その4 予感
肉体に依ず純粋知性体として、この広い空間に漂う。
久々の感慨があった。
33年間、ルメナイに宿ってきた。当時少年だった彼は海で溺れ、一時は心肺停止に陥った。彼の生命活動の再開には、私の助力が必要だったのだ。
一度は肉体から離れてしまった彼の魂を、私が同化して肉体に戻した。私が彼の魂を繋ぎ止めつつ、生体機能を操り生き永らえさせたのだ。
利発で努力を惜しまない、親孝行の少年だった。
体が元通りになると、すぐにまた父と共に漁に出て家計を支えた。
私は常に彼の意識の傍にいて、師として彼を助けた。彼は、自分の心に寄り添う私を「神様」と呼んで慕ってくれたものだ。
少年がその手を海水に浸せば、私が生体波動を探って魚群の位置を知らせた。成長途上の少年の体に必要な栄養素を毎日バランスよく摂取させ、また免疫機構を賦活化して病から遠ざけた。日々の労働に耐えうる強い体を、彼に与えたのだ。
この種族の知的水準に合わせて、機会ある毎に森羅万象の知識を与えた。そして家族と仲間を思いやる少年の心のままに、彼が暮らす部落が発展するための最適な行動に彼を導いた。
逞しい体と幅広い知識、優れた知力を持つ青年に成長した彼は、やがて彼を慕う村の娘を娶とり、多くの子宝に恵まれた。そして網元だった父が病に倒れると、その聡明さと人望を買われて彼は網元を継いだ。
若き網元は、村の漁師たちを年齢や能力に応じて組織化し、漁の効率化を図った。また近隣都市の商人と精力的に交流することで、獲った魚の販路を確かなものとして、漁村の生活水準の向上に取り組んだ。
機械を嫌う私のせいなのか、ルメナイ本人も汎用ボットには馴染まなかった。しかし、隣町の治療士カズラが持ち込んだ電力と面発光体は、すかさず導入したものだ。
昼間は外で散々遊んだ村の子供らも、夜も明るくなった住処で勉学に励む時間ができて、これは村の教育水準に大きく貢献した。
彼は忙しく、しかし楽しく、村の発展に注ぐのと同じ情熱で子育てを満喫した。
そして33年の間、私は常に彼と共にいて、その漁師としての生き様を、生き物としての喜怒哀楽を共有してきたのだ。
数億年の昔、肉体に依存していた当時の記憶も既に朧げとなっていた私には、この生き物としての追体験は、貴重で楽しい機会だったと白状しなければならない。
短命ながら懸命に日々を送る生き物が、愛おしかった。そして、自らの驕りを思い知らされたことでもあったのだ。
そんな思い出に浸りつつも、私は今 再び肉体を離れてこの新たな電脳環境を我が物とすべく務めている。
この船のAIソルマールと意識を融合させることで、まずはこの実験船の諸元を理解した私は、ある可能性に考え至った。
この船の能力を、失われた私の断片の回収に利用する。私は、超種族として復活できるのかも知れない。
◇ ◇ ◇
超空間転移:イオタ航法は、ソルマール号の、つまりAIジローの母星に発した技術ではない。
彼らの良き隣人、イオタ星系人から手解きを受けた、まだ彼らにも新しい超光速航行技術なのだ。そしてソルマール号は、その航法を実証するために建造された最初の実験船であった。
空間座標を精密に指定して、五次元球:門球を開口する技術。
ソルマール号の周囲にこじ開けた時空の間隙に滑り込み、門球から浮かび上がれば、そこは目的地だ。この門球の内側は、船の融合炉によってその構造を保持された実質的なワームホールなのだった。
ソルマール号は、初航海で母星とこの地球とを結んだ時点で、事実上その役割を終えた。判明したいくつかの初期不良は、克服されて新たな設計に生かされた。その後も何度か実験船が建造され検証が進められた結果、ジローの母星ではより大型の融合炉を搭載し大人数を移送できる新型船が量産され、続々と就役している。
そこで地球に残されたソルマール号には、新たな役割が与えられた。それは周回軌道にあって、地球とジローの母星とで行われる星間交易の中継基地であり、また地球人類を教育する目的で母星から派遣される教師たちの逗留場所でもある。
異なる環境で進化した、母星と地球の人類。
環境微生物の背景が異なる二つの星の人類は、お互いの地表では生きられない。母星から派遣された教師たちは、この実験船に身を置いて汎用ボットを通じて地球での講義を行い、或いは分身に宿ってサホロの地表に降り立つのだ。
通常のイオタ航行では、座標の時間軸は変えない。つまり目的地の時間も今であり、その結果が瞬時の空間移動となる。だが五次元泡は、理論的には時間軸座標の指定も可能なのだ。
勿論、過去に干渉することは許されない、因果律への抵触は固く禁じられている。しかし他時空の過去に影響を残さぬ行為は、その限りではない。
私の意識の千切れた断片は、ただその他時空に漂っているだけなのだ。それがやがて消滅しようが、この次元から回収されることがあっても、周囲には何の影響も及ぼすことはないのだから。
(続く)




