憑依そして転生
不意に、体を繋ぎ留められてしまった。侮って無視していたあの魔族の女は、不完全ながらも時空に働きかける力を持っていたということか。
この時空に切り取られたとたんに、押さえ込んでいた人族の男が今度は私を下から蹴り飛ばしてきた。次いで立ち上がり、私に向かって剣を振るう。
今の私では、この攻撃を避ける事ができない。男の剣の刃先は、ザックリと私の体に傷を負わせた。
この痛み、自らの体を負傷した感覚は、かつて私が物理的な肉体に依存していた遠い過去の記憶をまざまざと蘇らせた。
立ちすくむ私に、今度は獣人族の剣士が猛然と迫ってくる。
重量感があり、しかも何らかの波動を宿したその大剣が、私の頭蓋に振り下ろされた。この星に住む人族を真似て形成した私の体は、真っ二つとなった。
この体は、もう私を宿しておけない。
私は思念体となって、この物理的な依代から離脱した。私の操作を失った肉体は、ぐずぐずと崩れて原形質の塊と化す。
そこに、二つの魔素の波動が投げつけられる。私が宿っていた肉体の成れの果てが、激しい雷に打たれた。高熱を帯びた事で大気中の酸素と反応して、たちまちのうちにブスブスと黒煙を吐く物質に変貌していく。
この過程は不可逆的だ。私は依代を失ってしまった。そして、肉体を離れた私の思念は、この次元に留まり漂う運命となったのだ。
もはや、他次元に展開していた私の体とは連携が取れない。切り離された他次元の私は、徐々にその存在を失うだろう。
完敗だった。
この星の種族を侮った私の、慢心が招いた結果だ。
今しがた、衝突する小惑星への彼らの見事な連携を見たばかりだったではないか。にもかかわらず、人族の姿をまとって彼らの前に姿を現す愚を犯した。
彼の、秩序を乱す存在を消去する方法は、他にいくらでもあったというのに。
私の敗北は、つまりあの存在を除去する必要がないことを意味するのだろう。
とすれば、これは神の意志なのだ。
それまでの破壊衝動がすっかり消えうせた事を、私は自覚していた。見下ろす地上には、キュベレが人族の姿を借りて実体化したのが見えた。
◇ ◇ ◇
やがて、この星の大気循環に導かれ、私は流され始めた。もはや、地上の彼らとキュベレとの会話には、まったく興味はない。
あの秩序を乱す存在への執着は、私の中で霧散した。私はただ、ゆっくりと流れに身を委ねた。
しばらくして思念体の私は、眼下に人族の集落を認めた。彼らは海辺に住み暮らし、海洋生物を捕獲して生計を立てているのだろう。大勢が集い、海から小舟を引き揚げ、そして横たわる小さな体を囲んで嘆き悲しんでいる場面に遭遇したのだ。
浜辺に横たえられたのは人族の子供、その心臓が鼓動を停止したのが判った。次いで、そこに宿っていた思念が、肉体を離れようとしている。
この種族はまだまだ進化の途上にあるので、生命に宿った思念が肉体を離れて存在できる時間は限られているだろう。
私は、その魂に接触した。
「僕は溺れて死んだんだ。親父と船で出て漁をしていたら、流れ星が落ちてきて船が転覆した。海に落ちた僕を親父は助け上げてくれたけど、たくさん水を飲んで息が止まってしまった。」
そうか、私が誘導してきた小惑星の砕かれた欠片が、この子の命を奪ったのだ。私は思いがけず、罪悪感に襲われた。この星の生き物を根絶やしにして、初期化しようとしたこの私が、だ。
短時間にせよ有機物からなる肉体を形成してそこに宿り、先ほどの戦いで傷ついて私自身の遠い過去の記憶に触れたせいなのだろうか。肉体に依存して生を謳歌していた頃の自分に、私は立ち戻っていた。
「お前は、まだ生きたいか?」私は、とっさにその魂に問いかけた。
「もちろんさ、僕はまだ両親に恩返しもしていない。もっと魚を獲って、家族の生活を支えなければならなかったのに、」
「ならば、私と同化するのだ。お前だけでは、もうあの体に戻れない。しかし、私ならばあの体を依代として、お前を復活させる事ができる。」そう伝えながら、私はその子の延髄にある血管中枢を刺激して、自律神経を介して心臓の自律的拍動を促し始めていた。
「あなたは誰? 神様なの?」
「いいや、神ではない。お前達と同様に、神に作られた生き物だ。だがお前達よりは、はるかに古い生き物だ。」そうだ、私も神に作られ、長い時の果てで驕り高ぶっただけの、ただの生き物だったのだ。
「そう、じゃあお願い。僕を生き返らせて!」
◇ ◇ ◇
反射的に、大きく咳き込んだ。そして、ゼエゼエと息をしている自分がいた。
「ルメナイ! 助かったんだね!」抱きついてくる女がいた。その女に「母さん!」と叫んで、私は泣き出していた。




