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マリに学ぶ男の子

7 マリに学ぶ男の子

場所は安いビジネスホテルの五階、私は四時にチェックインしてベッドに横になっていたのですが、ドアを叩く音がしたのです。なんだぁー?と寝ぼけながら立ち上がり、そのままドアを開けたのですが誰もいなかったのです。多少古ぼけたかび臭い廊下があるだけでした。

そのとき、非常ベルが鳴ったのです。眠気が瞬時に吹っ飛びました。すぐに火事?と思い浮かべ、とにかく非常口の方へ歩いて行きます。なんか変だなと思いました。非常ベルが鳴れば逃げろということなのでなんとなく動いているのですが、現実感がありません。火事が起きても逃げ遅れるタイプなのかもしれませんが、それにしては非常ベルがけたたましく鳴っているだけで廊下に誰も出てきませんし、緊迫感がまったくありません。そのまま部屋を出て非常口のところまで歩いて、非常ドアを開けてみました。

錆びた非常階段があるだけです。別に火事ならビジネスホテルの周りが騒がしいものでは?と疑問に思います。別に煙も出ていませんし、下を見回しても普通に人が歩いています。陽光は穏やかですし、なんだろう?と思って非常ドアを占めました。非常ドアを閉めると肌寒く感じました。雰囲気はあまりよくありません。ですが、ちゃんと照明は点いているし、まだ廊下の非常口のガラスドアから太陽の光が入ってきています。ホテルに現れる幽霊の話が脳裏を過りますが今までそんな経験もなく、幽霊が出る時間でもありません。それに出たとしても私は気がつかないでしょう。非科学的し、そんなものはいてもいなくても良くて、生身の人間の方が面倒だというたちですから。

そんなですからとにかく廊下の中央にあるエレベータで降りて行って、フロントに確認したのです。そのとき、年配の女性が中年のフロント係と話しています。年配の女性がどうやら非常ベルが鳴ったことでクレームをしているようです。

「申し訳ありません。たまに誤作動を起こすのです」

「申し訳ないじゃないわよ。お金払ってるんだから、びっくりするでしょう」

「申し訳ありません。確認しましたが異常はございませんので」

 フロント係はあくまで丁重に言葉を返しますが、

「誤作動起こすことが何度かあったなら、直すなりするのが普通でしょう。観光を楽しもう思ってたんだから、初日でこれじゃ気分がわるいわ」

 年配の女性はお客だからでしょうか、いかにも怖かったというように、いかにも自分が正しいとでもいうように言っています。まあ、そんなに非難するようには言ってなくてたぶんそれがその女性の普通の姿なのでしょう、ただ何となくフロント係を困らせています。それよりも、やはり非常ベルは鳴ったのだなと私は安心しました。

「一応業者には何度も見てもらっているのですが、別に異常はないとのことなので……」

「そういうなら仕方がないわね。でもね、今の時代そんないい加減なことは許されないのよ。エレベーターの誤作動で人が死んだ事件あるでしょう。死んでからでは遅いのよ。業者を変えるなり、処置しないと駄目ね。安いだけでは潰れちゃうわよ。まさかエレベーターは大丈夫よね」

「……実はエレベーターもたまに止まるのですが」

「まあ怖い、こんな安宿泊まるんじゃなかったかな」

「ご安心ください。エレベーターの方は最近検査したばかりで、業者の方は湿気や埃が原因でごくわずかな確率で起こるのでそればかりは仕方がないとの事でして。私どももあの事件がありまして心配しまして……」

 フロント係は愛想よく対応し、

「業者もなんかいい加減な検査してたとテレビで言ってじゃない。本当に大丈夫、でももういいわ。食事は……」

年配の女性も本当はどうでもよいのでしょう。それが世間に起こる些細な会話ですし、そんなに怒っている様子もなく、レストランの開店時間などを聞いて、そのままエレベーターで部屋に戻っていきました。

私はそのやり取りを聞いて事情はわかったのですが、そのまま踵を返して戻るのも変ですし、一応非常ベルのことを聞いてみました。

「お客様も五階の方ですね。申し訳ありません。火事ではありませんので」

 と丁寧に返した。

「そうですか」儀礼的に口にして、そのまま私も部屋に戻ることにし、エレベータに乗りました。


 

 エレベーターに乗りながら妙に肌寒いのは冷房の効きすぎかなと思いました。しかし、それよりもフロント係との会話が引っかかりました。

年配の女性も五階に泊まっているようですが、私が非常ベルをならし廊下に出たときは年配の女性はいませんでした。非常ドアを開けたときは外の様子を見ていましたからその間にエレベーターに乗ったのかもしれませんが、長い時間開けていたわけではないし、何か釈然としません。それに女性が乗ったはずのエレベーターは五階に止まらないで、四階で止まり、そのまま降りてきたのです。

何か不自然です。私は冷静でしたがやがて上昇していたエレベーターが止まったので降りました。そんなに広い廊下ではなかったので確認するまでもなく、そのまま自分の泊まる部屋に向かい、鍵を差し込もうとしますが入りません。

 そこで気づいたのです。ここが四階であることを。エレベーターが四階に止まったのでしょう。なんだか誤作動しているし、半分不快に思いましたがすぐに思い直します。中年の女性もたぶんこんな感じで、降りてから気がついたのでしょう。エレベーターは私のために降りて行ってしまったし、たぶん非常階段で五階の部屋に戻ったのです。

 何か湿気がまとわりついて、鬱陶しいなと思いながらも私も非常口の方に向かいました。五階のフロアーと違い、四階には非常口付近にさびしげな販売機のスペースがありました。

 こういったビジネスホテルにはよくあるもので気にせず、そのまま非常口ドアのドアノブに手をかけます。開きません。力が込めますがびくともしない。

さすがに苛立ちました。それは不安の裏返しでした。肩が異様に重くなり、息苦しい。

中年の女性はどうしただろう!

間違えた部屋のドアには四四四号のプレートが張ってあった!

古いビジネスホテルとはいえそんな縁起の悪い番号の部屋があるのはおかしい!

それでも気を取り直し、ビールを買おうとポケットから小銭を取り出した。見たところ古いタイプの自販機で、見本のビールラベルが一昔前のものだった。古いホテルなのでそういうことはよくあると冷静に判断し……お金を入れるが……缶が出てこない……。電源は入っていてるのに壊れている。いくらボタンを押してもダメで、妙に手が汗ばんできて、余計身体が震えてきます。動悸が激しくなります。

そのときです。

「マリに学ぶ!」

 突然、後ろから元気な甲高い声が聞こえたので、私は咄嗟に振り向きました。

 男の子が立っていました。ジャージ姿で小学生でしょう。私は多少うろたえながら聞きます。声は震えているのがわかりました。

「マリ?何それ?」

「マリに学ぶ!マリに学ぶ!マリに学ぶ!……」

 繰り返し見つめながら言います。訳がわかりません。

小学生がひとりでいるのはおかしい!

「どこから入ったの?マリって誰か、捜しているの?」

 男の子はひねた笑みを浮かべていますが、私は虚勢を張って言います。

「お母さんは?お父さんは?」

 そんな私を見透かしたように男の子は大きな声を出すのです。

「マリに学ぶ!マリに学ぶ!マリに学ぶ!」

 私はその異常な状況に驚愕したまま何も言えません。ただそのフレーズを男の子は私を見つめながら繰り返しているのです。声は大きくなってくるし、なんだか笑っているし、これだけ騒いでいるのに誰も廊下に出てこない。状況は普通ではありません。

私は怖くなってしゃがみこみ、両腕で頭を抱えて、終わるのを待つしかありません。それでも「うるさい!」と怒鳴りましたが、逆効果で声は近づいてきて耳元でします。自尊心も容赦なく壊れる状況でした。

私は意識が朦朧としてきました。そのとき、男の子は囁くように何か言いました。よく聞こえませんでしたがそのあと静かになりました。

長い静寂で男の子はいなくなったのだなと、ため息を深くつき、私が目を開けたとたん……!

「マリに学ぶっーと!」

 男の子が私の米神あたりまで近づいていて、にやりとしたのです。

私はさらに驚いて、後ろの自販機に腰を強くぶつけました。何がなんだか混乱し、息を乱しながら男の子が去るのを眺めていたのでした。


 

 後述すると、最後に一番大きく声を出して男の子は笑いながら廊下を走っていったのですが、そのとき私は唖然として回復するのに時間がかかりました。呼吸が落ち着いてきたのは自販機のビールが取出口に落ちたときでした。そのとき、あたりの空気が暖かくなったと感じたのは不吉なものが去ったというよりも、たぶん不安が退いたと思ったことで身体が反応したのでしょう。

それでも、その後の状況は不安定というか、説明しようがないのですが、自販機は比較的新しいものになっていて今発売されているラベルが見本として並んでいました。取出口にあったビールも普通のものでした。それをおそるおそる取り出して、非常ドアを開けて上の階に行ったのですが、結局再び降りてきました。どういうわけか私が男の子と出会ったのは五階だったのです。チェックインしたときは五階に自販機コーナーなどなかったはずで、気持ちは迷走して身体を支えるのがやっとでした。よろめきながら部屋に入り鍵を閉めたのです。

マリとはなんだろう?

人だろうか?

たぶんそうだろうな?

誰の名前だろうか?

聞き取れなかった言葉はなんだったのか?

と頭の中で起きた出来事と疑問を反芻してもやはりわかりません。クレームをフロントに行って他のホテルを探そうかとも考えましたが止めました。なぜなら多少立ち直ったのは九時過ぎで新たに宿泊場所を探しても見つかりそうにもありませんし、部屋を出る気にならなかったという気持ちもありました。それに雰囲気も普通のものに変わっていたということも出て行く気持ちを抑えました。

そして、そのまま何もせず考え込みながら、明け方近くにさっさとホテルをチャックアウトする支度を始めたのです。

ふと壁のカレンダーに目をやりました。

そのとき、男の子の言っていたマリのフレーズが何かわかりました。

八月の日付の隣に小さな絵柄がありました。にこやかに笑っているお地蔵様です。ありきたりだけどやはり昨日の男の子にそっくりで、そして標語が掲げられていました。

その標語とは「真理に学ぶ」という標語が掲げられました。なんとなくへたれて笑ってしまいました。たぶん男の子は「真理」を「マリ」と読んでいたのです。

男の子が何を囁いたかはたぶんここら辺に隠されているようです。なんとなく意味がわかるようでわからない。そんなところでしょう。そのとき妙に諭されているようで後味が悪い思いでした。




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