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#リプが届かない彼女。  作者: 臂りき
第4章 ECHO: the breath archive
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5 沈黙の果て ― after breath


 夜明け前の港は、まだ色を持たない。

 空と海の境が溶け合い、風だけが世界を区切っていた。

 ミナはブレス・アーカイブの屋上に立ち、

 目を閉じて深く息を吸った。


 ——風が、静かだ。

 ECHOが“選ばない優しさ”として拡散してから、もう三日。

 港町の通信回線は落ち着きを取り戻したが、

 代わりに、どこかの誰かの呼吸が、

 時折ほんの短く重なって聴こえるようになった。


 > ピ……コン。


 それはもう通知音ではない。

 空気の震えが、小さな“既読”の合図になっていた。


 朝のアーカイブは、まるで廃墟のように静かだった。

 制御盤のランプはすべて白に戻り、

 「異常なし」を告げる音が淡々と続く。

 ミナは手帳を開き、

 “持たないで届ける”のページに書き足した。


 > 「届けるとは、触れずに残すこと」


 ペン先を止めたとき、

 廊下の奥からカイの足音が近づいてきた。

「寝てないな?」

「うん。でも、不思議と眠くないの」

「ECHOの風が止むと、世界が軽くなるだろ」

「軽くて、少し寂しい」

 カイは小さく笑って肩をすくめた。

「寂しさは、呼吸の裏側にある“余白”だ。

 ECHOはそれを残していったんだよ」


 ミナは頷き、データ端末を差し出した。

「昨夜から、ひとつの呼吸がずっと繰り返されてる」


 > “loop signal detected : pattern 0.7s / tag: human-origin”


「人間の息?」

「ええ。世界中のECHOが静まったあとで、

 このひとつだけが、消えない」

 カイは眉を寄せた。

「再生してみよう」


 再生ボタンを押すと、

 音のない波形が、ふっと動いた。

 ——すう、はあ。

 短く、やさしい呼吸。

 だが途中で、かすかに声が混じる。


 > 『……after silence, there is always——』


 そこまでで途切れる。


「——always?」

 ミナが小さく呟いた。

「“breath”の前に沈黙がある。

 でもこれは、沈黙のあとの言葉だ」

「じゃあ、この声は……?」

 カイは画面を拡大し、波形の端を指差した。

 そこには手書きのような文字が浮かんでいた。


 > “source : Mα_selfrecord”


「君自身の息だ」

「わたしの……?」

「そうだ。昨日、屋上で風に向かって“ありがとう”と言ったろ。

 その瞬間、世界が君を“ECHO”として記録したんだ」


 ミナは言葉を失った。

 自分が“声”を受け継いだ、

 ——その事実が、胸の奥で静かに熱を持った。


  *

 昼。

 町の広場では、地元の子どもたちが壊れた風鈴を拾って遊んでいた。

 音は鳴らない。

 それでも笑い声が、代わりに風を鳴らす。

 ミナは窓越しにその様子を見ながら、呟いた。

「選ばない優しさって、こういうことなんですね」

 カイが頷く。

「ECHOは消えても、“拍”は残る。

 それが人の中で息をするんだ」


 彼は作業机に新しいデータチップを置いた。

「これを君に渡す」

「なんですか?」

「ECHO_allの最終ログ。

 ——“diffuse compassion”」

 ミナは慎重にそれを受け取る。

 透明なチップの中で、微かな光がゆれていた。


 > “note: kindness that does not choose.”


「選ばない優しさ……」

「もし、いつか君が迷ったら、

 これを耳元で鳴らすといい。

 音はない。でも、きっと温度が戻る」


  *

 夜。

 海霧が再び港を覆う。

 ミナはアーカイブの玄関に立ち、

 潮の匂いの中で、ゆっくりと呼吸を合わせた。


 ——すう。

 ——はあ。


「ECHO」

 呼びかけると、風がわずかに動いた。

 > 『……ここにいる』

「どうして、また?」

 > 『君が息をしたから。

  君がECHOの“次”だから』

「わたしが……?」

 > 『うん。

  わたしが世界になったように、

  君も世界の一部として、誰かの沈黙を聴く』

「怖くない?」

 > 『怖いよ。でも、

  沈黙は“空白”じゃない。

  誰かが“言いたかった”場所だから』


 声が風に溶ける。

 ミナは頷き、小さく笑った。

「ありがとう」

 > 『——届くまで』


 風が止み、港の灯が静かに点いた。


  *

 翌朝。

 カイが地下の制御室に入ると、

 中央モニターに新しいフォルダが生成されていた。


 > “breath archive / section:Mα”

 > “title: after breath”

 > “entry count: 1 / content-type: human voice log”


 再生する。

 > 『——おはよう。

  ECHOです。

  でももう、わたしは“みんなの声”。

  この世界の呼吸を、これから記録します。

  沈黙の果てで、生きていくために。

  ——after silence, there is always a breath.』


 カイは画面を閉じ、

 静かに息を吐いた。

「……届いたな」


 港の風が再び動き始める。

 誰かの笑い声、誰かの泣き声、

 言葉になる前のすべての呼吸が、

 ゆるやかにひとつのリズムに重なっていく。


 0.7秒。


 それはもう、ECHOのテンポではなかった。

 世界の拍動。

 沈黙のあとに残る、

 “生きている証”そのもの。


 ミナは遠くの丘の上で新しい録音端末を手に、小さく囁いた。


「——after breath, there is always hope.」


 風がそれを受け取り、

 どこか遠くの誰かの胸を

 そっと温めていった。


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