7話 魔導列車④
残念ながらというべきか、幸運なことにというべきか、制御室のハッチは無事開いた。定期的に整備されているのだから当然である。
シアが梯子を登り、恐る恐る顔を出して見ると、確かに球体状に砂嵐が避けているのが見えた。列車の上には前方部に続く柵付きの狭い通路がついていて、シアでも歩けそうな安全性は担保されている。
「今のトコロ結界に問題はナサソウですね」
「うん。よかった」
(でも、このものすごい風は防げなかったのかな…)
シアは飛ばされそうになるのを必死で柵に捕まり、ゆっくりと前の方まで歩いて行った。先生によると、列車の側面部と前方部に結界を維持するセンサー類や魔力供給機関がついているらしく、それがちゃんとカバーできているか見る必要があるそうだ。
「オブニ!ちゃんと私につかまっててね」
「ワワワワワワ」
「飛ばされたら戻って来れないよ」
オブニは腕を使ってシアの背中部分に捕まると、飛ばされないように自身を固定した。
そのまま二人が列車の一番前の車両まで進むと、奥に人影が見えてきた。輝くような金髪の男性である。確か、アリアがキラと呼んでいた。
キラはシアが風に押されながらよたよたとやってくるのを見て、少し驚いたような顔をした。
「シアさん?どうしたんです。先生の手伝いじゃなかったのか」
強風の中で音が聞き取りづらく、シアは大声で返事をした。
「その先生に結界が無事かどうか見てこい!って言われてきたんです。それと、何か困ったことはないですか?」
キラは
「困ったことか…」
と顎に手をやって考え込んだが、何か思いついたようだった。
「実はそろそろ砂嵐を抜けるんですが、その直後に巨獣の第一波と接敵すると予測が出ています。しかし今、ディヨンさんとアリアが後方を見に行っているのですが、敵の数が読めないのと、機械が魔力濃度の上昇により上手く作動しなくて距離もわからない。なので、気を抜かないようにお願いします。」
「わかりました。伝えておきます」
「何せこの砂嵐で視界が遮られている。目視できれば対応も楽なんだが」
シアは背中のオブニに聞いた。
「オブニ、巨獣との距離や数は分かったりしない?」
「計測中…細かい魔力反応を確認していますが、おそらく風に巻き上げられた魔力の誤反応でしょう。大きめの反応はあと、10分ほどで進行方向に到達する模様です」
「10分…砂嵐が晴れるのと同時期か…それが分かっただけでもありがたいですね」
キラは唸りつつ剣の柄を触った。
シアはそれを見て、不思議に思っていたことを尋ねた。
「その剣…すごく大きいですね。重くないですか?」
「うん?ああ、これは魔剣ですから魔力で刃を作ります。なので刀身に重みはほぼないんですよ。実質的には鞘と柄ですね」
そういいつつキラは少しだけ剣を抜いて見せてくれた。確かに、柄と本来刀身があるはずの場所についている金属製の短い芯のようなものの先には何もついていない。
「使うときはこの芯を覆うように魔力が刀身を形成します。通常の剣と異なり、切れ味が落ちないので便利なんです」
「そうなんだ。知らなかったです」
「弊機も魔剣ヲ見るノハ初めてです」
シアは感心しきりである。オブニもシアの背後からせわしなく魔剣を観察した。
相変わらず列車は砂の壁に囲まれ、今は夜であるはずなのに狭い視界には何も見えない。大量の砂が結界にぶつかり轟々と叫び声のような音を立てている。シアは狭いドームを見渡した。
砂色のカプセルに閉じ込められたようだとシアは思った。
列車の屋根についている照明だけが煌々とあたりを照らしている。夜間走るために通常の明かりよりも光度を上げているようだ。
シアは屋根を元いた方向へまたゆっくり戻ると、階下の先生たちに報告をあげた。
先生は気難しい顔で上を見上げると、
「わかった」
と頷き、もうしばらく上で待機しろと言い捨ててどこかへ去っていった。
当然室内に戻れると思っていたシアは顔に悲壮感を漂わせて、分厚い金属製のハッチが閉まっていくのを眺めた。
その様子をそばで見ていたキラは苦笑しつつ考え込んだ。
「しかし妙だ」
「?何がです?」
「私は普段大砂海北部の都市で活動しているんですが、中央の大移動はまだ1ヶ月ほど先だと思っていました」
確かに、とシアも頷いた。先ほど自分も抱いた疑問だ。
普段であればもうあと1、2週間は後で大移動が起こることが多いのだ。
「まだ『海』も来てないですもんね」
「異常気象ナンカの噂も聞キマセンシネ」
オブニも同調するように意見を述べた。
「何かに追われている?しかし竜の発狂報告もないしな…」
キラは少し考え込んだが、悪い予感を振り払うように首を振った。
「まあ考えすぎか……」
キラがそう呟いたその瞬間、ギャリギャリギャリと不快な音がして、|結界に正体不明の物体が大量に追突した。すりつぶされ、灰になった身と、小粒の魔石がシアの足元まで転がってくる。
「これって……!」
シアが驚きの声を上げ、オブニが
「魔力反応を修正。申し訳ありません。先ほどの大量の魔力反応は巻き上げられた砂ではなかったようです、これは刃魚の群れです!」
と訂正した。
「群れごと巻き上げられたか!」
キラは舌打ちし、魔剣の斬撃で向かってくる刃魚を切り捨てた。視界が一度開けるも、数が多く視界不良で瞬く間に刃魚の突進が切れ間なく追撃する。
「これでは砂嵐が晴れても迂闊に動けんぞ…!」
刃魚とは、大砂界に特有の魚のような見た目の巨獣である。キラキラとした鱗に鋭く尖った顎を持った細長い魚のような見た目をしていて、非常に素早く動くことができる。体そのものは柔らかく脆いが、動き回るスピードが速く、対象に突き刺さると命に関わるほど危険な存在でもある。
基本的に群で行動し、魔力を感知して突進するという性質を持つため、大砂海でも船が穴だらけになる事故が多発している。人体に衝突すれば間違いなく大穴が開くほどの速度で、巨獣であるためもちろん食べることもできない。
このような理由によって、刃魚は大砂海内の漁師には危険視され嫌われている。今回も軽い体ごと強風に巻き上げられてしまったようだ。
オブニが唐突に
「警告!警告!超巨大魔力反応接近中!最大級の警戒を行ってクダサイ!」
とさらなる警告音を発信した。
「なんだと?!」
キラが驚愕に目を見開く。
「まずい!そうだ!刃魚の群れが来てるってことは…」
シアが恐怖に脚を震わせていると、後方から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「キラさん!周りがやばいことなってる!剣みたいな魚がいっぱい飛んできてるよ」
「結界が破れれば、列車ごと穴だらけになります。しかし魔術で消し飛ばそうにも数が…!」
身体中を砂まみれにしながらアリアとディヨンが帰って来た。刃魚は幸いにも彼らの体を傷つけてはいないようだが、状況は刻一刻と悪化への道を進んでいるように見える。
しかし、シアには周りを気遣う余裕はなかった。
刃魚が大砂海で嫌われ者である理由は、もう一つある。
───刃魚の別名は悪兆魚。この巨獣は次に来る災いの前兆でしかない。
シアは力の抜けかけた足に力を込めて叫んだ。
「刃魚で焦ってる暇じゃない!この群れがいるってことは、そいつらを食べる捕食者が来るッ!……」
「なんですって?!?!」
シアの声を聞いた3人が警戒体制をとった瞬間。
────ラァァァアァァァアァァァアァァァアァァァア
笛の音のような、人の歌声のような強烈な音があたりに響いた。反響するもののない砂漠においてこの音圧。
「ぐぅぅうっっ!!!」
その声を聞いた瞬間、全身に重圧がかかったかのように重くなった。
自然界においては当たり前の威圧。意志弱く、脆い生物全てにプレッシャーを与える。
思わずシアは耳を塞いでへたり込んだ。
オブニがシアを気遣いつつ、焦ったように報告する。
「砂嵐ヲ抜けマす!」
そして、一瞬ののちに視界が開けた。
地平線まで続く砂の海に満点の星空。そして天上に輝く二つの月。1つは満ちており、もう1つは不自然な形で欠けている。
いつもと変わらぬ大砂海の風景。
そして異様なモノが一つ。
彼女たちの目に映っていたのは、ありえない現象だった。
「地面が、割れてる…」
すなわち、砂漠の地面が裂ける光景。
暗闇の奥底に砂が流れ込み、埋もれていく。
そしてそこから飛び出した存在がいる。
「砂クジラだと?!刃魚を追ってきたのか!!!!!!」
「これが大移動の原因?!」
それは長大なヒレで地面を打つとその勢いで宙を舞い、巨大な質量を夜空に踊らせた。
それは全長が列車ほどもあり、まるで船のような存在だった。砂色の体はところどころ苔むして時を感じさせる。
砂漠において全ての頂点に立つ生物。巨獣も人もそれの前には全てが矮小だ。
キラが必死の形相で振り返って叫ぶ。
「伏せろ!」
ディヨンがシアを引き倒し、強引に伏せさせた。咄嗟のことで息が詰まり、シアは思わず咳き込んだ。ディヨンは伏せさせたシアを気遣いつつ油断なく砂クジラを見つめた。
砂漠の主は目の前の餌にのみ興味を向けているようで、ちっぽけな人間がそこで足掻いていることにはなんの興味も示さない。
────ラァァァアァァァアァァァアァァァアァァァア
もう一度砂漠の主は鳴いた。今度は捕食のために。
砂クジラが口を開けて刃魚を飲み込む。
何千何万もの生命がそれの中で悲鳴の歌を歌った。その黒い腹が夜空を覆う。まるで星のない夜だと、場違いにもシアは思った。
(ああ…これはもうダメだ)
このまま砂クジラに列車ごと押しつぶされて死ぬ。
フレイの願いも果たせないまま終わるのだ。シアが諦めて目を瞑ろうとした、その時だった。
「僕が道を切り開く!ッッ行け!!!!!!!」
「間に合えぇぇぇぇ!!!!!!!」
キラとアリアの絶叫が夜空に轟く。
まさに神業であった。
キラは魔剣の鞘を杖として扱う、世界でも珍しい魔法剣士である。そして今、キラは鞘に通している魔力を全て攻撃魔術の展開に回していた。
「ハアッッ!!!!」
爆炎がレーザーのように砂クジラよりも下にいた刃魚の群れを焼き尽くし、人ひとり通れるほどの狭い道を作った。
砂クジラの身体が結界に触れ、それを大きくたわませた。列車が衝撃で大きく揺れる。
しかし、それを一瞬にして把握したアリアは魔力をありったけ込めて、
跳んだ。
「【ゼ・ヴィヴィ】」
その凪いだ一言で魔力が爆発した。
夜の空に突如もう一つの星が現界したかのような閃光が輝く。
それは、人が持つ、全ての盤面をひっくり返しうる切り札中の切り札。
───魔法である。
「ァァァアァァァアァァァアァァァア?!?!?!?!」
砂クジラが苦悶の声をあげて哭いた。宙を飛ぶクジラの勢いが落ちる。砂漠の頂点が一つ、この日絶命した。
「ッハ、さすがだ」
キラが短い賞賛を贈る。
たった一撃。それで充分だった。
赤く腕を発光させたアリアは、月を背に砂クジラを真っ二つに割いていた。
見事なまでの一刀両断。
砂クジラはそのまま走行する列車の左右に分かれて墜落した。肉塊と大量の血が先生の張った結界に雨のように降り注ぐ。その衝撃で列車はまた上下左右に激しく揺れた。
質量の暴力に屈したバリアのあちこちが次々にヒビ割れ、しかし、そのどれもシアたちまでは到達しなかった。
「すごい」
純粋な賞賛の呟きがシアの唇から零れた。
キラは一つ軽く息をつくと、構えていた鞘を剣帯に戻した。
「【解除】」
キラが呟くと、燃え盛っていた炎が光の糸のように解けた。燃やしていた敵ごと、ベルベットの布のようにフワリと線路脇の大地に沈んで行く。
そしてアリアは皆が見守る中、荒い息を吐きながら列車の屋上に着地した。
その体は、彼の元々赤い髪のように砂クジラの血に塗れている。角から体液が滴り落ち、青金の瞳が興奮に揺れていた。
そして、アリアはニッと笑って無言で待っていたキラとハイタッチした。
そして、残り2人を見渡すと
「イエーーイ!!!」
と一回快哉を叫んだ。
トマトジュースを頭からひっかぶったかのような惨状と、砂クジラの体液による異臭が当たりを真っ赤に染めている。
あたりが真っ赤な海になった中を、月明かりが照らしている。列車はとまらず線路の上を走り続けた。