狂気
我が家に空き巣が入ったらしい。
「らしい」というのは実際に目にしたわけではなく、犯人は知らないうちに我が家に侵入し、知らないうちにiPadを盗み、そして知らないうちに警察に自首していたため、全てが終わるまで全く気づかなかったのだ。
久しぶりに妻と娘と街まで買い物に出ており、家に帰って一息ついたところで警察からの電話があり、そこで初めて全てを知った。あまりの突拍子のなさに、正直なところ最初は冗談だと思ったくらいだった。
確かに出掛ける時に玄関の鍵は掛けていなかった。順平が家に居たし、盗られるような物も無いし、まさかウチに空き巣なんて…と考えていたのが甘過ぎたのだろうか。
「…それでですね、少しお話を伺いたいので、お手数ですが署までお越しいただけないでしょうか。」
との警察からの依頼を二つ返事で承諾するも、依頼はさらに続く。
「…できれば、息子さんとご一緒に。」
この一言で、凡その事情は察しがついてしまった。
───順平が何をしたというんだ。ウチがこんな嫌がらせを受けてもしょうがないような、そんなことを順平がしたというのか───
アクセルを踏む右足に思わず力が入り、慌ててアクセルから足を浮かせると、龍巳は後部座席に座った息子へルームミラー越しに視線を投げる。
今の状況を分かっているのか分かっていないのか、順平は呑気な顔で窓の外を流れゆく景色を眺めていた。
───どうしようもない穀潰しではあるけれど、少なくとも他人様からこんな恨みを買うような子では無い。無いはずだと思っている、が───
頭の中で渦巻いていた怒りと苛立ちの中に、少しずつ不安が混じり始めたころ、漸く警察署が見えてきた。
「ご足労おかけします。」
出迎えてくれたのは若い警官だった。簡単に挨拶をし、そのまま息子とともに奥の部屋に通される。
警官は簡単に状況を説明すると、盗まれたiPadを机の上に置き、「こちらで間違いないかご確認下さい」と促した。
「どうや?」と問うと「ン」と頷く順平。実のところ、これが我が家の物なのか同型の別物なのかを見分ける自信はなかったが、いつも使ってる順平が言うのだから間違いないのだろう。
「盗ったんは、これだけなんですかね。」
どうにも不可解に思い警官に訊いてみるも、本当にこのiPadだけらしいとの事であった。こんなもの一つのために、犯人は人生を棒に振ったのだろうか。
「…犯人、会いますか?」
警官の唐突な問いに、龍巳は逡巡する。
正直、ここに来るまでは直接怒りをぶつけてやろうとも思っていた。どんな顔しているのか、見てやろうとも思っていた。しかし、順平を連れて犯人と対面するのは、どうしても躊躇してしまう。
「…犯人は、順平に会いに来たんですかね。」と訊くと、警官は静かに頷く。やっぱりか…と、そう思いながら龍巳の中で答えが決まる。
「…私だけ、会います。」
犯人は順平と同い年くらいの男だった。
警官からこってり絞られたのであろう、男は全身から疲れが見えていたが、こちらの顔を見て泣いて謝るでも無く、かと言って開き直るわけでも無かった。
「順平があんたに何かしたんか?」
「順平さんは何もしてないです。ただ僕が悪いんです。」
「人の家に勝手に入ってこんなもん盗んで、どういうつもりなんや?」
「本当に悪いと思っています。反省しています。」
私の問いかけにただ静かに応える姿に、言葉に出来ない気味の悪さを覚えながら、最後に一つだけ質問した。
「今回のこと、後悔しとるんか?」
「はい、後悔してます。」
後悔の色は見えない、少なくとも私の目からは、そう見えた。これ以上の問答は無意味だろうと思い、順平を待たせている部屋に戻る。
「アイツは結局、何しに来たんですかね。」
聞けば北海道から順平に会いにわざわざ内地まで来ており、そしてつまらない物を盗んで自首して捕まっているのだ。全くもって理解が出来ない。
「そんなことするほど、順平に恨みがあるんですかね?」
思わず語尾に力が入るが、警官の回答は予想外の物であった。
「それが、彼は順平さんのファンらしく、嫌がらせのつもりでは無かったらしいんですよ。」
言葉を失う龍巳に、さらに警官は続ける。
「順平さんに会いに自宅を訪れ、呼び鈴を鳴らしても誰も出てこなかったので、開いてた玄関から勝手に入り、適当に家内を歩き回った上で、たまたま目に付いたiPadを掴んで外に出たらしいんですよ。」
もはや、龍巳は開いた口が塞がらなかった。
「何でしょう、観光気分と言うんですかね。順平さんって、インターネットで活動してるんでしょ?彼らからしたら、観光地で記念撮影して土産買って帰る、そんな感覚らしいんですよね…」
───狂ってる、あり得ない、観光気分で不法侵入して、土産がわりに物を盗んで、そんなのまともな神経してたら出来るわけがない───
呆然とする龍巳を隣に見ながら、警官は順平に語りかける。
「順平さん、前もイタズラ電話がかかってきたり、おかしなハガキが届いたりしてたでしょう。今回はこれだけで済んだけどね、このままネット活動を続けてると、次はどうなるか分からないよ。」
「アンチガワルイ!オラハワルクナイ!」
「もちろん悪いのはインターネットの人たちだけどね、順平さんももう少し考えてインターネット使わないと、痛い目にあって嫌な思いするのは自分だよ。」
「アンチヲタイホシテ!オラモ、ヒボウチュウショウサレテル!」
「気持ちは分かるんだけどね、実際にこうして家族にも迷惑が───」
「アンチガワルイ!オラハワルクナイ!フスーーー!!!!」
ドンドンドン!!!
とうとう癇癪を起こし、肩を怒らせながら机に両手を打ちつける息子を慌てて制止する。
───狂ってる、狂ってる───
何とか一息付かせ、鼻息がおさまってきたのを確認した上で、龍巳からも改めて切り出す。
「なあ順平、正直言うとな、もうワシも母さんも疲れとるんや。今回の件もな、盗んだ奴が悪いのも順平が悪くないのも知っとるよ。でもな、順平がインターネットでおかしな事をしてる限り、こういう事する奴らが出てくるんやろ?
なあ、順平、みんなの為だと思って、インターネットでおかしな事するのやめてくれんか?」
正面から順平の目をジッと見つめ、声のトーンを落とし、出来るだけゆっくりと語りかける。
「ヴーーー…」
「…順平?」
「ヴーーー!!!ヤダッ!アンチガワルイ!オラノセカイハ、カンゼンニシンダ!オマエハオラノ、ガチコイリスナー!ステーキデス、イチバンオオキイノォォォ!!!」
とうとう錯乱し、意味不明な事を絶叫し始めた順平を、警官と2人がかりで押さえ込む。
───狂ってる、どいつもこいつも、狂ってる───
ジタバタと昆虫のように手足をばたつかせ、白目を剥いて抵抗する息子を必死に押さえ込みながら、龍巳の胸の奥底でどす黒い感情が渦を巻き始めていた。