仕掛けられた罠と仕掛かけた彼ら
あとひとつですべてが終了。
10 仕掛られた罠と仕掛けた彼ら
いつものことながら部屋の中に罠が張ってあるとして、それはたぶん巧みに作らていて、実際観察するとその通りなのだが、そんな罠に引っかかる自分ではないし、簡単に罠は取り外せるのでめんどうくさそうに払って何もなかったように就寝するのだ。相手にするくだらなさに嫌気が指すとともに、ある意味感心していて、それは彼らが必死である証拠であるように思えるためである。
僕らの世界はそれを考える時間は流れていても、彼らがそれを感じるとは言えないもので、だからといっても彼らが罠を張るということは不快であり、むざむざと彼らに負けるわけもいかず、外国に行かない限り負けるわけもない。最近彼らが外国から仲間を呼んだのは聞いていたがまだ横浜や神戸の港近くにいるらしく、僕の現在いるところまで来る気配はなく、来た頃には僕は寿命によってこの世にいないはずだ。
いくら彼らが仲間を使って罠を仕掛けようとも何度でも振り払うわけで、彼らにそんな仲間意識があるとはいえないが、彼らは忘れた頃にやってくるし、彼らと僕は世界を共有しているわけで、この世には因果応報の考えらしきものはあるらしいことはなんとなく感じられる。
そんなものをいつも考えていたら何も出来ないわけで、そういうわけでこないだ物置を片付けていたら彼らの罠に見事に引っかかってしまった。注意はしていたのだが、あまりにもその数が多く、油断していたらそのザマだった。もっともそんな罠を食らっても気持ち悪いだけで、すぐに外せるのでかまわず片付けを続けている。
彼らにシンクロニシティーというのがあるのかは不明だ。人間にあるというのも怪しいのだから。ただ、彼らは仲間の無念を無意識に晴らしているのかもしれないし、彼らが一生懸命作った罠を何度も壊して彼らの目論見を徒労に終わらせた悪因がそのまま自分に返ってきているのだろうかと馬鹿らしい想念が浮かぶ。部屋に仕掛ける罠を振り払っては彼らの逃げ出す姿を見守り、その手助けさえするときもあるし、どうであれこの世界で生きていこうとする限りイタチゴッコの法則がたまに流れるのは否めない。
さて、物置を片付けていたときも、内部だけではなく外に罠を仕掛けている。大抵僕から見るとちゃちいものだが、それは大きくもあり、芸術性を感じさせるものだった。彼らの罠の形状は大小様々だけども、大抵あみだくじになっていて、いづれかのくじを引いてスタートしても彼らにたどり着く。しかし、自らくじを引こうとするものは当然いなくて、運悪く引っかかったものは空腹で待てなくなった彼らによって命を落とす。生命の世界とはそんなものだが、なんだか悲しくもあり、そんなクサいことも言っていられずに気分を冷静に持ち直す。
動食物を食べることで生体を維持していく人間と同じで、弱肉強食というのが前面に出てくる行為を繰り返すしか生きていけないような嫌な倒錯の末、一瞬の悲愴さが感じられ……そして、円形状の罠の中心にいた彼はきれいな黄色と黒のまだら模様の姿で、気品を保ちながら静かに佇んでいた。
……その後、箒で取り外したが。