私は……見なかった
………………………………まあ、どうしようもないんだけどね。
私は、早々に思考を放棄した。
なんせ、相手はこの国のナンバーワン。恐れ多くも女王陛下である。
そんな女性が私の産みの母だとか……そんなこと言いだした時点でアウトだろう。
そもそも、私が彼女を自分の母だとわかるのは、転生者で赤ちゃんのときからの記憶があるせい。普通の子どもは、そんな小さな頃の記憶なんて覚えていられないし、わかる方がおかしい。
ここで私が「恐れながら――――」と名乗り出たところで、虚言と断じられ罰せられるのがオチだった。
それに、そもそも私が転移させられたのは、覆面を被った悪漢に襲われたせいなのだ。つまり命を狙われたのであって、その命の危険がなくなったという保証は、今のところどこにもない。
……まあ、母が生きているということは、あのときの悪漢は退治されたのだと思うのだが……実行犯とは別に黒幕がいるのが、こういった場合のセオリーだ。そんな命を狙われるような場所にのこのこ戻るなんて、飛んで火に入る夏の虫みたいな真似したくない。
そして、たとえこれらの障害がすべて解決したとしても、絶対私が名乗り出たくないと思う理由があった。
つい最近知ったのだが――――実は、この国は女系継承国家だったのだ。前世日本でいうところの女系継承とはちょっと違うのかもしれないが、要は王位継承権が女性にしかないということ。
だからこそ現在の王も女王だし、王太子は現女王の妹だった。そして、なんと王位継承権第二位は、その妹が嫁いだダウラーラ公爵家の娘である聖女バルバラだ。
なんで女系継承になったのかという歴史的背景は、よくわからないが、私にこのことを教えてくれた領主さま曰く「女王陛下ご自身が産んだ御子であれば、間違いなく陛下の血を引いておられるとわかるから」とのことだった。
たしかに、女王の子は間違いなく王の子だ。一方、国王の妻である王妃の子が間違いなく王の子かと問われれば、そうとは限らないと答える他ないだろう。悲しいことに、この世界にも不貞や浮気はあるし、反対にDNA鑑定は聞いたことがない。確実に王の子を次代の王にするのなら、女系継承が一番間違いない。
血の繋がらない親に育てられた私からしたら、だからなんなの? という感はあるのだが。
どうしても血族が継がなければならない理由が、あるのだろうか?
とりあえず私の考えは置いておいて、ここで私の母が女王だとした場合の分かり易い三段論法を唱えてみたいと思う。ちなみに女王には、私以外の女児はいない。
大前提――――私は、女王の娘だ。
小前提――――女王の娘は、次期女王となる王太子だ。
結論――――だから、私は王太子で、次の女王となる。
……………………絶対! 絶対! 絶対! 断じてお断りである!
そもそも、私が産まれてすぐに襲われたのだって、王位継承権争いが原因だとしか思えない。それなのに、今さらなんで殺されるかもしれない舞台に上がりたいと思うだろう。
それがなくとも、統治者なんて心身ともに疲れきること確実な面倒な職業に就きたいなんて思えない!
……私は兄の世話で手一杯なのである。
やはり、ここは全力で見なかったことにするしかあるまい。
私は顔を下に向けた。今さらと言うなかれ。尊き御方のご尊顔なんぞ、私は見ていないったら、見ていないのである!
……ああ、でも……生きていてくれて、よかったな。
そう思うくらいは、自分に許そうと思う。
一応、十五年ぶりの再会なのだもの。親孝行はできないけれど、長生きしてほしいくらいは、思う。
……きっと私がいない方が、平穏だよね。
もう視線は外してしまったけれど、女王陛下の姿は目に焼き付いていた。
キラキラした王冠を戴いていて、両脇には渋い魅力のイケオジ騎士が控えていたな。片方は穏やかそうな紳士で、もう片方は独眼竜政宗みたいな眼帯をした迫力ある偉丈夫。……ひょっとしたら、二人のどちらかが私の父なのかもしれない。できれば、穏やか紳士の方だといいな。
脳内で、いろいろ考えを巡らせる。
この後、式の間中、私が顔を上げることはなかった。
◇◇◇
「シロナ、どうしたの? お腹が痛かったの? 大丈夫?」
――――そして、今、ここである。
出発式が終わった途端、兄が私の元に飛んできた。
「に、兄さん。私は大丈夫よ」
「大丈夫じゃない! シロナ、式の途中でうつむいて、ずっとそのままだったじゃないか。もう僕は心配で、心配で……シロナとの約束がなかったら、あんな式なんて放り出して駆けつけていたよ!」
……しっかり約束しておいて、よかった。
「よしよし、兄さん。よく我慢したわね。私は、兄さんがあんまりカッコよくて感動していただけだから、心配ないわ」
とりあえず褒めて誤魔化そう。
「本当? 本当にカッコよかった?」
「もちろん。最高だったわよ!」
「そっか。……へへへ、嬉しいな」
とはいえ、衆人環視のこの中でなでなでを要求してくるのは止めてほしい。いつものように頭を差し出そうとしてくる兄を、全力で押し返した。
…………周囲の視線が、痛い。
「に、兄さん。私お腹空いちゃったな。早く部屋に戻ろうよ」
現在、兄と私は王城の中の一室を借りて泊まっている。一室といいながら、広さは我が家が丸ごと入るんじゃないかというくらいで、たいへん居心地が悪いのだが、ここにいるよりずっとマシ。
「お腹が空いた? それはたいへん。直ぐ行こう!」
兄は言うなり私を横抱きにした。
「に、兄さん!」
「歩くとお腹が空くからね」
そこまで空腹なわけじゃない!
しかし、これ以上言い争っては、注目を引くだけだ。
泣く泣く黙った私は、兄の首に手を回した。一刻も早くこの場から立ち去りたいからだ。
なのに――――。
「大丈夫かい?」
心配そうに声をかけてきたのは、アレン王子だった。彼の後ろには、バルバラとローザ、ノーマンも立っている。
勇者一行が勢揃いだ。
「だ、大丈夫です」
とはいっても、本気で心配していそうなのはアレンだけ。バルバラは、忌々しそうに私を見ているし、ノーマンは呆れ顔。ローザの顔は、マントに隠れて見えない。
「具合が悪いのでしたら、城の使用人に世話を任せればよろしいのですわ。私どもは、これから行われる壮行パーティーに出席しなければならないのですもの。さあ、勇者さま、参りましょう」
バルバラはそう言って、兄に手を差し伸べた。
そう言われれば、そんなパーティーがあったような?
たしか、国主催ではなく、一部の貴族が自主的に行うもので、参加は自由と言われていたはずだ。
翌日には魔王討伐に出なきゃいけないのに、パーティーなんてよくやるよなと呆れた私は出るつもりなかったので、すっかり忘れていた。
ひょっとして一部貴族っていうのは、聖女のダウラーラ公爵家なんだろうか?
バルバラの手は、ほっそりとして白く嫋やかで、彼女が荒れ仕事なんて一度もしたことがないのは間違いない。きっと今までその手を与えられた男たちは、誰しも感謝感激し恭しく押し戴いたことだろう。
しかし、兄にその対応を求めていたのなら、とんだ勘違いだった。
「シロナの世話を、僕が他の奴に任せるはずがないだろう。それに、シロナの具合が悪いのに、壮行パーティーなんて出るはずがない」
冷たくバルバラを一瞥した兄は、私を抱えたままスタスタと歩き出した。通常通りのシスコンである。
屈辱で頬を赤くした聖女さまは、その称号とは正反対の憎悪に満ちた目で、私を睨んだ。
……いや、そんな目で見られたって困るんですけど。
兄が筋金入りのシスコンだって、聞かされていないわけじゃないですよね?
まさか、自分なら兄の目を覚ませるとか、思いこんじゃったりしていたりして?
だとすれば、面倒なことになる予感しかしない。
どうしようと思っていれば、バルバラはさらなるダメ発言をした。
「……そんなに病弱な妹さんでは、私たちの旅についてこられるとは思えませんわ。城で待つか、故郷の村にお帰りになった方がよろしいのではないですか?」
いや、もちろん私だって、そうしたいのは山々だ。特に、今この聖女さまを見た後では、帰りたい願望は富士山より高くなっている。……異世界に富士山はないけれど。
この際、帰ってしまおうかと思った私の気分を察したのか、ここで思わぬ反論の声が上がった。
「ダ、ダウラーラ公爵令嬢! それは、困ります。勇者さまの妹君が、魔王討伐の旅に同行するのは、女王陛下もお認めになった決定事項です。……ダウラーラ公爵令嬢におかれましては、今一度、陛下の令状をおたしかめいただけますよう、伏してお願いいたします!」
声の主は領主さま。そういえばこの人、私の隣にいたのだった。
聖女は公爵令嬢で、しかも王位継承権第二位の偉い人だ。そんなご令嬢にもの申すのは、ご領主さまにとってすごい勇気のいることだろうに……それだけ、私が一緒に行かなかった場合の兄の暴走が怖いんだろうな。
遠い目をしていれば、ギリッと歯ぎしりの音をさせたバルバラが、クルリと背を向け去って行った。その寸前に私を睨んだ目には、間違いなく殺気がこめられている。
あ~あ、と思っていれば、アレンが謝ってきた。
「すまないね。バルバラ嬢には、後で私からよく言っておくよ。疲れただろう。早く部屋に戻って休むといい。食事も部屋でとれるように用意するよ」
真っ直ぐこちらを見る緑の目は、女王陛下と同じ色。
……私も同じ緑の目だ。
そういえば、女王陛下が母ということは、この人は私の兄さんだ。
「…………ありがとうございます」
珍しく兄――――クリスがお礼を言った。
うん。やっぱり私の兄は、こっちの兄だと思う。
兄は、そのまま歩き出した。
「あ、あの! 私も、なにかお手伝いできることありますか?」
後ろからローザが追いかけてくる。
「ありがとう。でも、不要だ」
礼は言ったが断った兄を、それでも未練がましくローザは見つめてきた。チラリと私を見てくるが、どうにもできないから諦めて。
ノーマンがガリガリと頭をかいていた。
「シロナ、なにが食べたい?」
「…………胃に優しいものがいいわ」
切実に、そう思った。