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6.副官の真実の愛の話



閣下の副官になって、三年目の冬を迎えた頃だ。


俺は、その頃には、副官として周囲にも認められるようになっていた。その分、仕事もどっさりと増えていたが、俺にとってはそれは、誇らしいことでもあった。


その日、俺は一つの決意を抱いて、閣下の傍を離れ、小旅行へ出ていた。

職場の皆には、王都にいる親戚に会いに行くといってきたが、もちろん嘘だ。


俺は、密かに、異母兄である、20番目の王子に会いにいっていた。


当時、国王は病床に臥せっていて、王子たちの間では、玉座を巡って権力争いが激化していた。

特に有力視されていたのは、正妃を母親に持つ第二王子、宰相を外戚に持つ第五王子、そして教会が後押ししていた第八王子だ。20番目の王子など、人々の口の端にも上らなかった。


だが、俺は知っていた。

かつて俺と同じ教会に預けられていたこの異母兄が、どれほど恐ろしく、どれほど才気あふれる人物であるかを。野心を持ち、怒りを持ち、冷酷で、情に厚い。俺と似た境遇だったのに、この男は、一度も絶望することがなかった。


そして、異母兄が、出自に関わらず、有能な人物を取り立てて、虎視眈々と機会をうかがっていることも知っていた。だから、この男しかいないと思った。


『平民出身の閣下』である彼女を、戦争が終わった後にも、殺さないという判断が下せるのは、この男だけだ。





俺は異母兄の前にひざまずき、床に額をこすりつけて、懇願した。


何でもする。暗殺者でも、二重スパイでも、何でもしよう。あなたが王になるための協力は惜しまない。死ねといわれれば死のう。


─── だから、どうか、玉座についた暁には、彼女に保護を。彼女の身の安全の保障を。


異母兄は、取引を呑んだ。

それから、呆れたようにいった。


「最初から捨て身でくるとはな。お前はもう少し、駆け引きの上手い男だったと記憶していたが?」


俺はなにも応えず、ただ目礼した。

異母兄が俺をどう評価していたかは知らないが、俺は、俺の手札がごくわずかであることを知っていた。俺の力では彼女を守り切れないとわかっていた。


それは、俺とこの異母兄の圧倒的な違いだった。俺がなにもかもを諦め、投げ出し、腐っていた間も、この男は懸命にあがき続けてきた。その結果が今の差だった。この男には動かせる部下たちがいたが、俺にはこの身一つしかなかった。


礼を取って退出しようとすると、異母兄は俺の背に言葉を投げかけてきた。


「だが、戦場でのことまでは、俺も責任は取れんぞ。お前の上官が任されているのは、泥沼の戦場だ。よく耐えているものだと、この俺ですら賛辞を送りたくなる。 ─── しかし、それもいつまで持つかな」


俺は、振り返りもせずに答えた。


「兄上が一日も早く玉座につくことを祈っていますよ」


結局、戦争を終わらせることができるのは、戦場の兵士ではなく、王宮のお偉方なのだ。

ふざけた話だと思う。くそったれな話だと思う。だけど、だからといって、投げ出すわけにはいかない。

俺は、ドアノブに手をかけながらいった。


「その日が来るまでは、俺が閣下を守ります」


返事を期待していたわけではない。

だが、異母兄は、奇妙なほどに暗い声でいった。


「それは、お前の、真実の愛か?」


そのどこかいびつな響きに、俺が思わず振り返った。

異母兄は、彼にしてはめったにないことに、滴り落ちるような憎悪をその眼に滾らせていた。


「聖女の力など呪いだ。女神は俺たちを嘲笑っているのだろうよ。 ─── だが、覚えておけ。これは俺の代で終わらせる。神は神のまま、俺たちとは遠い存在であるべきだ」





それは、王家と教会の一部の人間だけが知っている話だ。

もっとも、建国の逸話について、よくよく考えたら、気づく者もいるかもしれない。


聖女の命と引き換えに、女神は、騎士の願いを叶えた。

この国の者なら誰でも知っている、その逸話のゆがみ。


聖女の妹である聖王は、聖女の力について、口伝を残していた。

聖王は、後世の者たちを案じていたといわれる。再び世界の危機が訪れたときには、聖女の力が必要になると考えたのだという。


しかし、実際に後世の人間である俺にいわせれば、聖王は見込みが甘すぎたのだ。あるいは、賢すぎたのか。世の中の人間の大半が愚かであることを、彼女は理解できなかったのだろうか。


聖王が残した、聖女の力の発動条件はこうだ。


一つ、刻印を持つ者であること。二つ、刻印を持つ者が抱く、真実の愛があること。三つ、刻印を持つ者が、条件を理解していること。四つ、真実の愛には、一滴の疑念も許されない。五つ、無知や洗脳では、女神は愛とは認めない。六つ、この五つの条件に基づいて、刻印を持つ者が、真実の愛を与えた者の前で、命を捧げた場合に限り、女神は、その相手の望みを聞き届ける。


……こんなものは、悪意のこもった引っかけ問題のようなものだ。


刻印を持つ者が命を捧げても、女神が叶えるのは、その者本人の望みではない。

真実の愛を向けた相手の望みだ。


では、逆に、だ。


真実の愛を向けた相手は、刻印を持つ者の命と引き換えに願いを叶えることを、果たして望むのか?

仮に望んだとして、そのとき、真実の愛とやらは、一つも濁らないのか?

自分の命と引き換えに、己の欲を叶えることを選んだ相手を前にして、ゆるぎなく愛していられるものか?


自分を愛してくれ。そして命を捧げてくれ。……なんていうのは、土台無理な話だろう。


しかし、俺を含めて、大半の人間は愚かなので、聖王の没後から、どうにかこの発動条件をクリアできないかという実験は、たびたび繰り返された。


建国から五百年ほど、王の愛妾とその子がやたらと多い時代が何度もあるのは、子供を増やしては実験していたからだ。


実際、聖女の力が発動したと思われる事例も、建国から二百年後には一件だけあったらしい。


実験が行われていた時代、不遇だった19番目の王女の話だ。

彼女の護衛の騎士が、流行り病に倒れ、高熱に浮かされて、もはや回復の見込みはないといわれたとき。彼女は騎士の手をしっかりと掴んだまま、毒をあおったという。すると、たちまちのうちに、護衛の騎士は生気を取り戻した。おそらく、騎士は、高熱に浮かされながらも『生きたい』と願っていたのだろう。女神はその願いを聞き届けた。王女の命と引き換えに。


まぁ、これなら確かに、条件はクリアしている。

しかし、この成功例のポイントは、愛する相手が生死の境をさまよっていた点だろう。

毒を呑もうとする王女に対し、護衛の騎士は、自分のために死なないでくれと止めることも、あるいは死んでくれと望むことも、どちらもできない状態だった。

だから、王女の意志も愛も、揺らぐことはなかった。





果たして、閣下なら、俺の死を望むだろうかと、たまに考えた。


俺は彼女を愛している。彼女のために死んでもいい。だけど、それでも、あの人に死んでくれといわれたら、少し辛いだろう。愛に疑念が混ざってしまわないとはいいきれない。俺はろくでもない男なので。


……そんなことを考えてから、いつも自嘲混じりに笑った。


前提からして間違っている。閣下は俺の死を望まない。

たとえ俺が素性を明かし、あなたの望みのために死んでもいいといっても、彼女は頷かないだろう。俺一人の死で、戦争が終わらせられるのだといっても、彼女は拒むだろう。それはダメだというだろう。何がダメなのか、説明もできないくせに、駄目だといい張るのだ。それはダメだ。それは間違っている。それは受け入れてはいけないと。


彼女のそういう姿を、俺は傍で何度も見てきた。


だから、俺は、俺の素性を明かさない。

彼女に決断を背負わせる気はない。あの人は何も知らないままでいい。

聖女の力なんて、異母兄のいう通り、大半の人間にとっては、呪いでしかないのだ。


俺は、俺にできることをしよう。異母兄のような実力はなくとも、積み上げてきたものもなくとも。俺が薄っぺらな人間でしかないとしても、それでも力を尽くすことは無駄じゃない。

それはきっと、明日につながる何かだ。

閣下が、俺に、そう信じさせてくれた。だから俺は、俺のちっぽけな力を尽くす。閣下を助けるために、あの人の力になるために、最善を尽くすのだ。




そう思っていた。心から。




─── なのに、どうして、あのとき俺は、あなたを守れなかったのか。








あと少しだった。

あと少しで、異母兄が玉座につく。あの男なら、戦争を終わりにできる。


あと少し、いくつかの窮地を切りぬけたら、彼女の望む平和が訪れるはずだったのに。









土煙が舞う。怒号が上がる。悲鳴が聞こえる。誰かが閣下の名を叫ぶ。

俺は敵兵を切り捨てて、彼女のもとへ駆け寄った。


「閣下! ご無事ですか、閣下、 ─── ッ!」


彼女は、剣を地面に突き刺したまま、膝をついていた。

俺が、とっさに手を伸ばすと、彼女はふわりと、そのまま崩れ落ちた。

地面に横たわったその身体から、真っ赤な血が流れ出て、地面に沁み込んでいく。


「閣下ッ! しっかりしてください……っ!」


駆け寄り、膝をついて、負傷箇所を確認して、俺は息を呑んだ。


致命傷だと、一目でわかった。もう助からない。


閣下が、あえかな息をこぼす。その瞳から、みるみるうちに生気が失われていく。


時間がなかった。躊躇もなかった。


俺は、閣下の手を強く握りしめて、もう片方の手で、剣を、自分の首に押し当てた。




「大丈夫ですよ、閣下。大丈夫ですからね ─── 」










大丈夫です、閣下。この方法なら、確実にあなたは助かるはずだ。あなたはいつだって生き延びることを望んできた。女神はあなたの願いを叶えるでしょう。大丈夫です、閣下。大丈夫ですからね。



でも、そうだな。一つだけ、俺の願いをいわせてもらえるなら、どうか、俺の首の後ろを見たりしないでくださいね? 俺は、あなたに、何も背負わせたくないから。



大丈夫です。俺が死んでも、異母兄は約束を守るでしょう。取引には誠実な男です。それに、あの男は、あなたみたいな有能な方が好きですからね。もしかしたら、あなたに目をつけてしまうかもしれないな。でも、無理強いするような男じゃないから、大丈夫ですよ。あぁ、あなたがあの男に惹かれることもありえるかな。そしたら、ちょっと、妬けてしまいますね。




大丈夫です、閣下。大丈夫ですから。




どうか、幸せに、長生きしてくださいね。





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