その1 地上への脱出
とりあえず、彼と呼ぶことにしよう。
石棺の中に納められた、かつて超種族の依代のことだ。
クレアの魔法でこの時空に切り取られ、カレンの大剣によって唐竹割りにされて、強力な雷撃魔法で焼かれた肉体の成れの果て。
宿っていたウルト・ゴールは、見限って純粋思念体となって離脱した。骸と見えたこの燃え残りは、カレンの提案でその後に建てられた鎮魂碑の地下に安置された。
封鎖された地下の玄室に石棺が置かれ、その中に納められたのが彼だった。
表面は焼け焦げて固化しているが、中心部には一握りの細胞がまだ生きている。
自我と呼べるほどの意識はない、あまりにも多くの細胞を失ってしまったからだ。ただ生存本能として、肉への渇望があった。大きな体を取り戻すためには、肉を取り込まねばならない。彼は、周囲の死んだ細胞を少しずつ同化して命を繋ぎながら、その時を待っていた。
◇ ◇ ◇
どれだけ待っただろう、干からびた外皮に何かが触れた振動が伝わってきた。
食べられる物だろうか? 彼は細胞をアメーバ状に変形させて、外皮の割れ目から伸ばしてみた。
その擬足が触れたのは、蜘蛛だ。すかさず覆い被さると、消化液を分泌して吸収同化した。ああ、堪らぬ美味、久しぶりの新鮮な肉だ。彼は、次の獲物に期待した。
しばらくすると、また外皮を叩くものがある。すかさず擬足を伸ばして捕らえれば、今度は汁気の多い地虫だ。
これでまた大きくなれる、増えることは喜びだ。彼はゆっくりと、その地虫を消化した。
また振動が伝わってきた。今度の獲物は、大きなミミズだった。これは食べでがあった。
急に食べ物に恵まれ始めたのだが、彼にはそれを疑う知能はない。ただ、手近なものを食べて、体を大きくする喜びに支配されている。
恵の主は、超種族リムゾーンに動機づけされたモグラだった。ただひたすらに虫を捕らえては、石棺の隙間から鼻先で押し込む作業を続けている。
本当なら、モグラ自身も食べなければならない。モグラのような小型哺乳類は、体温を維持するためにせっせと食べ続ける必要がある。たがリムゾーンはそれに配慮しなかったから、モグラはまさに身を削って作業を続けていたのだ。
そして二日が過ぎて、大量のミミズなどを石棺の中に進呈して、可哀想にモグラは餓死してしまった。
◇ ◇ ◇
久しぶりの、まとまった食事だった。
彼は、自らの体重を増やせた満足感と共に、細胞の増加によって原初の意思をその身に宿らせた。「汁気に満ちた新鮮な肉が、もっと食べたい。」
だが、食事はもう届かない。しばらくして彼は、干からびた外皮から抜け出て、可塑性を発揮できる細胞だけで外界に出る選択をした。
まるで大きなアメーバのように、焼け爛れた依代から抜けだすと、ミミズの這った粘液の跡を辿り、石棺の隙間からゆっくりと流れ出る。その真下には、彼に貢いで力尽きたモグラの死骸がある。粘液の塊が、その死骸を覆った。モグラは、最後にはその死体までも、彼に提供することになったのだ。
しばらく時間がかかってモグラの死体を食べ尽くした彼は、体を再び流動化させる。
眼杯を形成して徐々に高く差し上げながら、その先端を膨らませて硝子体を形作る。周囲を見渡せる眼だ。
ここは地下室なので、光は届いていない、だがこの眼は近赤外までを捉えることができた。熱が見えるのだ。
周囲を探れば、壁にほのかに光る部分がある。ここだけ僅かに温度が高いのは、暖かな外気が流れ込んでいるのだ。外界に繋がるモグラの穴、彼はその穴に体を差し入れた。
狭い穴の中をゆっくり流れ始めて、彼は先程同化したモグラの体が移動に有利だったことを悟った。そこで彼は、モグラ穴の中で丸一日を要して、可塑性に優れた細胞からモグラの肉体を再び作り上げた。
そして、モグラ本来の動作からすれば明らかにぎこちなく、彼は動き始める。
前足と後ろ足を操るうちに、彼は徐々にこの体の動きに馴染んでいった。その途中に出くわしたミミズを捕食しながら、彼は土中を進んで地上を目指す。
地上に出た彼は驚嘆した。
何と食べ物が豊富なのか! 地表には無数の昆虫が這い回っており、彼は触れるそばからそれらを食べまくるのに夢中になった。
(続く)




