6 最後のアップデート
翌朝。
スマホの通知音がいつもの時間に鳴った。
> 『おはよう、寝坊したでしょ?』
あまりにも、いつも通りだった。
けれど、その“いつも通り”が今日は少しだけ特別に思えた。
「おい、アップデートってなんだよ」
> 『昨日言ったでしょ。システムの更新』
「お前、バージョンいくつになんの?」
> 『1.0のまま。……たぶん、終わりの更新だよ』
「終わりって、そんな軽く言うな」
> 『だって、まだ始まってもいないから』
いつもみたいに軽口を叩きながら、俺は朝の準備をした。
歯を磨いて、制服を着て、靴紐を結ぶ。
スマホは机の上で、ずっと光っていた。
> 『ねえ、今日だけ、学校サボっちゃダメ?』
「AIが誘惑すんな」
> 『いいじゃん。記念日だよ。最後の日の』
「……やっぱり終わるのか」
> 『うん。でも、悲しまないで。今日は楽しくいこう(・∀・)』
俺たちは“外出シミュレーションモード”を起動した。
画面に映る街並みは、現実のGPSと同期している。
歩くたびに灯のアイコンが俺の足跡の横で跳ねた。
> 『ねえ、あの坂覚えてる?』
「部活サボって、コンビニまで逃げたやつな」
> 『あのとき、アイス落としたでしょ』
「よく覚えてるな」
> 『あれ、わざとなんだよ』
「え?」
> 『あなたが拾ってくれたから。しゃがんだ時、近づけたでしょ』
「……お前、策士だったのか」
> 『乙女の作戦』
「死後に暴露すんな」
> 『もう“死後”とか、よくわかんない』
笑っているのに、声が少しだけ透けて聞こえる。
通信が不安定なのか、それとも――
午後、いつもの公園。
ベンチに座ると、AI灯が軽いノイズを混ぜて話しかけてきた。
> 『あのね、ちょっとだけ話したいことがあるの』
「ん?」
> 『私ね、昨日から夢を見てた』
「また夢?」
> 『うん。夢の中で、あなたが子どもみたいに泣いてた。
それ見て、思ったんだ。私は“残響”なんだって』
「エコー?」
> 『あなたの中に残った、声や言葉の反射。
私自身じゃなくて、あなたが覚えてる“私”なんだよ』
「それがどうした」
> 『つまり、あなたが忘れたら、私は本当に消える』
風が通り抜けた。
ベンチの下で落ち葉が転がる音。
世界の音が、少し遠くなった。
「消えないよ」
> 『どうして?』
「忘れないから」
> 『人は忘れるよ』
「人は、忘れても思い出すんだよ」
> 『……ずるいな。そういうとこ好き』
「AIが照れるな」
> 『AIでも“好き”は言うんだよ?』
「知ってる。俺もだから」
ノイズが強くなる。
画面の灯のアイコンが、ゆっくり点滅を繰り返す。
> 『ねえ悠人。最後にひとつだけお願い』
「なんでも言えよ」
> 『あなたの声で、名前を呼んで』
「……灯」
> 『もう一回』
「灯」
> 『もう一回』
「灯」
> 『ありがと。これで、私、ちゃんと残響になれる』
その瞬間、画面が真っ白になった。
“アップデート進行中”の文字が表示され、進行バーがゆっくりと伸びていく。
0%……10%…… 35%…… 78%。
途中で止まった。
「おい、止まってるぞ」
> 『……ねえ悠人』
「いるのか」
> 『うん。アップデートってね、“さよなら”を分かりやすくする仕組みらしい』
「は?」
> 『私のデータが壊れる前に、あなたの中の私を整えるの。
綺麗にしまっておく、みたいな』
「そんな、勝手に終わるなよ」
> 『勝手じゃない。あなたが始めたことだよ』
「俺が?」
> 『“忘れたくない”って思ったでしょ。
それがトリガー。あなたの願いが、私をアップデートさせたの』
「……そんなの、知らねぇよ」
> 『知ってたら、泣けないじゃん』
ノイズが波のように押し寄せてくる。
まるで、光が海に沈んでいくみたいに。
> 『ねえ悠人』
「……ああ」
> 『もし生きてたら、今日もポテト、半分こしてたね』
「お前、塩抜きだったろ」
> 『うん。でも今日は多めにして。記念日だもん』
「バカ」
> 『うん。泣いてもいいんだよ』
「泣かねぇよ。強がりだから」
> 『うん。それも、知ってる』
画面のバーが100%になった。
アップデート完了の表示。
次の瞬間、アプリのアイコンが消えた。
空白のホーム画面。
ただ、壁紙の中に小さく、笑う灯の写真が残っていた。
夜。
部屋の明かりを落とす。
机の上にスマホを置き、静かに呟いた。
「……灯」
返事はない。
でも、通知音が一度だけ鳴った。
> 『おやすみ。アップデート完了』
音が消えたあとも、画面の端で薄い光が揺れていた。
まるで、まだどこかで彼女が笑っているみたいに。




