7 金髪の少女と名を得た賢者
――白い光。
誰かの声。そして、肩を叩かれる感触。
ケンサクは、ふっと意識が浮上する感覚に身を任せた。
胸の奥には、ぼんやりとした残滓がまだ残っている。
「ねえ!どうしたの?」
呼ばれた瞬間、ようやく現実に戻ってきた。
どうやら、記憶の断片にすっかり没頭していたらしい。
見下ろしているのは、先ほど共に狼のような魔物を追い払った少女――リテナ。
不安げな金の瞳が、彼の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?急にぼーっとしてたからさ。どこか怪我したんじゃない?」
「いや、そうじゃないんだ。心配させてすまない」
「それならいいんだけど」
ケンサクは胸に触れるように息をひとつ吸う。
神に与えられたその名は、まだ自分のものなのかしっくりこない。
それでも――言葉にしてみる。
「……ケンサク。それが、俺の名前」
リテナはぱちぱちと瞬きをして、ふっと笑った。
「ケンサク……変わった名前だね。服装も見慣れないし、旅人さんかな」
そう言ったあと、彼女は何かひらめいたように声を上げた。
「あっ! そうだケンサク、さっき小麦粉をかぶっちゃったでしょ?
顔を洗ったほうがいいよ!ついてきて!すぐそこに綺麗な湖があるんだ」
促されて歩くと、森の切れ間に小さな湖が広がっていた。
透き通った水面が、揺れた光を反射してきらめいている。
(……本当に俺の姿なのか?)
ケンサクは湖に映った自分の姿を見て、思わず眉を上げた。
灰青の瞳も、焦げ茶の髪も、どうにもしっくりこない。
服装も白いローブに、肩から濃い青のマントをゆるく羽織っている。
「…RPGの主人公か、僧侶みたいだ」
記憶がなくても、妙な知識だけは浮かんでくる。この違和感がじわじわと不安を刺激する。
「ケンサク、その……変な服だけど、似合ってるよ?」
「変?」
「あ、いや! この辺じゃ見ない服だなって意味で!」
リテナが慌てて手を振る。
その素朴な反応に、ケンサクもつい笑った。
リテナは湖のそばで腰に手を当て、改めてケンサクをじろりと眺め、独り言のように呟いた。
「名前も変わってるし、もしかしてケンサクって、遠いところから来たのかな?」
麦色の肌が陽に照らされ、さらりと伸びた金髪がきらめく。
農村の娘という素朴さも相まって、どこか“田舎のギャル”みたいな気安さのある子だ――そんな印象だった。
ケンサクは思わず視線を落とし、彼女の服を観察する。
肩の出た簡素なブラウス、紐で締めた膝丈のスカート。
草で擦れた跡や小麦粉がついているのに、どこか明るい。
(……あれ?)
さっきの戦闘では、風に散った小麦粉を見て“粉じん爆発”の知識が自然に湧いた。
彼女の背中の弓も見た瞬間に「金属摩擦で火花が出る」と理解できた。
しかし今――。
リテナの服を見る限り、「どこどこの民族衣装」とか「流行のデザイン」とか、
そういう知識がまったく出てこない。
(この世界の文化は……俺、本当に何も知らないのか。当たり前だけど、異世界転生ってやつを実感するな)
そんなふうに思っていると、リテナがじっとケンサクの頭の上を見つめてきた。
「あ、あの……?」
「ケンサク、賢者なんだね!」
リテナの顔がぱっと明るくなる。
「すごいよ!街でね、賢者なんて、めったにいないって聞いたことがあるよ!」
(……そういえば“名前と職業が見える”仕様だったな)
ケンサクはひと呼吸置き、ずっと気になっていた疑問を口にした。
「ところでリテナ。覗き込むだけで名前と職業が見えるんだよな?」
「うん、そうだよ?」
「じゃあ……どうしてさっき“名前は?”って聞いたんだ?」
リテナは少しあきれたように言った。
「マナーでしょ?名前も聞かずに、いきなり人の頭の上を見るなんて失礼じゃない」
「……なるほど」
納得しつつ、ケンサクはふっと目を伏せる。
「……実は俺は、記憶がないんだ。どこから来たのかも、何をしていたのかも分からない」
リテナは目を見開き、すぐに眉尻を下げた。
「……そっか」
その表情は、まるでケンサク自身の痛みを受け取ったかのようだった。
「じゃあさ、とりあえず、うちの村においでよ。少し休んでいきな、ご飯もあるから!」
無邪気な笑顔は、麦畑の匂いがふわっとするように温かい。
ケンサクは肩の力が抜けるのを感じ、静かに応じた。
「……助かるよ。案内、頼む」
リテナはこくりと頷き、小さく拳を握った。
「任せといて!」




