騎士の夢(アレン視点)
――――子どもの頃の夢を見た。
視線が低く、見上げれば、今より若い父と伯父がいる。
……ああ、これは間違いなく夢だ。
だって、伯父の両目が開いている。
伯父は私が五歳のときに、母を悪漢から守り片目を失ったのだ。
同時に、私は妹を失った。
「アレン、どうして我が国は女王を戴いているのだと思う?」
伯父の明るい声が懐かしい。
この頃の伯父は、とても陽気な人だった。冗談を言っては周囲を笑わせてばかりいた伯父から笑顔が少なくなったのは、片目を失ったあの事件の後。
伯父は、自分の片目より次代の女王を失ったことの方を、今でも深く悔やんでいる。
「間違いなく王の血を継承するためです」
子どもの私は、大好きな伯父の質問に元気よく答えた。
なにかの式典に出るためなのか、目の前の父と伯父は麗々しい正装に身を包んでいる。
二人とも、身内の欲目抜きで凜々しく美しい騎士だと思う。
この二人を両脇に従えたときの母の神々しさは、どれほど言葉を尽くしても語りきれないくらいだ。
「半分正解だな」
伯父がニヤリと笑い、父は苦笑した。
「半分?」
「ああ、王の血を継承するのは、我らの目標だ。――――目標とは目的を達するための手段のことをいう。……では、血を継承することによってなにを目的とするのかだが――――実はなアレン、我らの祖先は女神とその女神に心身を捧げた騎士なんだよ」
伯父は誇らしそうにそう言った。
「女神と騎士……ですか?」
「そうさ。このため王家の血をひく女性の中には、時折女神の資質を持つ者が現れる。お前の母である私の妹――――女王陛下もそうだ。そして、女神の資質を持つ女王は、強き騎士を惹きつけるのだ。我が国が代々女王を君主とするのは、かつて女神と騎士によって興ったこの国の形を引き継ぎ、それによってもたらされる安寧と幸福を守り、子々孫々にまで伝えるためなんだよ」
このときの私は、よほどキョトンとした顔をしていたのだと思う。父が困ったように頭をなでてくれたから。
「アレン、無理に理解しようとしないでいいぞ。義兄上のお話は、半ばご自身の願望だからな」
「なにを言うウィリー、君こそが陛下に魅せられた強き騎士のくせに」
父の名はウィリアム。ウィリーは愛称だ。
「たしかに私は、陛下にすべてを捧げた騎士だけど、自分がそれほどに強い騎士であるという自信はないよ」
「謙遜は止めてくれ。そんなことをされたら、君に連敗中の私はどうすればいいんだ?」
両手を上にあげ、伯父はわざとらしく顔をしかめる。
「たまたま勝てているだけで、いつだって私はひやひやさ。……それに、私のヴィーへの愛情をそんな伝説で理由づけられたくはない」
ヴィーは、母ヴィアトリス女王の愛称だ。
伯父は、楽しそうに笑った。
「相変わらず仲睦まじいことだな。独り者の私には、羨ましい限りだよ」
「そう思うなら、さっさと身を固めればいい。義兄上なら引く手数多だろうに」
「そうは言われても、ヴィー以上の女性はなかなかいないからな」
「……このシスコンめ」
父が頭を抱える。
伯父が妹である母を溺愛していることは有名だった。
昔から「自分より強い者しかヴィーの婿とは認めない!」と豪語していたそうで、その伯父を破ったのが父なのだ。
楽しそうに会話している二人を見ると、嬉しくなると同時に羨ましくなった。
私には、二人にとっての母のような存在がいないから。
夢の中の自分もそうだったようで、気づけば声に出していた。
「……いいなぁ、父上も伯父上も、母上が大好きなのですね。僕にもそんな風に大好きになれる人ができるでしょうか?」
私と同じ緑の目を見開いた伯父が、クシャリと笑う。
「ああ、もちろんだとも。もうすぐお前にも妹が生まれるからな」
「おい! 女の子だと決まったわけではないだろう」
母は、臨月だ。
このときの私は知らないけれど、生まれてくる子が妹だということを、今の私は知っている。
「女の子に決まっているさ。私の勘はよく当たるんだ。ヴィーのときも、絶対妹が生まれると信じていたからな」
実際伯父の勘は当たった。
……ただ、私はその妹に会うことはできなかったけれど。
「妹は可愛いぞ! ……いや、中にはそうでもない妹もいるが……ヴィーを見た瞬間に、私は一生この子を守ろうと決めたんだ。お前もきっとそうなるさ!」
伯父は楽しそうに断言した。
「義兄上……私の息子をシスコンにさせようとしないでください」
「シスコンのなにが悪い!」
「……娘の婚期が遅れます」
「安心しろ。お前だって娘ができれば、嫁にやりたくなくなるに決まっている」
否定できなかったのだろう、父はそのまま黙りこんだ。
……それは安心できることなのか?
ああ、見ることも叶わなかった私の妹よ。あんな事件さえなかったら、君はきっとみんなに愛され大切にされたはずなのに――――。
妹を失った私は、父や伯父のように心を傾ける相手に会えることは、もう一生ないのだろうか?
その笑顔に心震わせ、命に代えても守ろうと思えるような女性に、私も会いたい!
――――夢の中で、私がそう思った途端、視界が歪んだ。
ゆらゆらと揺れる形のない靄の中……徐々にひとりの少女が現れてくる。
私と同じ茶色の髪と、まだはっきり見えない顔の中、目の位置に緑色が見えた。
……失われた私の妹も茶色の髪と緑の目だったと聞いている。
徐々に晴れていく靄の向こうに、もうすぐ顔が見える。
……ああ、もう少し。
◇◇◇
「――――起きろ、アレン。交替だ」
そのとき、声が聞こえた。
夢がフッと消えていく。
――――待って。
「あ……ああ、クリス」
目を開ければ、そこには美しいが無表情の顔があった。
彼は勇者クリス。魔王討伐へ向かう仲間で……そうだ、今の私は魔王城へ向かう旅の途中だったんだ。
私は、彼とノーマンの三人交替で不寝番をしていた。
思い出し、隣に眠るノーマンが目覚めないように気を遣いながら、上半身を起こす。
……もう少し夢の続きが見たかったが、順番となれば仕方ない。
せっかく見えたと思った少女の顔も……もう、思い出せなかった。
「起こしてくれて、ありがとう」
「ああ」
小声で礼を言った私に素っ気なく頷いたクリスは、音もなくテントから出て行く。
続いて外に出れば、彼は妹のシロナが寝ているテントに入っていくところだった。
その後ろ姿に、モヤッとする。
いや、彼らは兄妹で一緒に眠ることになんの問題もないのだけれど。
そういえば、伯父も隙あらば母と一緒に昼寝をしようとしては、父に怒られていたな。
……あ、でも怒られていたってことは、問題があるのか?
――――私は、頭を二、三回強く横に振った。
なんだか、まだ寝ぼけているようだ。埒もないことばかりに、思考が流れていく。
クリスとシロナが一緒に寝ていても、私にはなんの関係もないことなのに。
気を入れ替えると、たき火の様子を見てその前に座った。
燃え盛る炎を見ていれば、その火で魚を焼いていたシロナを思い出す。
炎に照らされ金茶に見えた髪の毛とキラキラ輝いていたエメラルドの瞳。頬も赤く染まっていて、いつもと少し違って見えた。
笑いかけられて、ドキッとしてしまったのは……内緒だ。
――――あのとき言った可愛いという言葉に、嘘はなかったんだけどな。
シロナには本気にしてもらえなかった。
それを残念だと思う私の気持ちは……なんなのだろう?
「……シロナさんが、私の妹だったらよかったのにな」
気づけば声が漏れていた。自分の言葉に自分で驚く。
そのとき――――。
「あんな平民娘を妹にだなどと、気でも狂ったのですか?」
耳障りな声が聞こえてきた。
クリスとシロナが眠るテントとは別のテントから出てきたのは、バルバラだ。
テントは二人用が三張りで、バルバラはローザと一緒に使っている。
――――山魔魚の串焼きが気に入らず駆け去ったバルバラは、あれからすぐに戻ってきた。
夜の山中を闇雲に歩くような考えなしでなかったことはよかったが、戻ったからといって反省した様子も見せず、さっさとテントの中に姿を消したのだ。
食事も取らずに眠ったのかと思っていたが、携帯食を食べたのだろう彼女の口元には、食べかすがついている。
……公爵令嬢としては、あり得ない姿だ。
「そんなに大きな声を出すものではないよ。みんなを起こしてしまうだろう」
バルバラが、今の自分の顔を見れば、羞恥で愧死してしまうだろうな。
そう思いながら、私は静かに言葉をかける。視線を逸らしてしまったのは、不可抗力だ。
「あんなバカな発言をするあなたが悪いのです。私のせいではないわ」
相変わらずバルバラに、私の言葉は届かない。
大きくため息をつく私に構わず、彼女は私の横にやってきた。ストンと腰を落とす。
「あなたの先ほどの発言、狂気の沙汰としか思えないけれど……そうね。私、あなたに協力してあげてもいいわ」
美しくとも少しも惹かれぬ笑みをバルバラは浮かべる。
口元に食べかすがついている状態で、上から目線に言われても、聞く気はまったく起きないよ。
「……協力?」
一応聞き返した。無視すれば無視したでうるさいからだ。
「あなたは、あの平民娘が気に入ったのでしょう? 私はクリスさまを手に入れるために、あの女が邪魔なの。私たちの利害は一致すると思わない?」
全然まったく思わない。
「私の感情は、君が思うようなものではないよ」
遠回しに否定した。
「あら? あの娘が欲しいのではなくて? 気に入ったのなら手に入れて、すべてを自分のものにしたいと思うのが、普通でしょう?」
「違うよ」
今度は、はっきり否定した。
自分の考えこそが唯一無二で正しいのだと思うのは、バルバラの致命的な欠点だ。
「たしかに私は、シロナさんが妹だったらいいなと言ったけれど、それは彼女が周囲に気配りのできる優しい人だからだよ。純粋に彼女の人柄が気に入ったんだ。それ以上の思いはないよ。……それに彼女は、自立したひとりの人間だ。自分のものにしたいなんて思わないし、できるとも思わない」
断言すれば、バルバラはつまらなそうに肩を竦めた。
「優等生な王子さまらしいお答えね。……だから、あなたは王になれないのよ」
「王になれるともなりたいとも思わない」
我が国は、女神の力を継承する女王の国だ。私がなりたいのは、王ではなく、女王を守る騎士の方。
私がそう言えば、バルバラはフンと鼻を鳴らした。
「腰抜けの言い分ね、……私は自分が欲しいと思ったものは必ず手に入れるし、どんな手段を使っても自分のものにするわ」
「……君も王にはなれそうにないね」
私の言葉を聞いたバルバラは、怒りの表情を浮かべた。視線だけで私を射殺しそうな勢いで睨んでくる。
――――だから、その食べかすをなんとかしてもらわないと、怯えることもできないよ。
ついつい苦笑してしまえば、バルバラはすっくと立ち上がった。
「腰抜け」
捨て台詞を吐いて、そのままテントに戻っていく。
ドッと疲れてしまった。
夜空を見上げ、心を休める。……星が美しい。
「……お疲れさん」
ボーッとしていれば、ねぎらいの声が聞こえてきた。
顔を向ければ、いつの間にかノーマンが出てきている。
「すまない。起こしてしまったのかな?」
「あれだけ騒いでればな」
ノーマンは、苦笑して私の隣に腰を下ろした。
親指でクリスとシロナのテントの方をさす。
「当然、あっちも起きていたぞ。話し声が聞こえたんだが……嬢ちゃんが必死でクリスを宥めていた。……命拾いしたな」
ツッと背中に冷たい汗が流れる。
「本当かい?」
「ああ……『兄さん、人殺しはダメよ! そんなことをしたら、もう添い寝させてあげないから!』……だとよ」
大きく息を吐く。
「シロナさんには、足を向けて寝られないな」
人に足を向けるのは失礼に当たる。足を向けて寝られないは、最大級の感謝を告げる言葉だ。
きっとシロナさんが止めてくれなければ、私もバルバラもクリスの手で抹消されていたはずだ。
「まったくだな。嬢ちゃんさまさまだぞ。……もしも嬢ちゃんがこの旅についてこなかったら、と考えるとゾッとするぜ」
たしかにとても殺伐とした旅になったのは間違いない。
想像するのも恐ろしい。
バルバラも問題児なのだが、勇者クリスも大概だった。
「出会って早々に、クリスが妹自慢をはじめたときは、どうしようと思ったんだけどな。魔王討伐の旅に家族連れだなんて、とんでもないと思ったよ」
いくら妹が好きでもあれはなかった。
ただ、すぐにそのクリスをシロナさんが窘めたので、ホッとしたのだ。
少なくとも彼女は常識人だとわかったから。
その後もシロナさんは、折々でクリスを止めたり足りないところを補ったりと、とてもいい働きをしてくれている。
「……今になれば、クリスがあれほどシロナさんを褒めるのもわかるな。彼の言うとおりだ。シロナさんはとても可愛いし優秀だ」
正直な気持ちが声になった。
ノーマンが、うわぁという顔をしてこちらを見てきた。
「悪いことは言わないから、嬢ちゃんだけは止めておけ」
「え?」
どういうことだ?
「嬢ちゃんは、ものすごくいい子だが、あんな怖いアニキがついてくるんだぞ。絶対苦労するって!」
……これは、なんだか誤解されている?
「さっきの話を聞いていたんだろう? 私は特にシロナさんと、恋人になりたいとか結婚したいとか思っているわけではないよ」
「……嬢ちゃんが好きなんだろう?」
「好きは好きでも、好ましいというくらいだ。私の気持ちはそこまで重くない」
淡々と告げたのだが、ノーマンは疑り深そうな目を向けてきた。
「恋に墜ちかけている奴は、大抵そう言うんだ」
「私は違う」
「……ならいいんだが」
本当に違う。
私は王子だ。
そんなに簡単に恋したりしない。
――――このときの私は、本気でそう信じていた。