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タナボタアート

あと五話で終了です。


 狐に化かされるよりも人に化かされるということのほうが多いので、まだ狐に化かされるほうが楽なのかもしれないが、また人に化かされたのかもしれないということがありました。

 朝食のあとのお茶をいただき、おばあちゃんと会話しているときだった。室内を眺めていて、ある一点に視線が流れたときだった。

「なんでもタナボタアートとかいうのかね」

それをいうなら……と言葉を出しかねながら、ふと前日のことを回想する。



 立ち寄ったあるおばあちゃんの家だった。交互通行できる道路も整備されて、それに沿ってガソリンスタンド、コンビニやスーパーもあり、次第に都市の侵食を受けていく町でした。私は仕事柄地方を回るときが多く、それはむしろ便利で、本当の山奥の集落を回るときもあり、それを考えると助かる町だった。職業はある製薬会社の契約社員というものでそこそこに幸せなのかもしれない。そして、薬売りとして今ではなくなりつつある職種を担当している。

そのおばあちゃんの家は町の幹線道路から市道に入り、山間に隠れたようにある集落のさらに外れた竹林が鬱蒼と生い茂る山の片隅にありました。

町のある家をいつものように慣れた営業訪問をして、薬を交換し、支払い方法を伝え終えたときだった。そこのおじいちゃんが知人の家にも行ってくれないかと言い出して、実はその家を最後に次の町へ移動しようとしていた。おじいちゃんは遠い親戚で旦那さんを亡くして今では一人暮らしで心配もあるし、ついでにお米や野菜を届けてくれると有難いのだがということで、場所を聞いてみると、その集落へ至る市道は次に移動しようとしていた町へも繋がっていると言う。

そのおばあちゃんも時折薬売りが来ないと愚痴をこぼしていたというので、一応会社からの渡されていた資料を調べたがその家に立ち寄っていた記録はなかった。

それでも、依頼してきたおじいちゃんは昔元気なときその人の家にも同じ薬箱があったと熱弁やら懇願やら笑いながら促すし、まあ、いいかと立ち寄ることにしたのです。そして、なんとかそのおばあちゃんの家に着いて、普通に挨拶をしておじいちゃんから贈り物を渡しながら、言伝やら事情を説明して、家に入った。

「いやあーひさしぶりやねーちょうどうわさしとってーむかしはようきたのにもう三年ぐらいたっとんのかね」

 今では玄関に薬箱を持ってくる家が多くなったが、茶の間に通されて、おばあちゃんはのんびりと薬箱を差し出してきた。

「最近はコンビニでもう売られる時代で厳しいんですがね、会社の方はまだ待っているお客様もいるし、伝統みたいなものだからと……」

「そうかい、ここらはいなかだし、あたしもこのとしになってあしもふじゆうになっておって、たすかるー」

 おばあさんは方言なのかはわからないが奇妙なよくおうで話す。

「そう言っていただくと来たかいがあります」

 箱から薬を丁寧に取り出し、個数を数えながら私は言いますと、おばあちゃんは、

「元気でやっておったかい?」

「いえ、はじめてお伺いしたのですが」

「そうかねー三年前にきたかとおもうがねーいやーきたねー」

 おばあちゃんはどこの記憶を取り出したのか、笑いながら断言します。

おばあちゃんの歳になったことはないのでわかることではないが、お年寄はだいたいもう記憶など曖昧だし、どうでもいいくらいおおらかになっているか、半分ボケているものだ。私はこの家に伺うのは初めてでした。でも、無理に強く否定することもないし、私は先任の退職を受けて、はじめてこの地方を担当してたのですから忘れているということはありえません。 

それでもおおらかに会話が成立しているので気楽に話していました。

薬箱の減った薬を補充し、支払いを現金でしてもらっているとおばあちゃんが言います。

「よるになるから泊まっていきな」

「いや、結構です。かまわないでください。次の町に行かないと……」

「そうはいわずに、ていきあつがきているというからあぶないよ。あめがふってくるとここらへんはがけがよくくずれるし」

「いや……」

「えんりょセンでええて、つぎのまちまでいちじかんいじょうかかるー。これからくらくなるしどうろはガードもないところがおおいて、やまみちをあまくみないほうがええ」

実を言うとおばあちゃんの家を探すのに手間取ってしまっていた。私に頼んだおじいちゃんが書いてくれた地図はいい加減で、自分でもあまり自信がないのか、おじいちゃんは集落にいる人に聞いてみてくれと知人を教えてくれたが、その教えてくれた人はどこかに出かけていて不在、他の家を回っても田舎では鍵や戸を開けっ放しで誰もいない。唯一畑で見かけた人に尋ねたところわからないといい、道に迷った末に森で伐採していた森林組合の人に出会い、ようやく「その人かわからないけどすぐそこに家がある」ということで指差されたところがおばあちゃんの家だったのです。

太陽が沈む寸前でどうも霧はかかっていないが空気の肌触りから雨になりそうな気配でした。見つからなくて少しあせっていましたが安堵し、おばあちゃんの家を訪問したのでした。

もう太陽は沈んでいます。次の町に行くのはいいのですが、この時間では早くて着くのは夜九時ごろになるし、宿泊するところはまず見つからないものです。それにここまで来るのに何度か迷っているし、この山間の地区の道を抜け出す自信がありませんでした。いつもなら丁重にお断りしていたでしょう。

「それじゃ、お言葉に甘えて」

一晩泊めていただいたのでした。家はこじんまりしたもので夜は静かですが、テレビもあるし、おばあちゃんは久しぶりの客だと料理を作ってくれるし、会話は弾みました。そして、ゆっくり眠って今日を迎えたわけです。


「いやあーこないだニュースで町の様子を写していてね。最近ちっともいってなかったものだから、市町村が合併するらしいわ」

「そうですかー、でも名前が変わってもあまりかわらないでしょう」

「そうだといいがね」

 それはテレビで昨日私も一緒に見たニュースでした。

それに昨日と似たような返しをしている自分もなんか適度にリラックスしていて、しかもそれでおばあちゃんも不信がらずにしゃべっているのだから、なんとなく平和だなと思いました。そんな会話をしながら、仕事で今日も回らねばと億劫に思っていました。

旅とはいえ仕事ですから日常から離れ気苦労があり、疲れが溜まっていた頃に泊めていただいたのです。

ふだんなら他所の家には泊まりませんし、返って神経が疲れるのですが、おばあちゃんの家に一泊して、なんか本当に休めてちょっと気が抜けているくらいでした。お茶をいただきながら、名残惜しそうに部屋の中を見渡すと壁に一枚の絵が飾られていました。

 額縁に入った小さな植物の絵です。植物の絵は本草学から発生したものであるし、絵に興味のない私でも職業柄知識として多少は眼識があるつもりです。もっともその絵は描いた作者のサインは入っているものの画用紙を破いた跡があり、あまり古いものではなさそうでした。ただこの場所で見かけるとは意外に思えて、見つめていました。

「なんでもタナボタアートとかいうのかね……どうしたんだい?」

 私は一瞬昨日のことを思い出していたら、ちょいと怪訝そうな顔をしておばあちゃんが言っている。

「いや、……おばあちゃん、タナボタじゃなくて、ボタニカルアートでしょう」

 笑いながら言うとおばあちゃんも笑って、

「ポータブルサイト?なんだぁーそうかい、そうかい今はそういうのかい」

 間違っているのはどうでも良くて、おばあちゃんのくせにそんな言葉を知っているとは意外だったので感心し、さらに絵について尋ねた。

「これはキキョウですね」

「いや、それは松だよ」

 即座に笑いながらおばあちゃんは言います。スミレというのならまだわからないでもないのですが、あきらかに松には見えません。その絵は青紫の花ビラに細いしっかりした茎と葉が端正に描かれています。一本のキキョウ独特の品性を引き出してあり、価値はないでしょうが、私には素人目にもいい感じの絵でした。キキョウが収まっている鉢は四角でどうもバランスが取れてはいませんが、忠実な写生に思えました。

「おじいさんが植えたんだ。丁寧に育ててね。木肌のラインが良くなった、この角度から眺めるといいとか、何やらぶつぶつ言って、あちこち枝を切ってね。小さくなってしまって、あたしにはちっとも形がよくなかったけど、本人は好きでね。それでもおじいちゃんの心が伝わったのか、だんだん気品が出てきてね。おじいちゃんが病気で動けなくなる頃にはすごくバランスの取れたいい盆栽でしょう。どこで聞きつけたか、何人か譲ってくれという人もいたわ。そんなおじいちゃんも五年前に死んでしまって、残されたおじいちゃんの形見だから大切にしてたのよ。あたいはおじいちゃんのものでそれが一番好きだったね」

 おばあさんはキキョウではなく、松の盆栽がアタカもそこにあるような口ぶりで語ります。やっぱり呆けているようですが、なんか語調は前より活き活きとしているのです。私はどう言葉を返すか迷っていました。

「おじいちゃんの思いが詰まったものだから、あたしもそのまま手入れしていたんだけど、一年前に突然枯れてしまってね。……残念だったけど仕方がないから外に置いといたの。そしたらその鉢からそれが生えてきて、あたしゃおじいちゃんからの贈り物だと思ったね。だからここらで有名な絵描きを紹介してもらってそれを描いていただいたんだ。だからその絵のタイトルは松なの」 

 このおばあちゃんはたぶんボケていません。なんだかからかわれたようです。



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