4話 魔導列車①
ぞろぞろと5人プラス1機が食堂車に向かうと、既に20人ほど乗客と乗務員が集まっていた。イライラしている身なりの良い小太りの獣人の男性や不安そうな顔の小人族の夫婦など、さまざまな種族の乗客がテーブル席に座って説明を待っていた。
想像しているよりはかなり少ない数の人数だとシアは思った。
シアたちが別のテーブルに案内されたことを確認すると、乗務員の中でもっとも立場が高そうなリーダー格の妖精族の女性が話し始めた。
「このようなお手数をおかけし誠に申し訳ありません。まずは当列車を代表し、私、ディヨンがお詫び申し上げます。そして先ほどの停電の件ですが…」
リーダーはディヨンと名乗ると、現状について説明し始めた。
「まずは当列車の現状についてお話しいたします。当列車は、ただいま大陸中央駅を出発し、環状墓所群バシュに向かっておりました。」
「おりました?」
最も扉に近い席に1人座ってコーヒーを飲んでいた金髪の旅人族らしき若者が眉を跳ね上げ尋ねた。
「過去形ということは、砂嵐かなにかで経由地が変わったのですか?」
砂嵐は大砂海で発生する自然現象だ。大規模なものは稀だが、発生した場合は路線や目的地を変更することはままある。だれも暴風と砂の中に飛び込みたくはないからだ。
しかし、若者の声にディヨンは首を振った。
「それはあり得ません。確かに今、当列車は大規模な砂嵐に巻き込まれています。それだけならば、普段でもよくあることでした。問題は、」
ディヨンは息をひとつ吸い込むと、曲げられない事実を告げた。
「このままでは巨獣の大移動の進行方向と当列車がかち合うということです。」
食堂車はにわかに騒がしくなった。何人かの客が弾かれたように立ち上がり、他のおとなしい者たちは恐怖に怯えた表情を見せた。
「巨獣だと?!雨季はまだのはずだ!運行ルートは正しいんじゃあなかったのか?!」
「そんな…」
「皆さん、落ち着いてください!」
乗務員が騒ぎを収めようと声をかけたが、それがむしろ油に火を注ぐ形になった。
乗客の何人かはいきり立ち、
「これが落ち着いていられるか!」
「そもそも、スチルベル社は旅の安全を保証しているだろう?!巨獣の移動ルートだって把握しているはずだ!」
と鎮痛な面持ちのディヨンに詰め寄る。
食堂車は恐慌状態に陥った。当然だ、戦闘に長けたものしか倒せない巨獣が群れをなしている。なす術なく蹂躙される可能性すらある。
人々の恐怖の理由は他にもあった。巨獣は魔力のある生物を好んで襲う。もちろん人間も例外ではない。そして巨獣に襲われたら最後、死体は食い散らかされる。形ある見送りなどできないほど尊厳を汚されるのだ。
其れらと列車が接触するかもしれないというのだから。
「列車が破壊されれば、私たちは生きて巨獣どもに喰われることになるわ、そんなの無理よ!」
「ナルバリオの悲劇を忘れたとは言わせん!」
シアはオブニを腕に抱きながらオロオロと周りを見回した。同じ席のニコとヘレンは不安そうに顔を青ざめさせているものの、落ち着き払っている。もう1人のアリアは何か思案しながら先ほど初めに発言した金髪の男を注視しているようだった。随分と堂々としている。こういうことには慣れているのだろうか、とシアは思った。
その男は、視線に気がついたのだろうか、チラリとアリアの方を見てからひとつため息をついた。そして持っていた長剣を鞘ごとカン!と床に叩きつけた。澄んだ音が響き渡り、その音で混乱していた食堂車は水を打ったように静まった。
男はゆっくりと口を開くと、
「あまり騒ぐのは得策ではないでしょう。ミスがあったとはいえ、彼女たちも予測できているなら回避しているはずだ。責任の所在を考えるより、今は我々にできることを考えた方が建設的かと」
と静かに提案した。そうして、騒ぐ客を取りなしていたディヨンに発言を促した。
ディヨンは少し目を見開くと頷いてまた話を再開した。
「え、ええ。ありがとうございます。皆様には本当にご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご協力お願いいたします」
「当面の間ですが、我々は何をすべきですか?」
男は尋ねた。
「現在の状況を詳しくお伝えすると、問題は2つあります。1つ目は今の砂嵐によって地上の魔力も巻き上げられており、線路付近の魔力濃度が上昇していることです。そのせいで、通信環境が不安定になっているのです」
魔力濃度は世界各地で様々に異なる。全くゼロに近い地域もあれば、高い地域もある。あまりに高過ぎない限り、人間や動植物などの生命体にとって魔力の濃度の高低は特に問題にはならない。魔力濃度がゼロの地域では魔術はほぼ使えず、逆に高い地域では使いやすい。その程度の違いである。普通に暮らす分にはたいした問題ではなかった。
しかし、機械は別である。魔力濃度が高い地域では、精密機器は異常をきたす。基板に過剰な魔力が流れるせいだとも、帯電するせいだとも言われているが、とにかく精度が落ちたり、狂ったり、最悪壊れたりすることがあるのだ。
ぼんやりとディヨンの説明を聞いていたシアだったが、その言葉にギョッとした。オブニはどう見ても精密機器である。
慌ててオブニに小声で話しかける。
「ねぇ、オブニは大丈夫なの?濃度が上がってるって」
オブニはモゾモゾと動きながらモニターを光らせた。
「砂嵐程度なら問題アリマセん。それにイザトナレば強制的に活動を一旦停止しマスので」
「そうなんだ。不味くなる前に言ってね」
「ええまあ、よっぽどでなければ大丈夫ですよ」
2人がこそこそ話している間にも会話は進み、ディヨンは次の懸念点に進んでいる。
「2つ目は当列車の耐久性です。当列車は災厄級の砂嵐と巨獣、そのどちらにも耐えうる強さを持っていますが、念のためこの前方車両の装甲に防御魔術を集中させ、脱線しないギリギリまで走行速度を上昇させます。そのために魔力を温存するつもりです。先ほどの停電もその一環とお考えください」
「そこで、皆さんにお願いしたいことがあります」
そう言ってディヨンの隣に先ほどシアたちを呼びに来た中年の魔術師ともう1人別の若い魔術師が歩いてきた。
「お客様の中に対巨獣戦闘・魔術・結界。これらの知識がある方はおられますか。どうかお力をお借りしたい。身勝手だが、どうかよろしくお願いします」
食堂車は沈黙に支配された。時が凍ったように誰も動こうとしない。当然だ。対巨獣戦闘に乗客を駆り出すなど正気の沙汰ではない。
しかし、静まり返った中で動く者がいた。
「わ、私は少しなら結界術に関する心得がある!」
「私も出よう。中央砂海の巨獣は初めてだが、力になれるかもしれない」
小太りの鹿獣人と先ほどの金髪の男が進み出た。シアのいるテーブルでも1人の少年が立ち上がる。
「僕も」
近くに居た小人族の男が目を剥いて反対した。
「お前は子どもじゃないか、安全な場所にいないとダメだろう」
アリアは彼を見て首を振る。そして言葉短かに言った。
「僕は尖塔都市出身の探索者だ。」
金髪の男が鋭い目線で尋ねる。
「…到達階層は」
「68階」
「十分だ。背に腹は変えられません。行きましょう」
そう言って3人は中央に集まっていく。
シアはまたもやうろうろと目線を彷徨わせた。他にはもう名乗り出るものはいない。
もちろんシアも名乗り出る気はなかった。魔術や結界に詳しくはないし、戦闘能力もないからだ。
しかしどうしても気まずさを拭えない。
(あれ?…でも私ホッとしてるのかな)
胸を満たすのは緊張や恐怖ではなく安堵であることにシアは困惑していた。
(私、自分に出来ることがなくて喜んでるの?)
しかし、そこで今までずっと黙っていたヘレンが声を上げた。
「あの!私、戦闘はできないけど、雑用でもなんでもいいわ、何か他にできることはない?」
ヘレンに続いてニコも手を上げた。シアは顔を弾かれたようにあげた。
「僕もお手伝いします」
「しかし…君らは」
先ほど皆を案内してくれた中年の魔術師は戸惑いながら言葉を濁した。しかし、ヘレンは
「躊躇っている暇はある?あなた方だって使えるものは使わないと。それに、私たちが足を引っ張ることになるのはイヤなの」
と堂々と言い放った。
すると先ほどまで怒りの声をあげたり、困惑したりしていた他の乗客たちも、戸惑いつつザワザワと声を上げはじめた。
「俺も!なんもできねーけど子どもにばっかり仕事を任せるのはマズイからな」
「私も!」
「俺もだ!」
成り行きを見守っていたディヨンはまた頭を深く下げた。
「皆さん、ありがとうございます」
◇◇◇
食堂車は対策本部として、乗客と職員によって必要のないテーブルが端に片づけられた。
中心に路線図と、通信機など必要な機器類が置かれ、車掌であるディヨンが指揮をとっている。
子ども連れや老人など、あまり動けないものは安全を考慮して最も食堂車に近い部屋に案内され、働けるものは荷物室から乗客の荷物を運んで空いた客室に移動させた。
シアは他人の荷物を傷つけないように運びながらため息をついた。
ニコはそれをめざとく見つけて声をかけた。
「どうされました?」
シアは曖昧に微笑みながら首を振った。
「ううん。私、何もできてないなぁって思っただけだよ」
「今、荷物を運んでいますが」
とぼけた様子で言うニコに苦笑をこぼしてシアは答えた。
「まあそうなんだけど」
「先ほどのことですか?」
「うん。アリアくんたちが前に出ていったとき、私は、自分に出来ることがなくてよかったって思っちゃったんだ。こんな状況で前に出るなんて怖いでしょう。でも、ヘレンさんやニコくんが手を上げたから、それでそんなこと考えた自分が恥ずかしくなって」
ニコはふむ、と考え込むとゆっくりと答えた。
「別にそれは問題ではないはすです。彼女が特別なことを言ったわけでもない。そもそもあの発言があの状況で正しかったとも称賛されるべきとも思いませんし。前の僕なら見向きもしないで、事態を静観していたかも。別にそれで状況は悪くならないでしょうしね」
「…そうなの?」
シアは首を傾げた。
「ええ、どのみち一般向けのお願いごとでもらぬされたでしょう」
「じゃあなんでヘレンさんは自分からやる、って言い出すことにしたんだろう」
シアの疑問にニコは手を止めてゆっくりと答えた。
「まああんなのはキッカケに過ぎないとは思いますが、あの時彼女が思い切ったのは、それが善いと思ったからでしょう。僕らはいずれ魔術師になるから。」
「魔術師になるから?」
荷物を空き部屋に置くとニコは勝手に休憩とばかりに備え付けのソファに座り込んだ。
「僕ら3人が一緒に旅をしている理由は言いましたっけ?」
シアは首を振った。
「ううん、聞いてない」
「そうですか。僕らは今、魔術学院に入学するための試練の最中です。この試練というのが無事、魔術学院の門を叩けたら入学できる、というものなのですが」
「なんか…雑じゃない?」
「ソンナノデ生徒のなにがワカルんデスか?」
シアとオブニが口々に感想を言った。
ニコは声をあげて笑った。
「あははは!確かにそうですね。」
ただ、とニコは笑いを収めると続けた。
「そもそも僕らみんな魔術師になるつもりじゃなかったんです。でも、なると決めたからには変わらなければ、魔術を使うとはそういうことですから」
「変わる?」
「ええ。僕らは変わらなければいけないのです。例えまだひよっこに過ぎなくても、魔術とは力そのもの。そして『力を持つなら、少しでも善い方向に。』ま、この言葉も受け売りですが、今は少しだけわかります」
そういうと、ニコはまた荷物を取りに部屋を出ていった。シアとオブニは部屋に取り残された。
「『力を持つなら、少しでも善い方向に』」
シアは先ほどのニコの言葉を反芻する。そういえば兄のフレイも昔、同じようなことを言っていた。
魔術師は普通の人間が持たない力を振るえる。だからその力に責任を持たなくてはいけない、と。
(難しいな、その選択が善いものだっていう保証はどこにあるの?)
シアは思った。
「ほとんど年は変わらないように見えるのに、なんだか立派だなぁ」
シアが考え込んでいると、黙って聞いていたオブニがポツリと溢した。
「…弊機は別に、お嬢に問題がアルとは思イません」
シアは笑ってオブニのつるりとした体を撫でた。
「なあに?突然どうしたの?」
「生命体に取るべき行動というものは存在しません。お嬢の選択はお嬢だけのものですから」
「もしかして慰めてくれてる?」
「……弊機はお嬢の物デス。お嬢のタメニできることはナンデモしまスよ」
「ありがとう。だけど、できないことに甘んじてたらダメだよね」
「ソウデスカ?」
「だってせっかく旅に出たんだもん。お兄ちゃんも気晴らしだって言ってたし。だからそうだな…なら、まずはきみを頼ることにする。できることを増やすのに遅すぎるってことはないはずだから。どう?手伝ってくれる?」
オブニは体を回転させながら
「お嬢が言うナラ」
静かに述べた。