90 ひと暴れしてやります②
「いやぁ、あれには事情がありまして……」
言葉を濁すアルジャーに、ルウは唇を尖らせる。
「いやだ。わたくし、アルジャー様のこと頼りになる方だと思っておりましたのに、酷い方ね」
居並ぶ聖騎士たちの何人かに見覚えがあった。きっとこの中にも、事情が分からないなりに参加させられた人員がいただろう。証拠に、何かを言いたげにルウと目を合わせる騎士が何人かいた。
「わたくし、聖騎士の皆様に追い回されて、とても怖かったですわ。もうあんなことのないようにしてほしいのだけれど」
「それは……」
アルジャーの視線がはるか彼方に向く。ダンスホールの中央、踊る人々の輪に、きらびやかに着飾った金髪の男性が加わっていた。美しいご令嬢と楽しそうに踊るギブソンは、まだルウが会場にいることに気づいていないようだった。
「本当にいい迷惑!」
ルウは周囲に聞かせようと、大声を張り上げる。
「わたくしがお慕いしているのはディーン様だけだというのに、どうしてちょっかいを出してくるのかしら?」
噂の否定ついでに、アルジャーに念を押す。
「ねえ、アルジャー様、ディーン様を急に解雇したりなさいませんわよね?」
「まさかそんなこと」
「でも、だって、ねえ。わたくしがディーン様とお付き合いしているのを邪魔に思われる方がいらっしゃるじゃありませんの」
「それは私のことですなぁ、あはははは」
アルジャーもそれ以上のことは言えないようで、場が緊迫してきた。
ルウはあたりを観察しながら、今この場に必要なものを捜した。
すると、ハンブルトン公爵令嬢のバチルダが、彼女の父親に連れられて、何やら話し込んでいるのを発見した。
――あれがよさそう。
ルウは音もなく近づいていき、バチルダに深々とお辞儀をする。
「バチルダ様、ご無沙汰しております。ソーニー侯爵が娘、ルウでございます」
バチルダは長いクリーム色のまつげが生えた瞳をぱちぱちとさせてから、かわいらしく口元を手で覆った。
「まあ、ルウ様……! こんなところでお会いするなんて」
「嫌ですわ、いつもお会いするのはダンス会場ではございませんか」
ルウがおほほほと笑いながら誤魔化すと、バチルダも戸惑ったようにしつつも小さくうなずいてくれた。
「バチルダ様、これからわたくし、少々真新しいお話をしようと思っておりますの。ぜひバチルダ様のお耳にも入れとう存じます。ご一緒にいかが?」
誘いつつ、有無を言わせず背中を押す。ついでに耳元でぼそりと、バチルダにだけ聞こえるよう囁く。
「ギブソン殿下についてです」
「ま、また何かあったの……?」
バチルダににっこりと強い笑みを見せ、威嚇する。
「手を貸してくれますよね?」
それからルウは、バチルダの周囲にいたご令嬢と、彼女の父親も振り返った。
「よろしければ皆様もご一緒に。公爵閣下におかれましても」
淑やかに礼をしたルウに、少々警戒心が薄れたのか、公爵が友好的に微笑んだ。
「何が始まるんだい?」
「誰もが知っている古いおとぎ話なのですが、最新の研究で、面白いことが分かったのですわ。詳しくはぜひあちらで」
ルウはその場の人をかき集めるだけかき集めると、手持ち無沙汰気味にこちらを眺めていたディーンとアルジャーたちのところに合流した。
ルウはできるだけ遠くまで声を通そうと、演劇的に声を張り上げる。
「さあさ、みなさまお立ち会い! これより始まりまするはこの国のもっとも古い物語!」
周囲の人が振り返る。ルウは大道芸人の要領で、全員に注目を促すよう、目を合わせたり手振りで人目を引いたりしながら、歌うように話した。
「今からお聞かせいたしますのは、王家の始まりの物語――より更に古いお話! 現存する最古の文献より、もっと古いものがごく最近神殿の床石から発見された――という次第でございます」
ルウは有名な神殿がちょうど改築中なのに乗じてまことしやかに作り話をする。学者の名前も令嬢生活で見聞きした中からいかにもな有名どころを選び、さらに自分の噂話も利用して、裏社交界で披露するのにうってつけのちょっと後ろ暗い話でもあると匂わせた。
「さて、この国の始祖王といえば人間に恋したドラゴンというのが定説ではございますが、床石に刻まれた物語によれば、その正体は財宝狙いの荒くれ者。あたり一帯を治める穏やかで賢いドラゴンを倒し、土地と財宝を奪い取った山賊だというのです!」
バチルダに向かってにこりとする。彼女は真っ青になっていた。
「ねえ、そのお話は――」
制止をかけるように後ろから袖を引いてきた。彼女は以前、『王家の才能について少し噂を聞いたことがある』と言っていただけはあり、何が起こるのかうっすらと予想がついたようだ。
隣にいる公爵を見ても、やはり青くなっていた。
――高位貴族の皆様方は、大なり小なり知っている……ということ?
ルウは楽しく予想しながら、バチルダに『黙っていて』と身振りで示した。
さらに続きを話そうとして――今度は横から肩をぐいと抱かれた。
「ソーニー嬢! その話は……!」
王家の秘密だ。バラしてしまえばルウもただではすまないかもしれない。
しかし、ルウにはそれに勝るメリットがあった。ディーンに向かってヒソヒソとやり返す。
「皆さんが知る公然の秘密にしてしまえば、ギブソン殿下だっておいそれと女の子に手を出せなくなるでしょう?」
「だからといって、他の女性のために君が危険を被ることはないだろう!」
「馬鹿なこと言わないでください」
ルウには自信があった。
「私は殿下なんかに捕まるような間抜けじゃありません」
ルウはディーンをやんわり振り払い、聴衆に続きを語って聞かせることにした。
ルウは建国譚の真相を面白おかしく話す間、周囲の人間を観察していた。やはりこれが真実に近いと気づいている人と、おとぎ話と割り切っている人とに別れているようで、十人十色、青ざめていたり驚いていたり、退屈そうだったり、いろんな顔色が見られた。
ルウが話し終わったところで、ちょうどダンスが小休止に入った。
踊り続けていた人たちがあちこちに散っていく中、ふと視線を感じて振り返ると、本日の主役がルウを見つけて、驚いたように立ち尽くしていた。
にっこり笑って手を振ってやる。
――この会場でも聖騎士を使って私を追い込んでくるでしょうか?
どう出るかが分からない。ルウは余裕のそぶりで、少し恐れていた。誰からも目撃証言が出ないようにここから逃げるなら、どのルートがいいだろう。人が多すぎて、あまり現実的ではない。おそらく王宮内部を相当走り回らないといけないだろう。
ところがギブソンは、ルウにふっと謎めいた笑みを見せると、お付きの人間をぞろぞろと連れて引き揚げていってしまった。
「ディーン様、少し馬車を回して、外で待っててもらえませんか?」
「え? もう帰るのか?」
「はい。大騒ぎしてしまったので、ギブソン殿下に怒られる前に帰ります」
「まあ、そうだな……」
「でもその前に、もう何人かとお別れの挨拶をしないといけないので。私がパーティに来るのは、これが最後ですから」
ディーンはルウを気遣わしげに見ながら、「分かった」とうなずいた。
「すぐに出せるようにしておく。君のことだから、心配はいらないと思うが、十分に気をつけてくれ」
「ありがとうございます」
説教もなしにルウを信用してくれた。地味だが嬉しいその事実に、思わず微笑んでから、ルウは一目散に早足でギブソンを追いかけた。




