綺麗な花を咲かせるために
ガーデニングを始めた。
穏やかな日差しの元、庭先で妻と娘と一緒に土弄りする、それだけで不思議なほど気分が落ち着く。土が入り込み黒ずんだ爪先を見ながら、こういうのも意外と悪くないな、と龍巳はそう思った。
息子が自宅を公開したあの日から、もう一年ほどになる。当初は毎日のように鳴っていたイタズラ電話も、半年もしないうちに影を潜めて行った。田村嶺のような望まない来訪者も、結局は片手で数えるほどしか来ておらず、不幸中の幸いにも、今の所は自分が居る時にしか来ていない。
アレに会うために我が家を訪れるくらいだから、誰も彼もどこかしらおかしな様子の者ばかりだったが、会話が成り立たないような危険な者はほとんどいなかった。
唯一「アキラー」と名乗るレオタードを履いた中年男性が、「syamuさんに会えないならお父さんの◯◯◯をしゃぶらせて貰っていいかいね?」と急に抱きついて来て、妻の通報で駆け付けた警官に連行されて行ったくらいであった。
そんなこともありながら早一年、順平は相変わらず働きもせずに飯食ってクソして寝るだけの生活をしており、腹が立つほどにマイペースに日々を過ごしてる。
しかし半年が過ぎた辺りからタチの悪いハガキが届くようになり、この辺りから妻が塞ぎ込む事が多くなった。
ハガキには順平の画像や卑猥な女性の画像とともに「おい家族!息子がインターネットで大暴れしてんよ〜(指摘)」「反社会勢力構成員、探してます」などと散々な事が記載されていた。
間が悪いことにポストに投函されていたハガキを最初に見つけたのが妻だったらしく、ひどく取り乱しながら「一体うちの順平が何をしたって言うの!」と泣き叫ぶ妻の姿を、まだ鮮明に覚えている。
その日から、家族の中でポストを確認するのは私の役割とし、妻にはポストに近付かないよう言ってあるものの、定期的にあの手のハガキが届いていることに勘づいているようで、目に見えて元気が無くなっていた。
「ガーデンセラピー」の存在を知ったのはそんな時だった。どうやら自然や植物に触れることで癒しを得る効果があるらしく、物は試しと思い妻と始めたのが数週間前のこと。
妻と下の娘に選んでもらった花の種を庭先の花壇に蒔き、待つこと数日。小さかった芽がスクスクと育つにつれ、妻の笑顔も戻って来ているように感じた。
───もしかしたら、笑顔が戻って来ているのは、私も同じなのかもしれない。
あの日からいつも眉間に皺が寄っていたのに、無心で土弄りをしてる時だけは眉間から力が抜けている。その事実に気がついた龍巳は、妻と娘の会話を聞きながら、自然と頬が弛むのであった。
「そろそろ間引かなきゃだね、お母さん」
下の娘の言葉に、龍巳ははっと我に帰る。
「え…間引くんか?」
「そうよ、あなた、知らなかったの?生育の悪い苗を間引くことで、綺麗な花が咲くんですよ。」
「そうだよ、お父さん知らなかったの?」
野菜なんかだと間引かなけばならないのは聞いたことがあるが、花でも同じように間引く必要があるとは知らなかった。
「そうか…せっかく育ったのになぁ」と残念そうな父の言葉に、「そうだよ、しょうがないんだよ」とあっけらかんな娘の答え。
小さい芽、形の悪い芽を選び、丁寧に引き抜いていく妻と娘の横顔を見ながら、ふと息子の顔が脳裏をよぎる。
「やっと終わったぁ、綺麗な花が咲くといいね、お母さん!」
花々のような明るい笑顔を見せる娘と妻の側で、龍巳は表情なく、砂利の上に打ち捨てられた芽を、間引かれた芽を見つめていた。
───しょうがない、綺麗な花を咲かせるためには、しょうがない───
妻の言葉を、娘の言葉を、虚な瞳で何度も呟いていたのだった。