9 呪いと呼ばれた病
リテナの家の小さな食卓には、まだスープの湯気が残っていた。
だが、訪ねてきた村人の震える声が、その温かさを一瞬で冷ましてしまう。
ケンサクは椅子から静かに立ち上がり、落ち着いた目で男を見つめた。
男は自らを村長と名乗り、リテナに促されて椅子に座る。
「まず、状況を整理したい。……病が出たのはいつから?」
村長は両手を固く握りしめ、かすれた声で答えた。
「わかったのは、ほんの今朝です。最初に倒れたのは村のはずれの女性で……その後すぐに、夫も……」
「症状は?」
「高熱、ひどい吐き気、水も戻してしまう。……前回と全く同じです。だから皆、近寄るのも怖がって……」
リテナが息を呑む気配。無意識に自分の腕を抱いていた。
「医者は?診た者は?」
ケンサクの問いに、村長は目を伏せた。
「……いません。前にこの病が出たときも、医者は呼べませんでした。患者が皆、亡くなった後に――“勇者様”が偶然通りかかって……」
「勇者が?」
リテナの声が震える。
「ええ。勇者様は『これは呪いだ』と断言されて……遺体と患者が集まっていた小屋を、炎の魔法で“浄化”したのです」
部屋の空気が凍りついたように静まり返る。
リテナは唇を噛みしめ、拳を強く握っていた。
ケンサクは少し目を細めた。
「亡くなったのは何人だ?」
「十名……リテナのご両親も、です」
リテナは俯いたまま、肩を震わせていた。
「前回、回復した者は?」
「いません。発症した者は……全員……」
ケンサクの視線が自然と、リテナへ向かう。
リテナはゆっくりと顔を上げた。目の縁が赤い。
「パパもママも、この村の人たちも……呪われるようなことなんて、してなかったのに……」
声を震わせながらも、リテナは懸命に涙をこらえていた。
ケンサクは言葉を挟まず、ただその痛みを受け止めるように、黙って頷いた。
村長は膝の上で手を握りしめたまま、震える声で続けた。
「村ではもう……やはりこれは呪いだ、と。
触れるな、近づくと感染る、呪いが広がる……そういう噂ばかりで……」
リテナが不安げに眉を寄せる。
「前に流行った時も……みんな怖がって、倒れた人は小屋に閉じ込めて……」
村長は深く頷き、苦しそうに吐き出した。
(村を守るための判断だ、決して間違ってはいない)
「今回も、発症した夫婦は自分の家に籠ったまま……誰も近づこうとしません。
私も……正直、怖いのです」
沈んだ空気の中で、ケンサクは静かに息を吸った。
「呪いと決めつけるには情報が足りない。まず、患者を見せてくれ」
リテナが大きく目を見開く。
「行くの……?あたし……怖くて近づけなかったよ。
ケンサクまで呪いで病気になったら……」
ケンサクは優しいが確信のある声で答えた。
「大丈夫。俺は“原因”を見に行くだけだ」
その落ち着きに、村長の肩がわずかに下がる。
「賢者様……本当に……?」
「賢者って呼ばれてる以上、逃げるわけにはいかないさ」
そう口では言いつつも、ケンサクの胸の奥では別の思考が渦巻いていた。
(……もし本当に呪いだったらどうする?
俺には魔法が使えないのに……
でも――)
横を見ると、リテナが必死に彼を信じている顔があった。
(……この信頼を、裏切るわけにはいかない)
ケンサクは決意を込め、小さく頷く。
「リテナ。薄布と手袋を借りられるか?
それから……家では大きな鍋で湯を沸かして待っていてくれ」
「……うん。すぐ持ってくる」
リテナは急いで立ち上がり、物置から薄布と手袋を探して戻ってきた。
「これ……パパが畑仕事の時に使ってたやつ。
役に立つかわかんないけど……」
「助かる。十分だよ」
布を受け取りながら、ケンサクは柔らかく微笑む。
その表情に、リテナの緊張がすこしほどけた。
しばらくして村長と共に外へ出る。
夜の村は、異様なほど静かだった。
風さえ息を潜めているようで、遠くの麦畑がほんの少し揺れる音だけが聞こえる。
村長が灯りを掲げ、指さす。
「……あそこです。発症した夫婦の家は」
一軒だけ、まるで村から切り離されたように暗い家があった。
窓の隙間から漏れる明かりはわずかで、人の気配もない。
リテナはケンサクの背中に隠れるように寄り、小さくつぶやく。
「……パパとママが倒れた時も、こんなふうに……
みんな怖がって誰も近寄らなかった。
あたしも……何もできなくて……」
その言葉が夜気に溶け、胸を締めつける。
村長は灯りを強く握りしめながら言った。
「賢者様……行きましょう」
ケンサクは短く返す。
「ああ。行こう」
患者の家へ向かうたびに、夜の静寂はますます濃くなり、
“見えない恐怖”が足元からじわりと絡みついてくる。
それでも――ケンサクの足取りには迷いはなかった。




