15 名もなき勇者
「勇者……?」
ケンサクの喉が、ひとりでに鳴った。
警戒と驚きが入り混じった目で、白い鎧の人物を見る。
振り返った“勇者”は、あの圧倒的な斬撃を放った存在とは思えないほど柔らかな顔で微笑んだ。
「ゼド、待ち合わせ場所にいなかったから探したよ」
その声音は優しく、どこまでも穏やかだった。
先ほどまでの異形の殺気は、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。
ゼドは胸に手を当て、息を整えながら答えた。
「……すみません、勇者様。森で魔物に遭い、こちらの方々に助けていただきました」
勇者の視線がケンサクたちへ向く。
その瞳は透明で、底が見えないほど澄んでいた。
「あなたがたが私の仲間を助けてくれたのですね!ありがとうございます。
私は、勇者」
勇者は一歩近づき、静かな所作で手を差し出す。
その手も、白金の髪も、ついさっき魔物の血を浴びたとは思えないほどきれいだった。
リテナはケンサクの後ろに下がり、小さく震える声で呟く。
「ゆ、勇者……さま……」
ケンサクはリテナをかばうように一歩前へ出て、明るく取り繕った。
「偶然、村からの帰り道でゼド様を見かけて。
助けようとしたのに、逆に助けていただく形になってしまいましたね……本当にありがとうございました」
ゼドが横でわずかに目をすがめる。
“必要以上に愛想がいいな” と言いたげな視線だが、口を挟む気はなさそうだった。
勇者は穏やかに首を振る。
「いえ、こちらこそ。大切な仲間を助けるために行動してくれた……それだけで十分に感謝すべきことだよ」
そのまま勇者は深く頭を下げる。
ケンサクは思いがけない礼の深さに一瞬戸惑い、慌てて礼を返した。
(……人々が恐れるような存在には見えないけどな)
ふと勇者の頭上に視線が向く。
そこに表示されていた文字は──
《勇者》
ただそれだけ。
名前はなく、役職ひとつで存在が完結したような表示。
勇者はケンサクの視線に気づき、照れたように微笑んだ。
「見えてしまいましたか。私は“勇者”として生まれた存在なので、名前はないのです」
微笑む表情は穏やかなのに、どこか人ならざる静けさがあった。
次の一言は、その柔らかさとは裏腹に、空気を鋭く変える。
「まさかこの森に、あれほどの魔物が現れるとは。
平和が乱れている証拠だね。
……森にはまだ潜んでいるかもしれない。いっそ“浄めて”しまった方がいいのかもしれない」
森を浄める、という勇者の一言に、ケンサクは反論の言葉を探した。
だが――
後ろのリテナが、さっきから一言も発していないことに気づく。
「リテナ……?」
リテナは息を呑んだまま固まり、
肩がびくりと震えた。視線は勇者の剣と口元のどちらにも定まらない。
「……やめ……」
声にならない声が喉で途切れ、足が半歩だけ後ろへ下がる。
勇者、浄化、炎――
そのどれもが、彼女の深い傷を直接なぞる言葉だった。
(森や村を守るべきなのはわかってる……けど、リテナをこれ以上この場にいさせるのは……)
言葉を選ぶケンサク。
どう勇者に伝えるべきか、必死に頭を回転させる。




