12 川沿いの古井戸
朝の淡い光が村の屋根に落ち始めたころ、
ケンサクはリテナと村長の案内で村を歩き出した。
中央には大きな共同井戸があり、村人の大半はそこから水を汲むらしい。
「大半は、というと?」
ケンサクが振り返ると、村長が言いにくそうに続けた。
「……はい。川沿いのはずれに、もう一つ古い井戸がありまして。
今はあまり使う者もいませんが」
「もう一つの井戸……」
ケンサクは地面に落ちていた棒を拾い、
土の上に簡単な地図を描き始めた。
「中央の井戸はここだな。
……で、あの夫婦の家がこの辺り」
リテナと村長が頷く。
「前の流行り病で倒れた家は、どこだった?」
二人の証言をもとに、ケンサクはひとつずつ印をつけていく。
その様子はまるで、地面の上に“村の記憶”を再現していく作業だった。
やがて図が完成し、誰の目にも明らかだった。
「……やっぱりだ」
ケンサクが低くつぶやく。
「発症した家は全部“古い井戸の側”だ。
中央の井戸を使っている家には、誰も倒れていなかったんだろう?」
村長は地図を見下ろし、唇を震わせた。
「確かに……では、井戸が……原因……?」
ケンサクは静かに頷く。
「前回の流行り病の死者も、あの夫婦の家の周りに集中している。
……リテナの家も含めて」
リテナは小さく息を呑んだ。
ケンサクがさらに確認する。
「あの夫婦は、最近この村に来たんじゃないか?」
村長が絞り出すような声で答えた。
「そのとおりです……数年前、あの家の持ち主が流行り病で亡くなりまして。
それを承知で、あの夫婦が住んでくれたのです」
「なるほど。だから周囲に空き家が多いんですね」
ケンサクは図を足でならし、立ち上がった。
「行こう。古い井戸を確かめる」
リテナは拳を握りしめ、村長のあとを追った。
「……これが“川沿いの古い井戸”か」
近づいた瞬間、川の音が耳に飛び込んでくる。
あまりに近い。井戸の位置としては危険ですらあった。
村長が申し訳なさそうに説明する。
「昔は川がもっと離れていて……“涼しくて美味い”と評判で、皆ここを使っていました。
ですが年々川幅が広がり、井戸のすぐそばまで来てしまって」
ケンサクは井戸の縁に触れた。
指先が黒い泥で汚れ、湿気がしつこく残る。
「この泥……昨夜、あの夫婦の靴についていたものと同じだ」
リテナが不安に揺れた目でケンサクを見上げる。
「川の近くに井戸があるのは不自然じゃない。
ただ——今は、近すぎる。
ここまで川が迫ると、井戸は本来の地下水を吸わず、
川の水がそのまま地面を通って流れ込んでくる。
つまり“浸み込み水”だ」
リテナが小さく震えた。
「パパとママが元気だった頃……
あたしの家も、ここから水を汲んでた……」
声が震え、途中で途切れた。
ケンサクはそっと井戸の縁にしゃがみ込み、中を覗いた。
湿った風が、土と腐った草の匂いを運んでくる。
「最近、大雨や増水はありましたか?」
村長は思い出すように頷いた。
「ええ、確かに五日ほど前まで雨が続き、川も荒れていました」
「その時期に飲んでいたなら……病が出るまでの日数とも矛盾しない」
ケンサクはさらに井戸の中を観察する。
水面には細かな浮遊物が漂い、底は濁っていた。
「……おそらく、増水で上流から流された動物の死骸や排水が、川に多く混じったんだ。
川沿いの井戸は、そういう時に一番影響を受ける」
静かな確信がこもった声。
「それが井戸の水を汚し……今回も、以前も病の元になったんだろう」
リテナの肩が震える。
「……じゃあ、パパもママも……呪われたんじゃなくて……」
ケンサクは優しく目を細めた。
「ああ。呪いなんかじゃない。
誰のせいでもない、自然の汚染だ」
その言葉は、リテナの胸に静かに落ちていく。
リテナは涙をこらえながら、かすかに笑おうとした。
「そっか……
パパもママも、村のみんなも、
やっぱり、呪われるような人たちなんかじゃないよね……
……そう言ってくれて……ありがとう、ケンサク」
ケンサクは小さく頷き、彼女の肩にそっと手を置く。
「原因がわかったなら、次は“守る方法”を考えよう」
朝の光が、三人の影をゆっくりと伸ばしていった。




