2話 出立
石鹸で擦ったり、魔力をこめてみたり。ありとあらゆる方法を試したが、本当に指輪は外せなかった。シアが無駄な足掻きをしている間も、起きたばかりのロボットはふわふわとシアの家を見て回っていた。まるで呑気なペットである。
「それで、あなた名前は確か、」
「オブニデス」
「ああそうだった、オブニね。それで私はどうすればいいの?私、旅なんてしたことないよ」
「マずはコチラをご覧クダサイ」
不貞腐れて床に座り込みながらシアはぶすくれた表情で聞いた。ふよふよとシアの目線まで降りてきたロボットはピピピと鳴ると、半透明のウィンドウを空中に展開して地図を出した。
「ロボットって私初めて見たんだけど、こんなこともできるの?」
「マァ大抵のロボは無理でスが、弊機は特別デスから」
「すごいね」
「ソウでしょう、そうデショウ」
どこか得意げにオブニは述べると、説明し始めた。地図上にマークが二つ現れ、間を点線が結んでいる。
距離はかなり遠いと言えるだろう。砂漠を越える必要もある。
「我々ガ今いるのハ大陸中央イカタ高地の星軌都市メテオラです。そして、目的地はこの大陸極西の常灯都市トゥリア」
「ここに行くには大砂海を越える必要がある…ってことだよね」
「エエ。現在はギリギリ乾季ですカラ、地上、ツマリ魔導列車に乗っていくのが定石カト」
「大陸中央からトゥリアまではどれくらいかかるの?」
オブニはウィンドウを閉じると、新たな画面を表示した。シアはその文字を見て唸った。
「片道だけでも最低1週間か。列車に乗りっぱなしは流石にキツそうだし…どこかで下車して休みつついくのがいいかも」
「デシタラ、オレルカリマ国と常緑都市スヴェルクランを経由するルートはイカガデショウ?」
「どっちも行ったことないけど、ラジオなんかでもよく聞く観光地だし、治安も最低保証…流石に大丈夫…だと思いたい」
シアはうーんと眉間に皺を寄せる。いくら観光地でかつ魔導鉄道を使うと言えど、いくらナチュラルボーン天才の兄が作った万能ロボと一緒と言えど、女一人と機械一台(?)で大陸の半分を旅をするのは少々心細い。
シアは生まれ育った星軌都市からは出たことがなかったし、大砂海は無人地帯が多い分、ならずものの棲家になっている場所もあると兄に聞いていた。鉄道に乗るだけとはいえ、気をつけて損はない。
「ご安心ヲ!お嬢を守る程度ノ防御プログラムナラ、弊機ニ搭載済みデス」
「それって巨獣からも身を守れるくらい強い?」
機械は沈黙した。シアは腕を組んで頷いた。
「そう。戦闘力はあんまり期待しないでおくね、あなたも私も」
「砂イノシシ程度マデナラ停止サセラレル馬力は、アリマスカラ…」
シアの懸念点はもう一つ、先程尋ねたとおり巨獣にもあった。
巨獣とは、なんらかの魔力から影響を受けて凶暴化した生物のことで、通常の生物よりも巨大化し、魔力が結晶化した石のような物体である魔石を備えていることから巨獣と呼ばれている。普通の生物のように生態系の中で暮らしているものの、死亡した場合に死骸がほとんど残らず灰に変わることが特徴だ。
とにかくそれが都市外にはウロチョロしているのだ。巨獣を狩れる人間は魔術師や戦闘職のハンターなど限られている。もちろん、其れらを狩ることを商売にしているものもいるが、とにかく普通の野生動物の何倍も危険だ。一般人は出会ったが最後嬲り殺しにされてしまうだろう。
(だからってこのまま家にいるわけにいかないか)
くよくよしていても仕方がなかった。どのみちおばさんに会うためにトゥリアには行かなければならず、そのためにはメテオラを出る必要があるのだから、とシアは無理やり自分を納得させた。
「とりあえず、着替えるね。準備はそれからかな」
「ハイ」
◇◇◇
結局、シアは悩みに悩んだ結果、オブニの助言も交えつつカバンに荷物を詰めた。最初シアは大きめのカバンに衣服やら何やらを詰めようとしていたが、オブニが反対した。
「ソンナニ持って歩ケルンデ?」
「多分?というかオブニが持ってくれたりは…」
「別ニ弊機が持ッテモイイですケド、振リ回シテ他人ニ当テルカモ知レナイデスヨ」
というやりとりがあり、シアは諦めた。
最悪要るものができても現地調達することにして、旅行資金と貴重品、念の為フレイが適当に置いていった水薬などを入れた。
最後にオブニがカバンを持ってふわふわ浮くと、二人は家を後にした。
大砂海は文字通り大陸中央に位置する巨大な砂漠地帯だ。そしてシアの住む星軌都市メテオラは大砂海の高地に存在する。そのため二人は乗り合いのトロッコ列車で麓の大陸中央駅まで降りた。
駅はターミナル駅ということもあり、人も多くごった返している。妖精族、獣人族、旅人族、etc…。たくさんの種族が駅には集まる。顔も知らず、人生が二度と交わることのない人々が毎日大量に行き来するのだ。そうして駅のホームでは悲喜交々の出会いと別れが繰り返されている。
シアは迷子にならないようにオブニを連れて目的のホームを探した。
「オブニ、トゥリア行きってホーム何番だっけ」
「7番ホーム発デスヨ」
「わざわざ山の頂上まで来ないってだけで、やっぱり麓は人が多いね」
「大陸中央駅はスチルベル鉄道をハジメ、沢山ノ路線ガ集マリマスカラ。皆ココカラ大陸各地に散ッテ行クのデス」
「これが雨季になればほぼ無人になるっていうんだからびっくり」
「エエ」
たくさんの人混みを掻き分け掻き分け、ようやく二人は目当ての7番ホームに着いた。大砂海横断鉄道は基本的に寝台列車の本数が多い。大砂海内の都市は基本的に小さく、一つ一つが国のように独立した機能を持つが、隣接する都市までの距離がとにかく長い。
そのため何時間もかけて一つの都市を結ぶことになる。よって通勤通学、途中下車といった概念が大都市部より薄く、長旅になるのだ。
そして当然席にもグレードが存在する。オブニは難色を示したが、シアは節約のために三等級のシートを購入した。
「一等級は流石に無理だけど、奮発して二等級でもよかったかな〜?でもお金がなあ」
「弊機はドウカト思イマスケドネ、他人ト同ジ部屋デ寝起キスルノハ」
「お兄ちゃんはともかく、私は薄給なの。1週間プラス観光地での宿泊料金を考えたら安く済ませないと。帰りの分だって必要なんだから」
「ワザワザ貨幣を使ワズトモ魔力払いデモ良カッタノデハ?」
「魔力払いは金額の上限が低いし、『自分の魔力をどこの馬の骨ともしらねぇヤツに見せるなんてダメだ〜』ってお兄ちゃんも言ってたし、私もそう思う。まあ、余裕がなくなったら試してみてもいいんだけど」
魔力払いはここ10年ほどで出てきた概念である。
昔から魔石による売買はどの地域でもよく使われる交換手段だった。この世界では列車の線路が各都市を結び、他にも交通手段はあるものの、都市同士が孤立している地域が多く、通貨はあまり流動しない。
ところが、世界中では一部を除いて魔力があらゆる物のエネルギー源として使用されていることが多い。動力にも魔術にも、生活に魔力は欠かせないのだ。
そのため、通貨よりも価値の変わりにくい魔石でのみ買い物ができる地域も田舎などでは少なくない。
そして最近普及しているのが、魔力そのものを使った支払いだ。これは研究者が人間も魔力を保持していることに着目して開発されたものだ。これによりちょっとした買い物くらいであれば自分の魔力で支払うことも可能である。魔力を貯めておく装置はどの都市でも普及しているからだ。
ただ、魔力払いは魔力量に個人差があり不平等であること、さらに自分の魔力が取引先に登録されてしまうため、プライバシー的に問題視されてからは、国際的に規制が敷かれている。
他にも、支払いには上限が決められるようになったりしたため、大きな取引はできなくなった。そういうわけで、世界では今でももっぱら現金での支払いが一般化している。
こういう事情もあって、シアは基本的には魔力払いは使わないのだ。
一応オブニは納得したようだった。
「ソウデスカ…確かに弊機ガお守リスルノデ、心配ハ入りマセンカネ…」
そう述べたものの、オブニは不安そうにシアの周りをくるくると旋回した。
「なあに?どうしたの」
「ヤハリ心拍数が上昇シテイマス。緊張シテいるノデハ?」
「それは、まあ。初めての旅だから。というかそんなこともわかるの?」
「スキャン機能でアナタのバイタルは常にチェックしてイマス。他ニモ、子守唄、ラジオ放送、天気予報、ナドナド受信可能」
「全くお兄ちゃんってば、凝り性なんだから」
シアが呆れていると、アナウンスがかかり魔導列車がホームに侵入してきた。随分と物々しい見た目をしている。
まるで鋼鉄の塊のようだとシアは思った。巨獣除けのためだろうか、分厚い装甲に車体が覆われ、窓は最低限のみついているようだった。まるで動く檻である。
「……移動スル監獄カ何カに見エマスガ」
「……失礼なこと言わないの。」
自分も若干そう思ったことを棚に上げて、シアはオブニに注意した。しかし歯に衣着せぬロボットはなおも言い募った。
「スゴク固い魔術がカカッテマスシ。内ニモ外ニモ」
「途中砂嵐だってあるし、巨獣とか砂クジラなんかもうろついてるんだから仕方ないよ。つよーい魔術がかかってるのは安全ってことなんだから。それに列車を提案したのはオブニでしょ。まさか徒歩で大砂海を行くわけには行かないし」
「ソレはソウナンデスガ」
「さ、もう乗らないと」
「…ハア。了解デス」
そう言って二人は魔導列車に乗り込み、長い長い旅に乗り出した。彼女たちはまだ知らない。この度が順調になどいかないことを。
目当てのコンパートメントに辿り着き、二人はとりあえず荷物を片付けた。始発駅ということもあってか、運良く他には同室の客がいない。
部屋には左右の壁に3段ずつ寝台がついている。1番下の段は通常時は座席になっていて、寝る時は寝台にするようだ。上の2段は落ちそうなものだが、寝台が壁に向かってやや傾いているので落ちないという触れ込みである。窓側に梯子ががあって登る時はそれを使うようだ。
落ち着くとまた兄への怒りがふつふつと湧いてきた。仕方なしに西行きの列車に乗っているものの、とてもとても不満だった。本当なら今日はずっと読みたかった本の新刊が入荷する予定だったのだ。シアは一冊それを取り置きしていたし、それを書棚に並べるのを楽しみにしていた。
「トゥリアか…」
シアは一人呟くと窓の外を見た。外は果てしないばかりの砂漠が続いていて、さっきまで焼き尽くすようだった太陽がもう沈もうとしていた。出発したのが午後だったので、見える全てが橙に染まっている。ときおり、オアシスを通過したり、蜃気楼の中に都市が見えたりした。
オブニは荷物を網棚に置いた後は、魔力を充填する必要があると言ったきり、シアの膝の上で停止して動かなくなった。初めて持ち上げた時のように重くないので、完全に電源が落ちたわけではなさそうだ。どうやらシアの魔力で動いているらしい。
(魔力の充填もこの指環経由でされてるのかな)
シアはまじまじと指環を見た。すっぽりと嵌まって取れない指環。しかし締め付けて痛いというわけでもない。おそらくは最初に指輪をつけた時に何か光ったから、その際に魔術でもかかったのだろう。考えたところでわからないし、とシアは考えるのをやめた。
シアはまた目線を窓に移した。小さな窓に冴えない印象の娘が映っている。背中まである暗灰色の髪に眠たげな氷のような色の目。昔から暗く冷たい印象を与えがちな自分の見た目が、シアはあまり好きではなかった。
憂鬱な気分を振り払うために、シアは膝の上のオブニを抱えて立ち上がり、列車の窓を少し開けた。冷房の効きが少し強すぎると思ったからだ。
砂が巻き上がり窓から入ってきそうなものだが、先ほどオブニが言ったとおり強固な防砂魔術がかかっているようで生暖かい風だけが入って来る。
ヴヴヴンと低い音を鳴らしてオブニがまた起動した。
「ドウカシマシタ?」
「窓を開けただけだから、まだ寝ててもいいよ。寝るって言葉で合ってるのか知らないけど。」
「人類デイウ”睡眠”に近い見た目ナノハ確カデス。充電中ハ睡眠と言ウコトにシマス」
「そうなの?別に充電でも通じると思うけど。」
シアは思わず笑った。旅のおともに人間に興味津々のロボットがついているなんて面白いと、ふとそう思ったのだ。
オブニはしばらくするとまた活動を停止させ、”睡眠”に入った。
(することもないし、私も眠くなってきたな)
手持ち無沙汰なシアはあくびを一つすると、目を閉じた。心地よい列車の振動が眠気を誘い、シアは眠りに落ちた。