92 ひと暴れしてやります④
「……私も、初めは、あなたを誤解していた。服装は悪趣味で、派手で、ケバケバしくて……」
ディーンがぼそぼそと言う。
「品性下劣な悪女なのだと頭から信じ込んでいた。話したこともないくせにと言われて、初めて何か大きな違和感を覚えたが……結局、デマを信じる方を選んだ。付き合いを強制されたときはこんなあくどい女がいるのかと怒りで震えた」
ルウも覚えていたので、つい笑ってしまった。
「ディーン様はからかいがいがあって面白かったです」
「そうだな。あなたはそういう人なんだ……付き合ううちに、時間をかけて少しずつ分かるようになっていったんだ。普段の服は普通だったし、話し方も気取りがなくて、ふざけてばかりで――どこが悪女なのだと思うようなことばかりだった」
ディーンはそれまでより一層声の大きさを絞った。
「私の中で、あなたへの印象がうまくまとまらずにいたのは、私自身が先入観の塊だったからでもあるんだろう。それは本当に、反省したんだ」
ルウは何にも気にしてなかったので、「別にいいのに」と肩をすくめた。
「でも、おそらく原因はそれだけじゃない。それで、色々と考えているうちに、ある程度まで行くとあなたのことが急に分からなくなるよう仕向ける……何かの強制力が働いていると気がついた。あなたの『才能』がそうさせているんじゃないかと思うんだ。だから誰も、本当のあなたを知らない。知ろうともしない」
「それでいいです。面倒くさいので」
「それだよ」
ディーンが急に身を乗り出したので、ルウは面食らった。
「あなたはせっかくいいことをしていても、自分が誤解されたままにしてしまうんだ。氷の飴を妹さんに取らせてあげていたときもそうだったし、私の制服を直してくれたときもそうだった。あなたがうやむやで済ませようとするから、あなたの『才能』も、おかしな方向に作用するのではないだろうか」
「どうなんでしょうか……」
ルウ自身、才能については分からないことが多い。
自分自身には影響がないので、見る人によって印象がどのくらい変わるのかも、はっきり言って未知数だ。
「あなたは今日、私の評判を取り戻すために立ち回ってくれたんだろう? なら、私にも同じようにさせてはくれないのか? あなたが悪女でないことは私が知っている。第三王子との変な噂も、これから撤回していけばいい」
「いいですよ。いりません」
ルウは渋い顔を作り、頭を振った。本当にそれはいらないなと思っていた。
「私はね、ディーン様、もう貴族社会ってやつにはうんざりなんです。友達とメイド服作ったり、新作のハンドクリームを分け合ったり、人の趣味で集められたティーカップを眺めたりして過ごす方がずっと楽しいんですもん。バイバイできてせいせいする――」
「だから、それなんだよ」
ディーンがルウに有無を言わさぬ調子で突っ込んだ。さすがのルウもびっくりして喋り止む。
「あなたに足りないのは誠意だ、ソーニー嬢」
ルウは驚いて目をぱちくりさせた。
それはそうだ、という感想しか出てこなかった。
誠意が取り柄の男にそれを言われては形無しだ。ルウにどんな反論ができただろう。
「あなたは損な役回りを人から押しつけられても、気にならないんだろう。でも、あなたが平気そうな顔でヘラヘラしているから、私は落ち着いていられなくなるんだ。私は、いいことをした人間には報われてほしいし、親切を施されたら礼がしたい」
この世界が善意でできていると信じていたい、といったようなことだろうかと、ルウはぼんやり考えた。
「あなたが誤解されたままいなくなるなんて、耐えられないんだ」
ディーンはまっすぐにルウの瞳を覗き込んだ。
「誤解を解こう。貴族の集まりに出かけて、本当のあなたがどんな人間だったのか知ってもらおうじゃないか。私も供をする」
ルウはどんな顔をしたらいいのか分からなくなって、へらりとした。
「嫌ですよ。そんなことしたくありません」
ルウは人にあれこれ指図されるのが何より嫌いである。相手が自由を奪おうとする人間なら容赦なかった。
「私なりに、ディーン様には悪いことをしたと思ってたんですよ。勝手に私の事情に巻き込んでしまったわけなので。私は、まさに貴族社会から逃げたくて、わざと誤解を生むようなことをしてたんです。だからこれは私の狙い通りなんですよ。最後の最後で邪魔をしないでください」
「それはできない。間違ったことをしている人を放っておけるわけないだろう?」
「間違い……?」
――何が? 私が……?
ルウは宇宙に飛ばされた猫の気分だった。正しいとか間違いとか、そんな尺度で考えてみたことがなかったのだ。人間がすることはすべて好きか嫌いか、楽しいか楽しくないかで構成されていると思っていた。
ルウは異次元の人間を前にして、珍しく言葉に詰まった。これまでディーンに話の主導権を渡したことなど一度もなかったというのに。
「私があなたを正しい道に連れ戻す」
ぽかんとするルウに、ディーンが力強く続ける。
「私があなたの居場所を作る。このまま消えさせなどしない」
宣言するディーンは、自信に満ちて、キラキラしていた。まぶしくて思わず目を細めてしまうような、正しくまっすぐな心から生まれる光が彼にはあった。
「私と婚約をして、まっとうな道に戻るんだ」
「あは、あははははは!」
ルウは我慢ができなくなって、腹をかかえて笑い出した。
――それはやだって言ってるのに、全然聞く気ないんですね、この人!
最初からそういう人だった。話せば分かるとここ最近のやり取りで感じるようになっていたが、根本的なところはやはり相容れないようだ。
ルウはおかしいような寂しいような複雑な気持ちだった。
「……ディーン様が私のことイタズラ好きな小人と言ってくれたの、嬉しかったです。私のこと分かってくれたみたいで。でも」
ルウは羽織っていた宝石つきのショールも、まとめて脇に置いた。靴の留め具についている宝石を外す。貸し宝石店から借りた品を座椅子の横にどんどん積み上げるルウを、ディーンは不審げな目で見返している。
最後に、胸についている薔薇を外した。
「薔薇の花言葉は覚えていますか?」
ルウが適当に謎かけをすると、ディーンは気を取られて、無防備に赤い薔薇を受け取った。
「赤い薔薇を持ってきた女に、今のプロポーズはないんじゃないですか?」
一瞬の隙をついて、ルウは馬車のドアの留め具を開け放つ。バタバタと激しい風に煽られ、髪がはためいた。
「私と婚約したいなら、そうですね――」
「何をする気だ?」
ディーンが腕を伸ばす。ルウを掴み損なったのは、手に薔薇を抱えていたからだろう。潰してしまうのをほんのわずかにためらった。それが明暗を分けた。
「赤い薔薇以上のものを持ってきてくださったら、お相手いたします」
ルウはディーンを攪乱するべく謎かけを残して、走る馬車からタイミングを合わせて、飛び降りた。
悲鳴のような声で名前を呼ぶディーンの声がしたが、すぐに流れて聞こえなくなった。
砂利道の上でくるんと回転して衝撃を受け流し、馬車に背を向ける。
闇夜に黒いドレスはよく溶け込む。ルウの黒い髪も、目くらましに役立つことだろう。
そして何より、ルウがそうしたいと願えば、『才能』はルウの姿を人から認識しにくくしてくれるはずだった。




