1話 旅の予感
その日もよくあるただの平和で少し退屈な一日になる、なるはずだったのだ。
兄から一つ荷物箱が届くまでは。
ベットで眠っていたシアは玄関扉を叩くけたたましい音で目を覚ました。郵便配達の時間だ。シアの家にはドアベルがないため、届け物がある日にはいつもこのようにして配達員が報せる。
カーテンを少し開けて外を覗くとやっぱりいつもの彼女が仁王立ちして待っていた。
シアは眠い目を擦って階段を降り、ボサボサな髪を手櫛でなおしながら扉を開けた。
「おはようシア!今日の配達に来たよ!」
「…おはようヤスミン」
シアがボソボソと返事をするとヤスミンは顔を顰めた。
「アンタ元気ないわね、もっとしゃんとしなさいよ。こ〜んなにいい天気なんだから」
ヤスミンが外を指差す。
太陽は燦々と輝いていて、鳥も鳴いている。確かにいい天気だった。けれどシアは欠伸をしながら首を振った。
「今日は休みなの。だからいいでしょ」
「それにしたってもう昼だよ?まだパジャマなんて信じらんない!」
ヤスミンはこの家にいつも郵便を配達してくれる配達員だ。輝く笑顔とピカピカの靴、配達員の制服を着こなす彼女はこの地区の配達担当である。シアが住む家には郵便がたくさん送られてくるので、彼女とは必然的にしょっちゅう顔を合わせる。だから二人はすぐにに友達になった。普段から引きこもり気味なシアと違ってヤスミンはおしゃれで快活な少女だった。きっちりとお団子にして結いあげた緑髪と黒縁メガネがピカピカと光っている。ヤスミンはゴソゴソと自転車の後ろに取り付けてある荷台の袋を探ると、包みを一つシアに手渡した。
「ほいこれ。またアンタの兄さんからよ。ほんとマメだね」
「ありがと。いつもごめんね」
ため息をついてシアはヤスミンから包みを受け取る。その瞬間シアの手に予想外の重量がのしかかった。
「うわっ!!」
「ちょっと大丈夫?!」
あわててヤスミンも手を伸ばす。シアは何とか荷物を落とさないように受け止め、ホッと息を吐いた。
「ごめん。これ運ぶの相当大変だったよね?」
郵便配達人は荷物を運ぶのに慣れているとはいえ、重さは変わらない。シアの家は街の中でも小高い丘の上にある。配達は楽ではなかったはずだ。
しかし、ヤスミンは笑って首を振った。
「何言ってんの、私はこれが仕事なんだからいいの!むしろ楽なくらいよ。三件向こうのおじいちゃんなんか、この前私に家具運びまでさせたんだよ?私は郵便配達人であって引越し業者じゃないっての」
シアは申し訳なく思ったものの、ヤスミンはイタズラっぽくウィンクした。本当に気にしていないようだ。シアはおどけるヤスミンを見てふふふと笑った。
シアが荷物を受け取ったのを確認すると、ヤスミンは手紙や荷物でいっぱいであろうカバンを抱え直した。
そして
「じゃあまたね、今度一緒に買い物でも行きましょうよ。」
と言って自転車に乗って荷台を引っ張りながら軽やかに次の家へと向かっていった。
ヤスミンを見送ったシアはゆっくりと荷物の宛名を見た。見覚えのある筆跡。荷物の差出人はいつも通りシアの兄であるフレイだった。
(はいはいフレイ・オーニス…相変わらず奔放な字)
フレイは魔術師として忙しくしており、養親が亡くなってからは家にほとんど帰ってこない。その代わり世界中のお土産をどこからともなくシアに送ってくる。そのおかげでシアの家は見たこともない壺やお面など棚に並べても足りないくらい異国の土産が所狭しと並んでいた。
「今回はまたどこから……『技術都市オウル』?ふーん、学院じゃないんだ。お兄ちゃんにしては珍しいな」
魔術師になろうと思うと才能が必要だ。シアにはよく仕組みがわかっていないが、魔力があるだけでは魔術師にはなれない。兄によると何かしら扱うコツがあるそうだ。
実際、先天的に魔術を使えることの多い魔術族ならまだしも、非魔術族の種族で魔術を扱える者はそう多くはない。この世界には様々な人種の人類が生きているが、シアとフレイの兄妹は旅人族であるため、非魔術族である。
そして、昔から優秀なフレイとは対象にシアには魔術の才能がこれっぽっちもなかったので、魔術師になれるわけもなく、地元の学校を卒業してからは進学せずに就職して街の本屋で店員をしながら生計を立てている。
兄からは定期的にまとまった額の金が送られてくるものの、全て手をつけずに貯金していた。何かあったときのための資金でもあり、なんとなくなんでもない時に使うのは憚られたのもあった。昔から破天荒な兄のことは少し苦手だった。
丁寧な梱包をを剥がして荷物を開くと、中身らしきものの上に封筒が乗っていた。中身の目録かなにかだろうか?そう思ってシアが封筒を開くと、中から勝手に手紙が出てきてひらりと舞い上がり開いた。シアはびっくりして封筒を取り落とした。封筒は思いがけず素早く落下してカチンと何かが床にぶつかる音がした。何か他に入っているのだろうか。
「今回は何だろう」
封筒を拾い上げながら独りごちると、宙に浮いていた手紙が勝手に内容を読み上げ始めた。シアは目を丸くして手紙に見入った。
次の瞬間、
『あーオホン。我が妹シア・R・オーニスへ。
この手紙が読まれているということは、僕はもうこの世にいないでしょう。』
兄の声で再生された文字は中々ふざけたことを述べ始めた。シアは困惑した。いつもは手紙が勝手に喋ったりしないし、ここまでふざけたことも書いていなかった。フレイが死んでる?そんなわけない。
「どういうこと?何を言ってるの?」
けれど手紙は無視して喋り続ける。クルクルとシアの周りを回りながら、まるで人が歩いているかのようだ。
『人生とは選択の連続です。妹よ、僕のように金銭面の待遇がいいからとブラック魔術企業に勤めてはいけません。命がゴリゴリと削れます。ちょっと優しくしてくれるからって惚れてはいけません。その人は本当はみんなに優しいだけで、別に僕が好きってわけじゃないんです。うわ~ん!』
手紙は兄の声で泣き始めた。どうでも良すぎる前置きである。
「えっと、なんの話?」
『さて、お前がイラついてきたところで本題に入ると、封筒に入っている指環と荷物の中身のことだ』
「指環……」
シアは封筒の中から金属でできたリングをつまみ上げた。美しい銀の台座に乳白色の石がはまっている。シンプルな作りだがよくみると細工も凝っていて、シアには読めないが内側に何か文字が彫ってあるように見えた。
『この二つを大至急【果ての塔】まで運んで欲しい。』
文字を読んでいると、手紙は重々しい調子で告げた。
シアは思わず顔を上げた。面倒ごとの予感しかない。
「どうして私がそんなこと、」
『どうして私がそんなこと、とお前は思うだろうが実はこの指環は僕たちが昔世話になった人に借りたものなんだ。我が妹よ、シュウおばさんを覚えていますか』
手紙に心が読まれてムッとしていたところに思いがけない名前が飛び込んできた。
シュウおばさんとはフレイとシアの両親の遠縁にあたる魔術師で、兄妹が幼いときは家にも遊びに来ていたこともある。シアが大きくなってからは数回会ったきりだったが、兄のフレイは家系でも珍しい魔術師として最近もかなり頻繁に世話になっている人だった。
「それは、もちろん覚えてるけど」
シアは手紙に向かってつぶやいた。手紙はそうだろうと言うふうに頷く(?)と続けた。
『僕ぁおばさんに大変世話になったもんで、本当はこんな面倒な…オホン!手間のかかることはしたくはないんだが、ブツをどうしてもおばさんに渡さなくちゃならない。だがあいにく僕は野暮用があって行けないからお前に代理を頼みたい。勝手なことだとは思うが、まあ休暇だとでも思って。頼むよ!な!』
「なんで?いやだ。自分で行けばいいよ。旅行は行かない」
いかにも面倒そうな頼みに、シアは首を振った。しかし、手紙は反論してくる。
『そうは言ってもシア、お前だって子どもの頃におばさんに世話になってる。それに親父たちが死んでからしばらく、僕らの暮らしの援助をしてくれてたのはおばさんだってシアも知ってるだろ?無関係とは言えないはずだ!』
「ぐっ…」
確かにシュウおばさんは2人の両親がフィールドワーク中の事故で亡くなった後、幼い兄妹の面倒をしばらく見てくれていた。だが、手紙に正論を言われるのがここまで腹の立つことだとシアは思ってもみなかった。実際体験してみるとなかなかのものである。
「でも…だけど…うううううう」
文句を言いたいのを飲み込んで、シアは地団駄を踏んだ。木製の床は脆く、ギシギシと嫌な音をさせたが、構わなかった。
(いつもいつもそう!お兄ちゃんは私の都合なんてお構いなしだ…)
シアは深いため息をまた一つつくと、ふよふよ浮いている手紙を引っ掴んで睨みつけた。確かに兄妹ともども世話になったのは事実だった。シアに拒否権はない。
手紙は『ぶぎゃ』と文字通り潰れたような音を出した。
「それで私は一体どこに行けばいいの。果ての塔なんて聞いたことないよ」
『ハハ、妹よ。力が強いぞ…もう少しで極めて独創的なオブジェになるところだ』
「……」
シアはテーブルまで歩くと黙って魔石灯に手紙を近づけた。
手紙は焦ったようにジタバタ動くと叫んだ。
『トゥリア!常灯都市トゥリアだ、お前も聞いたことあるだろう。』
「トゥリアぁ?!?!」
トゥリアとは大陸最西端に位置する街だ。その名の通り昼夜を問わず美しい明りが灯る都市で、有名な観光地でもあった。対してシアの住む星軌都市メテオラは大陸中央の高地に位置している。つまりトゥリアはシアがおいそれと行ける距離にないということだ。魔導列車やらなんやらを使っていく必要がある。それこそ1日2日の休暇で訪れることなんて不可能だった。
「無理だよ!私だって仕事があるのに。すっぽかすわけにはいかないし、それに」
「ジェフのジジイに話はもう通してある。手紙でな!」
「…どういうこと?」
いつになく性急な態度を見せる兄の言葉にシアは眉を顰めた。兄は厄介ごとを持ち込むことはあっても、妹であるシアに無理やり不利益になるようなことや嫌がることをしたことはなかった。そう言うところがシアの劣等感をさらに煽ってもいたのだが。しかし手紙は妹の追及を誤魔化すようにピラピラと自身(?)を翻して、また荷物箱の前に戻った。
『んまぁともかく!その指環を指にはめてみろ!』
手紙がこう言うが早いか、指環はシアの手の中からふるふる震えて浮き上がった。そして驚いているシアをよそにストンとシアの左手の人差し指にピッタリとはまった。
シアが不思議そうにトントンと石に触れると、リングが光り文字が指に染み込むようにして広がった。
「ねぇ、なんか文字が」
『よし、つけたな?』
「え?う、うん」
『じゃ次は【起動】って言ってみろ』
「え。き、【起動】?」
そうシアが唱えると、箱の中でグウィーンと何か機械的な音が鳴り、箱がぐらぐらと揺れ始めた。
シアはギョッとして2、3歩後ずさった。
箱はなおもガタガタガタガタと不穏な音を立て続け、最後にピピピピ!と電子音を鳴らしたかと思うと、勢いよく箱から何かが飛び出た。
「なにこれ?!?!?!」
それは小さな鍋くらいの大きさで、ツルッとしたフォルムをしていて、おまけにふよふよと宙に浮いていた。材質はなんだろうか、木でも金属でもなさそうな温かみのある物だった。シアは妙だと思った。さっき箱を持った時、まるで浮きそうにない重さだったことを思い出したからだ。
「どうするの?!浮いてるよ?!なんで?どうやって?」
『まあ浮きもするさ、ロボを飛ばすのはロマンだしな』
混乱するシアをよそに手紙はなんの慰めにもならないコメントをつけた。
『まあ見てろ』
宙に浮くロボット(?)はふわふわと回転していたが、しばらくして、おそらく人であれば顔に相当するであろうところのモニターに光が灯った。そしてまじまじと目の前のシアを観察し、数秒後高らかに宣言した。
「お嬢の魔力波をカクニン!ソシテ、フレイ様の声もカクニン!」
「?!」
「ゴキゲンヨウ!お嬢。弊機は魔導工学により超天才魔術師フレイ様に作ラレタ、【オブニ】デス。ドウゾヨロシク」
「え?よろしく…えっと、なに?お嬢?」
「エエ。オゼウですよ、シアさん」
唖然として口をぽかんと開けるシアに弁明するように手紙は続けた。
『トゥリアは遠いしナビゲーターはいた方がいいだろ?それに都市間の移動は何かと物騒だ。こいつならお前の身もある程度守れるし。な!オブニ』
「当然デス。弊機は””最高””ナノデ」
『届け物が運び人を守るっていう妙な状況にはなっちゃいるが、まあ気にすんな!』
「弊機のパーフェクトボディにお任セアレ」
宙に浮くロボットは自信満々にくるくると回ってみせた。シアは目を瞬かせた。現実を直視したくなかったのだ。
手紙はシアの方に向き直るとひらひらとシアの目の前を舞った。
「トゥリア行きの地図とか、旅に必要な情報は事前に学習させた。何か付け加えたいことがあったら本でもなんでも読ませてやってくれ。口に放り込んだら勝手に学習するから」
「弊機ハ流行りノ曲を希望シマス。確カ、2日前に人気アイドル『機械肢アイドル❤︎ロムロムちゃん』の新曲ガ、」
「……」
『……まあ気が向いたらでいいから。とにかく、指環とオブニ、どっちもシュウおばさんに届けてくれ!』
シアはなんとか状況を飲み込むと渋々頷いた。それにしても今日は色々なことが起きすぎだった。荷物が届き、トゥリアに届け物をしろと言われ、謎のロボが登場した。これ以上驚くことはないだろうな、とシアは思った。
「じゃ、その指環な、目的地着くまでもう外れないから、頼むぞ!愛してるぜ〜シア!」
最後の最後に手紙は上機嫌に今日最も衝撃的な事実を告げると一つシアに投げキスの音をよこし、メラメラと端から燃えていった。
もう我慢ならない。たくさんだった。
シアは眦を釣り上げると自分と謎のロボ以外もう他に誰もいなくなった室内で叫んだ。
「こんのっ、お兄ちゃんのバカ〜〜〜!!!」