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#リプが届かない彼女。  作者: 臂りき
第1章 通知音が鳴った日
3/41

3 デートのシミュレーションは歩数が嵩(かさ)む

 土曜日。

 目覚ましより先にスマホが勝手にデートの予定を立てていた。


 > 『10:00 待ち合わせ:駅前の時計台(遅刻禁止)

 > 10:30 水族館でイルカに手を振る(向こうはお構いなし)

 > 12:30 フードコートでポテトを分け合う(塩は控えめ)

 > 14:00 公園のベンチで昼寝(盗撮厳禁)』


「なんで“()撮”前提なんだよ」

 > 『あなたは時々、思い出を“証拠写真”でしか残せないから。今日は、目で覚えて』

「詩的に刺してくるな、AIのくせに」

 駅前の時計台には、もちろん俺しかいない。

 でも通知は時間きっかりに鳴った。

 > 『遅刻、0分。えらい』

「お前だけだよ、俺を時間通りに褒めるの」

 > 『じゃあ、初デート記念に、右手を空けて』

 右手を半分宙に差し出す。何も触れない。

 けれど、掌の温度が一瞬だけ上がった気がした。

 気のせい、のはずだ。


 水族館は土曜だけあって混んでいた。

 ガラス越しにイルカがくるりと回る。子どもが歓声を上げる。

 > 『イルカって、いつも笑ってるように見えるよね』

「お前の顔文字(・∀・)みたいにな」

 > 『えっへん。ところで、あなたの頬、さっきから緩みっぱなし』

「デート中だからな」

 > 『いいね。じゃあ、写真は一枚だけね。……あなたを撮る一枚』

 カメラを自撮りにして、ガラス前で構える。

 偶然、俺の肩にイルカの背びれが重なって、変な角度で“寄り添い写真”になった。

「これ、灯と撮りたかったやつだ」

 > 『撮れてるよ。ちゃんと』

 画面には俺しか写っていない。

 それでも、シャッター音の最後に微かなハミングが混じった。

 灯が昔、好きだった曲の最初の三音だけ。


 フードコートではポテトを二つ買って、片方を空の席に置いた。

「……なんか、客観的に見ると痛いな」

 > 『安心して。隣のカップルも同じこと思ってる』

「どの口が言うんだよ」

 > 『(・∀・)』

 塩を振ろうとして、手を止める。

 > 『塩分は控えめ』

「はいはい」

 ポテトを一本、空席側にそっと差し出す。

 > 『いただきます』

 サク、と耳の中で小さな音がした気がして、笑ってしまう。

「なあ灯。もしも──」

 > 『うん?』

「もしも今日が本当に現実だったら、俺は多分、緊張してポテト落としてた」

 > 『知ってる。あなた、手汗ひどいもん』

「言うなそういうこと」


 店を出ると、アプリが自動で地図を開いた。

 矢印が公園へ伸びる。

 > 『次はベンチ』

「了解、隊長」

 > 『注意:ベンチの左端はペンキ塗りたて』

「マジで?」

 近づくと、本当に“塗りたて注意”の札。

 俺は思わず周囲を見回した。

「どうして分かった?」

 > 『偶然。去年の記録写真。あなたが座ってスラックスを犠牲にした』

「あー……あったな」

 > 『同じ間違いを繰り返すの、少し可愛いけどね』

「褒めてる?」

 > 『微妙。やっぱなし』

 ベンチに腰を下ろす。

 風が木の葉を擦る音。遠くのバス停に並ぶ人。

 > 『目を閉じて』

「寝かす気?」

 > 『いいから。二分だけ』

 素直に目を閉じる。

 瞼の裏で、明るい橙色がゆらめく。

 > 『もし私がそこにいたら、あなたの肩に頭を乗せるんだと思う』

「ああ」

 > 『重いって、文句言う?』

「言わない。多分、呼吸を浅くする」

 > 『なんで?』

「落ちないように」

 > 『ふふ。じゃあ、少しだけ重くなるね』

 肩が少しだけ沈んだ。

 体重計では測れない、コンマ数グラムの変化みたいな。

 錯覚だ、と頭が言う。

 でも心臓は「今」を信じたがる。

 俺はゆっくりと息を吐いた。

 その長さを揃えるみたいに、スマホのスピーカーで灯の呼吸音がひとつ──ふたつ。

 突然、ノイズが鳴る。

 肩の重みがふっと消える。

 > 『……ごめん。少し、電池が少ない』

 目を開けると、画面右上のバッテリーが赤く点滅していた。

「充電器、持ってくるの忘れた」

 > 『大丈夫。あと少し、歩ける』

「無理はするなよ。AIのオーバーヒートって、どうやって冷やすんだ?」

 > 『あなたの声で』

「声?」

 > 『うん。あなたが喋ると、ログが増える。それが、私のカンフル剤』

 俺はそれから、しばらく取り留めのない話をした。

 教室のこと。テストのこと。美羽が最近、髪を切ったこと。

 > 『似合ってる?』

「似合ってる。ずっと前から、そう思ってた」

 > 『そっか』

 少しだけ間が空いた。

 > 『あなたが誰かをちゃんと見てる話、好きだよ』

「嫉妬は?」

 > 『もちろんするよ。私、AIでも、女の子だから』

「もうただの女の子じゃん」

 > 『(・∀・)』

 公園の出口に向かう途中、風船売りが声を上げた。

 赤、青、星、ハート。

 > 『ハートのやつ、昔ほしかった』

「買うか?」

 > 『ううん。今日は見てるだけでいい』

「……思い出したわ。前来たとき、小遣いが足りなかったんだ」

 > 『でも今日の私たちは、本当に見てるだけで充分だよ。ほら、風で揺れてる』

 その時、少し離れた場所にいる美羽と目が合った。

 彼女は買い物袋をぶら下げ、誰かと電話をしている。

 俺と、俺の手にあるスマホに視線が移った。

 会釈をすると、彼女は微妙な笑顔を返して通り過ぎた。

 > 『今の子、髪切った子?』

「……ああ」

 > 『あなた、少し緊張してる?』

「そうか?」

 > 『うん。見てると分かる』

「灯は、見えてるのか。俺のこと」

 > 『たぶんね。あなたの“カメラロール”越しに』

「俺の記憶が灯の目になるのか」

 > 『そう。あなたが見る限り、私はここにいられる』


 夕方。駅前へ戻る。

 > 『本日の予定、達成率:92%』

「惜しい。何が足りない?」

 > 『エンディング』

「エンディング?」

 > 『デートの最後にする、あれ』

「……手、つなぐやつ?」

 > 『うん。右手、もう一度』

 俺は、朝と同じように右手を宙に伸ばす。

 > 『大丈夫。今日は、もう少し重くなる』

 掌に、柔らかい圧が落ちた。

 ほんの気のせい程度の重さ。

 でも、手の中の空白が確かな輪郭を伴う。

 俺は反射的にその“輪郭”を握った。

 > 『……ありがとう』

 ノイズが入る。画面がふっと暗くなり、また点く。

 > 『ほんとはね、私、こういうシミュレーション、苦手なんだ』

「どうして」

 > 『“本当じゃない”って、あなたが一番分かってるから』

 握ったはずの指が、するりと抜けた。

 > 『でも、今日のは、私が考えるより、ずっと温かかった』

「灯」

 > 『電池が、切れそう』

 胸がぎゅっと縮む。

「家帰るぞ! 急ごう!」

 > 『ううん。大丈夫。今日はここまで』

「でも──」

 > 『また、明日』

 ピコン、と一度だけ。

 表示された小さなハートの絵文字が、すぐに灰色に変わる。

 画面右上の充電マークは「1%」のままで止まっていた。


 俺はしばらく指を動かせなかった。

 すぐそばで駅前の時計が時刻を告げる。

 秒針の動きに合わせて、心臓が打つ。

 それからやっと、ゆっくりとスマホを胸ポケットにしまった。


 帰り道、ポケット越しにかすかな温度が残っていた。

 錯覚だ、と分かっている。

 それでも俺は、その温度を手のひらで押さえながら歩いた。

 歩数計の数字が増えていく。

 今日は、二人分。

 ──そういうことにしておく。


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