その1 再会
漁業の町ハルウシから街道沿いに南下して馬車で二時間ほど、サホロへと続く平原に山々が迫る場所がある。その緑に覆われた山裾に向けて、私は小型ボットを飛ばしていた。
今は人狼の姿をしている奴に、これから会いに行く。奴がルメナイ網元の身体を離れて、一人この地に暮らし始めて半年が過ぎていた。
奴が暮らす山裾の小屋の在処は、あらかじめアバパールから教えてもらっていた。昔はルメナイ網元の右腕として知られたアバパールは、今は缶詰工場の工場長を任せられて忙しい毎日を送っているが、カズラからの問い合わせには快く応えてくれた。彼と私の息子カズラとは、長年の友人なのだ。
そのルメナイ網元も、今では村長としての仕事が忙しくなり、漁村に姿を見せるのは稀だと聞く。
だが彼らが率いた漁村は、相変わらず活気に溢れていた。これは、組織を作り後継者を育てた彼らの功績だ。腕利きの部下が、たくさん育っているのだ。そして、その陰には奴の助言があったことを、私は知っている。
◇ ◇ ◇
上空のボットの目には、木々の開けた場所に小屋が見えてきた。丸太を組んで藁葺きの屋根を乗せた、質素な作りだ。
小屋の周りには畑が作られていて、色々な作物を育てているようだ。池も見える、近所の小川から流れを引き入れてきたようだ。これが、奴の隠居生活の巣と言うわけだ。
その池の水に膝上まで浸って、直立した狼:人狼の姿をした奴が、何やら熱心に作業をしていた。私はそこに、小型ボットをゆっくりと降下させた。
「生け簀を作っているのか、精が出るな。」奴の頭の上から声をかけた。
奴は、ゆっくりと頭を上げて、こちらを見上げた。「おお、AIの端末だな、タローといったか。」と、応えを寄こす。
「生憎と、そうではない。私はお前に嫌われたジローだよ、老いて、死に際にもう一つの船のAIに意識を移したのだ。」
人狼は手を止めた。そしてしばらく間をおくと「そうか、お前は機械に依存して、思念体に移行したというわけだ。」と言った。
狼の表情を読み取るのは難しい。だが瞬時に理解し、返答をしたな。こ奴の知力はやはり侮れない。
しばらく沈黙していた人狼は、また言葉を続ける。
「ならばお前には、詫びねばならんな。昔の儂は、いささか増長しておったのだ。」
「ふん、超種族の『いささか』は、我らには度が過ぎていたぞ。」
「そうだな、今なら儂にも分かる。お陰で、生き物の心を思い出させてもらった。」
私は少々驚きを持って、人狼の言葉を聞いていた。ルメナイに宿り、人間として暮らした記憶のなせる技なのだろうか、こ奴と対峙した大昔の、あの傲慢で冷徹な印象をまるで感じない。
「魚を飼っているのか?」
「うむ、上流の渓谷で川魚を捕らえてな、ここに放しておく。食料だが、生き物の世話も楽しめる。川魚は、海の魚とは違った風味がして、これはこれで旨い。」
「なるほど、海の魚を獲るのが、ルメナイとしての生業だったな。」
「ああ、彼と共に30年というもの、魚を獲ってきた。」
「お前は網元に宿り、神様と慕われた。」
「そうだ、彼を助けてからは一心同体だった。漁師として、生き物として、共に日々を過ごした。伴侶を得て子宝にも恵まれた。お陰で思い出すことができたよ、生き物の喜怒哀楽というものをな。」
こ奴は、やはり変質している。私は、会話を続ける気になった。
「私の母星との星間交易、缶詰工場の件では世話になったな。」
「なんの、あれで村が活気づいたのだ。熱心に働いてくれたカズラは、お前の子だったな。彼はルメナイの年若い友として、そして今も治療士として村の皆を見てくれている。世話になっているのはこちらだ。」
その話は、私もカズラから聞いていた。定例の治療院を結んだボット会議で、その話題が出ることも多いのだ。「オタルナイからハルウシまで、長い間 通い診療を続けていると聞いている。」
「お陰で私の、いやルメナイの一番下の娘が、薬師になるためにサホロの高等部に進学しているぞ。子供の頃から、村に通ってくるカズラを手伝ってきたのだ。もうすぐ卒業だが、その後もサホロに残り、治療院で働くそうだ。」
ほう、そうか。それは初耳だったな。きっとサナエが実地に指導するのだろう。
ここで人狼は、私を、つまり奴の顔の横に浮かんだボットを直視してきた。人狼の目は澄んで、その奥には深い知性が感じられた。
「そのAIジローが、何をしにきた。」
「お前が今はこの星の生き物の味方だと、ルメナイが私の孫に言っていたのでな。」
「何だ、あの時にその孫の横に浮かんでいたのは、タローではなくお前だったのか。」
「そうだ、あの場でしゃしゃり出れば、皆を混乱させるだけだと考えた。」
「ふん、違いない。」
「だから、改めて会いにきたのだ、旧友に、な。」
「ふふん、言ってくれる。しばらくだったな、かつての儂を倒せし友よ。」
「ほう、ずいぶん人間臭くなった。」そう言った私は、本当に驚いていた。あの冷酷非情だった超種族が、私の冗談に皮肉を返してくるか。これでは、キュベレより人間じみているではないか。
「30年以上、人間をやってきたからな。」人狼がわずかに口を開けてみせたのは、笑ったのかもしれない。
「いかにも私は、今では人間が、生き物が愛おしい。妻や子、そして仲間には幸せになって欲しいと思っている。人並みにな。」
「お前が人並みであるわけがない。大いに力を失ったと、言っていたな。だが今でも、この星の人類や我らAIをも遥かに凌駕する存在だろうと、私は捉えているのだが?」
「まあ、実はそうだ。多次元に展開する能力は失ったが、純粋知性体としてできることはあるぞ。何が言いたい?」
どうやら話が出来そうだ。そろそろ本題に入ろうかと、私は話を切り替えた。
「ウルト・ゴール、お前には好奇心が残っているか?」
この名で呼ばれたのは久しぶりだろう、人狼の声は少し硬さを帯びた気がした。「未知の探求は、知的生命体の本質的な欲求である。だがこの宇宙には、儂にとって説明できぬ事象が乏しいのも事実だ。数億年も生きていればな。」
「乏しいか、皆無ではないのだな。」
「そうだ、例えば神の種族。彼らを、我らは探究してきた。」
「なるほど、それは聞いていた。では魔法はどうだ? この地球の先人たる魔人は、魔素物理体系を開花させたぞ。」
「ああ、そうだったな。だが魔素を代謝せぬ我らには、無用のもの。そもそも、既に失われた技術だ。今更、探求の価値があるとは思えん。魔法は、魔素は、宇宙の進化とともに廃れる定めなのだ。」
「その魔素物理体形が、神と繋がるとしたらどうだ?」
「何だと?」人狼は目を大きく見開いた。流石にこれは驚きの表情だろうと、私は感じた。
(続く)




