ありきたりな猫に関する小話
猫は祟るとかという俗信は信憑性はまったくないものの確かに脳味噌の中には存在していて、それは妄想の類のものであるのでおおっぴらに言うのは憚られるけど、創作実話という矛盾したジャンルに便宜的に充てておくのが最適かな。なぜなら今の社会で生活していくにはやはり非科学的で胡散臭いものとして処理されるもので、かつこの世に生まれてから刷り込まれた根強く残るタブーとして社会で忌避しているものだし、そういった二律背反を含んだものだしね……。
昔、家に非常にわがままな猫が居たのを覚えています。確かメス猫でそれはどうでもいいが、人が胡坐をかいてお腹の前で別の猫を可愛がっていると、メス猫はするする寄ってきて、そのひざの上の猫を威嚇しながら前足で引っかいて追い出す。そして自分がそこに座って可愛がってもらう。そんな光景をよく遭遇したものです。なんとも図々しいが猫なのですが、気にも止めないでいた。そのメス猫は餌はカッパエビセンしか食べず他のものは食べない贅沢な猫でした。「おいしい、おいしい」と言いながら、たらふく食べていました。
家に長く住みついた猫は家の守り神でそれらも妄想に過ぎないものだけど、叔母の話によるとおじいちゃんがひどい病気になったとき家の猫が死んだそうです。そして、不思議とおじいちゃんはすぐに回復したそうです。そういうことが続いているらしいのです。おばあちゃんがひどい風邪で呼吸困難に陥って病院の集中治療室に運ばれたときも、家の猫が死んで、そしてすぐにおばあちゃんは容態がよくなり退院しました。あくまで伝聞ですが。
子供の頃、家の脇には小さな石祠があったのを覚えていますが、その中に狐様を祀っていて、祖母は昔の人で信心深く、大切にしていたのは確かです。祖母が晩年寝たきりのときでした。よく白い狐が通った、横切ったと申して、しきりに何かを訴えていました。
別にしゃべる猫がいても良いし、家の主になる猫がいても良いし、白い狐が出てもいい。いようがいまいが人智を超えるものは否定しながら生きるのが現代の世間的な慣わしかと思われます。それはメガネを外して眠りにつき、起きたときにメガネを置いた場所を忘却しよく周りが見えないままのそのそと探す行為のようなものだし、太った猫が棚から逃げようとして尻から落ちるような出来事のようなもので、些細な物事で世間的に生きたければむしろ余分なものでしょう。
「おいしい」としゃべりながら餌をとるメス猫は化け猫ではなく、他所で放し飼いにされていた犬に立ち向かってちゃんと死んだのです。言い方が悪いですが。化け猫ではなくて普通の猫でした。開けていた玄関から犬が侵入してきてそうなったので、むしろそちらの方も驚きですが、そのメス猫に関してはなんのことはありません。他の猫を追い出す気の強いというか弱さをしらないというか、要するに犬もそうなんだと思っていた経験の浅いメス猫だったので、他の猫がさっさと家から飛び出して逃げる中、犬に立ち向かったのでしょう。その後、その犬に咥えられていたのを発見した叔母が助けました。もっとも息も絶え絶えの状態で二、三日後には土に返した次第で。
守り神になるか化け猫になるか、どちらも言葉のあやで無理にどちらかに判別する必要はなく、そんなものは確かめようもなく、ただ祖母が入院したときは確かに家の猫が死んだのは記憶しています。ただそれが長年家族が病気になると代わりに命を落とすのかはかなり疑問で、何しろその頃、猫はたくさんいていつ死んでもおかしくない年寄り猫が何匹かいましたから。
白い狐を寝たきりになったおばあちゃんが見ていたそうですが、やはり確かめようもないことです。種を明かすようで恐縮ですが、ただその当時家では飼っていた猫に真っ白で毛並みのいい猫がいました。家の猫たちはよく寝たきりの祖母の上に円くなって寝ていて、祖母が苦しそうに寝ていたのを思い出します。もちろんそれを見つけたら猫を退けていました。
こんなところで、小話はおしまい。