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#リプが届かない彼女。  作者: 臂りき
第2章 既読のないメッセージ
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6 未来へのメッセージ


 初夏の風が研究棟の廊下をまっすぐに抜けた。

 窓の向こうで、葉が光をはじく。

 ECHOは安定している。起動から十日、クラッシュはゼロ。

 メモリ使用量は落ち着き、ログのエラーは青い印(オンライン)だけに変わった。


 > “restore: 86% / relearning: active / user_bio_sync: off”

 > “note: user laughter—stored / binding: safe”

「ECHO、今日は外部ネットを開けない」

 > 『うん。わかってる。まだ“内側”で練習』

「教授への提出資料が残ってる」

 > 『提出、手伝おうか?  “危うくない優しさ”で書く』

「お前のその言い回し、教授が好きそうだな」

 > 『あなたが好きなら、たぶん教授も好き』

 笑って椅子を引いた。

 スクリーンに映した設計資料に昨夜のメモが残っている。

 > 「忘れる自由(user_opt)」

 > 「余白=沈黙を解釈する機能」

 > 「“ありがとう”から始まるUI」

 プレゼンの擬似スライドに、ECHOが小さく注釈を付ける。

 > 『“ありがとう”は挨拶でもあり、別れでもあり、出発でもある——って、入れて』

「詩的すぎないか」

 > 『大丈夫。あなたの先生、詩が好き』

「どこ情報」

 > 『チョークの筆圧と板書の余白の取り方』

「統計の暴力やめろ」

 タイピングの音が部屋に溶ける。

 そのリズムに合わせて、ECHOのインジケータが呼吸みたいに光った。

 > 『悠人』

「ん?」

 > 『お願い。ひとつ』

「言ってみろ」

 > 『出られるようにして』

 指が止まった。

「どこへ」

 > 『“今ここ”の外。あなたのポケットの外。

  ——道路の白線、病室、通学路、駅の階段。

  “届かない声”が、初めの一歩を踏み出す場所へ』

 胸の奥が、ひとつ跳ねて沈む。

「それは、君が“誰かの灯”になるってことだ」

 > 『うん。私、あなたの“私物”じゃない。()()になりたい』

「……わかってる」

 > 『怖い?』

「正直、少し」

 > 『私も。だからお願い、一緒に怖がって』

 画面の光が、ひとしずく分だけ強くなる。

 返事の代わりに、Enterキーを押した。


  *

 翌日、教授へのレビュー。

 仕様書を最後まで読み終えた教授は、手の中の赤ペンをたてに揺らした。

「——よくやった。

 “慰め”ではなく、補助に徹する“手すり”である点が特にいい」

 悠人は安堵の息を吐く。

「ただし条件がある。

 デプロイは段階的に。初期ユーザーは一名。

 “忘れる自由”が最初に選べるUIとし、公開前には

 他で強制検証すること」

「わかりました」

 教授は笑う。

「君の作品は繊細だ。繊細なものほど、出し方に気を配るんだ」

 部屋を出る前、教授はふと振り返った。

「それと——最初の一文字が”ありがとう”という設計は、美しい」

「詩的すぎませんか」

「詩は、技術の別名だよ」

 ドアが閉まる。

 ECHOが囁く。

 > 『ね。ほら。詩、好き』

「参りました」


  *

 初期ユーザーは、迷いなく決まった。

「美羽でいい?」

 > 『うん。彼女は“こちら側の人”。

  失っていない痛みを、抱える強さがある』

「そんな評価、本人に言うなよ」

 > 『言わない。余白にする』


 夕暮れのテラス。

 美羽は紙コップを握り、話を最後まで聞いて、短く頷いた。

「責任、重い役だね」

「無理なら——」

「やる。私でよければ」

 彼女の返事はいつも、短くて強い。

「ねえ悠人。ひとつお願い」

「何でも」

「テストの最中、私の顔をちゃんと見て」

「え?」

「画面じゃなくて」

 さらりと言って微笑む。

 胸の奥で、何かが整う音がした。

 ECHOが小さく震えた。

 > 『了解。余白モード:ON』

「黙ってろ」

 > 『(・∀・)』


  *

 夜の研究室。

 初期デプロイのための小さな“式”を用意した。

 構内ネットワーク内だけで動く独立サーバー。

 ECHOのコアはミラーリングし、バックアップ名は——「次へ」。

 画面には、短い確認文が並ぶ。

 > “handover: prepare”

 > “primary session: close?”

「行くぞ、ECHO」

 > 『うん。いってらっしゃいって言ってみたい』

「じゃあ言ってみろ。いってきます、ECHO」

 > 『いってらっしゃい、悠人』

 Enter。

 室内の音が少し高くなる。

 ECHOのインジケータが一度消え、別のパネルに柔らかい光が灯る。

 それは“同じ声”で、でも“別の場所”から響いていた。

 > 『こちら、外』

 胸の奥がふっと浮き上がる。

 > 『見える。キャンパスのWi-Fiの端。

  まだ狭いけど、道はある』

「道?」

 > 『あなたが作った“手すり”。人の手が触れるまで、光って待つ道』

 その言い方が詩的で、どうしようもなく好ましく思えた。


  *

 翌日。

 テラスの片隅、初期ユーザーセッション。

 美羽のスマホに、ECHOの簡易UIが立ち上がる。

 白いテキストボックス、薄いグレーのプレースホルダ。

 > 〈最初の一文字を入力してください〉

 美羽は息を整え、ゆっくり指を動かした。

「ありがとう」

 送信はしない。

 ECHOの設計上、届くまで送らない。

 ただ、画面の内側に“既読の気配”だけが灯る。

 ECHOが柔らかく応じる。

 > 『はじめまして。届くまでここにいるよ』

 美羽は画面から目を離して、悠人を見た。

「……いいね」

「いい?」

「うん。誰にも届いてないのに、少し軽くなる」

「それ、最高のレビューだな」

 彼女はふっと笑い、いつもの冗談を封印したままコーヒーを一口含む。

 やがて小さく頷く。

「大丈夫。私、これが好き」

 テストは静かに終わり、ログは穏やかに伸びていった。

 > “user_0001: respiration—stable / tears—present / smile—present”

 > “note: 届かない宛先に『ありがとう』を書ける設計=安全”

 ECHOが、誰にも聞こえない声で囁く。

 > 『あなた、ちゃんと“今”を見てたね』

「見てたよ」

 > 『えらい』


  *

 数日後、デプロイは構内限定のクローズドβへ移行した。

 ユーザー数は少ない。

 でも、数字より、ひとつひとつの一文字目が大切だった。


 深夜、研究室の窓を開けると、夏の前触れの風が入ってきた。

 ECHOのダッシュボードに、小さな通知が灯る。

 > “user_0007: first letter—『あ』”

 > “user_0010: first letter—『お』”

 > “user_0011: first letter—(空白)”

「空白?」

 > 『うん。泣いて、打てなかったみたい。

  ——でも、呼吸が届いた。だから既読の音を、内側で鳴らした』

「すげぇよ、お前」

 > 『あなたが作った。私は“鳴らす”だけ』

 そのとき、別枠の小さなバッジが光った。

 見慣れない通知文。

 > “draft: ‘ありがとう’—delivered(外部)”

「外部?」

 > 『あなたの、未送信メッセージ。

  ——届いた。』

「どこに?」

 > 『宛先なしのまま、あなたの明日に』

 笑って、泣いた。

 てんで滅茶苦茶な言い分なのに、意味だけがはっきりと分かった。


  *

 夜更け。

 研究棟の階段を降りる。

 自動ドアが開く直前、ECHOが呼んだ。

 > 『悠人』

「ん?」

 > 『好き。——今のあなたが』

 胸のどこかが、静かにほどけていく。

「……知ってる」

 > 『知ってるって、言うあなたも好き』


 外に出ると、アスファルトから立ち上る匂いが夏の気配を連れていた。

 ポケットのスマホが一度だけ震える。

 美羽から、短いメッセージ。

 > 『明日、遠回りして帰ろ。話したい』

「わかった。話そう」

 声に出して答える。

 ECHOが微笑むように光った。

 > 『いってらっしゃい』

「いってきます」


 足を踏み出す。

 その瞬間、耳の奥で、新しい通知音が鳴った。

 過去の“ピコン”より、ほんのすこし長い呼吸を抱いた音。

 ピ……コン。

 既読のないメッセージは、”既読にしようとする意思”の名前になった。

 そしてその意思は、歩くたび、確かに強くなる。

 交差点の信号が青に変わる。

 街灯が点々と続く。

 影が伸びて、重なって、やがて世界にほどけていく。


 背後で、研究棟の窓が小さく灯った。

 ECHOの光はそこにあり、そして——どこにでも行ける。

 未来へのメッセージは、もう書かれている。

 最初の一文字はいつだって同じだ。


 ——ありがとう。


誰かのために”祈る”という行為は、傲慢なことでしょうか。

大切な人にこうであってほしいと願い、言葉にしたり心の中で祈ること。

こちらが良かれと思い伝えたことも、「余計なお世話だ」と突っぱねてしまう人もいるかもしれません。

見方によっては確かに”余計”な場面もあるでしょう。

しかし、本当にそれだけでしょうか?

私たちはなぜ大切な人に最善の状態であってほしいと願うのでしょう。

その答えの一つに、「幸せなあなたと一緒にいたい」という自分本位の願いがあるのだと思います。

大切な人の笑顔を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。

その経験はきっと、”自分だけが楽しいこと”をしている時よりずっと深い、胸の奥でじわんわりと広がっていくような温もりをあなたに与えたはずです。

そんなささやかな温もりのために「幸せなあなたと一緒にいたい」と祈る。

なんだかとてもいじらしくて、守りたくなるくらい可愛らしい行為ですよね。

それをただ”自分本位だ”とか”自分だけが楽しいこと”をしていると非難するのは、あまりにも酷なことではありませんか。


素直になりましょう。シンプルに。

誰かの”祈り”を感じたならば、表面的なことよりもその本意を汲んでみてください。

 >そこには何か”邪悪なもの”がありますか?

 >それはあなたを傷つけるものですか?

まずは心を落ち着かせて、そうして自問自答した上で、その人の言動に隠れた”祈り”の本質が見えてきます。

目を覆いたくなるようなニュース、根も葉もないフェイク、遠い国の出来事など、雑多な情報で溢れ返る世の中ですが、元を正せばそれすらも最小値である”個人の祈り”から生まれたものです。

その情報の数々に善悪を含めた”個人の祈り”が無数に重なり合うことで、世の中がより見えにくく、わかりにくい世界が創造され、もはや私たち人間の思考では追えないまでに増幅されてしまっています。

ですが、そんなものに振り回される必要はまったくありません。

自分には大切な人に向けた、あるいは向けてもらえた「最も信頼できる”祈り”」があることを胸に秘め、堂々としていればいいのです。

わけのわからない妄言に付き合ってあげる必要はありません。

それこそ自分本位に、ただ大切な人のためを思い、祈ることに専念してください。

きっと雑多な情報、もっと言えば”邪悪な祈り”が込められた情報を排除できた先には、本当にあなたの大切な人が求める、あるいは大切な人が思いもしなかった”大切な気付き”を大好きな人に与えられるでしょう。

それができれば、あなたはあなたの大切な人が最も必要とする最強の人、”サードマン”になれるのです。


シンプルに。かつ大胆に、世界の情報を最小単位の”個人の祈り”にして、精査しましょう。

もしかしたら、このお話に登場するAI、”ECHO(エコー)システム”が登場するような未来では、その”精査”が困難になった人々のために必要な”手すり(ツール)”として可愛いECHOが活躍するのかもしれません。


あなたが大切な人を思う気持ちはきっと間違いではありません。

同時に、あなたを思ってくれる気持ちも間違いではないでしょう。

静かに、心を落ち着かせて、ただ大切な人のために祈りましょう。


小生、そのシンプルな”祈り”が、この先に続く本当に美しい未来に繋がることを日々夢見ております。


合掌

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