その2 実験阻止
「あなたを、主上とは認めない!」しばらくして聞こえてきた声は、悲痛な叫びだった。
「済まぬ、ドーピンよ。儂は今でも、整然と見通せる未来を好ましく思うておる。生き物は、それに奉仕すべきなのだ。しかし、肉体にこの思念を宿らせた数十年で、食べて・寝て・殖える、生き物本来の欲求もまた尊いことを、儂は思い出したのだ。」追いかけるように、ウルト・ゴールの声がした。
「何と情けないお言葉か! 有機体に乗り移って、さては覇気を失われましたのか。」
「そうかも知れぬ、だが我らは下位の生き物らに寛容であるべきだった。生を楽しむ未熟な彼らを強いるのは、酷であったのだ。」
「五次元展開を果たし、あなたの導きで共に神の意志を追った日々を、間違いだったと言われるか?」
「そうではないのだ。神は存在した。儂は、次の宇宙を産むために、生き物を守護しているのだ。」
「斯様な戯言が、私に通ずるとお思いか? 私は長年の伴侶リムゾーンを失い、そして今 主上を失った。もはやこの時空に未練はない。こうなれば、キュベレらの言う神の実験とやらを阻止するのみ。」ドーピンの声は途切れた。
◇ ◇ ◇
「どこへ行った?」ソルマール号の横に浮かんで、ただ成り行きを見守るだけだった私は、ウルト・ゴールに通信を投げた。
「乱心しおったか! まるで儂の話を聞かぬわい。奴には、過去の生き様が全てと見える。奴はお前たちの船が難破した、あの時点に、過去に向かったのだ。」
「何だと? あの船の事故を、どうしようと言うのだ?」
「お前たちの銀河を渡る術は、超空間への跳躍を繰り返す原始的な手段だったな。」
「悪かったな、あの跳躍航法は、当時の我らには最先端だった重力工学の賜物だ。」
「船が通常時空に浮上する時間は極めて短い。ガンマ線バーストは強力だが指向性を持つ。たまたま近隣で崩壊した超新星の集束ガンマ線が、浮上した船をかすめるなどは、広大な宇宙空間では起こり得ない現象だ。」
「だから、神が干渉したのだろう? バーストビームを僅かに逸らし、船が壊れ私がキュベレに拾われて地球に降り立った。私が時空震を起こしたのも、全て神の筋書きだったと言ったではないか。どうやって、それを阻止すると言うのだ?」
「例えば超空間にいるお前たちの船を、僅かでも揺らす。船が通常空間に浮上する位置を変えるのだ。しかし、奴には少々荷が重かろうな。」
「なぜだ。」
「超空間に身を置いて、船のような大質量に影響を及ぼすには、昔の儂ほどの知力が必要だからだ。」
「ならば、どうする?」
「いささか洗練されてはおらんが、自らを障害物として放射線を遮る方法もある。なに、マイクロ秒ほどの時間を稼げれば、済むことだ。」
「奴が、その盾になると?」
「儂もそれを恐れている。船の手前で、ドーピンが自らを一時的に物質化すれば事足りる。奴は、瞬時に蒸発するだろうがな。」
あのドーピンの思惑が見えた気がした。
「この時空に未練はない、と言っていたな。」
「己の存在と引き換えに、お前たちの船の破壊を防ぐ気なのだろう。」
「私たちの船は、何事もなく次の跳躍を続けて隣の銀河を目指す。私は、地球を訪れることもキュベレに拾われることもない。地球では竜族は滅亡し、魔人の遺産を引き継ぐ者もないと言うわけか。」
「そうだ、儂はお前がいない地球に手出しをしない。儂は覚醒せず、リムゾーンとドーピンには、神の意志を追う日常が繰り返される。」
「未来からの介入、犯罪ではないのか?」
「許されることではない。これほど深い時間への介入は、時空震どころか未曾有の時空の巻き直しを引き起こす。宇宙が揺れるぞ。」
「だが責任を問おうにも、張本人は既に存在を失っているか。」
「キュベレのいる評議会も、打つ手はなかろうな。」
「追えないか?」
「今の儂では無理だ。本体は地球の内核に置いてきたからな。そして、時間を遡って設置した門球を潜るには、この船の質量が大き過ぎる。だが、観測ボットを送ることならできるぞ。」
ソルマール号では融合炉の稼働音が高まり、ドーピンが向かった時空に門球が開かれたのだろう、小型の観測ボットが投射され時空間隙に滑り込んだ。
「儂の船に来い、ジロー。」ウルト・ゴールが私を呼ぶ。ソルマール号の船底ハッチが開放された。
「この船には、舟艇の収容場所がある。ボットから届く情報を、お前とも共有したい。」
私も状況をこの目で見たい、ソルマール号のハッチから入れば、なるほど舟艇が収まる空間があり、その位置に着けば一本の固定腕が起き上がって船を係留した。
ソルマール号との同期が済むと、ドーピンを追って過去の時空に投入されたボットからの画像が、私にも見て取れた。
そこには、眩しく輝いて宇宙空間を貫く巨大な光の束が走っていた。
(続く)




