その気持ちにはお応えできません
たしかに私たちは、明日の夕刻には国境を越える。
それは間違いない事実だが、アレンの言いたいことはそんなわかりきったことではないだろう。
問いかけるかわりに視線を向ければ、彼は躊躇うかのように目を逸らし……やがて、覚悟を決めたように見返してきた。
「――――人間の国に戻れば、私は一国の王子に戻る」
なぜか、そんなことを言いだす。
「アレンさんは、今でも王子さまですよ」
「うん。そうだけど……そうじゃなくて。……なんと言ったらいいのかな? 魔王という脅威の前では、私たちは身分を超えて仲間だったよね? 王子なんて地位は、なんの役にも立たなくて、私はアレンという名のひとりの『騎士』でしかなかった」
たしかに、それはそうだ。
魔国で人間の王子の権威が通じるはずもなく、アレンをここまで連れてきたのは、騎士としての努力の結果であり、私たちが一緒に戦ったのは、王子のアレンではなく、ただの騎士アレン。
私が「そうですね」と頷けば、アレンは言葉を続けた。
「……でも、明日国に戻ったら、君たちは私を王子という身分の人間として扱わざるをえなくなる。……なにより、私自身が王子として振る舞わなければいけなくなるからね」
アレンは残念そうにそう話す。
しかし、それは仕方のないことだし、わかっていたことでもある。
今となれば、それで私たちの関係性が、根こそぎ変わってしまうようなものではないと思うけど?
「でも、アレンさんはアレンさんでしょう?」
たとえ身分の差ができても、私たちの絆はそうそう崩れるものではないはずだ。
私の言葉に、アレンは「もちろん」と大きく頷いた。
「私は私だよ。変わるつもりはないし、周囲にもしっかりそう伝える。……ただ、私の言葉がシロナさんに、ある程度の強制力を強いてしまうのも、またどうにもならない事実なんだ」
それって、王子の言うことに、私が気軽に反論とかできなくなるということかな?
正直、その辺は、今後の私と王兄殿下との話し合い次第で変わる可能性があることだけど。
――――アレンは、まだ私が自分の妹かもしれないとは知らない。
知っているのは、魔王と兄さんだけで、他の誰にも言っていないから、当然だ。
だから彼は、平民の私が王子に遠慮するようになると思っているのだろうか?
「……まあ、でもそれは仕方のないことですよね?」
「そうなんだけど。……私は、君にそんな気兼ねをせずに答えてもらいたいことがあるんだ」
アレンは、そう言ってギュッと拳を握り締めた。
気兼ねなく答えてほしいって……いったい、なにに?
「……私の答えですか?」
「うん。…………シロナさん。私は、君を愛している」
アレンは、はっきりとそう言った。
おかげで、聞き間違いようもなく耳に届いてしまう。
とはいえ、聞こえるということと、それを理解できるということは、イコールではなかった。
――――え?
私は、ポカンと口を開ける。
ちょっと、この人、なに言った?
理解が追いつかず言葉を失う私に対し、アレンは矢継ぎ早に告げてくる。
「私も最初は、ごくごく軽い気持ちだったんだ。君が可愛いなと思って、君のような妹がいたらいいなと思ったけれど……でも、それはちょっとした好意で、そんなに重いものでも真剣なものでもないと思っていた。……そのときから、バルバラ嬢やノーマンは、私が君に恋愛感情を持っていると言ってきていたけれど……私は違うと思っていたんだ。愛や恋だなんて思いもしなかったんだよ」
アレンは、口早になる自分を押さえるように、握った拳を胸に当てる。
「――――だけど、旅を続け、戦いを重ねていくうちに……私は、どんどん君に惹かれていったんだ。君に見てほしくって、君に認められたくって……ずっと君の側に在りたいと思うようになった。……私は、君の特別になりたい! そう思う。……そして、こんな願いは、愛している人にしか抱かないものだと気づいたんだ。……私は、君に恋してしまったんだよ!」
アレンは、真剣な表情で私を見る。
いや、そんなことを言われたって困るし。
それに――――それって、例の女王の血の力じゃないのかな?
なんども言うようだけど……私には、力の強い者を惹きつけ、成長させる力があると、王兄殿下は言っていた。
そして、アレンがその影響を受けているとも。
きっと彼の想いは、愛だの恋だのではないはずだ。
また、よしんばそうだとしても……私は、アレンの気持ちに応えられない。
だって、私とアレンは――――。
そこまで思ったときだった。
急に近づく気配に、私はハッ! とする。
「危ない!」
そう叫んだ私は、足下にいたテディベア――――ではなく、魔王をむんずと掴み、アレンの方に投げつけた。
「殺す!」
直後、この場に現れた兄が、一言叫ぶなりアレンに斬りかかる!
ガキン! と派手な衝撃音がした。
「……え?」
「――――私を盾に使うとは……扱いがぞんざいすぎるのではないか?」
呆けた疑問の声はアレンから上がり、不満の声は魔王から。
私の目の前には、驚くアレンと彼のすぐ脇で、剣と爪とで鍔迫り合いをしている兄と魔王がいる。
「邪魔するな!」
「フム、私も邪魔などしたくないのだがな。しかし、シロナ……さんは、お前がそやつを殺すのを望んでいないようだぞ?」
魔王は嫌そうにそう言った。
たしかめるようにこちらを見る兄に、私はコクコクと頷いて見せる。
「兄さん、アレンさんを傷つけちゃダメよ!」
不要な殺人、ダメ! 絶対!
「だって、シロナ! こいつが、お前に告白なんてするから!」
「だからって、即排除しようとしちゃダメだって、前から言ってあるでしょう!」
告白したぐらいで、その人を攻撃するのはやりすぎだ。
「……最近、村の奴らは大人しくなっていたから油断した」
兄は、悔しそうに呟く。
もう、本当に、シスコンなんだから。
――――兄は、昔から私に近づく男を片っ端から攻撃するという悪癖を持っていた。
しかも、いつでも本気の全力で。
勇者の資質を持つ兄の全力攻撃は、はっきり言って一撃必殺なのだ。
このため私は、兄が殺人犯にならないように、たいへんな努力を積み重ねてきた。
その甲斐あって、村で殺人事件は起きなかったが、反面私へ好意を寄せる男性も皆無になった。
人間誰しも可愛いのは、自分の命である。
「アレンさんを攻撃したら、もう一生兄さんと口をきいてあげないわよ!」
私は、兄を押しとどめる決定的な台詞を放った。
兄は、ガ~ン! と、この世の終わりを見たような顔をする。
「そんな……シロナ、どうしてそいつを庇うんだ? ……まさか、そいつを……好きになったんじゃないだろうな?」
いやいや、それだけはあり得ないから!
「違うわよ! っていうかアレンさんは好きだけど、兄さんの言う好きとは違うものよ!」
「……やっぱり好きなんだ」
「違うって言っているでしょう! どうして話を聞いてくれないの?」
「……シロナが、好きって……好きって……ああ、どうしよう? やっぱり、殺すか? 殺すしかないよな?」
兄はブツブツと呟きはじめる。
私のことに関しては、冷静さも正常な判断も、全部すっぽ抜けるのはどうしたものか?
「もうっ! 兄さんったら! ――――私が、アレンさんを恋愛感情で好きになるなんて、絶対あり得ないでしょう! だって、アレンさんは、私の本当の兄さんなんだから!」
ついに私はそう怒鳴った。