4-77話:頂き
魔力を見ることができる俺には、アラニスが何をしたのか解った。膨大な魔力でバイロンだった存在を押し潰しただけだ。勿論、俺にそんなことはできないけど。
バイロンだった存在が消滅したことで、ジュリアから黒い魔力が消えて糸が切れた操り人形のように倒れる。
「彼女はもう大丈夫だ。君たちはまだ続けるのか?」
勝てるとか勝てないとかいうレベルじゃないことは、シンたちにも解った筈だ。
ガルドをアッサリとあしらったシンも、アラニスに触れることすらできない。アラニスはまだ全然本気を出していないのに。
「勿論じゃ……儂に魔王を放置するという選択肢はない」
「そういうことだぜ……魔王、掛かって来いよ!」
シンとガルドは、まだ戦意を失っていない。シンが引けない理由は解る。自分が引けば他の冒険者が犠牲になると思っているからだ。
だけどガルドは……引くことを知らない馬鹿なんだろう。まあ、俺は嫌いじゃないけど。
「シンの爺さん……」
「オルテガ、お主が付き合う必要はない。魔王も歯向かうことを止めた者まで殺すつもりはないじゃろう」
「ああ、それで構わないよ。誰かが私と戦うことの意味を、愚かな者たちに伝える必要があるからね」
「魔王よ……一応、礼を言っておくぞ」
シンとガルドが再び魔力を漲らせる。膨大な魔力が大地を貫いて上空に噴き上がる。一見すると同じように見えるけど、シンとガルドでは魔力の質が全然違う。
魔力操作の精度で言えば、ガルドは流れる感覚で操作しているけど、シンは魔力の粒子一つ一つを自在に操っている。それでも――
シンとガルドは同時に動いた。全てを懸けた渾身一撃。アラニスが放つ魔力の波動に焼かれても二人は止まらない。
「君のような男は嫌いじゃないけど、蛮勇では私に届かないよ」
アラニスが黒い魔力の塊を放つ。魔力の塊が膨張してガルドを飲み込む。そのタイミングでシンはアラニスの背後に『短距離転移』。
『短距離転移』を繰り返しながら音速の数倍の速度で攻撃を叩き込むけど、アラニスは最小限の動きだけで躱す。
「なるほど……君が長い時間を掛けて磨き上げた力は称賛に値するね。言葉で例えるなら、君は研ぎ澄まされた世界有数の名刀というところか」
「ふざけたことを言いおって……儂が半世紀以上積み上げてきたモノが、貴様にはまるで届かぬというのか……だがまだ終わらん! 儂の全てを……魂を燃やし尽くしてでも、一矢報いねば終われんわ!」
シンがさらに加速する。ここまで力を出し惜しみしていた訳じゃないだろう。アラニスとの戦闘によって進化したってことか?
「私に比べれば若輩者ではあるが、人間の身で老いて尚進化するとはね……だけどそれだけじゃない。この戦いに全てを賭けるというのか……君の身体は完全に限界を超えている。それほど長く持ちそうにないね」
人間の身体は壊れないように脳がリミッターを掛けている。鍛錬によってリミッターを外せるようになるけど、そんなことをすれば身体が壊れる。
どこまでリミッターを外したのか解らないけど、バイロンだった奴と同じように全身の筋肉と血管が膨張して血が溢れ出している。シンは自分の意志で命を縮める選択をしたのか。
自分が引けば他の冒険者が犠牲になるからってのも確かにあるだろう。だけどシンを突き動かしているのがそれだけじゃないことは解る。の全てを掛けても、何を失おうとも、シンはアラニスという高みに少しでも近づきたいんだろう。
「シン・リヒテンベルガー、君の覚悟に応えよう。これが私の本当の力だ」
何が起きたのか俺には見えなかった。気がついたときには、アラニスが手にした黒い魔力の刃がシンの心臓を貫いていた。
「これが頂きか……いや、儂には到底理解できぬ次元だ……」
シンは満足そうに笑みを浮かべて崩れ落ちる。
「私には討ち取った者の首を晒すような悪趣味はないからね」
アラニスが放った黒い魔力の塊がシンを飲み込んで消滅する。
「それでは君たちには生き証人として退散して貰おうか。君たちの雇い主がこれで諦めることを期待するよ。これ以上無駄な血で大地を汚したくないからね」
アラニスが巨大な『絶対防壁』と『転移阻害』を解除する。
「シンの爺さんが手も足も出ないだと……あり得ねえ……」
目の前でアラニスの力を見せつけられて、青ざめた顔のオルテガが無言のまま、ジュリアを抱えて『転移魔法』を発動する。
俺とグレイとセレナは戦いが終わるまで何もしなかった。シンやエイジを見殺しにしたと言われても仕方ないけど、後悔するつもりはない。どんな理由があったとしても、アラニスと戦うと決めたのはシンたちだからだ。
今回の戦いで冒険者ギルドはシンとエイジという二人のSSS級冒険者を失い、『奈落』も老師のバイロンとガルドを失った。
アラニスを倒すために今回以上の戦力を用意するのは難しいだろう。これでアラニスが言ったように、冒険者ギルドと『奈落』の背後にいる奴が諦めるのか?
いや、諦める筈がないだろう。奴らの目的はアラニスを倒すことじゃない。魔王を倒すという名目で金を集めることだ。シンが他の冒険者たちのために命を懸けたことを無駄にしないために、俺たちにはまだやることがある。
「さてと、魔界の存在に取り憑かれ者はあの状態から復活させることはできないが問題ないだろう?」
アラニスがそう言うとシン、ガルド、エイジの三人が出現する。シンは心臓を貫かれて、他の二人も致命傷を負っている。アラニスが魔法を放つと傷が完全に塞がる。
「アラニス、これって……」
「彼らは生きているよ。『時間停止』を使ったから回復が間に合ったようだね」
俺たちが話をしているとシンたちが意識を取り戻したけど、ガルドとエイジは直ぐに動きを止める。
「また暴れられると面倒だからね。その二人は時間を停止させたよ」
「魔王アラニス、貴様……どういうつもりじゃ? 儂らに情けを掛けたのか?」
「只の気まぐれだ。これからどうするかは、君たち自身で決めれば良い。再び私に挑むのなら……君はともかく、他の二人の相手をするのは飽きた。次は殺すからね」
アラニスの瞳が冷徹に光る。SSS級冒険者序列一位のシンが魔王に敗北して戦死したことが、今後冒険者ギルドが魔王討伐に動くときの足枷になるだろう。だけどシンが生きているとなれば状況が変わる。
これからシンがどんな選択をするのか……