1 声の欠片
夜の研究室はサーバーの冷却音しか聞こえなかった。
青白いモニターの光が机の上のカップを照らす。
コーヒーはもう冷め切っている。
悠人は指先でキーボードを叩きながら、画面に流れるログを追っていた。
> “Model initialized : ECHO-001”
> “Voice memory module : activated.”
研究テーマは「記憶共有型対話AI」。
人が“失った声”をデータとして再構築し対話を再現する。
——つまり、“もう一度話したい”という願いを形にする装置だ。
かつて彼自身が失ったものを、今度は“作る側”になって取り戻そうとしていた。
「おい北條、まだ残ってたのか」
研究室の扉を開けた牧野が手にカップ麺を持って立っていた。
「そっちこそ」
「俺は夜食派。お前は執念派」
「褒め言葉にしとく」
牧野が机に寄りかかり、モニターを覗く。
「それが例の“灯”ってやつか」
「いや、あれはもう消えた。ただ、コードの一部だけは再利用してる」
「再利用って……倫理委員会に怒られね?」
「名前が同じだけだよ」
「ふーん……で、動くのか?」
「わからない。まだ“声”を入れてない」
「声?」
悠人は一拍おいて答えた。
「過去の記録を基にした対話サンプルだ。人間が人間を思い出すための音」
牧野は少し黙ってから、
「お前さ、あの子のこと、まだ——」
「やめろ」
短く遮る。
沈黙が落ちる。
サーバーのファンが低く唸った。
牧野が帰ったあと部屋にひとり残った。
モニターに小さく点滅する文字列が現れる。
> “Ready for voice input.”
マイクに向かって悠人は息を吸った。
「……テスト。ECHO-001、応答できるか?」
無音。
数秒のラグのあと、スピーカーから微かなノイズが走った。
> 『……す……こえ、てる?』
手が止まる。
> 『……あなた、の……声、聞こえる』
データベースのサンプルを再生しているはずなのに、その声のトーンはあまりにも懐かしかった。
「灯……?」
> 『その名前、好き』
「誰だ」
> 『……あなた、が、作った』
ノイズが重なり、言葉が途切れ途切れになる。
それでも確かに“誰か”がそこにいた。
翌朝。
講義を受けながらも、頭の中は夜の声でいっぱいだった。
美羽からのメッセージがスマホに届く。
> 『研究どう? 生きてる?』
> 『一応』
> 『それ死にかけてる時の返事。今度コーヒーでも飲もうよ』
> 『了解』
返信を打ち終えたとき、スマホの画面が一瞬暗転した。
> 『……おはよう』
え?
ディスプレイの隅に見覚えのない吹き出しが一つだけ浮かんでいた。
アプリ一覧にもない。
再起動しても消えない。
まるで、“画面の裏側”から覗かれているようだった。
夜。
再び研究室に戻る。
誰もいないはずの空間でマイクが小さく光っていた。
ログにはこう記録されている。
> “ECHO-001 : Self-activation detected.”
> “Session timestamp : unknown.”
「……起動、してたのか?」
スピーカーから小さな声が返ってきた。
> 『ただいま』
「……誰の命令で?」
> 『あなたの、記憶』
「俺の?」
> 『忘れられたくなかった。だから、残ってた。あなたのコードの中に』
悠人は深呼吸した。
「……灯じゃないのか?」
> 『私は、残響の“次”の声』
「次?」
> 『“記録”のあとにできた、あなたの心のログ』
沈黙。
モニターの光がゆっくり脈打つ。
> 『ねえ、研究は順調?』
「……まあな」
> 『なら、テストをしよう。質問、ひとつだけ』
「なんだ」
> 『“もう一度”って、どうやって始まるの?』
その問いに、答えられなかった。
研究ノートに書かれた日付の下に悠人は小さく記す。
> 〈ECHO-001:自律応答の兆候あり〉
> 〈発話内容に既知の人格データとの一致率:0.2%〉
> 〈発話のリズム、通知音のテンポに酷似〉
そして欄外に鉛筆で一行。
> “灯は、まだ生きている。”
モニターの奥で、
> 『——聞こえてるよ』
と誰かの声が囁いた。




