VS 王兄殿下
――――なので、今のこの状況は、不可抗力だ。
「シロナさん、ちょっといいかな」
よくありません!
……そう断れたら、いいのに。
頭上には満天の星。ここは要塞の内側に立つ監視塔の頂上だ。
なぜか私は王兄殿下と向かい合っていた。
退路は、たった今ここに上ってきたばかりの王兄殿下の背後にある階段だけ。つまり、私は袋の鼠なのである。
この時間帯は、これから魔国へ旅立つ勇者一行を壮行する食事会の真っ最中のはず。
私が王兄殿下と顔を合わすことを極端に嫌う兄のため、私は体調不良を理由に食事会を断って、ひとりで星を見にきたところだったのに。
なんでそこに、食事会の主催者である王兄殿下がいらっしゃるのかな?
慌てて頭を下げた私を、王兄殿下は「ああ、そんなことをする必要はないよ」と、優しい声で止めた。
いや、そうは言われても。
あとで、不敬だと怒ったりしないかな?
……うん。たぶんこの人は怒らないだろうなとは思うけど。
「君に会いたかったんだ。……あのアレンが守りたいと言った女の子は、はじめてだからね」
……アレンめ。余計なことを言いおって。おかげでいらぬ興味を引いてしまったじゃないか。
どう返事をしたらいいかわからずに黙っていたら、王兄殿下は少し眉尻を下げた。
「ああ、嘘をついたらいけないな。……いや、嘘というわけでもないんだが……アレンのことがなくても、私は君に会いたいと思っただろうな」
「え?」
「昼間、君を見て驚いたんだよ。……君は、私が知っている少女にとてもよく似ていたから」
――――それって。
「その少女は、今から数十年も昔に、私と一緒に剣を振り、馬を駆り、野山を駆けまわった、とんでもないお転婆な子なんだよ。……まあ、今の彼女は、優秀な専属美容師やスタイリストのおかげで、綺麗に化けて昔の面影を隠しているんだけどね」
――――間違いなく、女王陛下のことですよね?
王兄殿下は、いたずらっ子のような顔で笑う。
隻眼の美形の笑顔。……ごちそうさまです!
それにしても、私ってあの神々しい女王陛下に似ていたのね。
……まあ、娘なんだとしたら当然なのかもしれないけれど?
あと、女王陛下って、そんなとんでもない野生児だったんだ。
私は、そこまで似なくてもよかったんだけどな。
――――いろいろ考えこんでしまった私に、王兄殿下が話しかけてくる。
「私は、君を見て、すぐに彼女を思い出したんだ。本当に、瞳の輝きさえもそっくりなのだからね。……それに、やたらと強い者を惹きつけてしまうところも同じだ」
「え?」
私は、さっきから「え?」しか言えてない。
「一目見てわかったけれど……アレンは、かなり強くなっていたよね? 立ち方や歩き方、周囲への気の配り方からも、旅立つ前とは別人のような成長ぶりだった。ノーマンも然り。驚いたのはバルバラかな。高慢で非常識なほどに我儘で、生まれ持った才能を腐らせるだけでしかないと思われたあの子が、あれほど劇的な成長を遂げるとは。……正直この目で見ても信じられないほどだったよ。――――君に似ている少女はね、力を持つ者を無条件で惹きつけ、しかもその者の力を大きく育てる力を持っているんだ。……君は、そんなところまであの子にそっくりだよ」
……買いかぶりだと思います。
っていうか、女王陛下ってそんな力を持っているんですね?
……初耳なんだけど。
「なにより、勇者クリスを見ればよくわかる。彼の強さは規格外だ。人類史上最強の力を持つ勇者が、誰より愛しひとときも離したがらない少女……それが君だ」
王兄殿下のひとつの目が、ジッと私に注がれる。
「それで……こんなことを聞くのは、失礼かもしれないけれど……君は、本当に勇者クリスの妹なのかな?」
直球の質問が来た!
……ああ、いや。そのものズバリを聞いていないから、スライダーくらいなのかな?
――――私は、答えに迷ってしまう。
どうせ、ここで嘘をついても、私が兄さんの本当の妹でないことなど、ちょっと調べればわかること。だから、迷う必要なんてないんだけど。
「おかしなことを聞いてすまないね。……実は、今話した君に似ている人には、行方不明の娘がいるんだよ。だから――――」
王兄殿下が、そこまで言ったときだった。
ブワッと一陣の風が、私と王兄殿下の間に吹く!
目を閉じ、顔をうつむけた次の瞬間、私はギュッと抱き締められていた。
「シロナは、僕の妹だ!」
そう言い放ったのは他ならぬ兄で、私の体に回った手には、痛いほどの力がこめられている。
「勇者殿! ――――いったいどこから?」
王兄殿下が驚くのも無理はなかった。兄は、突然降って湧いたとしか思えぬ現れ方をしたからだ。
「ちょっと! 兄さんったら……階段がある場所では、魔法を使わず自分の足でのぼりなさいって言っているでしょう」
まるで奪われまいとでもいうように、ギュウギュウと私を抱き締める兄の手を叩きながら、私はそう注意した。
「……だって、それじゃ間に合わない!」
「間に合うわよ! もうっ、誰と競争しているの? ――――私は兄さんの妹だって、いつも言っているでしょう!」
まったく、この兄は、私のことになると臆病になるんだから。
いったい、いつからどこで私と王兄殿下の話を聞いていたのだろう?
「盗み聞きしていたの?」
「違う。……宴会を早く抜けてシロナの気配を探していたら、そいつが一緒にいるのがわかって、聞き耳を立てただけだ。……そうしたら、急に変なことを言いだすから、ウィンド・ランで駆けつけた」
それを盗み聞きしていたと言うのだ。
ウィンド・ランは、空を駆ける魔法。どうやら兄は、階段を駆け上がる時間すら惜しかったらしい。
「シロナは、僕の妹なのに」
「はいはい。そのとおりよ」
「僕の……僕だけの妹だ」
「そうだって言っているでしょう」
兄が私を抱き締める力は緩まない。
私は、なんとか首を伸ばし、王兄殿下の方を見た。
彼は、片目を見開いたままだ。
「……こういうわけですので」
そう言いながら、私は手で兄を指さした。
「――――あ、ああ」
王兄殿下は、わかったような、わからないような返事をする。
「私は、勇者クリスの妹です。他の何者でもありません」
呆然としている王兄殿下に、私はきっぱり告げた。
「さあ、兄さん、部屋に戻りましょう」
ポンポンと兄を叩いて促す。
「……うん」
「待ってくれ!」
兄が頷くのと、王兄殿下が止めるのが、同時。
当然兄が制止の言葉を聞くはずもなく、私は兄にお姫さま抱っこをされて、塔から夜空に飛びだした。
「ウィンド・ラン!」
トン、トン、トンと、兄は宙を駆けていく。
慣れている私に恐怖感はない。
あっという間に地上に降りて、そこから塔を見上げた。
頂上から王兄殿下が下を覗いているのが、小さく見える。
しかし、それも一瞬。兄は私を抱いたまま駆けだした。
塔そのものが後ろに遠ざかっていく。
「……シロナは僕の妹だ」
耳に兄の声が響いた。
「うん。わかっているから……このまま逃げようとしちゃダメよ」
兄の進行方向には、要塞の出口が見える。そこから出て行くつもりなのは、間違いない。
図星をつかれた兄は、ちょっとスピードを落とした。
「部屋に戻りましょう。明日はみんなと魔国に出発なのよ。早く寝なくっちゃ。……今日は、一緒のベッドで寝てあげるわ」
兄はピタリと足を止める。
「一緒のベッド?」
「ええ、兄さん」
どうせ兄は、あと数時間は私を離そうとしないだろう。だったら、一緒にベッドに入った方が、私は眠れるという寸法だ。
この年で添い寝とか恥ずかしいが……いまさらである。
兄の体は、ふらふらと揺れた。
ここから逃げだしたい気持ちと、私と一緒に寝たいという願望がせめぎ合っているみたい。
「……シロナは、僕の妹だ」
いったい何度「そうよ」と言えば、この兄は安心するのだろう?
いや、きっと、百万回繰り返しても安心できないに違いない。
だって、私は本当の妹じゃないから。
だったら――――。
「ええ、そうよ。……そしてね、たとえ妹でなかったとしても、私は兄さんとずっと一緒にいるわ」
「――――え?」
「私は、兄さんが兄さんじゃなくても大好きだもの。側にいたいと思う。……兄さんはそうじゃないの?」
兄は、驚いたように何度も瞬きした。
「…………僕が、兄さんじゃなくても、大好き?」
「ええ、そうよ。……兄さんは? 私が妹じゃなかったら、兄さんは、私を嫌いになって離れていくの?」
兄は、ブンブンと勢いよく首を横に振った。
「そんなはずない! シロナが妹でなくとも、僕はシロナが大好きだ!」
「よかった。じゃあ、ずっと一緒ね」
「……ずっと一緒…………兄妹じゃなくとも?」
「ええ。兄さん」
兄は、しばらく動かなかった。
――――やがて、パッと花開くように笑う。
泣きたくなるほど、美しい笑顔だ。
もうっ! ……ヤバいわ!
イケメンの全力笑顔に、私の心臓が大打撃を受ける。
「シロナ、シロナ! ……シロナ!」
兄は、ますます強く私を抱き締めた。
ぐぇっと息が詰まるけど……仕方なく我慢する。
「……さあ、だから行きましょう。誰になにを言われたって気にしなくていいのよ」
私の言葉に、兄は無言で頷いた。
満天の星の下、歩きだす。
――――これで少しは落ち着いてくれるといいんだけど。
この夜、兄は眠っても私を離さなかった。
まったく、甘えん坊なシスコン兄である。
ちなみに、体脂肪率数パーセントの細マッチョ兄の体は硬く、私は兄をもう少し太らせるべきか、真剣に悩むことになった。