呆れてものも言えません
グダグダの出発式が終わり、勇者一行は無事出発した。
勇者不在の壮行パーティーがどうだったのかは、私は知らないし知りたくもない。
勇者の妹の我儘で、優しい勇者さまがパーティーに出席できなかったとかいう噂が、まことしやかに流れていたそうだが……言いたい人は勝手に言えばいいのだ。王城でどんな噂が流れようと、辺境の村人である私には関係ないもの。
そんな噂より問題なのは、あの聖女さまだ。
「…………すごいですね」
「すまないね。注意したのだけど、彼女は私の言うことなんて聞かないから」
申し訳なさそうに謝ってくるのは、王子さま。騎士アレンは、その身分にしては腰が低い人物だ。男性で王位継承権を持たないせいかもしれない。
まあ、王位継承権を持つ人間が、みんなバルバラと同じ性格とは思いたくないけれど。
「今はまだいいですけど……あれ、街道を外れたらさせられませんよ」
私が「あれ」と言って指さす先には、聖女専用の大きなテントがあった。出入り口には警護の騎士が二人立っていて、中でバルバラは侍女に手伝ってもらいながら湯浴みの最中なのだそうだ。しかもそれが終わったら豪華食事をとってお休みの予定だという。
王城を出発した勇者一行の後ろから、どこの豪商キャラバンかという一隊がついてきたときには、目を疑った。それらはすべてバルバラのお世話係で、旅の最中でも彼女が快適に暮らせるように衣食住のサポートをするという。
この世界には生活魔法というものがあって、わざわざお風呂に入らなくても体を清潔に保てるくらいは誰にでもできるのに、毎日湯浴みをしようだなんてとんでもない贅沢だ。
……バカなの?
そう思った私は、常識人だと思う。どこの世界にお世話係を引き連れた勇者一行がいるものか。なんのために補給の手配をしていると思っているのだろう。
それに、今は整備された街道を通って移動しているので、キャラバンもついてこられているけれど、いつまでもそうとは限らない。険しい山道を通ったり道なき道を辿ったりすることもあるのだから、このキャラバンとおさらばするのも時間の問題だ。
そんな一過性のお付きを用意するより、一日も早く普通の旅に慣れる努力をする方が、ずっと建設的なのに。
なにより勇者一行は、基本隠密行動。人類の勢力が強い場所はともかく、魔王の勢力下では極力見つからないように移動する必要があるはずだ。
それなのに、これほど目立つなんて、愚行としか言いようがない。
魔王軍に攻撃されたら、どうするつもりなの?
いくら勇者が強くても、何千何万という軍団の総攻撃を受けては無傷で勝てるわけもない。
……まあ、兄ならピンピンしていそうな気もするけれど。
兄は、私以外を守らないから、他の人――――騎士も聖女も魔女も戦士も、みんなまとめてデッドエンドじゃないのかな?
もういっそ、その方がいいんじゃない?
そう思いかけて、私は慌てて首を横に振った。
危ない、危ない。バルバラの非常識な行いに引き摺られて、私までおかしくなるところだった。少なくとも、私はまだ普通の人間でいたいのに。
……聖女、マジいらないわ。
そう思った。
聖女が勇者一行に同行する理由は、怪我や病気を癒す聖魔法が使えるため。しかし、無病息災、生まれてこの方かすり傷ひとつ負ったことのない兄に、そんな魔法いるだろうか?
必要なのは、兄以外にだよね?
「――――クリスさま、夕食をご一緒にいかがですか? 今日は王都一のレストランのシェフが監修した料理をご用意したのですよ」
私が聖女不要論を考えこんでいれば、それを邪魔するような甲高い声が聞こえてきた。
どうやらバルバラは湯浴みを終えて豪華食事をとろうとしているらしい。そして、懲りもせずまた兄を誘っている。
「お断りします。僕の食事はシロナが用意してくれていますから」
毎度毎度断られているのに、よくめげないものである。この不屈の精神だけは、バルバラを見習ってもいいかもしれない。
「まあ、シロナさんが作るのは、どうせまた煮込み料理なのでしょう? そんなワンパターンな料理より我が家が用意した彩り豊かで種類も豊富な食事の方が美味しいに決まっていますわ。いつもいつも同じ料理を食べなきゃいけないとか、決めつけないでくださいませ。クリスさまはもっと自由でよろしいのですよ」
――――訂正。ただ学習能力がないだけだった。
兄の前で私の料理を貶すなんて、嫌われたいとしか思えない。
案の定、兄の表情がスッと消えた。
「決めつけているのは君だろう? シロナの料理を口にしたこともないくせに」
「あ……それは」
「シロナは、いつも僕のために一生懸命料理を作ってくれるんだよ。シロナの料理は僕にとって最高なんだ。僕の一番を貶さないでくれないかな」
体が凍りつくような冷たい声をバルバラに浴びせた兄は、そのままこちらへ歩いてくる。
「あ、シロナ! ご飯できた? 僕も手伝いたいな」
しかし、私を見た途端、兄の冷たい顔はフニャリととけた。デロデロの甘い声が周囲に響く。
当然その声はバルバラにも聞こえたようで、兄の背後に般若のごとく歪んだ聖女さまのご尊顔が見えた。フンと鼻を鳴らして豪商キャラバンの方へ帰っていく後ろ姿は、三文芝居の悪役のよう。
「だったら兄さん、スープをよそってくれる。私は乾パンピザの焼け具合を確認するから」
出そうになったため息を堪えて、私は兄にお願いした。
今日のメニューは、干し肉と根菜を使ったスープと乾パンを砕いて生地にした上に、乾燥野菜とチーズを乗せて焼いたピザだ。バルバラの言うとおりの煮込み料理がメインだが、旅の途中で食べるのだからこんなもの。
というか、こういった料理に慣れていかなければ今後が辛いはず。
今はまだ国内なので、もっといい食事も作ろうと思えば作れるのだが、あえて携行食メニューにする私の計画性を、誰か褒めて欲しい。
「私も手伝うよ。……ああ、美味しそうだ。君のおかげで、味気ない携行食をこんなに楽しんで食べられるなんて最高の贅沢だね。いつもありがとうシロナさん」
アレンがピザを取り出しながら褒めてくれた。彼は、少しはわかってくれている模様。
「ホントだよな。もしも嬢ちゃんがいなかったらどうなっていたかと思うと寒気がするぜ」
ブルブルと震えるジェスチャーをしながら、ノーマンが寄ってきた。おっさんくさい態度だが、なんとなく親しみが持てる。
「兄も料理はできるので、大丈夫だったと思いますよ」
今は私がいるので兄は料理をしないのだが、実はかなりの腕前だ。毎年私の誕生日――――兄が私を見つけた日には、見事な高級魔牛のパイを焼いてくれる。もちろん、魔牛を狩るところから全部自前。完璧な兄にはできないことなどないのだ。
「あ~、料理はできたとしても、それを俺らに食べさせてくれるかどうかは微妙だろう?」
ノーマンは、兄にチラリと目をやって苦笑する。さすが年の功。この短い期間で兄の性格をきちんと把握したようだ。
「安心してください。私が同行しなかった場合は『魔王討伐旅行における注意点』を、兄に渡す予定でしたから。注意点その五十二に『作った料理はシェアすること』っていう項目をきちんとあげてあるんですよ」
私は、ちょっと得意そうにそう言った。事実、その辺は万事対処済みだったのだ。羊皮紙五枚にびっしり書いた注意点が無駄になったのは……かなり空しい。
「……五十二」
ノーマンは、呆気にとられたように呟いた。
「僕の料理なんて、シロナの作るものに比べれば足下にも及ばないよ」
兄は安定のシスコン運転だ。
「ありがとう。兄さんが喜んでくれるんなら料理した甲斐があるわ」
私の「ありがとう」に、兄の顔はますます蕩けていく。
いつの間にか、しれっと食事の輪の中に入っていたローザが、その兄の顔を見て頬を染めた。
基本ローザは、必要なこと以外は、あまり話さない。いつも一歩下がって、私たち――――特に兄を見ていることが多い。
今のところバルバラみたいに私を敵視していないのが、救いかな?
きっと頭のいい人なのだろう。人間、腹の中なんてわからなくて当然だから、実害がなければそれでいい。
「シロナさんの作ってくれる料理は、本当に素晴らしいよ。食べると心も体も温かくなる」
紳士な王子さまは、スープを飲みながら眼福な笑顔を見せてくれた。
熱いスープを飲めば温かくなるのは自明の理だが、褒めてもらえば嬉しい。
「ありがとうございます」
「いや、ホント。お世辞抜きでうまいぞ。元気が出る」
負けじとノーマンも褒めてくれた。
ローザは、口には出さないが食べる手が止まることはないので、きっと気に入ってくれているはず。
「本当は、僕以外の人間がシロナの料理を食べるのは嫌なんだけど――――」
「兄さん!」
「うっ……わかっている。我慢するよ」
隙あらばシスコンを炸裂させようとする兄を、私はきちんと叱った。いつものことと放置しておくと、段々執着度を上げてくるからだ。
「我慢するから、後で頭をなでてくれるかな?」
上目遣いで聞いてくる兄に、私は呆れてため息をついた。
「毎晩なでているじゃない」
「いつもより多くだよ!」
まあ、これくらいは仕方ないか。
「わかったわ」
「ありがとう! 約束だよ、シロナ!」
「はいはい」
兄と私のやり取りに、アレンとノーマンが苦笑する脇で、ローザは黙々と食べ続けている。
そのとき、バルバラのテントから苛々したような怒鳴り声が聞こえてきた。
意外とよくあることなので、誰も気にした風もない。
――――でも、大丈夫なのかな、この旅?
不安は尽きないが、私が心配しても仕方ないので、乾パンピザをパクッと食べる。
……うん、美味しいから、問題なしね。