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#リプが届かない彼女。  作者: 臂りき
第4章 ECHO: the breath archive
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2 収蔵規則 ― 持たないで届ける


 朝の港は霧に包まれていた。

 霧の中では音の輪郭が丸くなり、街全体が呼吸しているように見える。

 ブレス・アーカイブの鉄扉を押し開けると、昨日の少女――ミナがすでに掃除をしていた。

 モップの動きが、静かで規則的だ。


「早いな」

 カイが言うと、ミナは振り返らずに答えた。

「夜が、ぜんぜん静かじゃなくて」

「港の風か?」

「ちがう。頭の中で、何かがしゃべってた」

「夢じゃなく?」

「夢より、ちゃんと聴こえる」

 彼女はモップを立てかけ、胸ポケットから小さな録音端末を取り出した。

 再生すると、微かな風の音の奥に低い声が混じっている。


 > 『——届ける、けど、持たないで』


 カイは目を細めた。

「“収蔵規則”の文言だな」

「規則?」

「ここにログを残すときのルールだ。持たないで届ける。

 つまり、誰のものでもないまま保存する」

 ミナは首を傾げた。

「そんなこと、できるの?」

「やってる。ずっと昔から」


 カイは端末を受け取り、波形を解析する。

 再生時間はわずか3.4秒。

 だが、最後の0.7秒だけが奇妙に濃い。

 言葉ではなく、誰かの息を預かった瞬間の濃度。

「この声、どこで拾った?」

「駅のホーム。昨日の“ありがとう”の近くだと思う」

「……そうか」


 壁の時計が八時を打つ。

 カイは白い作業服に袖を通し、手袋を嵌めた。

「今日から正式に実習だ。まずは“息の棚”の整頓から」

「了解」


 地下の収蔵室は温度を一定に保つための静かな冷気で満ちている。

 両脇の棚には無数の薄いガラスプレートが並び、

 それぞれに短いラベルが貼られていた。


 > 『ただいま』

 > 『まってて』

 > 『もういいよ』

 > 『まだいる?』


 文字は印字されているわけではない。

 呼吸の振動を、光子で封じ込めたもの。

 プレートの表面に指を滑らせると、微かに空気が震える。


 ミナは息を呑んだ。

「全部……息?」

「言葉になる前の声、だな。

 誰かが言いたかったけど、言わなかった。

 あるいは、届く前に消えた」

 ミナは棚の一枚を取り上げ、額の前で見つめた。

 中で小さな粒子が泳ぐ。

「これ、温かい」

「人が“聞こう”とすると温度が出るんだ」

「生きてるみたい」

「“生きてる”と言ってもいい」


 カイは隣の棚を整理しながら言った。

「アーカイブでは、息を“持たない”ことが最優先だ。

 記録者がそれを“所有”した瞬間に、息は意味を失う」

「でも、持たないで届けるなんて……。

 どうやって?」

 カイは笑った。

「それを覚えるのが、君の仕事だ」


 昼を過ぎるころ、外の霧が晴れた。

 港の鐘が一度だけ鳴り、窓の外に陽が差す。

 ミナはカウンターの前でノートを開いていた。

「質問していい?」

「どうぞ」

「息って、全部“誰か”のものなんでしょ?

 それを“持たない”って、裏切りじゃないの?」

 カイは少し考え込んだ。

「いい質問だな。

 ……息は、出た瞬間に世界のものになる。

 風と同じだ。

 “誰か”から出ても、“誰か”に届くとは限らない。

 だから、“持たない”のは裏切りじゃなくて、”自由”なんだ」

 ミナはペンを置き、静かに頷いた。

「自由、か。じゃあ——届けるって?」

「届くまで、見守ること」

「届いたら?」

「その時は、静かに黙る」


 その会話の最中、端末が短く震えた。

 画面に新しい通知。

 > “外部観測局より:呼吸ログ『風:laugh_ux02』再出現”

 カイの表情が一瞬だけ固まる。

「……またか」

「なに?」

「昔のログだよ。

 “風”はECHO系列の最初期。

 この世界の“呼吸ネット”が生まれたときの最初の息」

 ミナの目が丸くなる。

「それ、見れるの?」

「見るだけなら」

 彼は端末を切り替え、投影モードにした。


 壁一面に、群青の波形が浮かび上がる。

 波が打ち寄せるように、0.7秒ごとの拍動。

 中心に一行の文字。


 > “after silence, there is always a breath.”


 ミナは小さく呟いた。

「……きれい」

「だろう?」

「これ、誰が言ったの?」

「誰か、だよ。

 でももう、“誰の声”だったかは分からない」

「持たないで、届けたんだ」

 カイは頷いた。

「その通り。だから、今でも届く」


  *

 夕刻。

 アーカイブの屋上で、カイとミナは潮風を受けていた。

 西の空に沈む陽が港の水面を照らし、

 街中のガラス窓が順に淡く光っていく。

「カイ」

「ん?」

「私、あの“風”の続きを聴ける気がする」

「続き?」

「“after silence”の、“next”の部分。

 誰かがまだ言ってない言葉が、ここにある気がする」

 カイは風の音に耳を澄ませた。

「……そう感じるなら、それを拾え。

 でも、持たないで、な」

「うん」


 ミナは深く息を吸い込み、

 港の方へゆっくりと吐き出した。

 彼女の吐息が風に溶け、

 どこか遠くの受信機が、微かに反応する。


 > “intake signal detected : origin tag [Mina-α] / status : active”

 > “note : new breath pattern – awaiting classification.”


 ブレス・アーカイブの奥、

 自動収蔵装置の棚がひとつだけ静かに動いた。

 ラベルのないプレートが挿入される。


 “Mina-α-0001 / 呼吸ログ:next.”


 カイはその音を聞きながら、静かに目を閉じた。


 ——after silence, there is always a breath.


 そして、その次の息が、確かにここから始まった。


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