勇者はシスコンでも大丈夫?
兄が、神託で『勇者』に選ばれた。
それを聞いた私の第一声は「なにやってくれちゃってんの、神さま?」だ。
「…………いや、うん。シロナの言うこともわかるけど、王都から来た神官さまの前では言わないようにしような」
村長に呼ばれ説明を受けてきた父が、疲れきった顔で私を窘める。
「兄さんに勇者なんて務まるはずがないでしょう」
「それはそうなんだが……」
今朝狩ってきた大猪の毛皮を庭で剥いでいた私は、短刀をビシッと父に突きつける。
私に同意しつつもモゴモゴと呟いていた父の言葉は、だんだんと小さくなり口の中に消えていった。
春先の風はまだ冷たく、おかげで解体中の大猪の生臭さを少しやわらげてくれる。
私は、大きなため息をついた。
「村長さんは、なんて言っているの?」
「ご領主さまの命令には逆らえないと」
はるばる王都からこの辺境の村までやってきた神官は、案内役として領主を同行させてきたのだ。つまりそれだけ地位のある神官だというわけで、どうあっても「無理です」の一言で帰すわけにはいかない人物らしい。
「…………魔王が世界を滅ぼす前に、兄さんが世界を滅ぼさないといいわね」
「シロナ~!」
父が泣きそうな声を上げた。……いや、実際泣いている。
面倒くさくなってきた私は、大猪の皮剥作業に戻った。現実逃避ともいう。
十分血抜きしたはずなのに、寒風に血臭が混じる。
「シロナ、ただいまぁ~」
そこへ、明るい声が聞こえてきた。ちょっと低めのイケボなのが勿体ないほど脳天気な声の持ち主は、たった今、私と父が話題にしていた兄のクリスだ。
「おかえり兄さん――――って、ちょっと! 今日の獲物は大猪だけで十分だって言ったでしょう」
見れば兄は、片手に大きな金大狼の頭を掴んでいる。庭の外の大木には、いつの間にやら首無し金大狼が吊られて血抜きされていた。
なんだ、先ほどの血臭は、金大狼のものか。
ちなみに金大狼は討伐ランクAランクの魔獣で、私が解体中の大猪はBランク。
討伐ランクは、上から順にS、A、B、C、D、Eとあり、さらにSとAランクは、ダブルとトリプルの三段階に別れている。最強なのはSSSだ。
「うん。だけどシロナ、金大狼の毛皮の帽子が欲しいって言っていたよね?」
「次の冬までにね。まだ春だからいらないわよ。――――もうっ、今日は大猪の解体だけでも大変だって思っていたのに」
「……ごめん」
「もういいわよ。狩ってきちゃったものは仕方ないわ。その代わり兄さんも手伝ってね」
「うん! もちろんだよ」
私が許してやれば、兄は嬉しそうに近寄ってきた。
「あ、父さんいたんだね。ただいま」
直ぐ側に立っていたはずの父の存在をようやく認めた兄は、おざなりに声をかける。
「…………うん、おかえり」
この塩対応はいつものこと。兄は、私以外の相手にはみんなこんな感じなのだ。声をかけるだけ、父母はマシな方。それだって、父母を無視すると私に怒られるからというのが、兄が挨拶する理由だ。
「――――シロナ」
私の前に立ち名を呼んだ兄は、膝を折って姿勢を低くした。顔をうつむけ頭を私の方に突き出してくる。ろくに手入れもしていないはずなのに見事な金髪がフワッと揺れて、白いうなじが無防備にさらされた。
「ハイハイ。今日もご苦労さま。狩りから無事に帰ってきてくれて嬉しいわ。金大狼の毛皮の帽子は、私と兄さんでお揃いにしようね」
解体のためにしていた手袋を脱いだ私は、兄の頭を無造作にわしゃわしゃとなでる。ちょっと長くなってきたから、そのうち散髪してあげようかなと思った。
私の手を頭に乗せたまま、顔を上げた兄の碧い目がジッと見上げてくる。
「――――シロナ、本当に嬉しい?」
「ええ。もちろんよ」
「そっか。…………ヘヘ、僕も嬉しいな」
兄は、幸せそうにニヘラと笑った。ひどくだらしない笑みのはずなのに、イケメンに見えるのは、ひょっとしたら勇者補正だったのかもしれないな、なんて思いつく。
側で父が、頭を抱えてため息をついた。
――――さて、おわかりだろうか?
これが、兄に勇者なんて務まらない理由である。
眉目秀麗で文武両道。幼い時から突出した才能を持ち、わずか三歳で岩大蜥蜴――――討伐ランクAの魔獣――――を単独で狩った伝説を持つ私の兄は、とんでもないシスコンなのであった。
とはいえ、兄のシスコンは世に言う普通のシスコンとはちょっと違っている。
実は、兄には善悪の区別がつけられないのだ。というよりも、なにをどうやっても心が動かないというのが、具体的な状況らしい。さすがに生まれた時は、おぎゃぁおぎゃぁと産声を上げたそうなのだが、それから一切泣くことも笑うこともなかった。
なにか障害を持っているのかと心配された兄だが、体の成長はいたって順調。言葉の覚えも早く、教えられたことはすべて一度でマスターし、その優秀さは大人でも舌を巻くほど。
なんでもかんでもできるのに、感情表現だけできない子どもの歪さは、二歳になった冬の日に露わになった。
質の悪い伝染病に罹った家鴨を、兄は皆殺しにしたのだ。病に罹っていた数羽はもちろんのこと、元気だった残りもすべて一緒に。
もちろんそのこと自体は悪いことではない。家鴨の伝染病を防ぐには必要なことで、両親も全羽殺処分する準備をしていたそうだ。しかし、わずか二歳の子どもが、今はまだ何事もない家鴨を殺す必要性を自ら理解し、躊躇いなく手にかけたことは異常という他なかった。
しかも現場を発見し「辛かったでしょう」と我が子を労った母に対し、兄は「なんで?」と不思議そうに聞き返したそうだ。
「あなたも一生懸命家鴨の世話をしていたじゃない」
「うん。世話をするのも病気になったから殺すのも、必要なことだよね」
無表情にそう言われ、母は兄を抱き締め涙をこぼした。
その後も、兄の異常性は際立つばかり。ついには、自分たちとはどこか違う兄を怖れた年上の子どもが喧嘩をふっかけてきて、逆に殺されかかるという事件まで起こってしまった。
幸いにして腕のいい冒険者だった父が兄を押さえ込み未遂に終わったのだが、このままではまずいと、父母のみならず村民の誰もが感じはじめる。
そんな中、父母はなんとか兄にものの善悪を教えこもうとしたのだが、すべて徒労に終わったそうだ。
「弱い者をいじめちゃダメよ」
「どうして?」
「相手が怪我したらかわいそうじゃない」
「別に」
「お前だっていじめられたらイヤだろう? 自分がされてイヤなことは、他人にしたらいけないぞ」
「……イヤってなに?」
「胸がモヤモヤしたり、息苦しくなったりすることだ」
「そんなことなったことないもの」
こんな風に会話は成立するのだが、父母の言葉は兄に届かない。
「人には親切にしなきゃダメなのよ」
「どうして?」
「相手に喜んでもらえたら嬉しいでしょう?」
「……嬉しいってなに?」
「胸がドキドキしたり、温かくなったりすることよ」
「そんなことなったことないもの」
――――もうどうしようもなかった。
せめて兄がもう少し愚鈍であったなら、そこまで問題にならなかったのかもしれない。しかし、兄は三歳にしてAランクの魔獣を狩るほどの実力者。強い者に常識が通じないことほど恐ろしいものはない。
なにより兄のためにもなんとかしなければと思っていた父母を救ったのが――――他ならぬ私だった。
実は、私は父母の実子ではない。ある日、兄が山で見つけた捨て子なのだ。
いったいどうした理由で私が捨てられていたのかは、この際些事である。重要なのは、どんなものにも興味を持てなかった兄が、私を大切そうに抱いて連れてきたこと。
両親は、大層驚いた。
「この赤ちゃんどうしたの?」
「山の大欅の下で泣いていたんだ。うるさいから崖下に落とそうと思ったんだけど、僕を見て笑った。……そうしたら、胸がドキドキしたんだよ。これって『嬉しい』ってことなのかな?」
兄の言葉に、両親は一縷の希望を見つけだした。
一応調べたが、私の親と思しき人物は近辺に見当たらず、兄の希望もあって私はそのまま父母に引き取られることに。
両親が私を引き取った一番大きな理由は、何事にも心を動かすことのなかった兄が、私にだけは反応を示したからだ。
「シロナが泣いている。どうしたのかな?」
「お腹が空いているのかもしれないわね。抱っこしてミルクをあげてちょうだい。優しくよ」
「うん! …………あ、笑った」
「よかったわね。嬉しい?」
「うん。とってもドキドキする」
これだけのやり取りでも、両親は大感激。父などは大号泣したそうだ。
しかも、今までどんなに言い聞かせても、兄が理解しなかった一般人の良識を、私を間に挟むことで言い聞かせることができたのだ。
「弱い者をいじめちゃダメよ」
「どうして?」
「お兄ちゃんが喧嘩なんてしたら、シロナが泣いちゃうからよ」
「うん、わかった。僕いじめないよ!」
私の名のシロナは、兄が決めた。
「人には親切にしなきゃダメなのよ」
「どうして?」
「親切で優しいお兄ちゃんの方がシロナは好きだと思うわ」
「本当?」
「もちろん。きっとカッコイイって褒めてくれるわよ」
この時の私はゼロ歳。兄は張り切って善行を積んでは私が褒めてくれるのを期待し、褒めてもらえないのは優しさが足りないからだと反省しては、ますます人に親切にしたという。
――――乳飲み子に褒めろとか、無茶振りは止めてほしい。
おかげで、私は「パパ」「ママ」よりも先に「にぃーに」という言葉を覚えた。次に覚えたのは「めっ!」だ。感覚器の「目」ではなく、叱る言葉としての「めっ!」である。
「にぃーに、めっ!」
「にぃーに、いい子いい子」
……私の苦労を察してくれるだろうか?
私が年齢に比して大人び、ちょっと世間を斜めに見る子どもに育ったのは、決して私だけのせいではないと思う。
さて、兄に関してとっておきの切り札を手に入れ、これで一安心と喜んだ両親だったが、ことはそう簡単にはいかなかった。
私が関係していないところでの兄は、まったく変わらなかったからである。私以外の何者に対しても兄が心を動かすことはなく。兄の行動基準は、私が喜ぶか悲しむかの二択だけ。
これは、簡単な方法で手を打って、根本的な問題解決を放棄した父母の失態だろう。ある意味、自業自得だと思う。
まあ、努力を続けていればなんとかなったかと言われれば、そこは微妙かもしれないのだが。
ともかく、兄とはこんな人間だった。
私以外に興味を持てない兄が、勇者に選ばれたからといって魔王討伐に行くだなんて、とうてい思えない。世界平和のためだと言われても「なにそれ? 美味しいの? シロナの好物なら討伐してもいいけど」てなものだろう。
「シロナ、脱骨する?」
「ええ、お願い。兄さん、ありがとう」
大猪の皮を剥ぎ終わり、骨を抜くかと聞いてきた兄に頷き感謝を伝えれば、この上なく嬉しそうな笑顔が返ってくる。兄に尻尾があったなら、きっと全力で振り切っているだろう。
――――うん。やっぱりどう考えても無理だ。
勇者としての魔王討伐と、私の頼んだ脱骨作業が並べられたら、兄は喜んで脱骨作業を選ぶに決まっている。
私と同じ結論に至ったのか、父が頭を抱えて蹲った。