やっぱり心配が絶えません
その夜――――。
たき火の暖かな赤が、周囲の闇を丸く退ける。
「山魔魚が焼けましたよ」
「おっ! 待ってました」
私の声に、ノーマンが嬉しそうな声を上げた。
ここは、黒魔犬の襲撃を受けた場所から半日ほど歩いた山中。
今日はここで野宿で、これから夕食を食べるところだ。
「……シロナが焼いてくれた山魔魚を、なに当たり前に食べようとしているのかな?」
早速手を伸ばしたノーマンに、不機嫌そうな兄の声がかかった。
――――山魔魚というのは、山の中の渓流に生息する、日本でいうところのヤマメに似た淡水魔魚だ。体長は二十~三十センチでそれほど大きくないのだが、ともかく凶暴。ビチビチと群れなして、水辺に近づいた小動物はおろか大猪さえも水中に引き摺りこみ、あっという間に骨だけにしてしまうという立派な魔獣である。イメージはピラニアを百倍獰猛にした感じだろうか。討伐ランクはCである。
バルバラからの刺々しい視線に鬱々としていた私の気分を晴れさせようとして、兄がササッと渓流で山魔魚を捕ってくれたのだ。
「もうっ、兄さんったらそんな意地悪言わないの。私は、兄さんが頑張って捕ってくれた山魔魚を、みんなに美味しく食べて欲しいんだから」
叱りつつ持ち上げるのが、兄を注意する際のコツ。
「そっか。シロナがそう言うのなら、みんな食べてもいいよ」
案の定、兄はコロッと態度を変えた。
「はい、一番は兄さんよ」
「ありがとう」
山魔魚のぬめりや内臓などを丁寧に取ってから串に刺し、塩を振って強火の遠火で焼き上げた一本を、まず兄に渡す。
続けて、ちょっと逃げ腰になっているノーマン、アレン、ローザへ渡した。
――――大丈夫。兄は自分が一番でさえあれば、その他大勢はあまり気にしないから。どうか安心して美味しく食べてほしい。
「私には、魚を丸かじりするような、そんな野蛮な食べ方はできませんわ」
皆で食べようと口を開けたところに、高慢な声が響いた。
たき火の輪から離れたところに座っていたバルバラが、蔑んだ目を向けてくる。
はいはい。だからあなたには渡さなかったでしょう。
まったく難しいお嬢さまである。
今日の山魔魚ももちろんだが、彼女は毎回食事のたびに「下品」だの「はしたない」だのと、文句のつけ放題。いったいなにをどうすれば、野営に陶器の皿や銀のフォーク、スプーンを用意できると思えるのだろう。
もはや、相手をするのも面倒だ。
「熱っ! でも、すごくうまいぞ!」
そう思うのは私だけではないようで、ノーマンが丸っとバルバラを無視して山魔魚を食べだした。
「――――ああ、これだけ大きいのに、ふわっとしていてこんなに甘みのある魚なんて、城でも滅多にお目にかかれないね」
「……上品な味です」
アレンもローザも、気に入ってくれたようだ。
兄は声もなく、はくはくと山魔魚にかじりついていた。声はなくとも美味しいと思っていることが、一目でわかる。
私もパクリと一口囓った。
「うん! 美味しい。さすが兄さんね」
「シロナが喜んでくれたなら、捕った甲斐があるな」
私が褒めれば、兄は山魔魚から顔を上げキラキラとした笑顔を見せてくれる。たいへんイケメンな笑顔である。
……だから、頭を差し出すのは食べ終わってからにして!
美味しい魚に舌鼓を打っていれば――――。
「もうっ! もうっ! もうっ! 私が食べられないというのに、何故平気で食べているのですか? 誰も不敬だとは思わないの!」
バルバラが真っ赤な顔で怒鳴りだした。
「食べられないのではなく、自分の好き嫌いで食べないのだろう」
困ったように指摘するのは、アレンである。無視すればいいのに相手をしてあげるあたりが、優しい王子さまだ。
「魚に直接かぶりつくだなんて、マナー違反も甚だしいわ! 平気で食べているあなたがおかしいのよ!」
しかし、彼の優しさは、怒鳴り声になって返ってくる。
「……バルバラ嬢、マナーというのは、その場その場に合った周囲を不快にさせない礼儀作法のことを言うのだよ。……その観点からすれば、今この場で仲間を不快にしているのは、君の行動の方だ」
意外なことにアレンが強い口調でバルバラに反論した。
今までのアレンなら、一応バルバラに注意はしても、それ以上の非難はしなかったのに、珍しいこともあるものだ。
「なっ! この私を否定するの? 王位継承権も持たないあなたが!」
「……たしかに私に王位継承権はないけれど、王を決定する投票権はあるんだよ。……君は、王位継承者が自分だけではないことを、忘れているのではないのかな」
逆上したバルバラに怒鳴られたアレンは、静かにそう言い返した。
――――バルバラにも妹がいるし、バルバラの母にも妹がいる。そしてそれぞれの娘たちも。
バルバラはたしかに王位継承権第二位だが、彼女の下には第三位も第四位も控えているのだ。
そして、この国の王位継承者には、玉座につく前に王たる資質を周囲に証明しなければならないというきまりがあった。
具体的には、他の王族たちから女王に相応しいという信任投票を受ける必要があるのだ。
――――まあ、よほど心身か能力に問題がない限り、王位継承順位がひっくり返されることなどないのだが……長い歴史の中には、この信任投票で女王になれなかった候補者も、たしかにいた。
アレンの言葉に、バルバラは顔を赤くする。ブルブルと震えアレンを睨みつけた。
「こ、この私にそんなことを言うなんて――――不敬よ! 不敬極まりないわ! 立場を弁えなさい」
「弁えるのは、君の方だよ、バルバラ。……ここは王城ではないし、あと数日もすれば王国ですらなくなる。なにより魔王の前では、王族も貴族も平民も、みんな等しく人間だ」
――――正直、驚いた。
王族の中でも王子であるアレンが、そんな考え方をしているとは。
感心して見つめれば、私の方を向いた緑の目と、目が合う。
アレンは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
私より年上の男性なのに、なんだか可愛いと思えるのはずるいと思う。
「なによ、なによ、なによ! 偉そうに! ……王子風情が!」
――――王子風情って、女系国家ならではの表現だろうな。
「だから、君はその考え方をあらためた方がいい」
「うるさい! うるさい! うるさいっ!」
バルバラは、そう叫ぶなり立ち上がって駆け去った。
「バルバラ嬢!」
焦って立ち上がったアレンを、ノーマンが引き止める。
「放って置けばいい。この暗闇だ。どこにも行けないさ」
たしかにここは山の中。しかも黒魔犬が出るような場所なのだ。たとえどんなに腹立たしくとも、どこかに行けるはずもない。
「シロナ、もう一匹食べてもいいかな?」
まるで今の騒ぎなどなかったかのように、兄が聞いてきた。
いや、この兄だもの。本気で今のことなど、なかったも同然なのかもしれない。
「ええ、兄さん、いっぱい食べてね。――――あ、アレンさんもお代わりどうですか?」
「え……ああ。ありがとう、シロナさん」
私は、兄に山魔魚の串焼きを渡し、ついでにもう一本をアレンに差し出した。
嬉しそうに受け取ったアレンの笑みは、どこか晴れ晴れとしていて、私もなんだか笑顔になる。
すると――――。
「シロナ、そんなに可愛い笑顔を、僕以外の奴に見せないで。……そいつがシロナに惚れたらどうするの?」
不機嫌な声が聞こえてくると同時に、兄が無理やり私の顔を自分の方に向けた。
綺麗な顔の眉間にしわを寄せ、私越しにアレンを睨んでいる。
わかりやすく嫉妬してくれているのだが、いらぬ心配だろう。
「もうっ、兄さんったら。私に可愛いなんて言ってくれるのは、兄さんだけよ。余計な心配は止めてよね」
悲しいかな、生まれてこの方、私を褒めるのはシスコン兄だけなのだ。
「あ! いや、シロナさんは、可愛いよ」
慌ててアレンが慰めてくれた。さすが気遣い王子さまである。
「ほらっ、やっぱり! ……僕以外には、絶対笑顔は禁止だから! お前も、シロナを見るな!」
「違うわよ。兄さんったら、お世辞を本気で取らないで」
殺気立つ兄を急いで止める。下手に実力行使なんてされたら大事である。
「いや、お世辞じゃなく――――」
アレンも! これ以上は、言わないでいいから!
「大丈夫ですよ、アレンさん。……もうっ、兄さんったら、アレンさんに気を遣わせちゃっているじゃない。この話は、これで終わり! いいわね!」
私は、アレンに目配せしつつ、なおもなにかを言いたそうな兄を一生懸命宥めた。
……なんで、こんなことで苦労しているのだろう?
……この旅、本当に大丈夫?
心配にならざるを得ない私だった。