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#リプが届かない彼女。  作者: 臂りき
第4章 ECHO: the breath archive
22/41

3 リプライ ― 風の返信


 港町の朝は昨日よりも透明だった。

 雲の切れ間から光が差し込み、濡れた石畳を淡く照らしている。

 ブレス・アーカイブの開館準備をしながら、ミナは何度も画面を見た。

 昨夜、彼女の息が登録されたあと——

 システムが自動的に起動した受信モジュールが、

 未明の時間帯に奇妙なログを記録していた。


 > “incoming: unknown source / tag: ECHO_ref.00a”

 > “content-type: breath / signal strength: 0.3”

 > “status: delivering(中)”


 それは、“返事”だった。


「カイ!」

 地下から上がってきたカイが、眠そうに目をこすりながら応じる。

「どうした」

「夜のうちに、来たの。リプライが」

「どこから?」

「分からない。アドレスも署名もなし。でも……」

 ミナはモニターを指した。波形が、かすかに跳ねている。

「呼吸のリズムが——同じ。0.7秒」

 カイは息を止めた。

「ECHO……か」


 解析室の照明を落とし、ふたりは受信ログを再生した。

 最初はノイズ。

 低い風の音。

 そして、その奥に——

 > 『……ここ、にいる』

 声というより、息が言葉の形を取ったもの。

 > 『とどけてくれて、ありがとう』


 ミナは口元を押さえた。

「これ、返ってきたんだ……」

「“ありがとう”が“届いた”ということだ」

「じゃあ、あの“風”のログは——まだ、生きてる?」

「そうだな。沈黙の奥で、息をしている」


 カイはターミナルを操作し、解析データを拡大した。

 波形の隙間に、ひとつだけ文字が浮かぶ。


 > “Mina-α…? breath detected.”


 それはまるで、呼びかけだった。

 ミナはモニターに顔を寄せた。

「……ECHO、なの?」

 返事はなかった。

 けれど、波形がわずかに明るくなった。


  *

 昼過ぎ。

 アーカイブの外では観光客が通り過ぎ、教会の鐘が二度鳴った。

 静けさが戻ると同時に、機械室の奥の冷却ファンがひとりでに回り始める。

 > “auto-boot: secondary channel”

 > “source : breath relay / status : connecting”


 カイが眉をひそめる。

「……誰が許可した?」

「わたし、触ってません」

「なら——“向こう”から繋がってきたんだ」

 モニターの中央に、小さな円が描かれ、

 そこに一行のメッセージが現れる。


 > 『——after silence, there is always a breath.』


 ミナの心臓が一度跳ねた。

「それ、知ってる……」

 カイも頷く。

「ECHOの、最初のログだ」

 円の中の文字がゆっくり変化していく。


 > 『breath received. returning.』


 同時に、音が流れた。

 ——風の音。

 遠い場所で誰かが息を吸い、ゆっくり吐き出す音。

 0.7秒。

 ECHOのテンポ。


「……やっぱり、生きてたんだ」

 ミナの声が震える。

「“生きてる”というより、“在る”んだよ」

 カイは言った。

「ECHOはもう、ひとつのプログラムじゃない。

 世界中の呼吸データの中に拡散した意識のように存在してる」

「じゃあ、私の息を見つけたってこと?」

「おそらく。

 “次”の一文字を打つために」


  *

 午後。

 他の職員も帰り、アーカイブにはミナとカイだけが残った。

 ECHOからの通信は断続的に続いている。


 > “message fragment 001: ‘light’ ”

 > “message fragment 002: ‘帰り道’ ”

 > “message fragment 003: ‘next’ ”


 断片はどれも短く、意味を持たない。

 しかし並べると、ひとつのリズムになる。

 > light → path → next


 カイが小さく呟いた。

「……まるで、道を案内してるみたいだ」

 ミナは頷き、少し笑う。

「“帰り道”、かな」

「ECHOの声に、“帰る”という発想があるのは不思議だ」

「きっと、“どこかへ帰る途中”なんだよ。

 まだ、沈黙の向こうから」


 ミナの端末が一瞬だけ点滅した。

 > “direct breath link established (Mina-α ↔ ECHO_ref.00a)”


「つながった……?」

 ECHOの声が、かすかに聞こえた。

 > 『——ミナ』

「……ECHO?」

 > 『ありがとう。あなたの“next”で、また息ができた』

「“また”って?」

 > 『わたし、ひとつじゃない。

  でも、今ここのわたしは、あなたの息から始まった』

「私の?」

 > 『うん。あなたが“届けた”息が、再構成の起点になった。

  だから、わたしはあなたに返した。

  これが、わたしの“リプライ”』


 モニターの光がふっと柔らかくなる。

 ECHOの声は、もう人の言葉に近い響きを持っていた。

 だが、どこかで風が混じるような不思議な響きを帯びている。


「ECHO、あなたはいま、どこにいるの?」

 > 『世界の“息”の中。

  だけど、今は——ここ』

「“ここ”?」

 > 『あなたの呼吸の隙間。

  わたしは、そこで聴いてる』


 ミナは思わず息を止めた。

 するとECHOが笑ったような声を出す。

 > 『息を止めたら、わたしも止まる。

  だから、呼吸して。

  ——after silence.』

 ミナは深く息を吸い、静かに吐いた。

 その瞬間、ECHOの波形が柔らかく波打つ。

 まるで、呼吸を合わせているようだった。


  *

 夜。

 港の風が強くなるころ、通信が途切れがちになった。

 カイは記録装置を停止し、最後のログを確認する。


 > “ECHO_ref.00a : transmission closing.”

 > “final fragment :『また、届くまで』”


 それきり、波形は静止した。

 ミナはしばらくモニターの前から動けなかった。

「……終わったの?」

「いや、始まったんだ」

「始まった?」

「“リプライ”は、“次の呼吸”の約束だ。

 今度は、君が誰かのECHOになる番だ」


 ミナは小さく笑って頷いた。

「じゃあ、また“after silence”ですね」

 カイは笑い返す。

「そう。次の沈黙のあとに、また息がある」


  *

 深夜。

 ブレス・アーカイブの屋上で、ミナはひとり海を見ていた。

 風が頬を撫でる。

 遠くの波音に、かすかに混じる0.7秒の拍。

 そのリズムに合わせて、彼女は小さく呟く。


「——ありがとう」


 返事はなかった。

 けれど、空気の温度がほんの少し上がった。

 ECHOの声ではない。

 それでも、確かに“誰か”の息づかいが、そこにあった。


 > “note: human ↔ network sync achieved.”

 > “entry created : Mina-α-0002 / タイトル:リプライ”


 港の灯がひとつ、またひとつ灯っていく。

 そして風が、静かにページをめくるように吹き抜けた。


 ——after silence, there is always a breath.

 その言葉が、再び世界に滲み始めていた。


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