殺人、ダメ、絶対!
「左手前方、黒魔犬六頭、三分後!」
鋭く叫んだ兄が、その後ドヤ顔で私を見つめてくる。どこからどう見ても、褒めてもらえるのを待つ飼い犬の顔だ。
……いや、そんな期待に満ちた目をされてもね。
私は、心の中でため息をつく。
ここは、山間の一本道。少し開けた場所で、周囲は高い木々に囲まれている。
上を向けば青空が大きく見えていて、小休憩しようということになったのが先刻のこと。
そして、腰を下ろした途端の兄の言葉だった。
ちょっとは休ませてほしいと思うのは、贅沢だろうか?
それでも、前回の鷲獅子のときにした注意に従って、敵の情報を叫んだ兄を褒めないわけにはいかない。
「兄さん、カッコイイわよ! 獲物は半々でお願いね」
「わかった」
私の言葉で有頂天になった兄は、勢いよく飛び出していった。
私は、やれやれと思いながら他の人たちの方を見る。
既にアレンは剣をノーマンは戦斧を構え、ローザは杖を掲げていた。
「三頭来ます!」
「わかった」
「おうっ!」
私の言葉に、アレンとノーマンから力強い声が返ってくる。ローザの返事がないのは、呪文を唱えているからだと思う。
視線を左手前方に移せば、その瞬間、木々の中から真っ黒な犬が三頭飛び出してきた。
体長二メートル、体高一メートルと、魔獣にしては小さいのだが、黒魔犬の討伐ランクはB。巨体を誇る大猪と同じ強さだ。生息地である森の中で、生い茂る木々の隙間をぬい自由自在に行動する黒魔犬の手強さは侮り難い。
黒魔犬が姿を現すと同時に、ローザの魔法が炸裂した。
「ウィンド・ストーム!」
呪文の前半部分は、既に唱え終わっていた模様。
荒れ狂う風が三頭の黒魔犬を正面から吹き飛ばす!
直後、左端の一頭めがけ、ノーマンが追い縋り戦斧を叩きつけた!
右に吹き飛ばされた二頭の片方に、アレンが斬りつける。
「せいっ!」
「ギャン!」
ノーマンの方の一頭は、首を落とされ声もなく絶命し、アレンが斬りつけた一頭は、片足を切り飛ばされ、悲鳴を上げ転がった。
それに目を向けることもなく、アレンは襲いかかってきた残り一頭の牙を、左手の籠手で受け止める。
次いで、動きの止まったその黒魔犬の頭に、右手の剣を突き立てた!
その間に、ノーマンが片足を失い転がる黒魔犬にとどめを刺している。
――――この間、数分。たいへん見事な連携プレーである。
鷲獅子のときとは雲泥の差だし、なにより三人とも黒魔犬が息絶えても警戒を解いていないのが素晴らしい。
「……あ、終わった?」
感心していれば、兄が木の間から戻ってきた。その後ろには黒魔犬三頭がふよふよと浮かされ運ばれてくる。当然すべて絶命していた。
ドサッと投げだされた三頭の眉間には、小さな穴が開いている。
「これは、どうやったんだ?」
「石を投げただけだよ」
不思議そうに退治方法をたずねるノーマンに、兄はなんでもないことのように答える。
「……石」
「ストーン・バレットではないのですか?」
「魔法なんて使うまでもないからね」
アレンとローザの問いにも、兄は気負いなく答えた。
三人は、棒を飲んだように立ち尽くす。
会話の内容はなんなのだが、兄が私以外の人と会話していることに、私は感動した。
「スゴいわ、兄さん」
「エヘヘ、そうかな」
「ええ、とっても偉いわよ!」
会話ができて!
手放しに褒める私に、兄は相好を崩す。
いつ見ても眼福な笑顔だ。流れるような動作で頭を差し出してくるのは、いかがなものかと思うけど。
仕方ないかと兄を撫でようとした私だが、そこに苛立たしげな声が割って入った。
「――――自分ではなにもしなかったくせに、ずいぶん偉そうですこと」
もちろん発言者はバルバラだ。
今の今まで、私たちの五メートルほど後ろの木陰に隠れていた聖女さまが、ご自慢の赤髪を片手で後ろに払いながら近づいてくる。
他の誰に言われたって、あなたに言われる筋合いはないと思うけど?
私は、兄の頭に向かっていた手を下げた。兄も頭をスッと上げる。
「バルバラ嬢! 君は、なにを言いだすんだ?」
アレンが声を荒げた。
「あら、私は本当のことを言っているだけだわ」
しかし、バルバラには少しも効き目がない。
「……自分だって、なにもしていなかったのに」
小さな声で非難するのはローザだ。特に私の味方をしているわけではなく、単純にバルバラが気に入らないだけだろう。
「私は聖女ですもの。私の出番は誰かが傷ついた後の癒しだわ。戦いが終わるまで安全なところにいるのは、当然でしょう?」
けっしてそんなことはないと思う。
戦闘中に癒しの魔法を使っちゃいけないというきまりはないからだ。
「戦いの最中に俺らが傷ついたらどうするんだよ?」
「そんなもの、傷つく人が至らないのよ。クリスさまなら、そんなこと絶対ありませんもの! ……ね、クリスさま?」
ノーマンの問いかけにもバルバラはツンとして鼻にもかけなかった。キラキラとした瞳を兄に向けてくる。
ノーマンは、呆れたように肩を竦めた。
兄はバルバラを一瞥もしない。
「アース・ディグ」
兄は短く呪文を唱え、地面に直径、深さ共に三メートルほどの大穴を掘った。
きっと、黒魔犬の死体を埋めるつもりなのだろう。
それはよいのだが――――。
「エア・ブイ」
予想通り黒魔犬の死体がふよふよと浮いて運ばれた段階で、私は頭を抱えてしまう。
ちょっと、なんでバルバラまで浮いているの?
「に、兄さん! なにしているの? ……ダメよ!」
私は、慌てて兄の手に縋りつき、引っ張った。
空中に浮かされたバルバラは、呆然としている。
「ダメってなにが?」
「聖女さまを埋めちゃ、ダメでしょう!」
「どうして? あいつ、シロナに気に入らないことばかり言っていて、うるさいのに。……それに、僕がシロナに撫でられるのを邪魔した」
可愛らしく小首を傾げたって、ダメなものはダメである。
私は、なんとか兄を思いとどまらせようとした。
……とはいえ、万事の判断基準を、私にとって害があるかないかに置く兄に、倫理的な一般論なんて通じるわけもない。
「――――死体と生きているモノは一緒に埋めちゃいけないって、村のゴミ処理規程できまっていたでしょう!」
結果、出た言葉がコレだった。
「……ゴミ処理規程」
思わずといった風に、アレンが呟く。
……そんな目で見ないでほしい。私だって、できれば普通に説得したいのだ。
ちなみに、村のゴミ処理規程を提案したのは私だ。異世界にゴミの分別基準はなかったのである。
こちらの世界に環境問題があるかどうかはわからないが、衛生面からしても生ゴミと燃やすゴミ、燃やせないゴミくらいの分別はしてほしいのに。
――――規定では、獣などの死体は必要な部分を採取した後に埋め立て処分。その際、生きているモノは埋めてはいけないとしていた。
「大山羆のとどめを刺さないで埋めたせいで、オカルト騒ぎになって、村長さんから滅茶苦茶怒られたのを忘れたの?」
大山羆は、討伐ランクAランクの魔獣。心臓が三つ、脳が二つあり、すべてを破壊しないと絶命しないという、しぶとい生物である。
私の言葉に、兄は視線を逸らす。
「……ここに村長いないし」
「いなくてもダメ! 生きているモノは、埋めないで」
「………………死んだらいいの?」
なんてことを言うのだ!
「殺人、ダメ、絶対!」
……兄は、渋々といったふうに、バルバラをポイッと地面に落とした。
「きゃっ!」
「アース・ベリー」
六体の黒魔犬の死体を飲みこみ、あっという間に穴が埋められていく。
その様子を、バルバラはポカンと見ていた。
私が止めなければ、彼女も同じ運命だったわけだが……そのことを感謝する気持ちなんてないんだろうな。
「……行きましょう」
なんとなく休憩という気分でもなくなったので、私は隅に繋いでいた馬に乗り、この場を離れることにした。
その私の後ろに、兄が飛び乗ってくる。
「ちょっと、兄さん?」
「……頭を撫でてもらえなかったから」
どうやら、私に褒めてもらい損なった兄は、私と馬の相乗りをすることにしたようだ。
それもどうなのかと思ったが、背中からギュウギュウと抱きついてくる兄の温もりに、まあいいかと思えてくる。
一番後ろからついてくるバルバラの視線が、痛いほど私を突き刺した。
――――あ~あ、私がいなければ、自分が兄に嫌われなかったのにとか、思っていそうだな。
自己中の人って、絶対自分の行動を反省しないんだもの。
ため息を堪えて、私は前に進んだ。