私もその視線の先を追いかけるが、いかんせん暗くて見えない。もうしばらくしたら、目も暗闇に慣れてくるのかもしれないが、今の私には、すべてを飲み込んでしまう漆黒の闇に見えた。

「気配がするな……ひとつ、か。さっきのやつか? 出て来いボケ」

 里見は挑発するように、暗闇に問いかける。

「出て来ねェなら、こっちから行くぞ」

 屋内へ足を進める。

 瞬間、物音が生じ、風の動く気配がした。里見が動き、“それ”に蹴りを食らわせる。

 私は完全にその動きに目がついていっていない。ただ、結果だけを見て、何があったか判断するしかなかった。

「なにそれ、般若?」

 里見の足元には、般若の面を被った男が倒れていた。

「ややこしいことすんじゃねえよタコ!」

 里見が木刀を男に叩き込もうとした瞬間、男は地面に倒れたまま、器用に転がりそれを避ける。そのままの勢いで、般若の男は両足を回転させ、ハンドスプリングの要領で起き上がり、里見に何かを投げつけた。

 里見は木刀を振るう。木製の刀身にぶつかった瞬間、それは爆ぜた。

「ばくだんか?」

 里見は少し焦げた木刀と、般若の男を交互に見て、怪訝そうな表情を浮かべる。

 私はどちらかというと、里見の木刀が少し焦げた程度だったことに驚きを隠せない。結構、大きな音もしていたのに。あるいは、魔法の類で身を守っているのかもしれない。

「科学忍法――」

 般若の男が、跳んだ。

「火の鳥!」

 瞬間、男の周囲に爆炎が巻き上がり、里見と私の方へと飛び込んでくる。が、里見は男をローキックで吹き飛ばした。炎は里見のスーツの裾に燃え移ったが、里見は事も無げにそれを消した。炎を恐れないのは魔法の恩恵か。

 二人のあまりの激しい攻防に、私は自分の魔法の才の無さを実感した。

「……魔法じゃねえぞ」

 内心を見透かして、ぽつりと里見はつぶやく。

「え?」

「俺もこの男も、魔法は使ってねえ。元々、この世界に存在している物理法則に倣っているだけだ。俺のは力押しで、この男のは何かテクニックでもあんだろ」

 般若の男は里見の声を聞き、お面の下からくぐもった笑い声をこぼす。

「よくぞ見抜いたでござる……若造よ」

「見抜いたも何も、一発でわかるっての。だいたい何? 科学忍法って、ガッチャマン? そもそも、魔法じゃなくて自分でもう科学って言っちゃってんじゃん」

「く……魔法など……」

 般若の男は少し悔しそうな声を漏らし、「どろんでござる!」と街の方角目掛けて走り始めた。

「おい吉田。あのお面忍者野郎、ちょっとばかし雰囲気似たヤツに心あたりあんだろ。様子見てこいよ」

「え、あなたもわかってるなら一緒に……」

「俺はなんだ、ケガさせて入院させちまった側だからな」

 気まずそうに言うと、里見は男とは反対の方向へ歩き始めた。

「ちょっと、どこに……」

「野暮用」

 本当にマイペースな人だった。

 しかし、私はあの般若の不審者を放っておけない気持ちになっていた。あのまま街に行くと、駐在のお巡りさんに捕まるか、ヤンキーに絡まれるか。よくない結果が見えていた。

 何より、彼に似ていてどこか放っておけないのだ。忍者バカ、槍真に。

「待ってください!」

 私はそう言うと、里見ではなく、般若を追いかけ始めていた。

 足だけは無駄に速く、もうだいぶ般若は小さくなっていた。このまま行けば置いていかれるのは目に見えている。私は肩掛けのバッグに潜ませている“本”を取り出し、中に居るメディに声をかける。

「メディ、お願い」

 走りながら、私はページをめくり、最適な手段を頭の中で検索する。

 残念ながら、医薬品集に自分の能力を向上させられそうなものはない。そうなれば、相手にかけられる何か別のものを探すべきである。少々の眠気を与えればいいのかもしれない、そう考えて、ひとつチョイスした。

『ミンザイン!』

 通常なら、効かない人もいるかもしれない。けれど、そこにこの世ならざる力が乗せられると、一定の理を外れて、その効果は現実のものとして生じる。

 般若の男はよろめき、そして倒れた。

 私は息切れしながら、男の倒れているところに必死に駆け寄った。

「ごめんなさい、魔法なんてかけたりして……あれ?」

 男だと思っていたものは、丸太が男の服を着ているだけであった。

 これはまるで、槍真がよく使う“忍法・身代わりの術”である。いや、当たり前か。なにせ、般若の男は槍真の父親なのだから。

 私は周囲を見渡して、何も動くものがないことを確認し、嘆息した。

 里見はどこかに行ってしまうし、もうこれだけ時間が過ぎたら麗奈とも合流できないだろう。また、槍真の父親もどこかに消えてしまった。

 こうなってしまったら、ここに居る意味もない。私は寮に戻ることにした。


 寮に戻ってからは疲れたのもあって、すぐに寝てしまった。

 翌日の朝起きるのが少し億劫だったが、気合を入れてベッドから飛び出た。

 魔法を扱うというのは、使えない人が思っている以上に、体力や気力を必要とする。大きなものを扱えば扱うほど、疲れる。これは、魔法を扱う人の使い方や、受け皿であるその人の元々の素質キャパシティというべきかもしれないに左右されるけれど、魔法を、本の中の住人からしっかり受け継いだ人であれば、そのあたりを上手いことコントロールして使っていけるようになる。

 つまり、大城先生や里見のような継承者である。

「つまり、お酒と上手に付き合えるようになる感覚に似ている……とよく言われるが、みんなはまだ未成年だからなー。飲んじゃいけないぞ」

 前半の小ネタは入学式の蓮華学校長のモノマネだ。時にこんな小ネタを挟みながら、大城先生は退屈な座学をうまいこと進めてくれる。

 それでも寝ている馬鹿もいるわけだ。槍真は小さく寝息を立てて、眠っていた。案の定、大城先生に叩かれて慌ててて教科書を開いていた。

 いつもの授業のワンシーンも終わり、休み時間、こっそり麗奈に「昨日のあれ、槍真のお父さんだったみたい」と説明する。麗奈は一瞬なんのことか探るような顔をしてみせたが、すぐに思い当たったみたいで、「ああ、里見が遭遇したっていう般若の仮面の方ですわね」と微笑んだ。

「そう、それ」

「それでしたら、引き続き情報もありますわよ。放課後、その方のいらっしゃる場所に一緒に行きましょう。もちろん、服部君も」

 大城先生に叩かれたところをずっとさすっていた槍真は、「え」と声をあげたが、私と麗奈の顔を交互に見比べて更に不思議そうに首を傾げた。

「何で僕?」

 その反応を見て、もしかして槍真のお父さんは槍真に内緒でここに来ているのではないかと思った。

「じゃあ、放課後ね」

 麗奈もそれ以上は何も言わなかったので、私もそれに倣った。


 ――放課後。

 私たち三人は、商店街の外れにある喫茶『night a star』に来ていた。

「ここにいらっしゃいますわ」

 そう言うと、麗奈は扉を開けた。

 からんからん、と軽快な鐘の音が鳴り、マスターに来客を告げる。

 店内は、いつものカフェと様子が違っていた。これは、マスターの内藤さんの言っていた、『night a star』の夜の顔であるバーの形態である。

「ごめんね。昨晩からそこの方がまだ帰ってくれなくてね」

 指差した先には、カウンターがあり、グラスを片手に突っ伏した男が居る。カウンターの上には、般若の面が置かれていた。それを見た槍真は、唖然とした顔で「と、父さん……」と声を漏らした。

「ん……」

 その声に反応して、男が顔をあげる。

 親子と言われたら確かに似たようなポイントは多い。顔立ち、目元なんかはそっくりだった。

「そ、そそそ槍真!? なんで、ここに!?」

 男はガタン、と椅子を引っくり返して立ち上がった。

「父さんこそ、何でここに居るんだよ!? 捕まってたんじゃないの!?」

 そういえば、槍真はそんなことを言っていたな……と、病院の入院時にサラ先生が保護者を確認した際のことを思い出す。

「いや、お前が入院したって聞いて居ても立ってもいられなくて……」

「いや、そういう問題じゃないよ! どうやって、牢から出てきたのさ? いや、それもだけど、島にどうやってきたの?」

 そこで、槍真のお父さんは明後日の方角を見て、ため息をひとつ。

「まあ、色々ありましたな。ちょっとばかり牢屋から出て、こっそり船に忍び込んではるばるやって来たのでござるよ」

「脱獄!?」

「牢屋から出ただけだよ」

「ていうか、こっそり船に忍び込んだって、それ密航じゃん!」

 そこで、父親の威厳を見せるべく、男は一喝した。

「細けぇこたぁいいんだよ! そんなことよか、傷は大丈夫なのか、ああん!?」

 もう、なんかどうでも良くなってきた。

 麗奈も同じ様子だったらしく、しばらく二人で騒がせておくことにして、私と麗奈は内藤さんにメニューを注文した。もちろん、このバーの内装通りのものではなく、昼のカフェの「いつもの」だった。

 内藤さんのカフェオレをすすりながら、隣の親子喧嘩に聞き耳を立てる。

「だから俺は、魔法の学校なんて止めとけっつったんだ」

「そんなこと言っても、父さんみたいな人生。僕は嫌だよ」

 ふたりはこっそり会話しているつもりらしいが、どうにも丸聞こえである。

 それにしても、槍真の口調が普通すぎて、話の内容よりもそっちのほうが気にかかって仕方がない。ござる、とか全然言っていない。

「忍者は立派な職業だぞ」

「父さんみたいになるくらいなら、忍者になんてなりたくない」

「先祖代々継がれてきた職だぞ……! 父さんはこの仕事に誇りを持っている。槍真はまだ若いからわからないんだ。魔法なんかにうつつを抜かして……」

「魔法だって、今の日本では重要な技術じゃないか! 科学と並んでさ――」

「魔法なんて、くそくらえだ! 科学もな! お前も魔法を生かした仕事をしたいって言うけど、忍者という古い生き様から逃げたいだけじゃないのか? まともに考えろ!」

「僕だって、考えてるさ! 何だよ、忍者だ、任務だとか言って、他人の家に忍び込んでセコムに捕まるのが誇り? そんな誇り、こちらからゴメンだよ! それにさ、親戚に大蔵おじさんみたいに、忍者だ何だ言ったって、観光客相手に手裏剣の投げ方おしえてるだけなんてのもゴメンだ! そんな苦労までして、そこまでしがみつく誇りって何なのさ?」

 槍真は一気にまくしたてたと思うと、急にその周囲を煙が包んだ。

 どろん、というよくわからない効果音が鳴ったと思うと、もうあとには槍真の姿はなかった。


 残されたのは、槍真のお父さんだった。うつむいて、ただ黙り込んでいる。

 なんとも居心地の悪い状況に、私たちはどうしたものかと互いの顔を見合わせた。麗奈が首を振るので、仕方が無く、私は槍真のお父さんの隣に座り、声をかけようとする。

「あの、槍真君は……忍者のこと、悪く思っていませんよ。彼なりに、今の時代に即した忍者を模索しているんだと思います。学校でも不自然なくらい、忍法にこだわるし、魔法を使っていると思いきや、忍法だったり……たぶん、忍法と魔法をミックスさせたものを目指しているんだと思います」

 私の言葉を聞き、槍真のお父さんは小さく頷く。

「わかっておる。わかっておるさ……我々の世代のやり方では、この時代に即さないということもな。なあ、お嬢さん方。私がどうして、ここにいるかわかるかね? 脱走したのではない。政府の上のほうからの通達で恩赦が出たのじゃよ。特例中の特例でな。なぜか? 槍真がここを出た将来、国の自衛官になるという契約を交わしたからなんじゃ。魔法を扱う自衛官にな」

 それは、『M-JAPAN構想』の中でも目指されている。「国を守る為に、魔法を扱うことは大義」と謳われているのだ。これが日本でなければあるいは、軍事に投入されていたかもしれない。だが、複雑に制限のかかった日本国憲法の中だからこそ、世界の軍事バランスを崩すことなく、魔法を導入することが可能になっているのか、そのあたりの複雑な経緯はまだ私にはわからない。

「てっきり、魔法の腕前だけを磨いているのかと思っていたら……あやつ……」

 そう言って、カウンターの上に視線を落す。

 そこには、国のどこか偉い名前の機関とのやりとりを交わした記録であるところの契約書が置かれていた。「魔法を扱う自衛官」と書面に書かれているところに、手書きで書き足し、「魔法と忍法を扱う自衛官」と訂正されていた。

「先ほどのもなかなか、見事な“隠形の術”だったではないか」

 そう言って、涙を一滴こぼした。


  *  *  *  *


 それから、お父さんは内藤さんに代金と幾許かの迷惑料と言って、断る内藤さんに無理矢理にお金を渡し、帰って行った。

「もういいんじゃなくって?」

 麗奈は部屋の片隅に向かって、投げかけた。

「さっきから、鼻をすする音がうっとうしくってよ」

 言われると、槍真が天井からすとん、と落ちてきた。

「なんで、お父さんにご挨拶しないのですか?」

 麗奈が聞くと、槍真は「まだ、一人前じゃないから」と答えた。そして、袖で鼻を拭うと、力強く宣言する。

「僕は……魔法と忍法の融合を目指し、日本の平和を守る忍者になる」

 それは、男の顔だった。いつもの情けない、へらへらした顔ではなく。

「父さんの生き様だって、みんなの生き様だって。本当はひとつのカタチだってわかっている。けれど、僕は僕のやりたい方法で、忍者を続けていく。時代が変わっても、心の中の忍者の誇りだけは変わらない」

 力強く言う。やけに、かっこよく見えた。

 私にはやりたいことが何かあっただろうか。親に強いられた、医療のレールを歩み続けるだけなのだろうか。漠然と頭の中にあることはある。自分が好きなもの。けれど、それは果たして夢に結びつくのだろうか。

「僕は、生まれてから死ぬまで忍者だ」

 槍真はそう言って、しまった、と言わんばかりに口をあけた。

「い、今の冗談だから、いやほんとまじで。忍者なんかこんな科学の発達した時代にいるわけないじゃん! いたとしても、セコムに捕まるのが関の山でござるよ! あは、あはははは!」

 一気にまくしたて、「どろんでござる!」と姿を消してしまった。

 煙幕が立ちこめ、それが消えるまでの間、私と麗奈と内藤さんは唖然とその様子を眺めていた。

「まだあんなこと言ってますわね」

 麗奈が呆れたように呟く。

 しかし、私にはそれが、槍真の照れ隠しであるように感じた。

 そうして、ふと思いつき、私は内藤さんにお願いをしてみる。

「内藤さん。日中、私をここでアルバイトとして雇っていただけないでしょうか」

「え?」

「お給料はいらないくらいです。そのかわり、お料理を教えてほしいんです」

 この『night a star』はカフェとバーの双方を営んでいるだけあって、内藤さんの作る料理のレパートリーはかなり広かった。私はそれを、教えて欲しいと思ったのだ。それが、漠然とある、私の好きなものだったから。

 内藤さんは狐につままれたような顔で私を眺め、「お姉さんと同じことを言うんだね」と微笑んだ。

「え……」

「お姉さんも、ここで一年生の頃からアルバイトしていたんだよ。料理が好きだって」

 姉の姿を思い浮かべる。

 医療一筋と思っていた姉さまに、そんな側面があったなんて思ってもいなかった。

「最初会ったときに言おうか悩んだんだけど、辛いこと思い出させるかなと思って、あえて言わなかったんだ」

「そう、だったんですか……」

 そう答えるのでいっぱいだった。

 高校一年生の私は、高校一年生の姉さまとどれくらい離れているのだろうか。ちょっとでも近づけるのだろうか。


 ――姉さま。あと何年経ったら、貴方の気持ちを理解できるのでしょう。

 ――姉さま。私はまだ、すべてを知るのが怖いくせに、それでも貴方を追いかけています。


 肩掛けカバンの中でメディが震える。メディはすべてを知っている。だけど、何も語らない。それは、私が成長して、すべてを受け入れられるのを待っているからだとわかっている。本当は、メディも伝えたいのだと思う。

 私も、槍真みたいに強くならなきゃ。自分で自分に言い聞かせ、明日から働くことになる『night a star』を後にした。

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