最近尾行している女の子がストーカー被害に遭っているらしい。
スカートから覗かせる生足は男の性をくすぐる。ごくりと生唾を飲み込んで震える手でスマホを構えた。カシャリ。コレクションが増える恍惚感は何物にも変えがたい。
20m先の彼女をじっと舐め回すように見つめる。少し離れた路地からぴっとりと張り付いて追いかける。一挙一動を観察。これは常習的であり日課だった。大切な人を守りたい。純真な自分の愛情行為。やれるなら彼女を保護して監禁してしまいたい。
『最近さー駅前のミスドで新商品出たらしいんだよね』
『えっそうなの?食べに行こうよユイ』
イヤホンから聞こえる音声は、僕が一ヶ月前に細工した盗聴器によるものだ。女子校に訪れる清掃業者のバイトに応募し、単独で仕事を任せられるまで上り詰めて、ユイの名簿を確認してバッグに縫い込んだ盗聴器とGPS。依然変わりなく機能し、行動を逐一知らせてくれる。
『私は彼氏と行くかな〜ハナは?』
『メメあたりと食べに行くかな。あれ? てか彼氏と別れたんじゃないの?』
彼女の彼氏は長谷川友紀という名前で、ユイからはユキという風に呼ばれていた。僕はその男の郵便に「ナニモハナサズユイトワカレロ」と何度も送った。苦労の甲斐あってかそれから一週間程度で別れることになった。先に僕が恋をして先に僕が愛しているのに、横から略奪なんて図々しいにも程度がある。顔も知らない偏愛者にユイを奪われるなんてあり得ない。あり得ない。許せない。今ユイの口から「彼氏」という言葉が出た。復縁したのなら、これ程までに失礼なことがあるだろうか。
『うん別れたよ。新しい人』
『え〜?尻軽かよ』
ユイは特に気にせず「新しい人」と言った。僕はぶるりと震えて拳を握りしめた。僕の大切な、僕のユイがまた誰かの毒牙にかかってしまった。いくらユイに惹かれたとしても、僕になんの断りもなく平気な顔して彼氏になるなんて。節度を知らないのか。きっと頭がおかしいのだろう。
「僕が、僕がやっぱり守らないと。僕の……僕だけのユイ」
その日はユイをどうやって僕の庇護下に置くかを検討しながら帰った。今日はこのまま僕が見守らなくても大丈夫だろうか、という心配もあった。僕が今日守らなかったせいで強姦魔に襲われたりしたらどうしよう。いいや違う。そんな心配を無くすために、安全な僕の手元に置く必要がある。
「ずっと、四六時中、守れるようにしなきゃ」
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熟考の結果、一人の時に僕の部屋に案内して匿うという案に落ち着いた。一人の時を狙うのは、周囲の人間に誘拐と勘違いされては困るからだ。夕方なのは、ユイの最近多くなってきた朝帰りと家族が思い違いをして発見が遅れるだろうという推測だった。
GPSで場所を確認してユイの元へ向かう。日課に習って距離を保ちながら観察する。着崩した制服も短いスカートも過剰なほど扇情的で、脳回路が焼き切れそうなくらい興奮した。
スマホを構えてシャターを切ろうとすると、心臓が弾けるほど高鳴る。画面は手の震えを伝えてブレている。これだけは慣れない。決壊しそうな愛欲が抑えられない。この時の、この体のユイは二度と見ることができない。僕が切り取って、飾って、コレクションして並べなきゃいけない。それは僕にだけ与えられた宿命だと確信していた。
「……あの?何してるんですか?」
振り向くと、スーツを着た会社員だと思われる男が肩を叩いていた。僕はぞっとして冷や汗をかいた。視界が歪み、倒れそうになって初めて呼吸を忘れていたことに気づいた。
「ひゅっ……っ……ぅあ、……わ、あぁ」
「さっき盗撮してましたよね?もう警察呼んでおきましたから」
夕焼けの空は世界の終末みたいに明るい。しかし僕にとって世界の終末でも足りないくらいの焦燥だった。そうして心はこう叫んでいた。逃げろ、と。
「待て!!」
飛ぶように逃げ出して一目散に走った。車道には車が走っている。僕は歩道側を夕空の下で駆けた。駆けた方向はユイの方向。群衆を追い抜き、追ってくる男から逃げ惑う。一直線にともかく誤解を解かないと。ユイが、ユイなら僕との仲を説明してくれるはずだから。
ユイはスマホを見て歩いていた。僕が駆け寄っても何も反応しない。冷たい彼女だと思った。彼氏の僕が近づいたら歓喜してほしい。
「ユッ、ユイ!」
ユイはスマホを見て歩いていた。横断歩道を渡ろうとしていた。
そして、信号機は赤く光っていた。
「危ない!!」
横断歩道に飛び込んだ。ユイの頭を腕で守り、体を抱き抱えて歩道まで押し出す。初めて触れたユイの体は柔らかくて、女体らしすぎて、目眩がした。
「はぁ、はぁ、うぁ……ぁ、ゆ、ユイ大丈、ぶ?」
心配一色の顔だったと思う。顔面蒼白かもしれないし、ユイに触れた喜びのせいで赤かったかもしれない。彼女の命を救った。これでもっと深く絆が繋がった。僕と彼女の小指にある運命の赤い糸を、より確かなものにしなければいけない。
「ちょっ、はぁ!? 誰!! 触んないで!!」
ユイは叫んだ。僕の脳は困惑した。そして同時に恐怖した。愕然や戦慄なんてものじゃない。一人の帰り道の路地裏で、おぞましい亡霊と目が合ったような恐怖。背骨をじゅくじゅくとと引き抜かれるような寒気が巡った。
「キモいって!! 離れて!」
血の気がひいて狼狽する。脳は逃げろ!と命令しているのに、体は一向に反応を示さない。慌てているのは脳だけで、体は諦めて投降したいようだった。
「ちょっと貴方!!助けてもらったのに、何その言い草!!」
「はぁ!? 知らないよそんなの!! 私に触ったのは別問題でしょ!!」
僕の救助を見てくれた女性がユイを責めている。女性はスカートを揺らしてユイを叱る。ユイは僕に謝らないし、感謝もしない。天地が逆になっている。横転していた。あぁ気持ち悪い。耳鳴りがするし吐き気もする。
「やっと追いついた。この盗撮野郎。逃走したんだから牢に入るかもしれないって警察は言ってるぞ」
さっきのサラリーマンだった。警察だなんて。僕は悪いことなんてしてないのに。ユイの拒絶も、サラリーマンの通報も予想外だ。何も悪事は働いていないのに。僕は、僕は……?じゃあなんで僕は逃げようとしてたんだろう。
「ユッ、ユイが、好きです。で、でも憎んだ方がいいのかな僕、すみません。何だろう恋心かな、よっ、よく忘れちゃうので、あぁ」
ユイもスカートの女性もサラリーマンもやってきた警察も、怪訝な目で僕を見ていた。夕暮れた空はもう薄暗い。電灯もチカチカ光り始めた。
「立てないんだ、だっ、だれか、手を貸して……」