鷲獅子来たりて、地固まる……?
……問題が起こったのは、三日後だった。
道幅が狭くなり、豪商キャラバンの馬車がついてこられなくなったのだ。
当然私たちは、キャラバンを置いて行こうとしたのだが、バルバラは抗う。
「――――別の道を通ればいいでしょう!」
甲高い声が、後ろから響いてきた。
「……すまないね」
アレンが申し訳なさそうに謝り、後ろを振り向こうとする。
「行くなよ」
「ああ。わかっている」
ノーマンに注意されたアレンは、苦しい表情で前を向いた。
バルバラを除いた私たち五人は馬に乗り、既に前へと進んでいる。狭い道なので、二列縦隊。アレンがひとり先頭で、ノーマンとローザが並んで続き、しんがりは兄と私だ。
バルバラと豪商キャラバンからは、もう二百メートル以上離れていた。
「私は聖女なのよ! 私を置いていくなんて許されないわ!」
聖女の自覚があるのなら、早く追いついて来ればいいのに。
本当に徹頭徹尾自分本位な人である。
「クリスさま! 私の話を聞いてください。あなたさまは勇者なのですよ。そんな見窄らしい一行と一緒にいるべきではありませんわ!」
ついに聖女は、ターゲットを兄ひとりに絞ってきた。というより、最初から兄以外はどうでもいいと思っているに違いない。……見窄らしい一行とか、よく言うよ。
当然のことながら、兄は振り返りもしなかった。
淡々と馬を進めている――――と思ったら、ふいにピタリと止まり、空を見上げる。
「あ――――」
……遅れて、私も気がついた。
「まずい。来ますよ!」
「え? なにが?」
声を上げれば、私の前にいたノーマンが不思議そうに聞き返してくる。
それにはかまわず、馬首を返した。
『敵』の目標は、まず間違いなく豪商キャラバンだと思ったからだ。
「――――僕が行くよ。シロナは、ここにいて」
私の行動を見た兄は、そう言ってキャラバンめがけ駆け出した。
「ああ! クリスさま、やっぱり私の元へ来てくださるのですね!」
勘違い聖女が嬉しそうに叫ぶが、そんな言葉を聞いている場合じゃない。
「鷲獅子です! 東の方向に二頭!」
兄に説明する気はなさそうなので、私が大声で叫んだ。
――――鷲獅子とは、鷲の上半身と獅子の下半身を持つ討伐ランクAAの魔獣である。素早さと獰猛さは折り紙付き。
日本のファンタジーものにもよく出てきていた幻獣だが、実物はグロいとしか言いようがなかった。一角獣とか天馬あたりなら、まだマシなのだが。
「は? 鷲獅子?」
「どこに?」
ローザもアレンも困惑顔になる。
さすがにノーマンはすぐに臨戦態勢をとった。冒険者ということだから、実戦経験は豊富なのだろう。馬から降りると、背中から戦斧を引き抜き構える。
「あそこです!」
私は空の彼方にポツンと見え始めたふたつの点を指さした。
その間にも、点はグングン大きくなってくる。
「……っ! ホントだわ」
ローザは、大きく目を見開きキッと表情を引き締めた。呪文を唱えだす。
「いと疾き風の精霊シルフよ、盟約に従い我が望みを叶え給え……刃で敵を切り裂け! ウィンド・カッター!」
体内魔力だけを使う生活魔法とは違い、強い精霊の加護を受けた者だけが使える精霊魔法を使う。
しかし――――。
……えっと、なんでそんなに長文なの?
その割に、あまり威力が高いようには見えないけど?
なにより、空を飛ぶ鷲獅子に、風の魔法は効き目が弱いよね?
鷲獅子は風魔法が得意だって知らないの?
一瞬の間にいくつも疑問点を思いついてしまった私だが、今はその答えを聞く暇がなかった。
「鷲獅子に風魔法は、あまり効きません! 土魔法が弱点です」
なので、とりあえず叫ぶ。
「……わ、わかっています、そんなこと!」
よかれと思った私の忠告に、ローザは苛立たしげに怒鳴り返してきた。
……わかっているのなら最初から土魔法を使って欲しいと思うのは、間違いなのだろうか?
それでもローザの魔法は、鷲獅子のうちの一頭の気を引くのに成功した。
ふたつの点――――いや、今やはっきりと鷲獅子だとわかるモノのひとつが、こちらへ向かってくる。
「ローザ! 私を飛ばしてくれ!」
アレンの要請を受けたローザが再び呪文を唱える。
「いと疾き風の精霊シルフよ、盟約に従い我が望みを叶え給え……剣士の足に翼を! ウィンド・ラン!」
次の瞬間、馬から飛び降りたアレンがそのまま大地を蹴って空に駆け上がった!
…………あ、察し。
ひょっとしてローザって風属性の魔法使いだったりするのかな?
そういえば、魔法使いには得意な属性とかがあったんだった。
兄が普通に全属性を使うから、すっかり頭から抜け落ちていた。
ちなみに私は攻撃魔法なんてまったく使えない。勇者の妹とはいえ義理だもの。そんなチートあるわけないのである。
兄を基準にしちゃいけないことを忘れていた自分を反省している間に、アレンは空を駆け鷲獅子に斬りかかった。
「はっ!」
気合い一閃!
アレンの長剣が鷲獅子の片翼を襲い、風切羽を落とす。
「ギェェェッ!」
バランスを崩した鷲獅子は、ヒューッと空から落ちてきた。ドドンッと大地に激突する。
そこへ駆けつけたノーマンが、戦斧を鷲獅子の胴体にめりこませる!
「グギャァッ!」
さすが勇者一行というところか、流れるような連携だった。
――――ただ、ちょっと詰めが甘いけど。
動かなくなった鷲獅子からノーマンが戦斧を抜き、その脇にアレンが着地する。
その途端、鷲獅子の頭部分が動いた!
鋭い嘴がアレンの胸を抉り取ろうと襲いかかる。
しかし、そこに駆けつけた兄が、大剣で一刀両断!
鷲獅子の頭部を真っ二つに切り裂いた!
「鷲獅子は、上半身と下半身が別物なんだ。胴体を仕留めても鷲の部分は生きているから気をつけろ」
剣を振って血糊を落とした兄が、アレンとノーマンに注意する。
「……っ、すまない。……ありがとう」
「助かった」
素直に礼を言うアレンと、ホッとするノーマン。
念のため弓を構えていた私も、警戒を解いた。
兄が間に合わなければ、私が鷲獅子にとどめを刺すつもりだったのだ。
つがえていた矢をしまえば、こちらを見ていたアレンと目が合う。
私と同じ緑の目が、大きく見開かれた。
けっして王子さま自身を狙っていたわけでないですよ。
……誤解しないでね。
無害ですよと、手を振ってアピールしながら、視線を豪商キャラバンに移せば、頭から胴体にかけて縦二つに切り裂かれた鷲獅子が、無残な姿を晒している。
兄にとって、鷲獅子なんて敵じゃない。きっとあっという間に倒してしまったことだろう。
「シロナ、どうする? 解体した方がいいかな?」
兄は、まるで何事もなかったかのようにニコニコ笑いながら、私にたずねてきた。
「う~ん、そうね。鷲獅子のお肉はあんまり美味しくないからいらないわ。羽根とか爪とかの素材はちょっと勿体ないけれど、荷物になるから埋めちゃいましょう」
どうせこれから魔獣とは嫌になるほど戦わなければならなくなるのだ。であれば倒した魔獣をいちいち解体していては、時間がかかって仕方ない。
死骸が腐ったり他の魔獣を呼び寄せたりする可能性を考えれば、穴を掘って埋めてしまうのがベストだった。
「うん。わかった」
頷いた兄は、右手を大地に向ける。
「アース・ディグ」
短い言葉と同時に穴を掘る魔法が発動し、直径、深さ共に三メートルほどの大穴がその場に掘られた。
「エア・ブイ」
二体の鷲獅子の惨殺死体がふよふよと浮いて運ばれ、穴に落ちる。
「アース・ベリー」
穴があっという間に埋め戻され、元の真っ平らな地面になった。
この間わずか一分足らず。
土魔法と風魔法を自由自在に操る兄の姿を見て、ローザが絶句し、口をパクパク開け閉めする。
――――うん。ごめんね。兄はいつもこんな感じなのだ。
これを見れば、私がローザの魔法にいろいろ疑問を持って、うっかりいらぬ忠告をしてしまっても、仕方ないと思うでしょう?
茫然自失しているローザに、私が心の中で謝っていれば、甲高い声が聞こえてきた。
「クリスさま! お怪我はございませんでしたか? やはり、勇者の旅は危険と隣り合わせなのですね。私のような癒し魔法の使い手が、ご一緒しなければならないと実感いたしましたわ。……決めました。私はクリスさまと生死を共にいたします!」
べらべらと自分の決意を話すバルバラに、思わず白い目を向けてしまう。
「……聖女さまは、クリスの圧倒的な戦闘力を見て、こっちの方が安全だと判断したらしいな」
ポツリとノーマンが呟いた。
まあ、そんなところだろう。
先刻まで、自分の豪商キャラバンと同行するよう声高に主張していたバルバラだが、どうやら今の鷲獅子との戦闘を見て、考えを変えたらしい。寄らば大樹の陰とでも思ったかどうかはわからないが、自分の安全のためには兄の側にいるのが一番だとわかったらしい。
――――ていうか、そもそもあんな派手なキャラバン隊を引き連れていなければ、鷲獅子の注意など引かなかったと思うのだけど?
「バルバラ嬢、一緒に行く気になったのかい?」
「ええ、もちろんよ。私がいた方があなた方もいいでしょう? なんと言っても、私は聖女なのだから!」
疲れたように確認するアレンに、バルバラはツンと唇を尖らせながら答える。
「……無理に来てもらわなくてもかまわない」
すぐ横でバルバラに叫ばれた兄は、迷惑そうにそう言った。
「そんな! クリスさま……私が一時でもお側を離れようとしたことを、お怒りになっておられるのですか? どうかお許しください。もう二度といたしませんわ!」
兄に縋りつこうとしたバルバラは、サッと躱されたたらを踏む。
プッと吹き出したのはノーマンで、バルバラに睨まれて慌てて視線を逸らせた。
「……魔法が……精霊魔法って……どうして、あんなことができるの? …………ハッ! 勇者だからなのね」
ショック状態からようやく戻ってきたローザは、なんとか自分を納得させられる結論に至ったらしい。
それはいいのだが、兄を見る目に畏怖が籠っているのが心配だ。
……大丈夫。怖くないですよ。一応、たぶん、兄も人間だと思いますから。
心の中でローザに語りかけていれば、兄が私の方にやってくる。
いつも通り膝を折って姿勢を低くし、頭を私の方に突き出してきた。
……うん。ご褒美のなでなでですね。
これをしないと兄の機嫌が急転直下してしまう。
仕方ないので、兄の頭をわしゃわしゃしながら語りかけた。
「兄さん、すごく頑張ったけど……なんの説明もなく、ひとりで飛び出したらいけないわ」
「え? だって、シロナに説明なんていらないよね?」
「……私には、ね。でもここには私以外の人もいるのよ。ああいう危険を察知したときには、誰でもわかるように、敵の方向と数、あと接触までの時間をきちんと教えていくのが常識なの」
「え~? 面倒くさいな」
「面倒くさくてもやらなきゃダメなのよ! それに……私、兄さんがカッコよく教えてくれるところが、見たいもの」
私の「カッコよく」発言に、兄はたちまちやる気を出した。
「そっか。シロナが見たいなら頑張ろうかな」
「うん。頑張ってね、兄さん」
わしゃわしゃわしゃと、手を動かす。
ちょっと怖くて他の人の方は見られない。
特にバルバラとか……。
――――本当に大丈夫なのかな、この旅?
不安しかない私だった。