夜空に大樹が架かる時 〜異世界転移し帰還した俺と、異世界に侵略される地球で再会した私〜
~~西暦20XX年 春~~
「あ〜ぁ。もっと早起きすりゃ良かったな」
「何の話?」
高校へ向かう通学路。九十九新は散髪したばかりの黒髪をかきあげながら朝日を眺めていた。その隣を少し伸びた黒髪を軽くまとめた女の子が歩いている。
春の穏やかな陽気に包まれる中、小学校に通っていた頃と同じように井上未奈と隣り合って高校へ登校する。様々な話し声や笑い声の中で、アラタは頭を抱えていた。
「ゲーム機のことだよ。新型の」
「えぇぇ?ゲームぅ?」
「何だよ。今日が発売日だったんだよ。朝買いに行ったけど、買えなかったんだ」
授業にギリギリ間に合うことを知ったアラタは、朝早くから開店している地元のゲーム店に足を運んでいた。そこで目にしたのは、店の前でキャンプでもするかのように眠りながら並んでいる人達。列に並んで待っている時間など無かった。
「楽しみだったのになぁ」
「あのさ。もう三年生なんだし、ゲームなんてしてる時間なんてないよ」
「わ、わかってるよ。これで最後だって」
「そんなこと言って遊んでばっかりじゃん」
アラタは満開の桜と雲一つない青空を見上げる。3度目の春。近くで交わされているぎこちない挨拶を聞きながら一年生の頃を思い浮かべた。
では二年生だった去年はどうだったかと考えて、そこで思考が止まってしまった。部活動に夢中になっていて、気がつけば桜は散ってしまっていた。三年生の今年も同じように、あっという間に桜が散ってしまうのではと、散っていく花びらから目をそらした。
「まだ大丈夫だって」
「え〜」
「ははは」
2人で校門をくぐり、それぞれの教室に向かった。ドアを開けると、始業前だというのに参考書を机に広げている同級生がチラホラいる。
いつも通りのチャイムを聞きながら、隣の同級生とたわいない会話をしていると、窓から見える太陽はいつの間にか落ち始めていた。
「アラタ?」
「な、なんだ」
「ちょっと来て」
足早に塾へ向かう同級生と入れ替わるように、友達と話していたアラタは呼びかけられた。冷やかされるように教室を出ると、ミナに連れられて校門を出ていく。
「どうしたんだ?」
「いいから」
制服のまま地元の商店街をまっすぐ進んでいく。途中で朝に行ったゲーム店も横切る。店先では次回入荷日未定と大きく案内されていた。
「タイムスリップできたらなぁ」
「んん?」
「ほら。そうすれば新型ゲーム機を買えたかもなって」
「ば〜か」
ミナはどんどん先に行ってしまう。置いていかれそうになりながらアラタが連れてこられたのは、マンガくらいしか買ったことがない小さな書店。
「あれ?なにかあったっけ?」
「これよ。これ」
マンガ売り場、のすぐ隣でミナは参考書を両手に抱えていた。同級生が持っているものと同じ本もいくつかある。
「えぇ?今、金欠なんだよな」
「そんなわけないでしょ。新型ゲーム機を買えるお金があるんだから」
「いやぁ」
後ずさりしながらマンガ売り場に逃げようとし、前を遮られてしまった。たくさん持ちすぎた本を落としそうになりながらも、ミナは一歩も動こうとしない。
「わ、わかったよ」
参考書の山を受け取り会計に向かった。少しずつ貯めていた財布の中身が、一瞬でほとんど無くなってしまう。新型を手にしているはずの手には、いくつもの分厚い本。
「ちょっと持とうか?」
「いや。大丈夫だ」
本の重みではち切れそうになっているビニール袋の伸び切った取っ手がアラタの両手に食い込む。帰り道でもゲーム店の前を通ることになった。次回入荷日が来月末に決まったと案内が変わっていた。
「はぁ」
「来年買えばいいじゃん」
「おおおお。来月に買えるはずが、来年だと」
「だからゲームなんてしてる時間ないってば」
日が傾く中、足取り重くアラタは家への帰り道に向かった。商店街を出て、車通りの少ない住宅地を歩く。
「あっ、そうだ」
「今度はなんだ?」
「久しぶりに公園に行かない?休憩したいでしょ」
ミナの視線は参考書を持つ両手に向けられていた。すぐ近くにある公園は、子供の頃によく一緒に自転車に乗って遊びに行っていた場所。
「そうだな」
何度も持ち方を変えながら運んでいた参考書。ビニール袋は一回り大きくなってしまい、アラタの手は赤い線だらけになってしまっていた。
日が暮れかけている時間の公園に他の人はいない。植えられた木が風でざわめく中、ベンチに荷物を置き、隣り合って2人は座った。
「よく遊んでいたの覚えてる?」
「まぁな」
「さっきタイムスリップって言ってたけど。もしそんなことできるなら、あの頃に戻るのはいいかもね」
「そうかぁ?」
一緒に遊んでいた遊具は撤去され、大きな砂場とベンチだけが残っている公園。誰かが残していった砂の城が静かに崩れていく。
「本当に覚えてる?」
「覚えてるって。一応な」
「じゃぁ、その、あの約束は?」
真っ赤な夕日が公園を照らす。アラタが浅くベンチに腰掛けて暗くなっていく空を見上げた。ふと隣を見るとミナは深くベンチに座って赤く染まった公園の地面を眺めていた。
「約束?」
「わ、忘れたの!?」
「お、覚えてるって。ちゃんと思い出すから」
「忘れてるじゃん」
アラタは何度も肩を叩かれる。そのたびに記憶が揺り起こされるが、思い出すのは泥遊びして服を汚していたことばかり。
「悪い悪い。なんだっけ」
「む〜」
夕日が今にも消えそうな中、生暖かい風が吹く。ミナは頬を膨らませながら立ち上がった。そして砂場へ入っていき、もうほとんど崩れてしあっていた砂の城を直していく。
「おいおい。服が汚れるぞ」
「本当に忘れちゃったの?」
追いかけるようにアラタも砂場に入り、大きくなっていく砂の城の横に座る。乾燥してしまった砂は形を保てず、すぐに還ってしまう。
「あっ」
何度も作り直すミナ。日は完全に落ち、公園の街灯が点灯する。諦めずに砂を積み上げる幼馴染の手を、アラタは黙って見守った。
「ずっと守ってくれるって、言ってくれたじゃん」
「んん?」
砂の上に描かれていたのは、見覚えのある勇者のマーク。毎日のようにごっこ遊びをしながら、口癖のように言っていたことを思い出した。
「ウソだったの?」
「違うって。でも、よく覚えてたな」
立ち上がり、砂場から出ていくミナを追いかけていく。よく遊んでいた遊具のあった場所には、木製のテーブルと椅子。向かい合うように座る2人は、目が合わないようにお互いのことを見つめあっていた。
「いつの間にか言ってくれなくなったし」
「そりゃだって。なんか恥ずかしいじゃないか」
「新型新型って。ゲームが一番大事なの?」
「いや、それとこれは、なんというか」
参考書が入ったビニール袋が遠くで風に揺られていた。軽くなったはずの財布が重く、耳の先まで心臓の鼓動が鳴り響いていた。
「で?」
「でって?」
「今はどうなの?」
人差し指の先でそっと頬をこするミナのやわらかそうな唇からアラタは目を離せなかった。目をしっかりと見ようと試みても、どうしても視線が戻っていってしまう。
「どう、かな?」
アラタは勢いよく立ちあがった。そしてそのまま学校行事に出席するときのように姿勢正しくなり、公園の端の一点に注目する。
「今でも同じ気持ちに決まってるじゃないか。わざわざ言う必要が無いと思ってただけさ」
「でも忘れてたんでしょ?」
「なら、もう一回約束しよう」
「そう?じゃぁこっち見て」
視線を変えずに、アラタは口を一文字に結ぶ。ゆっくりと下へと首を傾け、ミナの澄んだ瞳を凝視した。
「ちょ、ちょっとそんなに」
「ミナが言ったんじゃないか」
「そ、そうだけど」
2人きりの公園で、街灯に群がり始めた羽虫の音がハッキリと聞こえた。ほんのりとオレンジ色の電球のような明かりが、公園を暖かく照らす。
「これからずっと、ミナのことを守ってみせるよ」
「うん。ありがとう。あっ、でもそれならアレをちゃんとやらないとね」
「お、おう。あんなの余裕だよ。ゲームの中ボスみたいなもんさ」
「その例えはちょっと」
視線を外し、参考書の山を指差すミナ。アラタはまた唇を見てしまう前に同じ場所に視線を移した。
「ねぇ。さっきから変なこと考えてない?」
「えっ?いや、別に」
立ち上がった幼馴染の顔をなんとか見ないようにしながら、アラタは参考書を取りに歩きだす。すぐ後ろを歩く幼馴染の気配に、右手と右足が同時に前に出てしまっていた。
ーー見つけたーー
不思議な声にアラタは立ち止まり、空を見上げた。すっかり暗くなってしまった空は、星も月もない完全な闇。吸い込まれてしまいそうなほど深い黒。
「あれ?」
夜空に目を凝らす。もう顔を出しているはずの月がどこにもない。飛行機の光がちょうど真上を通り過ぎようとしていた。
そしてその光は、一瞬だけ赤く眩く輝き消えてしまった。
「ウソ。事故?」
「いや」
ほんの一瞬の出来事の中、アラタはしっかりと見ていた。木の葉のようなものが、夜空にあったことを。
「早く帰ろう。嫌な予感がする」
「うん」
アラタはベンチに急ぎ、参考書を拾い上げた。両手でしっかりと持ち、足早に公園の出口へと向かう。ミナが後ろについていることを何度も確認しながら、夜空を見上げる。
「何か見えたの?」
「いや。空に何かありそうだなって」
そしてそれを見つけたアラタは完全に足を止めてしまった。ミナも立ち止まり隣で空を見上げている。夜空にあるのは大樹。まるで宇宙の果てから伸びてきたかのように、木の葉を地球に向けていた。
「なに、あれ?」
アラタは参考書を捨て、ミナの手を取って走り出そうとした。まだ夜空を呆然と見上げているところに伸ばした手は、あと少しのところで宙を切ってしまう。
「あれ?」
足は地面からわずかに離れ、地面を蹴ることができなかった。見えないワイヤーに吊るされるように、アラタの体は少しずつ天に昇っていく。
「へっ?アラタ!!」
目一杯差し伸べられたミナの手をしっかりと掴む。上がっていく体は止まることなく、徐々に逆さ吊りの形にされていく。
「な、なんだこれ!?」
「ダメ。行っちゃダメ!!」
しっかりと手を繋ぎあったまま離さない2人。アラタは逆さまのまま空中に止まる。足元の先にある夜空には、大樹の幹がハッキリと見えていた。
ーーごめんねーー
再び聞こえた不思議な声の後、アラタの体は再び持ち上がっていく。星々の代わりに瞬く木の葉と、天の川のように悠然とする木の幹。
「え?え?」
アラタは頭上を見上げた。さっきまで立っていた公園の地面が遠ざかっていく。そしてついに、ミナの足までもが宙に浮いてしまった。
「どうなってるの」
「ミナ。来ちゃダメだ」
手を掴む力をアラタは緩めた。反対に強く握りしめるようになった幼馴染の瞳をジッと見つめながら、思い切りツバを飲み込む。
「だってこのままじゃ」
「ミナ。大丈夫だって。絶対戻ってくるからさ」
アラタはもう一度手に力を込めた。そしてミナを持ち上げて、できる限り顔を近づける。小刻みに揺れる瞳がしっかりと見えた。
「約束だ。絶対忘れないから。ミナを守るために、戻ってくる」
「いや。やだよ」
ほほえみ、そして手の力を抜いた。最後の瞬間まで見続けていたのは、しがみつこうと必死な表情を浮かべるミナの唇。
「それじゃ。また明日」
「いやだ。アラター!」
両手をいっぱいに掲げている姿が小さくなっていく。公園もすぐに見えなくなってしまい、地図でみたことのある土地の形を視界に収め、そして写真でしか見たことのない青い地球が現れた。
「なんで息ができるんだよ」
その地球すら確認できなくなってしまい、アラタは運ばれていく方向を向く。見たこともない星々の間を進んでいた。
ーー本当にごめんなさいーー
「誰なんだ?帰してくれないかな」
進む先から不思議な声が聞こえてきた。呼びかけても返事は返ってこない。ふと隣を見ると、大樹が同じ速さで縮んでいっていた。
「どうしろって言うんだ」
流れに身を任せ、アラタは星々の合間を運ばれていく。その途中でたくさんの岩の塊が密集している場所を通り、当たらないように何度も身をよじる。
目まぐるしく変わりゆく光景は、ある地点を堺に何も無くなってしまった。星の光すら見えない完全な暗闇の中、進んでいるのか戻っているのかすらわからずにいると、またある地点を堺に景色が変わる。
「マジかよ」
視界いっぱいに広がっていたのは、どこまでも続く緑の大地。その中心には一際大きな大樹が鎮座していた。
ーー着きましたーー
「着いたって。どこだよここ」
アラタは巨大な光の球の横を通り過ぎた。太陽のように明るいそれは、世界の隅々まで照らしている。
ーーお願い。助けてーー
「助けてって。なんで俺なんだ?」
ーーそれはあなたが、勇者の遠縁だからーー
「ゆ、勇者?」
雲の合間を抜け、どこかに向かって加速していく。見渡す限りの大樹海が広がる世界。
「冗談よせって。親戚に勇者なんていねぇよ」
ーー九十九時久を知りませんか?ーー
「知らねぇ。それにあんたは誰なんだ?」
返事は無く、アラタは急停止する。真下に何か大きい生き物の気配がした。
ーーでは、あとを頼みますーー
「えっ?おい、ちょっと待、」
突然糸を切られたように、アラタを連れ去り運んでいた力が消えてしまう。咄嗟に挙げた手の先にある空が一気に遠ざかる。
「ふざけんなー!!」
すがりつくものもなく、頭から真っ逆さまに落ちていく。押し寄せる大地に、アラタは目を閉じた。
~~どこか遠い世界~~
「あれ?」
また何かの力で宙に浮いていた。木々の香りに全身が包まれ、生暖かく強い風が吹く。
「わっ!」
青錆色の鱗が目の前に広がっていた。その色は、アメリカの自由の女神と同じ。幾重にも重なり合った鱗が生きているように動いている。
「ほっほっほ。人間が空から降って来おったワイ」
「な、なんだなんだ?」
「不思議なことがあるもんじょのう」
次の瞬間に、アラタの目と鼻の先で巨大な目玉が開いた。そして柔らかい場所に着地する。上下に揺れ動きながら下がっていき、固い地面に投げ出された。
「いて」
「ふぅむ」
顔を覗き込まれるように、その巨大な生物の顔が真正面に来た。青錆色の鱗に覆われた顔には、真っ白いヒゲがたくさん生えている。
「えっと。ドラゴン?」
「そうじゃが?ワシを知らんのか」
「知らないというか、なんというか」
巨大な木によって日の光は遮られ薄暗い。ドラゴンを見上げると、あちこちから木漏れ日が差し込んできていた。
「グリンガルじゃ。人間の客は久しぶりじゃのう」
「あっ、ツクモアラタです。その、いきなりなんですけど、元の世界に帰れないですかね?」
グリンガルはゆっくりと首を下ろし、ヒゲを地面に投げ出すように横たわる。柔らかそうな翼も、力なく大地に触れる。
「元の世界、とはなんじゃ?」
「ん~。なんというか、地球っていう場所で」
巨大なまぶたは今にも眠ってしまうのかというほど細くなる。大きく呼吸をし、その生暖かい鼻息にアラタは襲われた。
「地球か」
「し、知ってるのか?あっいや、ですか?」
「知らんわけではない。大昔に地球から来た人間がいたとかいないとか」
「は、はぁ。それってもしかして、九十九時久って言うんじゃ?」
「そうじゃが?」
一度深呼吸し、アラタは近くの手ごろな岩の上に座った。上を見上げ、木漏れ日の先で聞いたことを思い起こす。
「その九十九時久っていう人が勇者で、俺はその遠縁で、だから地球から連れて来られたって」
「ほっほ。そうかそうか」
「それで困ってるんですよ」
「ほぅほぅ」
グリンガルのまぶたが完全に閉じかけていた。眠らせまいとその鱗に手を当てて起こそうとすると、翼が勢い良く開き、木々がその風に揺れる。
風によって飛ばされてきたアラタは痛む体をさすりながら、目を覚ました青錆色のドラゴンを見つめ返す。
「なるほどのぅ」
「いてて。えっと、地球に帰る方法を教えてくれないですか?」
「それは無理じゃ」
「えー?」
グリンガルは首を大きく上げ、どこか遠くをずっと見ていた。その前でアラタは大きく手を振っても、白いヒゲを軽く引っ張っても微動だにしない。
「おーい」
「んんん?なんじゃ?」
「えっと。じゃぁ手がかりとかは?」
「ふ~む。ほれ」
ドラゴンの巨大な前足が差し出された。ちょうど座りやすい高さで上下に静かに揺れる。アラタは足の上に手を置き、グリンガルのことを何度も見上げてから腰かけた。
ゆっくりと持ち上げられ、そして柔らかそうな翼が羽ばたく。木漏れ日の真下を昇り、森の上に出て日の光を直接浴びる。
「よっこらせっと。では行くかの」
グリンガルは広大な大樹海をフラフラと飛んでいく。眼下には見渡す限りの緑。アラタはしっかりと足にしがみつく。
「ちょいちょいちょいちょい」
「こら。揺らすでない」
「揺らしてねぇって」
そよ風が吹くだけでグリンガルの巨体が大きく揺れる。白いヒゲと木の葉が触れ合う音がずっと続く。
「だ、大丈夫なのか?」
「腰が痛むのぉ」
「一回降りれば?」
「うむ」
ふらつきながら高度が下がっていく。青錆色の鱗と木の枝が擦れあい、ガサガサという音が鳴り響く。
「歳には勝てんのぉ。じゃが、あとは歩いて行けるはずじゃぞ」
「本当か?あっいや、ですか?」
「ほれ。このまま真っ直ぐじゃ」
前足で示された方向を見る。うっそうとした森はどこもかしこも似たような景色で、すぐに迷ってしまいそうだった。
「真っ直ぐ」
「じゃ」
「そうすれば地球に?」
「違うわい」
「いや違うんかい」
ぐったりと横たわったグリンガルの横でアラタは思わず足を踏み鳴らした。青錆色の鱗は微動だにせず、翼は地面に投げ出される。
「帰れんと言うたじゃろうて」
「そうですけど。じゃぁなんでここに?」
「お主は勇者なんじゃろう?」
「はいぃ?」
グリンガルから青錆色の鱗が一枚剥がれ落ちた。それは静かにアラタの手元に舞い落ち、そして淡い一筋の光が1つの方向を指し示した。
「えっと」
「この先に人間の街があってのぅ。あとはなんとかせい」
「雑だな。あっ、いえ。でも助かります」
アラタはまた足を踏み鳴らそうとして思いとどまった。民家どころか道すらない森の中。聞こえてくるのはグリンガルの疲れた吐息だけ。ほとんど生き物の気配がないことに気付き、受け取った青錆色の鱗を握りしめる。
「もしかして、お別れなのか?」
「じゃの」
「そっか、でもなんか、ありがとう」
今にも眠りそうな瞳の前で、アラタは軽く頭を下げる。一際強い風が吹き、木の葉が旅立ちを祝うように揺れる。
青錆色の鱗に導かれ、アラタは歩き始めた。誰もいない森の中、いつもより少ない歩幅で、地球へ帰れる日のことだけを考えながら足を進めていく。
「ツクモアラタ」
グリンガルに呼び止められ振り返る。風に散った木の葉が至る所にこびりついたままで、振り払うことすらしていない。
「また会えるかのう」
「どうだろう。でも機会があればまた来るよ」
「そうか」
完全に横たわった青錆色の巨体は、まぶたを閉じて大きな寝息をたて始めた。アラタは少しの間それを見つめ、人間の街に向かって出発した。
〜〜西暦20XX年 夏〜〜
ミナは独り、高校からの帰り道の途中で蝉の声が鳴り響く公園に立ち寄っていた。そしてアラタが消えてしまった空の彼方を見上げる。
「はぁ」
3ヶ月の間、毎日のように座ったベンチ。空は青々とした木の葉に覆い隠され、その先で飛行機雲が一本伸びる。そんな景色が、あの日幼馴染を連れ去ったものと重なり合った。
「あっいたいた。ミナ。1人は危ないよ」
聞こえてきたのは同じクラスの佐々木結衣の声。短く切られた髪を左右に揺さぶりながら、駆け足で近づいてくる。
「もう。見つかったら大変だよ」
「大丈夫だって」
「まったくもう」
アラタが行ってしまった次の日。どこもかしこも同じニュースで溢れかえっていた。夜空に突如現れた大樹。それによって起きてしまった飛行機の墜落事故。そして、宙を浮き大樹と共に消えてしまった幼馴染。
「ほら。元気出して」
「うん」
あの大樹はなんだったのかと大騒ぎになり、最後の瞬間まで一緒だったミナは好奇の目にさらされた。どこから聞きつけたのか連日のように取材が殺到し、ただ道を歩くだけで指を差されるようになってしまう。
「ねぇ聞いてる?」
「うん」
「あらら。ダメだこりゃ」
ユイは隣に座り、背もたれに身を投げ出した。夕日で空が赤く染まっていく中、けたたましい蝉の鳴き声が小さくなっていった。
「ミナ。聞いてる」
「なぁに?」
「夏休みになったらさ。うちのお爺ちゃん家に来ない?田舎だけど。静かでいい所だよ」
「そうだね。そうしよっか」
勢いよく立ち上がったユイは大きく伸びをした。そしてミナを上から見下ろすように背もたれに寄りかかる。
「じゃぁ早速準備しよう」
「えぇ。今から?」
「早い方がいいでしょ」
引っ張られながらベンチを離れ、公園の外に連れられていく。夕日は沈み、蝉の鳴き声はもう聞こえない。
「そんなに急がなくても」
「いいからいいから。もっと肩の力を抜かないと」
ミナは空を向きながら歩いた。最後の約束を思い起こしながら、彼方に消えてしまった幼馴染と笑い合える日がまた来ると信じて。
「あれ?」
月にしては大きすぎる何かが、夜空の中心で真っ赤に燃え上がっていた。初めは小さく、どんどん大きくなっていく。
「どうかしたの」
「その。アレ」
真っ赤に燃えあがる何かは絵に描いた赤い太陽のようで、しかし暖かく照らすわけではなく公園は夜のように暗い。ユイは口をぽかんと開けたまま固まってしまった。
「えぇ?もしかしてツクモ君を連れてっちゃったのってアレ?」
「ううん。あんなの見たことない」
ゴゴゴゴゴゴゴ。
見る間に巨大化していく太陽のような何かは、真っ赤に燃えながら隕石のように落ちていく。そして遠くに落ち、赤い光が過ぎ去った後に轟音が響き渡る。
ドーーーン。
「あ~ビックリした。すごい大きい隕石だったね」
「そう、なのかな」
映像では見たことがある隕石の落下シーン。だが今の何かは、地面に近づくほど小さくなることがなく、むしろ大きくなっているように見えていた。
グオォォォォォ。
隕石が落下した方向から再び赤い光が生まれ、夜空は真っ赤に染め上げられた。そして獣の雄叫びが鳴り響き、家のガラスが次々に割れる。ミナとユイはうずくまり、両耳をしっかりと押さえる。
「ユイ?」
「へーきへーき」
2人は立ち上がり、同時に同じ方向を見た。大地から夕日が昇っていくように。真っ赤な光が空へ登っていく。その形は丸くなく、巨大な翼を広げたドラゴンのよう。
「我は、グリンガル」
大気が震えるような声。熱風に街が揺られる。空はまるで溶けているかのよう。その中心で、ドラゴンは赤銅色に燃え上がっていた。
ドドドドドドドドド。
遠くの空にたくさんの家が舞い上がった。枯れ葉が風で吹き飛ばされるように、軽々と飛ぶ家は、赤銅色の炎に飲み込まれ溶けていく。
「えっ?えっ?」
「ユイ!こっち」
ミナは呆然と立ち尽くすユイの手を引っ張る。グリンガルから逃げるように走り出す。空にはいつの間にか大樹が現れていた。赤く染め上げられ、夏に似つかわしくない紅葉のよう。
「なんなの?」
「わかんないよ。とにかく逃げないと」
2人はひたすら走り続けた。後ろからは家が吹き飛ばされ、ドラゴンが雄叫び、そして全てが燃える音が絶え間なく響いている。
「ミナ。私の家に来ない?車があるから」
「いいの?」
「当たり前じゃん」
ユイの家を目指す。いつも帰る方向とは逆の道には多くの人が出て来ていた。右往左往している人々の合間で、ミナの足が遅くなる。
「急いで」
「うん。でも」
「でもじゃなくて。ほら」
手を引っ張られ、また走り出した。手元の画面で何かを見ている人もチラホラいる。そんな人たちは一斉に空を見上げた。
「今度はなに?」
紅葉しているような空の大樹。無数の小さな点が漂い、少しずつ大きくなっていく。ただの葉っぱにも見えたそれは、意思を持っているかのように集合していく。
「ユイ!待って危ない!!」
空に見向きもせずに走り続けていたユイを引き止める。集合体は街中に降り、そのうち1つが目の前にやって来る。
それは着地することなく空に浮かんでいた。何人もの人影による集合体。全員、薄い緑色の髪で耳が長い。その手に弓を持ち、燃えるように赤い眼光が睨んでくる。
「エルフ?」
どこかで見たことがあるような姿。整っているはずの顔は表情が歪み、思わず後ずさってしまうほど。
カコン。ッザシュ。
喧騒の中、弓が射られる音と、すぐ近くで肉をえぐられたような音がほぼ同時に響く。ユイの肩越しに見ると、眉間を矢で射抜かれた知らない男性がゆっくりと倒れるところだった。
いャァァァァァ。
駆け寄る女性と、一拍おいてから蜘蛛の子を散らすように逃げ出す人々。ミナとユイも互いをかばうように引き絞られる弓から逃れようと走り出す。
「ユイ!!」
無数の赤い眼光から、数多くの矢がいっせいに放たれる。その前でユイは立ち止まってしまった。時が止まったように、しかし確実に迫る矢の雨。
体を丸めながら目を閉じる。
ダンッ。ガガガガガ。
覚悟をしていた痛みはなく、代わりに何かが勢い良く着地し矢が何かに阻まれる音。
「えっ?アラタ?」
目を開けると、そこには良く知っている後ろ姿。子供の頃からずっと見てきた幼馴染の後ろ姿。ボロボロの服を身にまとい、木の盾を正面に構えている。
「無事か?」
「う、うん。そ、その顔」
3カ月前に空のかなたに消えてしまった幼馴染が振り返る。顔の半分が焼けただれたように潰れてしまっていた。
ほとんど開いていない片目と、半分だけ綺麗に消えてしまった髪の毛。あちこちに痛々しい傷跡が残り、似ているだけの別人に見えるほどだった。
「アラタ、だよね?」
「あぁ、待ってろ。すぐに片付ける」
木の盾を投げ捨てるアラタ。そのまま宙に浮いたままのエルフに向かって跳躍して行ってしまう。2階建ての屋根よりずっと高くまで跳び上がり、何本もの矢に貫かれながら殴りかかっている。
「ね、ねぇ。あれって本当にツクモ君なの?」
「アラタだよ。見間違えるわけない、じゃん」
屋根を足場にさらに高く跳躍しながら、瓦を次々と投げつけているアラタ。エルフの矢を弾き返しながら、逆に撃ち抜いていく。
全てのエルフを撃退し戻ってきたアラタに駆け寄ろうとする足は、獲物を求めるような肉食獣に見える幼馴染を前にして止まってしまった。
「ここは終わった」
「だ、大丈夫?その怪我」
「行くぞ、時間がない」
体のいたるところに刺さっている矢を抜こうともせず、自分の家に向かおうとするアラタ。止まっていたユイの足が素早く動き、その袖口を後ろから掴む。
「待って。先に治療しないと」
「必要ない」
「ダメだって」
掴んだ手はすぐに振り払われた。雑に矢を抜くアラタの体から血が吹き出す。ユイはハンカチを取り出し傷口を押さえた。
「もういい。どうせすぐ治る」
「そんなわけないじゃん。どうしちゃったの?」
「どうもしない。ただ俺は、あの時の約束を果たしに戻ってきただけだ」
傷口を押さえ続けたまま、ユイは幼馴染を見上げた。半分しか残っていないよく知っている顔からの視線を浴び、直視できずに目を逸らしてしまう。
「急ぐぞ。手遅れになる」
「だから待ってって」
まだ血が止まらない間に行ってしまおうとするアラタを両手で引き留めながら、ユイは向かおうとしていた逆の方向を指差した。
「先にあっち」
「なんで?」
「ユイの家があるから。車に乗せてくれるって」
黙ったままのアラタの視線を追いかける。未だに燃え続ける赤銅色の空。もはや真昼と見間違ってしまうほど明るく、しかし夕焼けのような空。
「ほら、車の方が速いよ?」
「わかった」
アラタのため息が聞こえてきた。血で真っ赤に染まったハンカチを受け取り、自分で止血を続けている。その片目に穏やかな光が灯った気がした。
「ホッとしてるの?」
「あぁ。向こうには車なんてなかったから。戻ってきたんだなって」
「ふふ。おかえり」
3ヶ月前と同じように空の彼方に大樹。真っ赤な世界で、2人は再会を噛みしめるように見つめ合う。
「ご、ごほん。そろそろいいかな?」
「あっ、ごめんねユイ。待たせちゃった?」
「別にぃ。いいんじゃない?」
そっちのけにしてしまっていたユイはニヤニヤしながら先に行ってしまった。それを追いかけ並んで歩き始めると、すぐ後ろをミナがついてきてくれる。
「なんでこっちに来るのよ」
「そんな怒らないでよ」
「と、いうより。いい雰囲気だったのにもったいないじゃん」
「え〜」
振り返ると警戒するように周囲を見渡しているアラタ。空からはエルフが次々と降下し、街から逃げようと家から出てきた人々で道があふれかえっていた。
「何があったんだろうね。あの怪我」
「う〜ん」
顔の半分が焼けただれている怪我。もう治ってはいるようだったが、最近負ったものに見えていた。
「それにしてもすごい登場だったね」
「登場?」
「あっそっか。見てなかったんだっけ。すごかったよ。隕石が降ってきたみたいで」
「へ〜」
ミナは空を見上げた。星のように散らばるエルフの影と、天の川のようにかかっている大樹。その時、勢いよく走り出す車の音が聞こえ、道の端に寄る。
「あっぶないなー。もう」
「2人とも大丈夫か?」
「あぁうん。平気平気。ミナもだよね」
「うん」
「ちょっと急いだ方がいい。失った時間を巻き戻してはいけないから」
アラタの言い方が頭の隅に引っかかりながら、ユイの家に急いだ。普段なら真昼であっても車通りがほとんどない道に、何台も車が出てきていた。
「みんな逃げてるんだ」
「急ご。ツクモ君。家はすぐそこだから」
「あぁ」
交差点を曲がると、ユイの家が見えてきた。駐車場に停めてある車のトランクに荷物を詰め込む人影が見える。
「あっ、お姉ちゃんだ」
小学生の男の子がユイに駆け寄る。ミナも何度か一緒に遊んだことのある弟の佐々木結翔。アラタの顔を見ると、姉の影に隠れるように逃げてしまう。
「おうユイ。良かった、帰ったか。今探しに行こうかと、ってその子どうしたんだ!?傷だらけじゃないか」
ユイの父親も歩いてきた。アラタの顔を見ると血相を変える。出血は止まっていたが、焼けただれた傷が元に戻ることはない。
「問題ない。それよりこの車、5人乗り?」
「ん。あぁそうだね。1人多いか」
コンパクトカーには5つしか席がなく、ユウトはまだ小さいが荷物が積み込まれた車に定員通りにすら乗り込めなさそうだった。
「じゃぁ俺は走るから」
「えっ、アラタ?」
返事も聞かずに走り出してしまったアラタ。そして自分の家の方向へ、屋根の上に飛び乗って振り返っている。ミナの家も同じ方向で、隣り合っているので行き先は変わらない。
「な、なんだ今の!」
ユイの家族は全員固まってしまう。次の瞬間に空が一際赤く輝き、立っていられないほどの地震に襲われる。
「お父さん!早く行こう。ツクモ君ならきっと大丈夫だから」
次々と車に乗り込む。先に行くと言いながら屋根の上でずっと待っているアラタに手を振り、ミナも後部座席に座った。ユウトを真ん中にし、足元に置いてある荷物を踏まないように気を付ける。
「出発するぞ」
住宅街の狭い道を車が走る。交差点で何回も他の車とはち合わせし、そのたびにブレーキが踏まれている。
「ねぇねぇ。あのお兄ちゃん誰なの?」
「このお姉ちゃんの彼氏だよ」
「えっ、いや。違うって、」
窓の外に、屋根伝いにピッタリとついて来ている。それも隣の家にではなく、2~3軒をまとめて飛ばしていた。
少し大きな通りに出て、加速した。夜とは思えないほどの車の量だったが、それでも制限速度は保たれていた。それでもアラタは遅れることなく、むしろ先に行ってしまう勢いだ。
「あっ!あれ」
ミナが言おうとしたことはユイにさえぎられ、その指差す方向には無数の黒い影。初めて出会ったエルフの集団とは比べ物にならない数が降り立つ場面。
息を呑むミナは瓦屋根の上に飛び乗ったアラタから何かが飛んでいくのをただ見ていた。エルフの影はみるみる少なくなっていくが、それでも多く残っている。
「お父さん。なぁにあれ!?」
「さ、さぁ」
「お、おじさん気を付けて」
狭い車内で身を乗り出すユウト。運転席と助手席に座っている2人はラジオを聴こうとし、ミナはそれを止める。討ち漏らされたエルフ達は、これから向かう先に降りていった。
「知っているのか?」
「あれは危ないよ。お父さん」
「そ、そうか。でもあっちには」
車の速度が落ちる。ちょうどその時、アラタに撃ち殺されたエルフが落下してきた。ボンネットの上に落ちて跳ね、歩道に横たわる。衝撃で揺れる車内。
「えぇ!人!?」
「お父さん、早く。ミナの家に行くんでしょ」
「あ、あぁ。そうだな」
アクセルが踏み込まれ、加速されていく。助手席に座るユイ母は後ろに落ちて動かないエルフのことをずっと見ていた。
制限速度を超えて走る車。その横にまた人影が降り立った。屋根の上にずっといたはずのアラタと並走する。
「はぁ?」
「止まるな!走り続けろ!!」
叫んだ後に先に行ってしまうアラタ。何台もの車を軽々と追い越していくところを、全員黙ったまま見て、運転席のユイ父の口が半開きになっていた。
そしてその行く先の空中に、赤黒い光が点在していた。赤銅色より黒く重たい色。アラタが再び跳び上がるのと、その光が放たれるのはほぼ同時。
「ちょっ、」
「止まっちゃダメ!!」
ブレーキが踏まれる中、ミナは全力で叫んだ。赤黒い光と車のちょうど真ん中で、全てをさえぎるように跳び上がるアラタの背中から目が離せなかった。
飛来する無数の光を切り裂くように立ちふさがるアラタ。家から次々と炎の柱が上がる中、車道とその周辺だけが難を逃れていた。
「お父さん。ちゃんと追いかけないと」
再び加速し始め、遠くなった前の車に続いていく。反対車線の車が止まり始める中、アラタが切り開いた道に続くように連なっていく。
そして赤黒い光は全て落ち、黒い塊が1つ道路に落ちてきた。その前で車は止まり、ミナは窓を開けて何が落ちてきたのか見て、すぐにドアから出る。
「アラタ!!」
黒焦げになってしまったアラタの体が横たわっていた。震える手でその体に触れると、その首筋がわずかに脈動していた。
「えっ!?ツクモ君なの」
ユイの声が聞こえても振り返ったりせず、ただ様子を見守ることしか出来なかった。かすかに口が開くのを見て、すぐに耳を寄せる。
「し、んぱい、する、な」
黒焦げになってしまったアラタの腕がみるみる肌色を取り戻していく。瞬きをしている間に怪我は消え、最後に残ったのはもう治ったはずの顔半分の火傷。
「その怪我!どうして」
「心配いらない。一度は治った」
「じゃなくて。ちゃんと冷やさないと」
今この瞬間に火傷を負ったように焼けただれた肌。アラタを車まで引きずり、ペットボトルの水を顔に無理矢理かける。
「怪我を治したんじゃないの?」
「違う。時間を巻き戻しただけだ」
ユイから追加のペットボトルを受け取り、嫌がるアラタへさらに水をかける。あちこち千切れた服が濡れていった。
「もういい」
「え?ダメだって」
「これでいいんだ。これで」
「ちょっと待、あっ」
振り払うように立ちあがり行ってしまうアラタのことを、ミナは止められなかった。すぐそこにあるのは隣り合う2人の家。
「待ってってば」
交差点を曲がると、見慣れた我が家があるはずだった。なのにそこには、半壊している家と、その前に座っている5人。
「お母さん。お父さん。お姉ちゃん」
軽い足取りでミナは駆け出し、アラタの横に追いついた。立ち止まっていたその手を掴み引っ張る。
「ほら」
「あぁ」
笑顔で手を降るミナの家族と、口を開けたまま立ち尽くした後に全力で駆け寄るアラタの両親。邪魔しないようにとすぐに離れる。
「帰ったのか!怪我してるじゃないか」
「良かった。無事で」
見向きもされなかったことを、気にすることなくミナは自分の家族のところへ向かう。怪我をしている様子がないことに胸をなでおろした。
「おかえりミナ」
「うん。ただいま」
「ねぇミナ。あれっと本当にアラタ君?ずいぶん雰囲気が変わってるけど」
「よくわかんないんだけど、色々あったみたい」
寡黙な父と挨拶を交わした母と一緒にアラタの家族の様子を遠目に見守っていた。姉の井上未来も気になって仕方がないようだ。そこにユイの家の車がゆっくりと止まり、中から全員出てくる。
「こんにちは。もう、ミナは勝手に行かないでよね」
「あっ、ごめんごめん」
ユウトと一緒に歩いてきて、半壊した家と再会を喜ぶアラタの家族の間を視線が動いていた。そして両親達は、少し離れて話し合っていた。
「なにを話してるのかな?」
「さぁ。大人の話ってやつじゃない?」
空がいつもの暗さを取り戻してきていた。夕日が落ちる直前のような中、ミナはそっと息を吐き出し目を閉じた。
「あれ?どうしたんだろう」
ミナとアラタとユイ。3人の両親がみんな集まっていた。1人で空を見上げるアラタのところに4人で歩み寄る。
「アラタ、何の話?」
「さぁ」
話し合いはすぐに終わった。そして全員集まり、泣き崩れるアラタ母の背中をアラタ父が優しくさする中、ユイ父がおもむろに口を開く。
「ミライ、あの車を運転できるね?」
「ん?えっ?でも免許取ったばかりだよ」
「子供達5人だけで車で逃げるんだ。運転できるのはミライしかいない」
「へっ?」
アラタ母の泣き声が大きくなり、ユイ母がその肩に手を置いた。ユイ父は車のキーをミライに手渡そうとする。
「ちょ、ちょっと待って。無理だって、まだ取りたてなんだから」
「あの車は5人が限界だ。それにうちの車は壊れてる」
ミナ父は半壊した家を指差す。車も押しつぶされてしまっていて、ドアから入ることもできない。
「それって」
「父さん達は別の方法を考える。先に逃げなさい。いいね」
顔がグチャグチャになっている母親に抱きしめられるアラタ。それぞれの家族ごとに集まっていく。ミナも自分の家族とだけになり、姉のミライが口を開く。
「なんで勝手に決めちゃうの?」
「わかってくれミライ。車は1つしか無いんだ。ササキさんのご両親にお礼を言わないと」
「そ、そうだけど」
アラタ母の泣き声はよりいっそう大きくなっていく。ミナは突然自分の母に抱きしめられ、その微かな震えを全身で感じた。
「お母さん?」
「元気でね」
そして姉のミライも同じように抱きしめられていた。そして親を残し、車の前に集まっていく。
アラタ母だけが最後まで離れようとしなかった。アラタ父に何か話しかけられ、離れるように促されている。
何かに気づいたように顔を上げるアラタ。つられるように見上げる前に、上から爆風に襲われる。
ドーーーン。
赤銅色に染め上がる景色。アラタが大声で叫んでいる。
「中に入れ!早く!!」
押しつぶされるような空からの重圧の中、車のドアがアラタによって開かれ後部座席に押し込まれる。他のみんなも同じように入れられていき、外からドアを閉められ助手席のドアが開く。
「父さん、母さん。全部話した通りだ。やらなきゃいけないことがある。おじさん、おばさん。俺が、俺が戻ってきたのは、ミナのことを守り抜くためだ。だから、安心してくれ」
助手席のドアが閉まり、車は赤銅色の炎に包まれた。ガタガタと揺れる後部座席の真ん中で、襲い来る炎を避けるように身を寄せ合う。
「なに!?どうなってるの」
「お父さんは?お母さんはどうしたの」
「これ、大丈夫?」
「アラタ!?」
身を寄せ合いながら、助手席に座るアラタに向かって全員で叫ぶ。どうして窓ガラスが溶け出さないのか不思議なほど激しい炎の中、熱くないということに気付いたミナはドアに手を伸ばす。
「出るな!!」
手を止め、前を見た。フロントガラスの外で何かが動いている。後部座席の4人は身を寄せ合い声を押し殺す。
車ごと飲み込まれてしまいそうなほど大きな目が開く。
「アラタ。そこにいたか」
「また会ったな。グリンガル」
赤銅色に輝く鱗が炎をかき分け、そして新たな炎を生み出していた。車内は大きく揺れ、回転しながら宙を舞い出す。
「しっかり掴まってろ」
「ほう?中の娘がお前の大事な人か。3人いるようだが?」
「大事なのは1人だけだ。残りはミナが大事にしている」
「ふん。まぁ再会できて良かったではないか」
左右の窓に大きな鉤爪が現れ、衝撃と共に車が掴み取られる。ドアが壊れたりはしていないが、さらに高くまで運ばれていく。
「よしみだ。一度だけだぞ」
宙に投げ出され赤銅色の巨体は降りていった。尻尾の先端が通り過ぎてから、少しして爆風によって車が吹き飛ばされる。激しく揺れる車内で、ミナは意識を保つことが出来なかった。
「う、う~ん」
静かな車内でミナは目を覚ます。後部座席に詰め込まれていた4人は折り重なるようになっていた。助手席に座っていたはずのアラタの姿はない。
「みんな、起きて」
もつれあう手足をほどきながら、窓の外を見た。見たこともない満天の星空と、天高くそびえるいくつもの木。
「イテテテテ」
「あっユイ。怪我してない?」
「ん~、平気平気。それよりどうなったの?」
「わかんなくって。ちょっと見てくるね。2人のことお願い」
ドアを開け、外に出た。澄み切った空気と濃い森の香り。どこか遠い外国に来てしまったかのように、見渡す限りの緑。
「あれ?ツクモ君はどこ行ったの?」
「そうなんだよね。探してくる」
獣道すらない森の中。戻れなくならないように気を付けながら進むと、アラタはすぐ近くに立っていた。
「アラタ」
「あぁ起きたか」
駆け寄る足はすぐに止まってしまう。見えてきたのは、青く丸い星。さっきまで暮らしていた日本を中心に真っ赤になっていたが、それ以外は見間違うはずがない地球の姿。
「どうして?」
「ここは宇宙だからな」
「へっ?」
立っている地面を改めて見ると、そこに土はなく木の皮がずっと続いていた。そびえ立つ高い木の根元は、枝分かれしている。
「もしかして」
「あぁ。空に現れた大樹の上だ」
地球をずっと見つめているアラタの横で、ミナは肩を並べた。青く綺麗な星は、少しずつ赤黒く染め上げられていく。
「帰れるの?」
「いや。帰らない」
「え?」
「どっちにしても地球はもう終わりだ。助けなきゃ行けない人ももういない」
車の外に取り残されていた両親のことを思い出した。赤銅色の炎は住んでいた街どころか、日本中に広がっていた。
「ねぇ。それってやっぱり」
「どうしようもなかった」
「せ、責めてるわけじゃないよ。そうじゃなくて、実感が」
昨日まで4人揃って食卓を囲んでいた家族。残っているのは車の中で気絶している姉だけ。
「アラタ。私達、これからどうなっちゃうの?」
「心配するな。ミナのことは必ず守り抜くし、行く当てもある」
「あ、ありがとう。行く当てって?」
地球から目を離しアラタに顔を向けると、全く同じタイミングで同じことをされ真正面から向かい合う。暗い宇宙を映し出す瞳から目をそむけられない。
「黒の賢者に会いに行く」
「黒の賢者?って誰」
「3か月前、俺をアキシギルに連れて行った人だ」
「う、うん?」
「戻って話そう。みんなにも関わることだ」
2人で一度車に帰ったが、すぐに地球が見える場所に戻ることになる。車に残っていた3人は話を聞いて目を丸くしていた。見せた方が早いとアラタに全員連れられて行く。
燃え盛る地球を目の当たりにし、3人は固まってしまった。青い星は見る影もなく、赤い星へと変貌している。
「帰れない。本当に、帰れないんだ」
「お姉ちゃん。しっかりして」
「なんでよ。どうして」
膝から崩れ落ちたミライの肩にそっと手を添える。心臓にまで伝わってくるほど大きく震えていた。その横でアラタに質問するユイ。
「ツクモ君。黒の賢者ってどこにいるの?」
「アキシギルのどこかだ」
「それって多分、あのドラゴンとかエルフが住んでる世界だよね?」
「そうだ」
ミライが勢い良く立ち上がり、ミナはよろめく。そのままアラタの胸ぐらを掴み、震える声で叫びだす。
「なんで、そうなるの。あんな危ない奴らがいるところだなんて」
「他に道はない」
「わかんないでしょ、そんなこと。地球には戻れないの?」
「戻りたいなら戻ればいい。だがミナだけは連れて行く。ミナを守り抜くために俺はここにいる」
顔が熱くなるのを感じながら、ミナは周りを見渡した。ユイは何故かガッツポーズをしていて、ユウトは赤い地球をまだずっと見ている。
「アラタ、そんな言い方しないでって」
「本当のことだ」
アラタをなだめようとしても、淡々と答えるだけだった。胸ぐらを掴み続けているミライが声を荒げる。
「そもそも。アキシギルなんてどこにあるの?どれくらいかかるの?どうやっていくの?」
「宇宙の彼方に。時間は知らん。車で行く」
「バカ言わないで。ガソリンが足りるわけないじゃない」
「ちょっとお姉ちゃん。落ち着いて」
ユイにも手伝ってもらい、2人をなんとか引き剥がした。特に暴れようとしていないが、アラタの腕にしがみついて放さない。
「燃料なら問題ない」
「なんでよ」
「車の時間を巻き戻せば、燃料も元に戻る」
真っ赤な地球の後ろから太陽が顔を出し始めた。上から何かが焦げるような臭いが漂い始める。
「日の出だ。戻ろう」
「え?大丈夫なの?」
「幹はな。葉や枝、それに俺らは焼かれるだけだ。とにかく出発だ」
返事も聞かずに先に行ってしまうアラタ。上を見上げれば、高い枝の先に火がついていた。それを見て急いで車へ戻り、全員乗り込む。ミライが運転席でエンジンをかけ、アラタは助手席に、残りは後部座席でシートベルトを締めた。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
「早くしないと太陽に燃やされるぞ」
「あぁ、もう」
アクセルが踏まれ車が動き始めた。道路はないが、平らな木の皮の上を走る車はほとんど揺れない。
「あのさ。ツクモ君」
「なんだ?」
「走りながら聞かせてよ。なんでこうなったのか。ミナも気になるでしょ?」
「えっ?うん、そうだね」
ユイの提案に、アラタはポケットから何かを取り出した。青錆色の鱗を手渡され、後部座席の3人で覗き込むように見つめた。
「これは?」
「グリンガルの鱗だ」
「へっ?」
「とても長い話になる。その青錆色の鱗が、赤銅色に変わってしまった話だ」
そして黒の賢者を探す5人を乗せた車は、アキシギルに向けて走り出す。その車内で語られるのは、異世界に連れて行かれてからの日々のことだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
SF要素を取り入れたファンタジーを書いてみたいと思い投稿しました。
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今後とも、よろしくお願いします。




