その10 別れた神様
「今から、奴をここへ呼ぶ。もう暴れることはないから、君たちも手出しせず見ていてくれないか。」ルメナイ網元はそう言うと、腕組みをして森の方角を睨んだ。
しばらくすると一匹の灰色狼が、伸びた草をかき分けてゆっくりとこちらに歩いてきた。
口は結ばれ、耳は後ろに倒れ、そして尻尾は力なく垂れ下がっている。いや、両足の間に畳まれているみたいだ。
人間を襲うことをしない灰色狼、しかし竜族を除けば、群れで行動する彼らは地表の哺乳類の最上位捕食者なんだ。と、これは爺っちゃんの生き物係スキルで判ったことだけどさ。
その狼が、今やこのルメナイさんに、まるで怯えた飼い犬のように従っている。
「人間を襲ったことを、叱っておいた。とにかく体を大きくしたかったらしい。」えっ? ルメナイさん、いつの間に意思疎通したのかな?
網元が手を伸ばすと、狼はクーンと鳴いてその手を頭に受けた。
「信じられない、これは『恭順の意思表示』だよ。あの気高い狼が、こんな!」カーラが大きな眼をますます見開いている。
そして、僕は見た。ルメナイさんの手が淡く光って、その光が狼の身体全体を包んだ。
狼の身体は、グニグニと揺れて、そして後足で立ち上がった。背が伸びて、いつの間にか直立した人間の体になっている。だけど頭は狼のままだ。そして、喋った。
「うん、脳は変えずにおいた方が良さそうだ。私が宿るには、このままでも支障がない。」
◇ ◇ ◇
狼が立ち上がり、そして体が人の形になって、頭は狼のままで、喋るなんて。
これを目前にした僕ら一行も、ゲラント隊の面々も、呆気に取られて言葉が出ない。
そうしたら、ルメナイさんがその狼に語りかけた。涙を流している。
「神様、いやウルト・ゴール、やはりこのまま行ってしまうのか?」
人狼が答えた。
「もっと早く、君から離れるべきだったのだ。今まで有難う。これでお別れだな。」威厳のある声が響く。そしてこの人狼の身体からも、今ではルメナイさんに劣らず貫録が漂っていた。
しばらくして、ルメナイさんが振り返って僕らを見た。
「いま、この狼の身体を彼が受け継いだ。もう悪さはしない。どうか、ここまでにして欲しいのだが。」
「貴方様が、そう仰るのだ。もう危険がないのであれば、我らの作戦は終了と致しましょう。ですが、少々ご説明をいただきたいものです。」ゲラントとしては、王弟オーレス様の命を受けてここに来たのだ。丁寧な口調だが、役目上聞いておくべきだよね。
ルメナイ様が小さく笑う。「何なりと、」とだけ応えた。
「今、親方様は「彼」と言いましたな。その前には「神様」と、そして「ウルト・ゴール」とも呼び掛けられた。私はその最後の名前に、覚えがあるのです。」ゲラントは、今度は人狼に向き直った。
「私は昔、強力な存在に憑依されたことがある。その者の思考の中で「ウルト・ゴール様」そして「主上」と呼ぶ声を聞いたのです。」
人狼の眼が、キラリと輝いた。
「なるほどな、それで腑に落ちた。この依代を復活させたのは、リムゾーンであったのか。太陽に落ちて滅ぼされる前に、この星でも暗躍しておったとは。」
「超種族だった頃の、仲間だな。」ルメナイさんにも、覚えがあるらしい。どうやら、今はこの狼の身体に移ったらしき『彼で、神様で、ウルト・ゴール』は、もともとはルメナイさんと一つだったんだ。
「いかにも、儂にはウルト・ゴールの名がある。いや、あったと言うべきか。昔、この星で賢者ジローと戦い、敗れ、大いに力を失って、ここにおるのだからな。」
「そして、私を助けてくれた。子供の頃に溺れた私は、一度は死んだ。だが神様が、私を蘇らせてくれたのだ。そして今まで、ずっと私を支えてくれた。」ルメナイさんは、そういって涙を拭う。
「そうでしたか、私に取り付いた奴は滅んだのですな。そして、今の貴方は我々の脅威ではないと。ならば、これで我々の任務もここまでです。」ゲラントは、そう言って空を見上げた。ちょうど今、彼らの魔動機、黒い円盤が上空に到着したところだ。
「親方様、これにて失礼を致します。」ルメナイさんに、深く頭を下げるゲラント。まだいろいろと聞きたいだろうに、このおじさんは大人だ。
「世話をかけたな、今の仕事はお前の天職らしい。今後とも精進せよ。」
「はっ!」再び頭を下げると、ゲラントはミリア先輩に向き直る。
「では姫様、ご一行様、これにて。」部下に声をかけて魔動機に乗り込んだ。
ルメナイさんが人狼に話しかける。「では、あの森の中にでも小屋を建てさせよう。獲れたての魚も、毎日届けさせよう。」
「それは嬉しい、宜しく頼む。」人狼は、口を開けて笑ったようだ。
ルメナイさんも、この神様とやらも、きっとここまで来る間に今後のことを話し合ってきたんだろう。神様がここで狼に乗り移るのは、予定通りだったようだと僕は考えた。
ルメナイさんが、僕を見た。
「彼は、君のお爺様と戦ったことがある。だが今の彼は、私たち人間の、いやこの星の生き物の味方だ。信じてもらえるかな?」
「ジロー、網元様の言うことだ、大丈夫なのは俺が保証するぜ。」アキラがそう言うからには、僕も信用するよ。
「はい、分かりました。」って答えたさ。
「ほう、君もジローと言うのだな。お爺様の名を継いだか。」ルメナイさんはそう言って、僕とアキラに笑いかけた。
「アキラは村で期待の青年だ、仲良くしてやってくれジロー君。では、これで失礼。」馬車を置いて、人狼と二人で森に向かって歩き出す。これから住処でも探すんだろうな、きっとこれも決めてあったことなんだろう。
二人を見送りながら、僕は頭の中で爺っちゃんに話しかける。
「昔 爺っちゃんと、戦ったって。」
「ああ、そうだ。存在を失っていなかったのだな、私も驚いたよ。」
「今は味方だって、信じて良かった?」
「ああ、それでいい。」
「どうして、ボットから声をかけなかったのさ?」
「あそこで私が出ると、ややこしくなるからな。奴が落ち着いたら、私から一度話をしに行こう。今は敵意がないのなら、奴は使えるかもしれん。」
「使えるって、何に?」
「まだ分からん、まあ楽しみにしておけ。」




