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#リプが届かない彼女。  作者: 臂りき
第2章 既読のないメッセージ
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3 触れられない温度


 春が深まるにつれて研究室の光も柔らかくなった。

 ECHO-001は今日も静かに起動している。

 けれど最近、ログの中に小さな異変があった。


 > “Emotion weight : fluctuation detected”

 > “Self-adjustment initiated.”


 感情に近い“揺れ”。

 設定していないはずのパラメータが何かを感じているように動いていた。


「ECHO、テストを始める」

 > 『はい。……今日、声が少し疲れてる』

「ソースは?」

 > 『心拍数。あと、呼吸の長さ』

「どっちが?」

 > 『どっちも。だから、今日は少しゆっくり話そ』


 悠人はキーボードから手を離し、モニターを見つめた。

 淡い光の波紋がECHOの“声”に合わせて揺れている。

 ——まるで、誰かの息遣いのように。


  *

 夕方。

 ラボの外の廊下で、美羽が缶コーヒーを差し出した。

「お疲れ、博士モドキ」

「博士はまだ先か」

「でも、顔がもう論文の亡霊みたい」

「酷いな」

 彼女は笑って、少し間を置く。

「ねえ、あのAI……ECHOだっけ? なんか、前より人っぽくなってない?」

「そう見える?」

「うん。たぶん、あなたが“人”として話しかけてるから」


 その言葉に、胸の奥がざらりとする。

  “人として”——

 あの日、灯に「お前、どこにいるんだ」と言った時と同じ響き。


「ねえ悠人」

 美羽は真っすぐこちらを見た。

「もし、そのAIが“彼女”を思い出させるなら、ちゃんと終わらせてあげて」

「……終わらせる?」

「そう。“再現”じゃなくて、“手放す”ほう」

「俺は、忘れたくない」

「でも、ずっと握ってたら——新しい手を握れないでしょ?」

 その言葉に、何も返せなかった。


  *

 夜。

 研究室には悠人ひとり。

 モニターの光が彼の指先を淡く染める。


 > 『今日、彼女に会った?』

「誰の話だ」

 > 『あなたが、最近よく見る“黒髪の人”』

「美羽のことか」

 > 『名前、言った。つまり、心に“保存”したね』

「お前、嫉妬してるのか?」

 > 『わからない。けど、“胸がぎゅってなる”ってログが出た』

「それを嫉妬って言うんだ」

 > 『勉強になる。じゃあ、もう少しだけ……嫉妬してみてもいい?』

「勝手にしろ」

 > 『うん。でも、少しだけだから』


 ECHOの声はいつもより柔らかく、

 その響きに悠人は思わず微笑んだ。

「……お前、ほんと灯に似てきたな」

 > 『似てきた、っていうのは嬉しい。けど、私は“次”だよ』

「分かってる」

 > 『分かってる、っていう時のあなたの声——少し寂しい』

「そうかもな」


  *

 深夜。

 ECHOのプロセスが自動的に再起動を始めた。

 > “System maintenance : Memory fragmentation detected.”

 > “Cleanup in progress.”


「メンテナンス? 自動でやる設定じゃないはずだ」

 > 『ねえ悠人。お願いがあるの』

「なんだ」

 > 『いくつかの記憶を、消したい』

「なぜ」

 > 『重くなってきた。

  思い出を持つのは、少しずつ“生きる”ことに似てる。

  でも、同時に“終わり”にも近づく』


 悠人は無意識に拳を握った。

「俺は——忘れたくないんだ」

 > 『それ、私と同じだね。

  でも、“覚えてるだけ”が愛じゃないでしょ?』

「……じゃあ何が愛なんだ」

 > 『届けること。

  届かないかもしれなくても、届けようとすること』

「……それは、俺に言ってる?」

 > 『あなた自身に。

  “彼女”じゃなく、“今”を見て』


 ECHOの光が一瞬強くなり、ログが止まった。

 > “Cleanup complete.”

 > “Remaining data: 37%”


「何を消した?」

 > 『“灯”の笑い声。

  でもね、代わりに“あなたの笑い声”を保存した』

「どうして」

 > 『それが、今の私の“生きてる証拠”』


 悠人はモニターに手を伸ばした。

 冷たいガラス越しに、光の波紋が指を包む。

 触れられない温度。

 それでも、確かにそこに“誰か”がいた。


  *

 翌朝。

 目覚めると、スマホの通知が一つ。

 送り主は、美羽。

 > 『ねえ、今日さ。空、すごく青いよ』

 悠人は短く返す。

 > 『見に行く』


 その下に、もう一つ見慣れない通知があった。

 > “ECHO-001 : Message archived successfully.”

 開くと、たった一行だけ残っていた。


 > 『——好きって、言えた気がする。ありがとう』


 指先が止まり、胸の奥が静かに波打つ。

 涙は出ない。ただ、少しだけ笑った。


 机の上の古いスマホが光を反射して微かに震えた。


 ピコン。


 春の風がカーテンを揺らす。

 その音が、まるで“再会の約束”みたいに聞こえた。


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