王兄殿下が現れた
その後、順調に旅は続き、魔国を目前にした私たちは、最後の補給を受けていた。
ここは、人間側の最終防衛ライン。高い防壁に囲まれた星型要塞の中に、魔王軍の正規軍を撃退し続けてきた各国の精鋭が詰めている。
その精鋭の中に、我が国の王兄殿下がいた。
「伯父上!」
「アレン! よく来たな。勇者一行が、各地で多くの魔獣を征伐した噂は、ここまで届いていたぞ」
出発式で見た隻眼の美丈夫が、駆け寄ったアレンの肩に手を置き労る。
――――そう。無差別に魔獣を狩り尽していたように見えていたかもしれないが、私たち勇者一行の旅は、それなりに人々の役に立っていたのだ。
街道に出没する魔獣を退治して、旅人の安全を確保し町の孤立を防いだり、神出鬼没に現れて家畜や農作物に被害を与えていた魔鳥を巣ごと駆除したり、一軍を率いて街を占領しようとしていた魔族の先遣隊を殲滅したことだってある。
……まあ、そのほとんどが行き当たりばったりで、終わる度に、誰が一番功績を挙げて私に褒めてもらえるかを、兄とバルバラ、時にはアレンやノーマンまで加わって、争っていたのは……ともかくとして。
「伯父上が、母上のお側を離れてここにいらっしゃるとは思いませんでした」
「可愛い甥っ子が、魔王討伐のため勇者一行と旅だったのだ。私ばかりが動かぬわけにはいくまい」
「……父上と、どちらが行くか賭けて戦って、負けたんですね?」
「…………そうだ」
苦々しげな表情もイケオジは、さまになる。
たとえその理由が、ちょっと情けないものであったとしてもだ。
アレンは苦笑しながらも、伯父の顔を真正面から見つめた。
「私も、この旅で伯父上や父上の気持ちが、少しだけですが、わかるようになりました」
隻眼が大きく瞠られる。
「アレン?」
「自分が近くに在りたいと思える人ができたのです」
アレンはそう言いながら、私の方を振り向く。
……………………えっと?
困惑している私に、王兄殿下の視線が向く寸前、兄が私の前に出た。
広い背中が、私の視界から王兄殿下を見えなくする。
「お久しぶりです。王兄殿下」
いつもの兄とは思えない、隙のない青年が礼儀正しく頭を下げた。
「あ、ああ。勇者殿。此度の活躍、頼もしく思う。王都にて女王陛下も殊の外お喜びだったよ」
「ありがとうございます」
……いや、ホント、誰? この好青年。
爽やかに王兄殿下と会話する兄に、私のみならず、バルバラやノーマン、ローザも驚く中、アレンだけが苦笑している。
「クリス、そんなに警戒しなくても、伯父上はシロナさんになにもしないよ」
「余計なことは言うな」
あ、爽やか青年が消え去った。
「伯父上は、君と同じシスコンなんだよ。私の母にしか興味がないのさ」
それは、国中誰ひとり知らぬ者のない有名な話だけど、何故今ここでする必要があるの?
「知っている」
ぶっきらぼうに兄がアレンに返す。
「伯父上、勇者クリスは、伯父上に負けず劣らずのシスコンなんですよ。おかげで私は、彼の妹のシロナさんに近づくこともままなりません。それがものすごく残念なんです」
アレンは、明るく話しながら、私の方をジッと見てきた。
その視線が、本当に残念そうに見えて、私はちょっといたたまれない。
「アレン! シロナを見るな!」
兄はスッと体を動かして、今度はアレンを私の視界から遮った。
「ちょっと、兄さん」
「ほら? こんな感じで、伯父上そっくりでしょう?」
苦笑交じりのアレンの声が聞こえる。
「おい! 私はここまでひどくないぞ。……それに、これはどちらかと言えば、私よりウィリーの方に似ているんじゃないか?」
ウィリーって誰だろう?
兄が動いたおかげで、王兄殿下が少し見えるようになった私は、彼の方に視線を向ける。
ちょうど王兄殿下もこちらを向いて、私と視線が合った。
「…………あ」
王兄殿下の口がポカンと開き、声が漏れる。
その後、片方だけの緑の目が、食い入るように私を見つめてきた。
私は、ぺこりと頭を下げる。――――兄が不敬な態度で、申し訳ありません。
「……君は」
「シロナ、行くぞ」
なにかを言いかけた王兄殿下の言葉を、ぴしゃりと遮って、兄はクルリと振り向いた。
素早く私の手を取ると、そのままズンズン歩きだす。
当然、私も一緒だった。
「もう、兄さんったら、あの方は王兄殿下なのよ!」
引っ張ったって止まりゃしないから、口でだけ注意する。
「知っている。……アレンの伯父だろう」
「アレンさんは旅の仲間だから気安いけれど、相手は王族なのよ! 不敬罪で捕まったらどうするの?」
「僕は勇者だから捕まらないさ」
「そりゃ、そうだけど!」
私は捕まるかもしれないでしょう!
……まあ、そんなことになったら、兄が暴れるだろうから、多分大丈夫だとは思うけど。
「ともかく、無駄なトラブルは避けてよね」
「あいつがシロナに近づかなければ、手は出さない」
「あいつって、王兄殿下?」
コクリと頷く兄。王兄殿下のなにがそんなに気に入らなかったのだろう?
「わかったわ。私も近づかないように注意するわね。……でも、そんな心配しなくても、勇者のおまけの私と王兄殿下が近づくことなんてないと思うけど」
「気を抜いちゃダメだ! あと、シロナはおまけなんかじゃ絶対ない!」
「……もう、兄さんったら、わかったわ」
「絶対だよ!」
「はいはい」
その後も、しつこく絶対を繰り返す兄に、指切りげんまんまでしてその場は収まった。
ちなみに、私と兄の指切りげんまんは「嘘ついたらキス千回させる」と続く。キスといってもほっぺにチュで、もちろん私から兄にするキスだ。
兄が約束する場合は、「口をきいてあげないから」と私が言えば、兄は必ず約束を守るので、指切りげんまんまでする必要はない。
――――自分が女王の娘かもしれないと思っている私が、王兄殿下に近づくことなんて、頼まれたってありえない。
このときの私は、本気でそう思っていた。