ミンミン蝉の泣く頃に
ミンミン蝉の泣き声を聞きながら、浜龍巳は呆然としていた。25歳になる長男、順平がまたやらかしたのである。
数ヶ月前に順平がインターネットで自宅の動画を公開してから、毎日のようにイタズラ電話や請求した覚えのない資料が届いている。
インターネット環境があるとアレはロクなことをしない、と考えて順平にネット禁止令を出したこともあるが、一日中横になり壁に向かってブツブツ呟くだけの順平を見ているとこちらが耐えきれなくなってしまった。
───確かにインターネットを取り上げてしまえば、アレの監視は楽になるかもしれない。何しろ今はアレが何をやらかすか不安で、数時間家を空けるだけでも気が気じゃないのだ。いっそのこと座敷牢にでも繋いで置けば、妻と2人で安心して外出することもできるだろう。
しかし親が安心を得るためだけに子供に不自由を強いて良いのだろうか。妻が、そして娘たちがまた笑えるようになるために、順平の人生を犠牲にするのが父親として正しい選択なのだろうか───
龍巳の中にある「人としての正しさ」は、順平を切り捨てることを許してくれない。
順平だって反省している。
悪気があってやったわけではない。
もう十分に罰を受けただろう。
自分自身にそう言い聞かせながら順平のネット禁止令を取り下げてから、わずか数日後の出来事であった。
「浜順平!出てこいや!」
昼下がりのゆったりとした時間は、乱暴なノックとチャイムの連打でぶち壊されることになった。昼食を食べ終わりリビングでうつらうつらしていた龍巳は、急な来訪者に驚き飛び起きるとドアに付いた覗き窓から外を覗き見る。
そこには二十歳かそこら、背丈は160cmに満たないほどの小柄な青年が立っていた。
「アンタはどなたかな?」とドア越しに聞く。少しの沈黙の後、「…順平くんいますか」と返ってきたが、回答になってない。
念のためチェーンを付けてドアを少しだけ空け、「アンタはどなたなの?」と聞くと、「…嶺って言います、順平くんの友達…かな。来いって言われたので来ました。」とのこと。
一応順平に確認してみたが「シラナイ!オイカエシテ!」とブルブル震えながら訴える息子を見て、また何かやらかしたのだろうとの嫌な予感に、気が重くなってきた。
「…アイツも知らんって言っとるんで、すまんけど帰ってもらえるかな」
「そうですか…せっかく栃木から来たんですけどねぇ」
「関東からわざわざ来たんか、でも知らんって言っとるしなぁ、すまんけど…」
そんな会話を交わした後、とぼとぼと帰っていく嶺の背中を暫く見送っていたが、何だか申し訳ない気持ちになった龍巳は「時間ある?ちょっと話聞かせてもらっていいかな」と青年を呼び止める。
経緯は分からないがアレを訪ねて遠路はるばる来てくれたのだ。少し話をして良い気分で帰ってもらうくらいしてもバチは当たらないだろう。
そんな事を考えながら道端で20分ほど立ち話して分かった事は、青年は田村嶺という栃木の青年であること、宇都宮からロードバイクで何日もかけて訪れて来たこと、そしてアレの投稿している動画の視聴者であること、であった。
「順平くんはsyamuって名前でyoutube活動してて、オフ会を開いたら参加者ゼロ人だったんですよ!もしかしてお父さん知らないんですか!?」
嬉しそうな様子で早口に捲し立てる田村青年に対し、息子の間抜けなエピソードに父としてどんな反応をすれば良いのか分からず、しばらく困惑気味で話を聞いていた龍巳であったが、ふと思い出すと「そう言えば…」と話題を切り出した。
「…順平から来いって言われた、って言ってた気がするけど、どこで言われたんかね?」
「ああ、それはですね───」
嫌な予感は的中だった。
田村青年の話によると、ネット許可が降りた日の夜、アレは有名人のインターネット配信に出演し、「誰が来ても我が家は笑顔で迎えるのがモットーなんで」という発言をしたらしい。
更に具合が悪いのは、そのネット配信の視聴者に対して散々暴言を吐いた上での先の発言だったらしく、他にも「お前ん家行くから待っとけ」と脅迫めいたコメントが何件もあったとのことであった。
───何が「笑顔で迎える」だ、自分で尻も拭けないケツタレが!───
息子への怒りが沸々と込み上がる龍巳を尻目に、ロードバイクに跨りながら「多分これからも色んな奴が来ると思いますよ、お父さんも大変ですね!ハハハ!」とだけ残し、田村嶺は去っていった。
「順平!ちょっと来い!!」と馬鹿息子を呼び出し、座敷に正座させると「なんやお前、インターネットで大勢の人がいる前で『ウチは笑顔で迎えるのがモットー』とか大口叩いてたらしいな?」と問い詰める。
「オラハワルクナイ!アンチガワルイ!」と喚き散らす順平に「偉そうな事言うなら、親に押し付けたりせずに自分が玄関に出て相手せんかい!」と怒鳴りつけ、特大のカミナリを落とすと、息子は頭を抱えてミンミン泣き始めた。
───泣きたいのはこっちの方だ。今日はたまたま自分が家に居たから何とかなったものの、妻と娘しかいなかったらどうなっていたのか。今回は小柄で非力そうな青年だったから良かったが、最悪の場合───
まだミンミン泣いている順平を呆然と見つめながら、龍巳の気分はどこまでも沈んでゆく。
家族のために息子を犠牲にすることは出来ないが、息子のせいで妻や娘たち含めた皆が不幸になることなどあってはならない。
どちらか一方しか選び取れないとしたら、人として、父として、自分は何を選ぶのだろうか。
───きっと正解などない、しかしいつかは決断しなければならない───
龍巳の瞳の奥で、ミンミン蝉の泣き声だけがこだましていた。