創刊号
【創刊号のご挨拶】
ご挨拶申し上げます。時代の風をさきどる『さきどり・スクェア』、いよいよ創刊の運びとなりました。アプリや速報ニュースのような即時性には乏しいかもしれませんが、本誌は「記事が集まりし折に、しずしずと刊行される」――そんな、どこか気ままな刊行形態をとっております。
舞台は昭和。なかでも1980年代、共通一次試験の導入とともに青春を駆け抜けた世代の息吹が色濃く残る時代です。今となっては少々時代遅れかもしれませんが、だからこそ味わい深い。当時の空気を瓶詰めにしてお届けするような心持ちで、編集にあたっております。
どうか皆さまには、昭和レトロの趣をお楽しみいただきながら、肩の力を抜いてご笑読いただければ、これに勝る喜びはございません。
今後とも『さきどり・スクェア』を、どうぞご贔屓に。
ーー焼き鳥と神託と受験のはじまりーー
昭和五十年代、日本列島・東の果て。
かつて高天原に在りし我らが、今こうして下界の片隅に息を潜め、何をしておるのか――。
人はそれを、「受験」と呼ぶ。
ごきげんよう、諸君。我輩は文一と申す。
名は堅いが中身はやわらかい、いわば神界の案内人、もとい「ナビゲーター」である。
アプリでもAIでもなく、紙と鉛筆、カセットテープとラジカセが主戦場であった時代――昭和五十年代から六十年代初頭。人類が共通一次試験という謎儀式に熱狂していたころの話だ。
さて、ご承知の方もあろうが、我輩には頼もしき相棒がおる。しかも三人。
名を――いちき、たきり、たぎつ。
昭和のセーラー服に身を包んだ、現役女子高生……に見える。が、実のところは神。
古代より海・交通・道行きを司どりし宗像三姉妹にして、今や「下天特別枠」で人間界に潜り込み、大学受験に挑んでおるのである。
だが、つい最近、我輩はうっかり言ってしまったのだ。
「いやあ、いま令和でこの子たち見たら、もう見る影もないオバハンやろな~」と。
その瞬間。空気が、変わった。
「ちょっとぉーーーっ!? 文一、いま何て言ったぁ!?」
最初に吠えたのは、三女たぎつ。髪をぶんぶん振り回しながら詰め寄ってくる。
「失礼にもほどがあるでしょ!? 私たちは時空を超えたピッカピカのJKよ! オバハン言うなぁあ!」
「うんうん、ほんまに。それどころか神格保ってるしね、わたし」とたきり。眼鏡を直しながら仁王立ち。
そしていちきが、なぜか無表情で包丁を取り出しながらつぶやく。
「……今夜は焼き鳥かしらねぇ。文一、砂肝と……ナンコツ、いけるかしら」
ひいっ!!
く、くちばしは災いの元っ!!(※比喩ではない。文一はトリ型ナビゲーターである)
あれは冗談だったのだ。ちょっとした軽口だったのだ。
だが、神の名を持つ女子高生たちに「老けた」などと言えば、天罰が下るのは当然であろう……。
それでも申し上げたい。
彼女たちは、ただの女子高生ではない。
元神にして、受験に魂を賭ける者たち。
そして我輩は、彼女たちを導く使命を負った神使である。
……たぶん。たぶんそうだった気がする。
かくして、三姉妹と一羽のナビゲーターが織りなす受験神話が、今ここに始まる。
ーー剣の光は姫神となりてーー
此は高天原、天つ神の坐します処なり。
須佐之男命、櫛名田比売命を娶りて、共に天上に在して住まひたまひき。
爾して、二柱の命には、三柱の姫神を子として迎へまつられたり。然れども、その御子は真の産子にはあらず。
本は須佐之男命の佩かしし宝剣、十束剣、別名をば天羽々斬と申す、これにして候ふ。
天照大御神、この事を戒めたまひ、剣を三つに斬り分けて、各一柱の姫神と化したまへり。
即ち、壱杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三柱の姫神に坐しますなり。
【現代語訳】
此処は天界、高天原。須佐之男命は妻である櫛名田比売命と共に天界で暮らしておられた。二人には三人の姫神が子として迎えられていたが、真の子供ではなく、元は須佐之男命が佩く宝剣、十束剣、別名「天羽々斬」であった。天照大御神はこれを戒め、三身に切り分けて姫神に変えた。壱杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三姫神である。
――――――――――――――――――――
市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、三柱の姫君、こぞりて須佐之男命の御許に参りて、かしこまり申させたまひける。
「われらを、うつし世に、よみがへらせたまへ。人の世に、仮の身を得させたまひたく候ふ。」
【現代語訳】
市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命は、一緒に、父の須佐之男命にお願いに参りました。
「私たちを人の世に転生させて下さい。」
――――――――――――――――――――
須佐之男命、御顔をおやはして問ひたまふ、
「なにゆゑに、人の世を願ふぞ。」
ここに市杵島姫命、みづから御袖を正し、つつましくも申し上ぐる。
「わたくしは、人の世のために仕へ、世の和を導かむと願ひ候ふ。
さればこそ、外つ国の理を学びて、人と人とを結びゆく、
その務め――いはば、くにとくにとの言葉をつなぐ者となりたく存じ候ふ。
されど、神ながらの御力にては果たしがたきことなれば、
一たび人の身に宿りて、学びの門をくぐりたくこそ候へ。
【現代語訳】
なぜだと須佐之男命が問うと、市杵島姫命は「わたくしは、人の世を良くするために外交官になりたいのです。神通力では叶わないことなので、人になって勉強をするために、大学に入学したいのです」
――――――――――――――――――――
さらばとて、田心姫命もまた、まことしやかに御心を述べたまふ。
「わたくしも、姉上の御志に習ひて、人の世に身を宿し、大学の門に入りて、
身体と心を癒す術――いはば、薬の道を学びたく候ふ。
されど、われの願ひ、なおその先にあり。
ゆくゆくは、病に苦しむ人々を救ふるばかりか、
天つ宙にのぼりて、星の界にて、人の命を守る術をなさんと存じ候ふ。
すなはち――天を駆くる者となり、
医の道と天の理とを結びゆく者とならんこと、
これ、我が更なる願ひにて候ふ。」
【現代語訳】
田心は、「私も姉上に習って、大学で医学の勉強をしたいと思います。更なる望みは、医学の先達となり、宇宙飛行士になる事です」
――――――――――――――――――――
ここに湍津姫命、姉君たちに続きて、うやうやしくも御心をあらはしたまふ。
「わたくしの願ひは、世の美をかたちに映し、心の奥を彩る筆の道を極めることに候ふ。
ただ一筆にて、花の匂ひも風の音も写しゆく、
かかる技こそ、われに与へられし神の御しるしと信じたく候ふ。
そのためには、絵師の道を歩み、
絵の道を学ぶための学び舎――芸術大学と申す所に、通はねばなりませぬ。
われ、筆をもて、世にあるべき美しさを創り出し、
人の心に和みをもたらす者となりたく候ふ。」
【現代語訳】
湍津姫命も、「私の目標は、日本画の巨匠になり、芸術作品を創造することです。芸術大学という所で学ばないといけません」
――――――――――――――――――――
かくて三柱の姫君、
一人は国々を結ぶ言の橋を渡らんとし、
一人は命の道を極め、星の界を目指し、
一人は美のかたちを筆に託し、世を彩らんと願ひける。
その願ひ、いづれも神ながらの御力を超えし、
人としての修行を欲するものなり。
【現代語訳】
こうして三柱の姫君は、
一人は、国々を結ぶ「言葉の橋」を渡ろうと志し、
一人は、いのちの道を究め、星の世界を目指し、
一人は、美しさのかたちを筆に託して、世に彩りをもたらしたいと願った。
その願いは、いずれも神としての力を超え、
人としての修行を必要とするものであった。
――――――――――――――――――――
ーー須佐之男命の言葉と語りーー
須佐之男命、三姫の志を聞きて、しばし御顔を伏せたまひぬ。
やがて静かに御声を発したまふ。
「まこと、いと良き志なり。
そは、神ながらにして人の道をも顧みる、まさしく尊きこころなり。」
されど、御心のうちに、なお憂ひを宿しつつ、かくのごとく仰せらる。
「――されど、汝らも承知のことなれ。
そもそも汝ら三柱の真の姿は、
わが佩きし宝剣・天羽々斬の御魂にてあれば、
一たび現し世に放てば、そのまま戻らぬやもしれぬ。
神の器を離れし神霊は、
時として人の理に引かれ、
常世に還ることままならぬものなり。」
かく申したれば、姫君たち、御前に伏して沈黙せり。
しかれども、須佐之男命、御顔をあげ、言葉を継ぎたまふ。
「されば――
汝らがその望み、いよいよ堅く、迷ひなきものなれば、
我もまた、現し世に降り、汝らを見守らん。
人の身を得て、共にこの世を歩まんとす。」
【現代語訳】
よくわかった。良い志である。須佐之男命は、一応認めたものの、このように言った。「知ってのとおり、お前たち三姉妹は、真の姿は、宝剣『天羽々斬』であるから、一度人の世に放てば、私の元に戻るか心配である。どうしてもと望むのなら、私も人の世に転生するぞ」
――――――――――――――――――――
この御言葉、傍らにて聞きおはしませる櫛名田比売命、
ややあって、静かに微笑みたまひて曰はく、
「さばかりにては、我も共に参らむ。妻として、然るべき務めなり。
さらば、天照大御神より賜はりし御言もあり。
須佐之男命の御行為、誤りなきを期して、
つぶさに見守るよう仰せつかりて候ふゆゑ。」
と、やはらかに微笑まひたまへり。
【現代語訳】
そばでこれを聞いていた。櫛名田比売命は、「そうなれば私も一緒に参ります。妻として当然のことです。天照大御神より、須佐之男命が間違ったことをしないようよく注意するよう仰せつかっておりますので」と、にっこりわらいます。
――――――――――――――――――――
昔、櫛名田比売は、神にあらずして、人にして出雲の郷に生まれたまひし。
その姿清らかにして、里人の称ふるに「比売の中の比売」と。
須佐之男命、八岐大蛇を討たせ給ひし折、これを救ひ、後に娶りたまひて、高天原に導き上げましき。
されど櫛名田比売、もとより神にはあらざれば、終には天寿を全うし、身は朽ちねども、魂は櫛となりて天に召され給へり。
かくて、神と人との婚姻の子孫たる大国主命、その神格の正しからんことを世に示すため、古の記においては「櫛名田比売、天の姫神なり」と記されしなり。
されば、作者の意を以てすれば、比売は生前より天照大御神に仕へ奉り、百年を千年に重ねて忠を尽くし、昇神を遂げたまひしものと見ゆ。
その信念は今も変はらず、須佐之男命の妻としてよりも、天照大御神の忠臣としての勤めを第一とせられし。
このたび三姫神、下界に降りて人の姿と成り、学問の道を歩まんとするにあたり、櫛名田姫命は、天照大御神の御心を受け、これを見守り導くべく、再び地上に足を運びたまふ。
これはただに母の情によるにあらず。
天つ神の命を奉じ、子らの未来に神の灯を絶やさぬための御使なり。
【現代語訳】
櫛名田比売は、元は神でなく、出雲地方の人間であったと考えます。天寿を全うし、魂は櫛となって天に召された。すると子孫のオオクニヌシノミコトの神格性が損なわれるため、生前から姫神であったとしたのでしょう。作者の想像では、天界で1000年天照大御神に仕えて昇神したものと思われます。そういった意味では、櫛名田姫命となった彼女は第一に重きを置くのは天照大御神の忠臣としての勤めで、須佐之男命の妻という立場は二の次でしょう。このたび下天するにあたっては、三姫神の行く末を心配する天照大御神の意思を受けてのことでしょう。
――――――――――――――――――――
ーーこれは語り部の伝へしことなりーー
かくして、
須佐之男命とその御一門――
三柱の姫神、そして櫛名田比売命――
みなみな揃ひて、現し世に降りたまふこと定まりぬ。
時は、西の年にして千九百八十余年、
国は日出づるところの、島の世。
御降臨の地は、鉄と光の都、昭和の日本なり。
古を忘れし世に、
神の姿隠して、ふたたび歩み出す御方々――
その行く末に、いかなる縁と争ひ、
いかなる和と真が待ち受くるや。
いまは、ただ、天の静まりを以て、
神々の旅立ちを見送らん――。
【現代語訳】
ーーナレーションーー
こうして、須佐之男命とその家族――
三姉妹の姫神と、愛妻・櫛名田比売命――
一家はそろって、人の世へと旅立つこととなった。
向かう先は、文明の渦巻く1980年代の日本。
神々の記憶が忘れ去られつつある時代。
古の力を胸に秘め、彼らは人として歩み始める。
世界を変えるためか、それとも……
かつて見失った「なにか」を、探すためか――
ーー人間界の生活事情ーー
【草薙家の家計事情 〜神様も現ナマが必要です〜】
天界より現世に住まわれたスサノオ一家の台所(1980年代、文一調べ)
◎収入
○神主業
地鎮祭、初穂料、七五三など約10万円(変動あり)
収入源としては不安定。雨天中止やインフルエンザの影響で激減も
○天界仕送り
大国主命から現金書留月20万円
「子どもたちの将来のためにな」とのこと。神印入り封筒にて届く
○奨学金
アマテラス大御神より非公開(ただし3姉妹分すべてカバー)
受験勉強・教材・模試代・交通費・学食代など支援。返済義務なし
・生活水準は質素ながら、受験において金銭的不安は一切ない。
・神主の収入は神々の尊厳とは裏腹に「ちりも積もれば」で、たまにお賽銭にお札が入っていて困惑する。
・仕送りは人間界の制度に適合するよう、郵便局から現金書留で届けられる。「天界書留・速達便」という裏設定あり。
・アマテラスの奨学金は、神の威光により文一を通じて自動振込。備考欄には「志操堅固ニ励ム者トシテ支給ス」などが書かれている。
△支出
・家賃:0円(神社敷地内住居)
・食費:約6万円(育ち盛り3人+須佐男の酒代)
・光熱費・通信費:2万円(パソコンもクーラーも無い)
・教育費:奨学金より充当(模試・参考書・交通費)
・雑費・生活費:2〜3万円
・交際費:母・櫛奈の婦人会費や須佐男の神主仲間との飲み代(※赤字になりがち)
◆バブル前夜(1985〜1986頃)の東京と草薙家
時代背景:東京にビルが建ち始める
1985年:プラザ合意により円高へ → 国内投資活発化
1986年頃から:オフィスビル・再開発プロジェクトが徐々に増加
東京・新宿・六本木・月島周辺でもマンションや中小ビルの建設ラッシュが始まる。
⇒地鎮祭・上棟式などの神事需要がじわじわ増加。
◆ 草薙 須佐男、地鎮祭に大奮闘!
「ワシの神力より、こっちの『榊の設置スピード』のほうが重宝されとる……!」
◆仕事内容の変化
・1983〜1985地域住民中心の神事(七五三、初詣、厄除け)収入は月数万円。のんびりとした日常
・1986年〜地鎮祭や起工式の依頼がじわじわと増加朝から榊を持って都内を駆け回る日々。重労働!
◇ スサノオの現場エピソード例
・都心の建設会社へ朝5時出発
・着替えの白装束を風呂敷に包んで、神輿のように運ぶ。
・地鎮祭中にビルの施主に「あの…神様って本当にいますか?」と聞かれニヤリ
「ここにおる。な、榊立てたのワシだぞ」
・現場で豪快にお神酒をあおり、若手職人から「親方、カッケえ…」と尊敬される
※草薙家の収入に好影響
地鎮祭の依頼件数月3件 → 月10件前後に増加傾向玉串料も平均5千〜1万円/件と安定収入に
月収10万円 → 15〜18万円に上昇(仕送りと併せて月35万円程度)生活に少し余裕が生まれる
【草薙家の夕暮れ】
日は傾き、月島の空が薄紅に染まり始めるころ。草薙家のちゃぶ台には、熱い緑茶と湯気の立つ炊き立てのごはん、そして今日も元気に働いてきた須佐男のどっしりとした背中があった。
夕食を終えた家族がくつろぐ中、母の櫛奈は、届いたばかりの現金書留の封筒をそっと開けると、深いため息とともに静かに呟いた。
「ありがたいことですね……でも、浪費は禁物よ」
卓上には天界から届いた“大国主命の仕送り”二十万円と、ここ数ヶ月で少しずつ増えてきた地鎮祭の玉串料が、封筒ごと置かれている。慎ましく暮らすには十分だが、三人の娘がそれぞれに高い志を抱えているとなれば、計画的に使わねばならない。
そんな母の言葉に、市杵がそっと手を挙げた。
「……通訳ガイド検定の講座、受けてみてもいいかな……?」
声は小さいが、確かな意志があった。語学への才覚に恵まれた彼女にとって、それは外交官への第一歩。
続いて、湍津がぽつりと呟く。
「……新しい画材、買ってもいいの?」
その手には、擦り切れた筆の先が震えている。目はうるうると光り、今にも涙を流しそうだった。
そのとき、ふいに畳の上をすっと歩く小さな足音が聞こえた。文鳥の姿をした霊鳥・文一が、ちょん、とちゃぶ台の縁に乗る。きらりと金の眼差しを走らせ、二人を見やると、くるりと首をひと回しして言った。
「いいだろう」
二人の目がぱっと明るくなる。
「だが」と文一は続けた。
「節度を忘れるな。君たちは神にして、受験生だ」
ちゃぶ台に一瞬、厳粛な空気が漂った。――が、湍津が「じゃあ筆は中くらいのセットにする」とつぶやき、市杵が「通学タイプじゃなくて通信講座にしようかな」と続けると、場の空気はたちまち和やかになった。
その様子を見て、櫛奈はふっと微笑む。
「まったく……うちの神々は、現世に染まりすぎですわね」
その横で、須佐男が湯呑をひとすすり。ぽんと腹を叩きながら言った。
「よかろう。神でも人でも、夢があれば金はいる。わしは明日も現場だ! 榊担いで都内をひと回りしてくるさ!」
笑い声と茶の香りが、月島の神社にゆっくりと広がっていった。
ーー神嫁、現場に立つーー
昭和五十五年、東京・月島
「ピーヒョロロロゥ……ジジジジジ……」
社務所の隅に置かれたファクシミリが、特有の電子音を響かせながら動き始めた。電話の呼び出し音のあとに、甲高い音とともに感熱紙が送り出される。印字は鮮明で、墨を落としたように黒々としている。
「また地鎮祭の依頼ね」
神主である草薙須佐男が受け取ったその用紙には、鉄筋八階建てのビル新築工事と書かれていた。施工主は、このところ月島一帯で勢力を伸ばしている建設会社だ。
「明後日、午前八時。急だな……」須佐男は突然、腰を押さえながら呻いた。「いかん……昨日の地鎮でしゃがみすぎた……」
「もう、無理しないで。代わりに私が行くわ」
妻の櫛奈が、穏やかに微笑む。
「きみが? 巫女装束でか?」
「もちろん。正式な祭主ではないけど、形式は守れるわ」
そう言うと櫛奈は、白い小袖に緋袴を身につけた。彼女はかつて高天原でクシナダヒメと呼ばれた女神。その佇まいは清楚にして凛とし、町の騒がしさの中に一瞬、異界の気配を漂わせた。
そして当日。
朝焼けのなか、櫛奈は地鎮祭の現場に立っていた。軽トラックのエンジン音が響く中、ヘルメット姿の職人たちが彼女の姿に気づき、ざわめき始めた。
「……えっ、今日は神主さんじゃないの?」
「いや、あの人、すげえ綺麗……」
「なんか……神々しいってこういうのか?」
鉄骨の山と砕石の上で、白と紅の装束が風にはためく。緊張と静けさのなか、櫛奈が祝詞を唱えると、場の空気が引き締まり、誰もが神妙な顔つきで頭を垂れた。
写真好きの現場監督が、オートワインドの小型カメラでその姿を連写していたのは言うまでもない。
数日後。
その写真は地元のミニコミ誌『月島かわら版』の表紙を飾った。特集タイトルはこうだ。
「月島に舞い降りた“神嫁”――地鎮の美しき巫女」
印刷所のインクの匂いも新しいその誌面は、たちまち地域の店舗や喫茶店、銭湯にまで配られた。反響は想像以上だった。
「電話が鳴りっぱなしだ……次の地鎮も、あの“神嫁”にお願いしたいって……」
須佐男は苦笑しながら、腰に湿布を貼る。
「嬉しいけど、ちょっと複雑そうね?」
櫛奈が茶を淹れながら微笑む。
「……まあ、家計が助かるのはありがたい。だが、なんというか……神主としての出番を奪われた気分だよ」
須佐男はあごに手をやりながら、少し拗ねたようにつぶやいた。
櫛奈はそんな彼の様子にくすりと笑い、茶を差し出す。
「あなたが、家族のために腰を痛めるほどがんばったからよ。少し、神の嫁の力も役に立たないと」
神にして夫婦。昭和の月島の一隅にて、地に足の着いた神話がまたひとつ、そっと紡がれていく――。
【参考】
◆ 1980年のファクシミリ事情とG3規格の登場
● G3規格とは?
正式には「Group 3 Fax(G3)」。
それまでのG2規格(通信に6分〜数分)に比べ、1枚あたりの送信速度が1分未満に。
モデム速度は2400bps〜9600bps(当時としては高速)。
1980年にG3が登場すると、FAXは企業間通信の「即時性ツール」として革命的に普及しはじめる。
● 市場の変化
それまでは大企業中心だったFAXが、中小企業・士業・個人商店にも普及開始。
電話回線を利用する手軽さと、文書の「そのまま」送信できる利便性が評価。
この頃から「日報」「注文書」「見積もり」などのやりとりがFAXで一般化。
◆1980年のミニコミ誌界隈:文化と熱気の手づくりメディア最前線
【1】時代背景と「情報のすき間」
1980年――日本は高度経済成長を終え、成熟社会への過渡期にありました。大手マスコミ(新聞・テレビ・週刊誌)が報道の主流を担う一方で、
「どこにも載らないが、確かに存在する現場の声や文化」
を求めて、小規模な個人・団体によるミニコミ誌(ミニコミュニケーション誌)が隆盛しました。
コピー機の普及、感熱FAXやガリ版、B5・A5サイズの手製本が主流。
表紙はセロテープで止めるか、ホッチキス中綴じ。
イラスト、コラージュ、手描きのレタリングが味。
「サブカル」と言葉が定着する前夜。
【2】主なジャンルと代表的傾向
・政治・市民運動系
全共闘の名残。反核・反体制・フェミニズム・労働運動など
・音楽・演劇・アングラ文化
ライブレビュー、地下演劇、パンク、ニューウェーブ、吉祥寺界隈のZINE、下北沢系
・学生サークル・大学文化
各大学自治会・研究会が制作。大学祭特集、詩、コラムなど関関同立、早慶MARCHに多数存在
・SF・漫画・創作小説
同人誌文化と重なりつつ、評論や連載小説あり
・地域密着型
地域商店街・市民活動・ローカルニュースを扱う『かわら版○○町』など
・フェミニズム・女性解放運動
自己表現、女性の職場・家庭における問題意識を共有
【3】技術と手法:印刷&編集の現場
・印刷所での製版(版下作り)
切り貼り、写植(写真植字)、手描きタイトル文字はプロ・アマ問わず。
・コピー誌(ゼロックス本)
コンビニコピー機の登場直前。大学生協の裏側でひっそり制作されることも。
・ガリ版・謄写版
テンプレートと鉄筆で書く、消えゆく技術。だが味のある表現として根強い支持。
・文通・手売り・郵送頒布
通販ではなく「郵送」注文、手売りはライブハウス・喫茶店・書店の片隅で。
※印刷技術の進化とオフセット化
1980年代はちょうど、ミニコミの「手づくり」から「作品」への進化期でした。
・ガリ版→コピー→オフセット印刷(軽オフ)へ
印刷所で「ミニコミ対応」をうたう所も登場
・B5→A5の美本化(カバー・表紙色刷り)
レイアウトの自由度が増し、装丁が商業誌に迫る
・一部は初版300部→2000部クラスへと拡大
オフセット導入により、漫画やイラストが映える。書店委託販売が可能になる
【4】大学ミニコミ誌あるある
・原稿〆切に遅れる編集長(だいたい原稿書いてない)
・ワープロではなく原稿用紙&手書き推奨(人間写植機)
・つい深夜まで哲学議論になって印刷作業が進まない
・イラスト担当の画力が神がかっている(同時にヘタウマも許容される)
・卒業生のOB誌がひそかに伝説化(いまや文化資料)
【5】影響とその後
・ミニコミ誌出身者のなかには、のちに以下の分野で活躍する人たちが多数:
雑誌編集者・小説家・批評家・社会学者・ミュージシャン
カルチャー雑誌創刊メンバー
同人誌からの商業進出(少女マンガ・BLもこの時代)
1980年は、ちょうど手づくりと知識の熱意がぶつかり合い、地下水脈のように文化を育てていた時代だったと言えるでしょう。
◆1980年頃のカメラ事情
“誰でも撮れる”の夜明け前
【1】キャノン・オートボーイの登場(1979年)
・日本初のオートフォーカスコンパクトカメラとして、1979年に登場。
・レンズカバーをスライドさせると電源ON、誰でもすぐに撮れる、画期的な使いやすさが話題に。
☑️ オートフォーカス
☑️ 自動露出
☑️ 自動巻き上げ(オートワインド)
・これにより、カメラは「家電」になったとも言われました。
・女性や子どもでも簡単に扱えたため、家庭用カメラとして爆発的にヒット。
【2】フィルムはまだ「銀塩」
・カラーフィルムが主流。富士フイルム、コダック、サクラカラー(小西六)など。
・感度はISO100〜400が一般的。
・撮った写真は、町の写真屋(DPE)に持ち込んで現像。数日後に受け取り。
・撮影枚数は24枚または36枚撮りが主流。
※写ルンですの登場(1986)までは、カメラは「フィルムを入れ換えて使うもの」であり、カメラ本体を使い捨てする文化ではなかった。
【3】カメラ小僧とカメラ女子のはざまで
・一眼レフはNikon、Pentax、Canonなどが主力で「父の趣味」的イメージ。
・それに対し、オートボーイは「家族の記録」「旅行スナップ」の味方。
・ミニコミ誌や同人活動に関わる人々にも、「手軽に素材が撮れる」と重宝されはじめる。
【4】当時の“カメラ周辺文化”
・フォトコンテスト、ミニコミ誌掲載写真、町の写真展などが盛ん。
・カメラバッグ・三脚・ストロボなども急成長。
・雑誌『アサヒカメラ』や『日本カメラ』などで、アマチュア写真家の投稿が活発。
・ミニコミ誌でも「写真+詩」「写真エッセイ」などが取り入れられるようになりました。
ーーカメラの記憶の物語ーー
こんなシーンが想像できます:
東京・月島。
まだ整備されきっていない路地裏、神社の裏庭にて。
櫛奈が買い物帰りにふと足を止める。
「あら……これ、桜の影でしょうか?」
文一がそっとカメラを構える。
「お母さん、動かないで。…はい、撮るよ。カシャ。」
キャノン・オートボーイの乾いたシャッター音が、昭和の午後に小さく響いた。
ーー創刊号(0号)完ーー




