その3 ジローの施術
「ジローよ、お前は無力ではないぞ。お前の回復魔法で、やれることがある。まずは客観的に、この症例を捉えるのだ。」私は、気後れしている孫を励まし始めた。
「その軟体生物が分泌した消化液が、今も患部に留まって悪さをしている。まずは、その酵素活性を止めることだ。」
「そうか、解毒魔法だな。」
「うむ、まず患部を水で洗い流す、次に解毒魔法でこれ以上の肉の分解を止めるのだ。」
「分かった、やってみる。」度胸を決めたようだ。
「最初に、痛覚緩和を施しておけ。」
「了解!」
ジローは、若者の両手に手をかざすと、そこに光を収斂させる。うむ、ちゃんと闇属性の波動を選んだな。獣人族には、そちらの方が適合する。我が孫は、すでに光と闇の両属性を操れるまでに成長しているのだ。
しばらくすると、若者の顔色が良くなってきた。痛みが薄らいだのだろう。
「今は、一時的に痛みを伝わらなくしただけです。でも、これから患部を治療していきますから、痛みそのものが無くなってくると思います。」
「まず、患部を犯している軟体生物の消化液を洗い流して清潔にします。次に、残っている消化液を僕の魔法で失活させます。」
「そうしてから、傷の深い部分から、腕の組織を再建して行きます。よろしいですか?」真剣な表情のジローは、落ち着いた声でゆっくりと若者に説明をする。
「ああ、宜しく頼むよ。」若者は、自分より年下ながらジローを信頼した様子だ。
ううむ、なかなか堂に入ったものだ。ちゃんと説明と同意が出来ている。これはこの子に、医者としての資質があるのだ。我が孫は頼もしい、そう思っていると脇でサナエが驚きながらも笑みを浮かべていた。
ジローは、家人に大きな桶を用意させると、若者の両腕をその中に差し入れさせた。魔法で水を生成して、風魔法で吹き付けて傷を洗い始める。両腕からは、赤黒い体液が滴って桶に溜まった。
「次に解毒魔法をかけます。これで残った魔物の消化液の働きを止め、化膿や炎症を抑えます。」ジローが手をかざすと、若者の両手に再び光が収斂されていく。
「よーし、ここまでは上出来だ。」私は、またジローだけに声を伝える。
「次からは、少し難しくなる。複雑な腕の組織を再生させるには、そもそも解剖学的な理解が必要なのだ。だが、今のお前は私と感覚共有している。私の『生き物係』スキルは、すべてお前にも使えることを忘れるな。」
「了解。この際だ、勉強だと思ってじっくりとやってみるよ。回復魔法の練度が心配だけど、その時は助けてよね。」
「任せておけ、賢者の回復魔法の神髄を、お前にも体験させてやろう。」
「そうだよね。それはちょっと、僕も楽しみかも、」
「始めるぞ。まずは骨に異常がないかを、生体探査で調べるのだ。その後は、骨膜、筋膜、筋肉と腱、最後に表皮の順で、傷の修復魔法を施す。」
「了解。」
こうして孫のジローとしては初めての、しかし本格的な魔法治療が始まった。
まだまだ拙く、焦点が合っていないせいで無駄な魔素を消費しながらの治療だったが、そこはこの子が持つ大きな魔素量だ。私ならば枯渇しそうな処置の連続でも、この子の魔素は十分に役割を果たしたのだった。
「骨と筋肉、そしてそれを繋ぐ腱の修復が終わりました。これから表皮の再建を始めます。痛みはありませんね。」ジローは、素早さはないが着実に作業を進めていく。
傷の修復魔法では、私の魔法を大いに補った。だが使ったのは孫の持つ魔素なので、この子にも術式の差異や魔力の流れが理解できたはずだ。
状態異常、つまり病原や毒素に対処するのが治療魔法であり、傷を癒し活力に影響を与えるのが回復魔法だ。魔法の初心者にはこれらは混同されがちで、しかも間違えて使ってもそれなりの効果を示すからややこしい。
だが治療士たるもの、これを明確に使い分けねばならない。正しい術式を構築できないと、施術速度と精度、結果には自ずと差が出てくるからだ。
言うまでもなく、解毒魔法は治療魔法系の特化型だし、ジローが最初に用いた痛覚緩和は回復魔法の一変法、そして傷の修復魔法は回復魔法系の最高位魔法だ。これらを施術相手に応じて、光か闇の属性を選択して駆使することになる。
何なら回復魔法の方向性を転換させてやれば、相手を動けなくする拘束魔法への応用だってできる。今日のこの経験は、孫のジローにはきっと得難いものになるだろう。
もちろん、やり過ぎぬように注意をしたぞ。時間は十分にかけたからな。
なにせ傍には、長年に渡って助手として私の施術を見てきたサナエがいるのだ。全ての施術を私が担えば、この嫁に見抜かれるに決まっていた。孫と私との感覚共有は二人だけの秘密、これは男の約束なのだ。
ジローによる治療が、最終段階となった。
惨たらしく腐食していた若者の両腕は、綺麗な毛皮に覆われて、もう傷跡は見えなくなった。
サナエは、孫を誇らしげに見た。「まるで、亡きジロー先生の施術を見るようでした。旦那様ならもっと素早く終わらせたでしょうけれど、立派でしたよ。」そう言うと、ふくよかな体に、孫を優しく抱き締めた。
母のミヒカは、眼を見張っている。息子の魔法技術の確かさに驚いているのだ。
そしてカーラも、大きな目をキラキラと輝かせながらジローを褒め称えた。「凄いんだね、ジロー。あんなことができるなんて、尊敬しちゃうかも。」
純情なジローは、頬をポッと赤くした。
年頃の男の子にとって、女の子からの素直な称賛は嬉しいものだ。これで少しは、ジローに惚れてくれたらいいのだが。
だが、ジローには余計なことは言わずにおこう。孫に嫌われてはいけないからな。




