№4_十五夜のささやき(9月頃)
思いつくまま気の向くまま、不規則な刊行形態であるのに、
ふとクリックして本編をご覧頂き感謝申し上げます。
我輩、神託の文鳥、文一と申す。基本、鳥であるが故に夜はひそかに声を殺し
1980年代の一般家庭の様子を垣間見、皆様方にそっとお知らせするだけである。
草薙家は夕食の家族団らんの時間であった。
土曜日の夕方、草薙家は夕食を終え、間もなく19:30になろうとしていた。
一家の長、草薙須佐男はちゃぶ台脇にごろりと横になり、腹をさすりながら言った。
「クイズ・ステークス、回してくれ」
と告げる。
妻の櫛奈が立ち上がり、黒光りする木枠テレビのダイヤルをガチャガチャと回す。その手つきは、長年の主婦の慣れのように素早く無駄がない。
普段なら、父の「ナイター見せろ」という一声に娘たち三人の「えーっ!」という抗議が重なるのだが、この番組だけは例外である。阪神の「クイズ・ステークス」。それは家族全員が食い入るようにテレビにかじりつく、週に一度の儀式のような時間だった。
解答者に芸能人、それに抽選で選ばれた視聴者が掛け金をベットしていくという、当時としては画期的なシステムであった。
回答者のキャスティングが幅広い視聴者の嗜好を想定して。大学教授、漫画家、女性俳優、男性俳優、アイドル、お笑い芸人などを配して、専門分野に卓越した者、雑学など知識の豊富な者、ただボケを狙うだけと見せて意外な大穴となるもの。賭けの駆け引きが見所である。
一般視聴者から選ばれた3組のチームは、問題を聞いて、「誰だったら答えられるか」を予想して持ち点を賭けるのである。構成作家が、クイズの内容に合わせてオッズを決めている。
今年のノーベル文学賞はだれだったでしょうか、という問題なら倍率は、教授2、漫画家3、女優5、男優4、漫才師10みたいにする。意外と大学教授が間違っていたりする。笑って誤魔化すが、参加者は元金が減ってがっかりとなる。では、番組のほうを見てみようか
ーーー
オープニングのトランペットが高らかに鳴り響き、司会の吉田阪神が画面いっぱいに登場する。
「野球は巨人、司会は阪神!」というおどけた挨拶に、草薙家の茶の間はどっと笑いが広がった。
「こんばんわ。ライト製薬提供『阪神のクイズ・ステークス』、司会の吉田阪神でございます。ウッシッシッ!。さて、秋深し、隣は髪を剃る人僧。残暑厳しいこの頃ですが、皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。きょうも残暑にめげず元気ハツラツの3組のお客様にお越しいただいております」
「東京都東村山市からお越しいただきました。目黒さんご兄弟、どうですか、意気込みのほうは」
目黒さん
「10万円獲得して、今年こそスキー滑れるように、スキードームで練習したいです」
阪神
「ああ、あの船橋のね、あそこなら1年中スキーできますもんね。頑張ってください」
「次は、山口県萩市からお越しいただきました伊藤さんご夫婦です。ご主人、意気込みは」
伊藤さん
「10万円を全部千円札に両替して、札束を床の間に飾りたいです」
阪神
「いいんですか?夜中に泥棒が侵入するかもしれませんよ」
伊藤さん
「大丈夫、私はこう見えて柔道、空手の有段者ですので、たちどころに泥棒を捕まえて、こう縛って警察につきだします。ご褒美に金一封もらってそれをまた札束にします」
伊藤さんのご主人は身振り手振りで妄想を語り、スタジオから笑い声が聞こえる。
阪神
「くれぐれも、安全第一でお願いします。決して格闘しないように。札束から千円札ぬいて渡して、タバコでも買ってくださいと言って帰ってもらうようにしたら、どうでしょうか?」
伊藤さんは顔の前で激しく手を振る。
「さてもう一組、宮城県気仙沼町から畠山さん親子です」
畠山
「武山教授の大ファンなんです」
武山教授
「僕に全部入れてください」
畠山
「掛け金は三択の女王、原恵子さんに全部いきます」
阪神
「では今日も楽しんでまいりましょう」
<アナウンサーの声>
それでは第1問です
1985年に公開され、日本中を熱狂させたSF映画で、アメリカから日本に輸入され、日本国内興行収入で当時の最高記録を樹立したのは次のうちどれ?
A.グーニーズ
B.バック・トゥ・ザ・フューチャー
C.ET
3組とも「原さんに全部」
原「B」正解
「オッズが1.5なのであまり増えませんがね・・・いや皆さん手堅いですね。では次の問題・・・」
第2問
3. 1983年に東京ディズニーランドが開園しました。さて、この東京ディズニーランドが、アメリカ国外で初めて開園したディズニーパークであるという記述は正しいでしょうか?
A.不明
B.正しくない
C.正しい
阪神
「これは・・・難しいかな。3択の女王の勘に頼るか、それとももうすでにディズニーランドは何回も行っている八森小雪に賭けてみるか・・・八森ちゃん、お前ディズニー関係はバッチリですって言ってたよな?」
八森
「アトラクションは全部コンプしたけど、初めてかどうかはわかりません」
阪神
「目黒さんは八森に5000点、他は三択の原さんに10000点。じゃ開けてみましょう。正解は原さんのC!八森はA!で目黒さんはマイナス5000点となりましたあ~」
八森
「(ナゾの逆ギレ)だから、わたしわからないっていったじゃん!」
阪神
「ここでコマーシャルです」
テレビを見ていた3女たぎつは「ダメなのよ、3択の原さんでいかないと」
これに対して次女たきりは「バラエティのロケであの子『東京ディズニーランド』レポートしてたけどね。もう信用しないわ!」
長女いちきは「やっぱり、わたしたちが実際に行ってみないとねえ」
お母さんの櫛奈は「まず大学合格してからね~現役でいけるかしら」と言うと
3人は口をつぐんでしまった。まるで笑いと勉強と将来とが、ひとつの食卓の上で入り混じっているようである。
CMが終わり後半戦に入る。
第3問
1982年にイギリスとアルゼンチンの間で領有権を巡る紛争が発生した島はどこでしょう?
A.イースター島
B.ガラパゴス諸島
C.フォークランド諸島(マルビナス諸島)
いちきが答える「これ!C.フォークランド諸島だけど、だれが答えるかよ。3択の女王でも難しいわ。ここは手堅くゲストのアナウンサーの舟木券一さんにするべきね。ニュース読み上げていたから知ってるでしょう!」
阪神がゲストの舟木さんに呼びかける。
「舟木さん、起きてますか?」また収録中に居眠りしている。朝番組の仕事で疲れが残っているのだろう。ADが裏手から回って、ゆすっている。舟木さんはハッと目覚め、いつもの一言「クローズ・アップ!」
阪神がぼやく「舟木さん、全国ネットでクローズアップしてましたよ・・・ほんとにもう、プロのアナウンサーなんだからしっかりしてくださいよ」
舟木さんニッコリ笑って、右手でOKのサイン。
さっきのクイズで持ち点が減ってしまい、伊藤さんは小さな声で「舟木さんに1000点」他のチームも舟木さんに10000点づづ賭ける。
阪神
「開けてみましょう、舟木さんAイースター島、ハズレ!」
舟木さんはまた、船を漕ぐようにコックリして寝ているようだ。
ピコピコピコ!最終問題です。
第4問
1983年7月15日に任天堂から発売され、家庭用ゲーム機の概念を世界的に普及させたゲーム機は何でしょう?
A.PCエンジン
B.ファミリーコンピュータ (NES)
C.セガ・マスターシステム
阪神
「最後の問題になりました。倍率だします、ドン!更に倍率ドン!」
通常の倍率の更に倍になります舟木さんに至っては驚異の16倍!
目黒さん
「原恵子さんに全部」
伊藤さん
「私も、原恵子さんに全部」
畠山さん
「原さんに全部」
「原さんが正解すれば12倍で全員目標達成ですが。原さんは、テレビゲームはやったことあるでしょうか?原さん、ファミコンって知ってます?」
「知りません。勘です」
「開けてみましょう!B!正解」
ジャーンジャジャーン!全員目標達成です。10万円オーバーしたぶんは番組から愛の文鳥募金に寄付させて頂きます。
阪神
「それでは、クイズ・ステークス、来週またお会いしましょう」
画面には、舟木アナの舟を漕ぐ姿(居眠り)と「ご覧のスポンサーでお送りしました」のテロップ。
一家の団らんは、テレビの光と笑い声に照らされて、夜の帳へと溶けていった。
櫛奈は「さあ、あなたたち、ドリフなんか見ないで、順番にお風呂入って、勉強しないんならもう寝なさい。あしたもだらだらしちゃうわよ」とお茶の間から追い立てる。ビールを飲みながらドリフを見ている父、須佐男の笑い声が聞こえる。
「神話の時代には、お父さんもっとカッコよかったんだけどね」といちきがぼやく。
「まあいいんじゃないの。アマテラス様が大目に見ているんだから」たきりは無関心。
※草薙家、テレビ前横断事件
吉田阪神のクイズ番組が終わり、茶の間の空気はほっと緩んだ。
須佐男はビールのグラスを片手に「8時だョ!全員集合!」を見て、腹を揺らして笑っていた。志村のひと声に合わせて、ちゃぶ台の上で枝豆の殻がころころと転がる。
そのとき――。
「うわっ!」
須佐男の目の前を、稲妻のように影が走った。
三女・たぎつである。
まだ湯気をまとったまま、タオル一枚体に巻いて、替えの下着を抱え、テレビの真正面を横切って風呂場へ駆け戻っていったのだ。
「な、なんという蛮行だ! 廊下まわれ、廊下を!」
須佐男はビールを吹き出しそうになりながら叫ぶ。
「だって、近道なんだもん!」
風呂場から返事が飛んでくる。
櫛奈は腰に手を当て、声を張り上げた。
「何度言ったらわかるの! テレビの前は通らない!」
ちゃぶ台を挟んで、姉二人がそれぞれにコメントを投げる。
次女のたきりは肩をすくめて、ニヤリと笑った。
「お父さん、顔まっかっか。心拍数あがってんじゃない?」
長女のいちきは呆れ顔で、畳に正座しながらため息をつく。
「蛮行だわ。神に仕える家庭のすることじゃない」
須佐男は両手を振って必死に否定する。
「ワシはテレビが見えんのが困るって言ってるんだ!」
しかしその抗議は、テレビのスピーカーから出る「ダメだこりゃ!」の声にかき消された。
草薙家の茶の間は、コントと同じくらいドタバタに包まれていた。
※今回は、出番が無かった我輩、文一が昭和ワンポイントコーナーを担当させて頂く。
ーー1980年代を代表するクイズ番組、「アメリカ横断ウルトラクイズ」ーー
1980年から1982年頃の『アメリカ横断ウルトラクイズ』は、まさに番組の絶頂期であり、日本のテレビ史に残る社会現象でした。多くの人が「クイズの季節」としてワクワクしながら秋の放送を心待ちにしていました。
当時の『アメリカ横断ウルトラクイズ』の概略と、今でも語り継がれる面白いエピソードをいくつかご紹介します。
<なぜこの時期が「絶頂期」だったのか>
1. 究極のエンターテインメント路線
この時期のウルトラクイズは、単なる知識を問うクイズ番組ではなく、**「人間力」が試される壮大なエンターテインメント**でした。〇×クイズ、バラマキクイズ、体力勝負のクイズなど、様々な形式で参加者を振り落とし、その過程で生まれるドラマが視聴者を惹きつけました。特に、敗者復活戦は毎回趣向を凝らしたユニークな内容で、敗者の「クイズに賭ける情熱」を見事に引き出しました。
2. 「ニューヨークへ行きたいかー!」の流行
司会者の絶叫「ニューヨークへ行きたいかー!」は、当時の流行語となり、番組のシンボルとなりました。クイズの緊張感と、ニューヨークへの憧れを煽るこのフレーズは、多くの若者にとっての夢そのものでした。
3. 伝説的なクイズ王の誕生
第4回(1980年)で優勝者や、第5回(1981年)優勝者など、この時期に「クイズ王」として一躍脚光を浴びた参加者が多数登場しました。彼らの知力、体力、そして運の強さは、多くの視聴者にとって憧れの存在となりました。特に第4回は、数々のドラマが生まれたことから「史上最高の傑作」と評されています。
語り継がれる面白いエピソード
1. 泥んこクイズ(サイパン)
初期のウルトラクイズの名物といえば、敗者復活戦の「泥んこクイズ」です。敗者が泥まみれになりながら早押しボタンを目指す姿は、まさに体力を顧みないクイズへの情熱を象徴していました。その後も、大声でクイズに答える「大声クイズ」や、泥棒に扮して問題を探すクイズなど、ユニークな敗者復活戦が名物となりました。
2. ハプニングとハプニング
アメリカ横断という壮大なロケのため、数々のハプニングも番組の名物でした。
「バッキンガム宮殿クイズ」:第5回で、イギリス・ロンドンに立ち寄った際、バッキンガム宮殿の前でクイズを出題。衛兵がまったく動じない様子が印象的でした。
「バラマキクイズ」:広大な土地に問題が書かれたフリスビーやビーチボールが撒かれ、参加者がそれを探し回って解答するというユニークなクイズ。知力だけでなく、体力や運も試される形式でした。
3. アナウンサーの「フリ」
ニューヨークへ行く機内で行われたペーパークイズでは、成績が悪い参加者がいると、アナウンサーが「機長、機首をサンタモニカに!」と、ニューヨークとは逆方向のカリフォルニアに戻るように冗談を言う演出が定番となりました。これは、参加者の緊張感を煽るとともに、視聴者を楽しませるユーモアでもありました。
この時期の『ウルトラクイズ』は、クイズの面白さ、旅のスケール、そしてそこで生まれる人間ドラマが三位一体となり、多くの視聴者の心を掴んだのです。まさに「史上最大」のタイトルにふさわしい番組でした。
ーーまたいつかーー




