旅は順調です
そして翌日。
私たちを見送った王兄殿下は、賢明にもなにも言わなかった。
昨日のあの様子を見て、今はなにを言っても無駄だと判断したのだろう。
ただ、兄の威嚇に苦笑していた隻眼は、けっして諦めていなかった。
――――これは、魔王討伐後に面倒事になりそうな予感。
早めに逃げだす算段をつけておいた方がいいのかも?
しかし、とりあえずは魔王討伐だ。
私たち一行は魔国の中を慎重に進んでいく…………予定だったのだが。
「退け! 道を開けろ」
「なんて醜いの! 私の視界から消えて!」
「せいっ!」
私の周囲には、アレン、バルバラ、ノーマンの勇ましい声が響き渡っていた。
同時に、襲い来る魔鬣犬の群れが、バッタバッタとなぎ倒される。
兄は終始無言なのだが、魔鬣犬を屠った数は三人を合わせたより多い。
目の前には、さながら竜巻が通りすぎた後のような惨状が広がっていた。
「……なんだか、魔鬣犬に申し訳なくなってくるのは、私の覚悟が足りないせいでしょうか?」
私の隣で、唯一戦いに参加していないローザが小さな声で呟く。
その気持ちは……よくわかる!
「ちょっとやりすぎだと思いますよね?」
魔国に潜入した私たちは、できるだけ敵を避けながら魔王城へと進む予定だったのだ。
なのに、魔鬣犬の群れを見つけた兄さんが、問答無用で襲いかかったのを皮切りに、いつもどおりの戦いに突入してしまったのが……今のこの惨状に繋がっている。
「あとで、兄さんはきちんと叱っておきますね」
「あ……いえ、この辺りの魔鬣犬が、しょっちゅう人間の国へ侵入しては、あちこちを荒らし回っているのは事実ですから、ここで殲滅するのは正しいことだと思います」
そう言いながらもローザの顔色は優れなかった。
「でも……かわいそうですもの」
「……そうですよね」
私とローザは、頷き合う。目と目を合わせて、苦笑した。
なんというか、意外だな。
「……魔獣との戦いで、かわいそうとか思うのは私だけだと思っていました」
私は、ローザにそう言った。
この世界の人間にとって、魔獣は圧倒的な脅威であり悪物だ。一見可愛らしい魔腮鼠であっても、敵は敵。目にした途端、即座に抹殺対象とするのを躊躇う人はいない。
前世の日本人的感覚で「かわいそう」とか「魔獣にだって親も子もいるのに」とか「生態系のバランスが」なんていう感情を持つ人は、いままで会ったことがなかったのである。
兄ですら、私が「ダメ」とか「イヤ」とか言わなければ、どんな魔獣も狩り尽してしまうに違いないのが現状だ。
そんな中、ローザの感覚は、非常に珍しいものだった。
「あ! えっと、その、私は――――」
私の言葉を聞いたローザは、焦りだす。
「あ、大丈夫ですよ。私、言いふらそうとか思っていませんから」
人とは違う考え方をしているということを、内緒にしている人はたくさんいる。
魔獣をかわいそうだと思うのは、かなり特殊だと思うので、ローザも言いふらされたくないのだろう。
安心させるように笑いかければ、ローザは顔をうつむけた。
そのまましばらくそうしていたけれど、やがてパッと顔を上げる。
「勇者――――クリスさんは、魔国を滅ぼすつもりでいるのでしょうか?」
「え?」
「えっと! あの! ……わ、私、魔王討伐は、仕方ないと思うんです。人間に宣戦布告して攻め入ってきたのは、魔王率いる魔国ですもの。……でも! 魔国の中には、そういった上の考え方とは違うというか……まるで知らない魔物もいるんじゃないでしょうか? だ、だから、そういう魔物たちもみんな滅ぼしてしまうのは、その――――」
なんだか必死で話しかけてくる。
ローザがこんなに話すのを、はじめて見た。
今までいつも一歩引いたような位置にいて、大人しかった彼女のイメージとは、まったく違う姿だ。
「……えっと、ローザさん?」
「――――あ、私ったら。……ごめんなさい。今のは忘れてください!」
いや、そうは言われても、忘れるのは難しい。
私は、ちょっと考えた。
「兄は、魔国を滅ぼすことなんて考えてもいないと思いますけど?」
「……え?」
「魔王討伐だって、周囲に説得されて……ていうか、唆されて来たんです。兄は、魔王さえ倒せれば、そそくさと私と一緒に村へ帰ると思いますよ」
兄が魔王を倒そうとしている理由は、私が勇者に憧れていると信じているせいだ。
それに、村の絵本の中に描かれていた勇者は、魔王を退治しても魔国を滅ぼしたりしなかった。
それだけで、兄が魔国を滅ぼす可能性はないと断言できる。
「そうなんですか?」
「はい。間違いありません」
私の言葉に、ローザはあからさまにホッとした。
「あ、でも、気が変わったりしないでしょうか?」
そんな心配は不要だ。
「大丈夫ですよ。……まあ、私が『滅ぼして』とかお願いしたら、嬉々として滅ぼしてしまいそうではあるけれど」
私がそんなお願いする可能性は、万分の一もないから、ありえない。
大船に乗ったつもりでいてほしいと思って笑いかけたのに、ローザはまだ不安そうだった。
「……そうなんですね」
小さく呟き考えこんでしまう。
絶対大丈夫だと安心させようとしたところに、兄たちが帰ってきた。
「シロナさん! 魔斑鬣犬を倒したので見てください!」
どうやら今回は、アレンがリーダー犬を倒したらしい。
意気揚々と魔斑鬣犬の首を見せてくる様子が……兄に似てきたような気がする。
「僕の攻撃を避けた魔斑鬣犬が逃げた先に、たまたま居ただけのくせに」
不満いっぱいなのは、兄。
「運も実力の内です!」
そこで偉そうにするのは、どうだろう?
アレンは、私の前に魔斑鬣犬の首を持ってきて、なにかを待っているみたいな顔をした。
まさか、兄みたいに撫でてほしいなんて言わないわよね?
「――――シロナさん! 見てちょうだい! 私、双頭魔犬を倒しましたわよ!」
そこに、バルバラが飛びこんできた。
アレンと同じような犬の首を両手にひとつずつ持っている。
双頭魔犬とは、文字どおり頭が二つの魔犬で討伐ランクはAAだ。
「え? そんなモノがいたのかい?」
アレンは、驚いたようにバルバラの方へ振り返った。
「なっ! それは、僕がこっそり狩って、後でシロナを驚かそうと思っていた獲物なのに!」
兄は、わかっていて隠していたみたい。
「ホーホホホ! 早い者勝ちですわ」
バルバラは勝ち誇ったように笑った。
悔しそうに唸る兄の隣から、ノーマンが駆けてくる。
犬の頭は持っていないが、籠を小脇に抱えていた。
私に近づくと、その籠をサッとさしだしてくる。
「嬢ちゃん、ほら魔食葉の実があったぞ。嬢ちゃんはこのジャムが好きだっただろう?」
なんとノーマンは、戦いの最中に私の好きな果実を見つけて採取してくれたらしい。
「うわっ! こんなにたくさん、ありがとうございます!」
笑顔でお礼を言えば、ノーマンは嬉しそうに笑った。
「……くっ! まさかそんな手に出てくるとは思わなかった」
「腐っても冒険者……侮っちゃいけないな」
兄とアレンは、なんだか悔しそうだ。
「フン! 年の功ですわね」
バルバラは、顔を顰め、鼻を鳴らした。
「おい、誰が年の功だ」
「本当のことでしょう」
ノーマンとバルバラが睨み合う。
……まったく、困った人たちだ。
その後もワイワイと言い争う四人を、私は懸命になだめた。
――――そんな私たちから少し離れて、真剣な表情で考えこむローザに、このときの私は気がつくことができなかったのだった。
その後も魔王城への旅は順調に進んだ。
出会う端から魔族をぶっ飛ばして、ときには十時間ほども戦い続けることもあるけれど、みんなそれほど疲労している感じはしない。
「シロナさんのお料理を食べると、疲れもなにもかもなくなりますわ」
以前、野営料理を野蛮だのはしたないだの言って食べなかったバルバラも、今では出すものすべて完食してくれる。
「そうだね。鳳魔凰がこれほど美味しかったなんて、この旅をするまでは知らなかったよ」
今日のメニューは、鳳魔凰の骨付きもも肉と耶魔芋という根菜を煮込んだスープ。味付けは塩と胡魔油だけで、あっさりしているのに食べ応えのある料理だ。
「鳳魔凰の味なんて知っているヤツは、滅多にいないだろうからな」
残った骨をしみじみ見ながらノーマンが話す。
「え? そうなんですか? うちは兄さんがよく捕ってくれるから、普通に食べていましたけど」
私の言葉に、兄がうんうんと頷く。
口の中がスープでいっぱいなので話せないのだ。
「そこからしておかしいんだよ。普通、鳳魔凰は王都から魔国よりの方にしか見られない魔鳥なんだ。クリスと嬢ちゃんの村は、魔国とは反対方面の山間の村だろう? なんで鳳魔凰がいるんだよ?」
そんなこと言われても、いるものはいるとしか言いようがない。
鳳魔凰以外でも、うちの村の近くには比較的強い魔獣が多いのだが、ひょっとしたら勇者の経験値稼ぎのためなのかも?
「……ちなみに羽根はどうしているんだ?」
考えてもしかたないと思ったのだろう、ノーマンは別のことを聞いてきた。
「綺麗だけど、あんまりたくさんあっても困るんですよね。最近は、羽箒にして村中に配っていましたけど」
箒自体も綺麗だし、使えば棚とか綺麗になる。
……とは言っても、やっぱり喜ばれるのはお肉の方なんだけど。
私が鳳魔凰の羽箒を思いだしていれば、ノーマンが深いため息をついた。
「鳳魔凰の羽根で羽箒……いったい、どれだけの値段がつくんだ」
「材料は、肉を食べた後の廃棄品ですし、うちの母が片手間仕事で作っていましたから、元手はほとんどかかっていませんよ」
「そうじゃない!」
ノーマンは、泣きそうになっている。
……いったいどうして?
不思議そうに兄と目を見交わす私だった。